自由帳だから

ARMSTRONG by Torben Kohlmann

新聞に載っていた投書をひとつ‥。

子どもが「今流行りのアニメの主人公が上手く書けたよ」と、学校に持っていっている自由帳を見せてくれた。どれどれ、その前のページは‥、と開いてみるが白紙。その前のページも白紙だった‥。不思議に思って聞いてみると息子は、「パッと開いたページに何も描いていなければ、そこに絵を描くんだ」との答え。なぜ?と問うと、「自由帳だから」。

そうか、自由帳か! と、投書をした親御さんは膝を打ったわけで‥。

確かに常識というか思い込みにとらわれて、そんな伸び伸びとした発想がなくなっている自分にも気づく。たしかに、ノートの端から順序良く、お行儀よく描き込んでいったボクのアイディア帳には、窮屈なアイディア(とさえ呼べない‥)が並んだまま、お蔵入りしているものもあるし‥。

仕事にも、思い込んで変わらないことがあるのかも知れない。不動産流通やリフォーム工事に係る業務にも定型がある。業務に関わる皆が、定型をトレースするように、暗黙裡に淡々と仕事が進んでいくのだ。こうするのが当たり前だと言わんばかりに。

仕事を円滑に進めるための定型①と、定型があることで発想まで固まってしまった故の定型②。きっとその両方があるのだろう。無駄なく漏れなくスムーズに進めるために確立されてきた定型①は良い。けれど、もう考えなくてもスイスイ進むからと、発想の発露なき定型仕事②に慣れてしまうとちょっとツマラナイ感じ(もちろん業務内容によっては、その限りでないだろうが‥)。

たしかに、規模の大きい会社は多くの社員が働いているのだから、定型を定めてクオリティを一定に保つ必要がある。このことはウチでお会いするお客様もたびたび指摘すること。組織の安心感を背景とした良い面と、それと表裏一体の少し物足りない面が共存しているのだろう。

話しは少し変わるが、僕が関わる不動産流通と建築(リフォーム含)の二つの業界は、とても近いところに存在するように見えて、その間には深い(かどうかは分からんが)溝がある。どちらも専門性の(比較的)高い業務であり、属人ベース(もしくは会社ごと)ではどちらか一方の業務に特化している故に、交わりそうで交わらない。だから顧客は、不動産部屋で用事を足して、それから建築部屋の扉を開けることになるのだ(扉なんぞ無い、風の抜ける会社もモチロンあるが)。

そんな中で例えば、不動産と建築を繋いだり、家具製作からリフォームに展開したり‥。そんな風に様々な個性が、日々小さな越境をして活動しているのを見掛ける。(建築界隈の中だけのハナシだから)大移動ではないけれど、それでもそんな小さな越境が、ちょっと面白い目線を与えてくれたりする。

不動産はこう、リフォームはこう、と杓子定規に考えないで、いろいろな活動を(している人がいることを)知ってみると面白いかもしれない、と思う。なんて‥。

もっともそんなことを言う僕自身は、自由帳の扱い方さえ覚束ないのではありますが‥。

PLAIN SIMPLE USEFUL

TERENCE CONRAN、つまりテレンス・コンラン。彼が開いた「コンランショップ」は何屋さんと呼ぶのでしょう、インテリア?雑貨? いやライフスタイルに想いを巡らせる店、というのかな。このコンランショップ、日本では20年以上前から新宿パークタワーという超高層ビルの低層階に店舗を構えていました。

このパークタワー最上層部にはパークハイアット(当時ハイアットの最上級)ホテルが入居していて、地上階の小さな独立エントランスから一気にEVで上がると、パっと眺望が開けるという仕掛け。それまでのホテルと言えば、敷地建物丸ごとホテルが主流だった時代、現在に続くビルイン高級ホテルの(日本での)先駆けだったのだと思います。もちろん僕は(山縣有朋が造らせた庭園だという意味では好みではないが)、豊かな敷地をもつフォーシーズンズ椿山荘の方が好みだったのだけれど‥(ボサボサの多摩丘陵とはだいぶ違うかな‥)。

そのコンラン卿(きょう)がこの秋に亡くなっていたことを最近知りました。新宿のコンランショップには随分立ち寄ったし(このビルは、各社ショウルームや建築インテリア系蔵書も豊富だったのです)、コンラン著書は何冊も所有(だけ)しています。

そして後で知ったこと。僕が高校の帰りに寄り道していた西武百貨店、その西武のハビタ館は、コンランが創業したハビタ(というショップ)との提携によって生まれたものだったのです。セゾン(西武鉄道に対してこう呼ぶ)が発するカルチャーがムンムンしていた時代、それを横目に育った僕は、後年自身が起こした会社に「スタジオカーサ」と名付けました。実はこの名称は、西武百貨店池袋内に当時存在した設計スタジオなのです(今はもうありません。さらに、あっちは設計、こっちは不動産業‥)。

(我が)スタジオカーサの語源は当時のセゾンにあり、その当時のセゾンにはコンラン創業のハビタが同居していたという偶然。そんな僕がコンラン、特に書籍にたくさんのインスピレーションをもらってここまで商売を続けてきたわけです。うすーいご縁だけれど、30年を軽く超えるながーいご縁を感じずにはいられません。

