風が抜ければ

博多、天神、中洲‥といえば福岡。
まだ日のあるうちから、街中にはリヤカーに引かれた屋台が集う。
それぞれが定位置につき、開店準備を始める。
歩道を埋め尽くすその数、100軒ではとても足りないハズ。
そう、この街は昼の顔から一転、郷愁を覚える(誰が?)ような風景に変身するのだ。

ど真ん中にある福岡銀行の本店前にも屋台が並ぶ。
ただでさえ日が長い西日本の、まだまだ明るいオフィスアワー。
海に近いからなのか、気取らず開放的な気分に包まれたまま、提灯の灯る夕暮れを迎える。
この不思議な光景は、彼の地に暮らしての印象的なシーンのひとつだった。

そして(当たり前だが)翌朝には、夜にあった光景が跡形もなくが消えているのだ。
いや、ひとつだけ残っているものがある。
それは、歩道に残る多数のシミ‥(笑)
スーツ着て仕事場に向かう身には、ちょっとオイオイ、だったことを思い出す。

以上は、30年近く前の記憶。
その後、これら屋台の営業は店主一代限りと定められた、と聞いた。
つまり、その店主が屋台を引けなくなった時点で廃業となる。
他の街では、戦後早々に消えていった屋台という形式。
寂しいかな、ここでも早晩消えゆく風景なのだろう。

と、思っていたのだが‥。
みなさん、結構しぶといの?(笑)
過去に何度か福岡に立ち寄ったが、まだまだいっぱいあるじゃない。
当時、ウチのMS買ってくれたHさん、まさかの現役なのかしら。
そういえば、お店で極上の刺身を出して貰ったっけ‥、(オッと‥ヤタイ、ナマモノダメョ)

ちょっと気になって市のWebサイトを覗いてみた。
なんと、新規屋台経営者の募集記事があるではないか。
店主の暮らしを守ることから、福岡の魅力を守るものへ。
ナルホド、時代は変わっていた。
内外問わず、観光に来た人にとっては、目を見張るような光景だろう。

でもそこは観光客だけのものではない。
日常を暮らすボクにとっても、心地よい場所だった。
あご(飛び魚)の炙り、そして麦(焼酎ネ)のお湯割り。
まだ陽は高く、屋台を風が通り抜けるのを思い出す。
22歳の若者にしては渋い趣味じゃないか‥
そう、ひとりではないのだよ。
当時現場で一緒だった自衛隊OBおじいちゃん先輩との大切な時間。
初めて訪れたのは、ちょうど今頃。初夏だった気がする。

今日は梅雨の晴れ間。
空は青い、抜ける風が心地よい。
そんな時、懐かしい福岡の風景が思い浮かんだというわけ。

風が抜ける心地よさ‥
屋外に椅子と小さなテーブルを出すだけで、なんと楽しいこと。

そういえば、久しぶりにルーフバルコニーのある物件を手掛ける予定。
ルーバルがあろうがなかろうが、
「光と風の抜ける暮らし」
を夢想して、どの物件もあれこれやっていることに変わりはない。
だから、慌てず騒がず淡々とやるだけで‥

とは言っても、20帖を超えるルーフバルコニーの豊かさよ!
その上、リビングに面して南側に広がっているのだから。
あれをしたい、これもしたい‥と妄想は膨らむもの。

でもね、使わなくてもいいんじゃない?
そう、あるだけで豊かってこと‥

せっかくルーフバルコニーがあるんだから使わないと‥
そんな強迫観念(?)から自由になりたい。
使わない(でもよい、あるだけ見るだけでOKの)ルーフバルコニー。
なんだかわからないケド、それでもなんだか楽しいナ‥
そんな住戸(どんなだ?)にしようと妄想をしている、今日この頃。