ハナシはまたしてもおおーきく逸れました。表題の「PLAIN SIMPLE USEFUL」もコンラン著書名。まさにこの3つのワードは、コンランと言えば僕が思い浮かべるワードであり、僕がそうありたいとも思う姿勢。この書籍「PLAIN SIMPLE USEFUL」は電子ブックにして持ち運べるようにしています。上の写真の通り、この人の本は重くて大きいので、ちょっと眺めようにも「よっこらしょ」ですから。

ちなみに、これも後で気づいて苦笑したことだけど、同じくセゾンのファミリーレストランの名称は「CASA」(こういう企業系列を知るのが好きだったので、こんなこと覚えていたのですヨ‥)。

結局、セゾンカルチャーが何か、本当のところは触れずに通り抜けてきてしまったけれど(僕はまだ若かったのだ)、僕にとっては空気のようなものだったのだろうと思います。

蛇足。セゾンには西洋環境開発というデベロッパーがありましたね。これまたセゾンらしい会社で。その話はまたいつか!

OH67

唐突ですが、問題です。表題の「OH67」とは何でしょう?

☆ヒント1:駅ナンバリング。そうです、小田急線。「OH01」は小田急新宿駅。

☆ヒント2:写真は「OH59」、ホームが傾いている。

☆ヒント3:ある意味では終点です。

どうですか、わかりましたか?

A.(答えは)箱根海賊船の「OH67・元箱根港」でした。

【新宿】小田急線【小田原】登山電車【箱根湯本】登山電車【強羅】ケーブルカー【早雲山】ロープウェイ【大涌谷】ロープウェイ【桃源台】海賊船【元箱根港】という、新宿から芦ノ湖畔の元箱根までを一路線と位置付け、一気通貫の周遊券で引っ張っていく壮大なルート。

箱根開発といえば往年のライバル西武鉄道も大正時代から(秩父でなく‥)箱根に取り組んできたわけですが、やはり鉄道+沿線観光の小田急は強い。とはいっても昔と違い、みんなで箱根!という時代ではないので、海外からの観光客があっての観光地なのでしょう(そのための駅ナンバリングですものね)。

上の写真はOH59公園上(コウエンカミ)。これも小田急グループが運営する強羅公園(華族の元保養施設なんですと)の最寄り駅。あたりは紅葉の真っ只中です。

首都圏でOH67に勝る面白いナンバリングあるかいな、と見てみても僕には見当たりませんでしたが、数字が大きい(JC86)のが中央線チーム。その中の武蔵増戸JC85は(01東京から85番目ではありませんが)、五日市線終点のひとつ手前の駅。リフォームに使用する杉無垢フローリングを作っていただいている製材所がここにあります。奥多摩の杉を多摩丘陵で消費する。ほぼ地産地消。当社の創業間もないころにお伺いして、お話をお聞きした思い出深い場所です。

などと、あれこれ鉄道図を眺めていたら、昔むかし小学生の頃の「チャレンジいい旅2万キロ」(たしかこんな呼称‥)という全国の国鉄駅縦断キャンペーンや、「青春18きっぷ」に心躍らせたことを思い出しました。

ちなみに今でも販売されている「青春18きっぷ」の対象者は「年齢に関係なく青春する者」です。君もあなたも私も僕も、みんな立派に対象者。サミュエル・ウルマン、青春の詩をご存知でしょうか。コレこそまさに「18きっぷ」ですね(それはまた改めて!)。

そう言われてみれば‥

写真左側の箱は何でしょう?

そういえば以前にも、同じような問題を出しました。箱って言えば、そんなの靴箱に決まってるだろう、と思ったら‥違った。というハナシ。ちなみに前回の答えは、洋風の和家具(アンティーク)の置型キャビネットでした。それを玄関靴箱に転用したわけです。

では今回、上の写真は何の箱?

答えは、キッチンキャビネット‥。

そうです、キッチンの上部吊戸棚とよぶアレです。彫りの深い木製扉に金属製の取っ手。オーク材を載せて、ちょっと男前な靴箱になりました。内部棚板の位置も細かく調整できますし、棚板枚数の追加も容易なのは、機能的なキッチン用ならでは。

この住戸の玄関は幅が広くゆったりしているので、存在感のある靴箱をつくってみました(販売済です)。

このように幾つも販売用リフォーム済住戸をつくっていると、中入り玄関(と呼ばれる)住戸は玄関廻りが落ち着いているなぁ、と思います。つまり、玄関ドアを開けると正面が突き当りになっていて、左右に廊下が伸びているパターンです。例えば、右がLDKエリアで左が寝室というような。

通常のマンションの場合は、玄関ドアを開けると、廊下が真っ直ぐリビングまで伸びています。そして、玄関は左右の居室に挟まれた場所なので、幅が最小限(廊下幅と同等)となってしまうのです(もちろん、吹抜けやポーチなどで玄関位置をずらして、工夫された住戸もあります)。

中入り玄関の場合には、玄関を挟む左右居室の呪縛がないので玄関ホールを(僅かながらも)広く出来、突き当り正面の壁も活かすこともできますから、ゆとりが生まれ表情も豊かです。また、室内が見えにくいのも落ち着きに一役買っています。

そして何よりも、中入り玄関は「2戸1階段」つまり居室が開放廊下に面さない「両面バルコニー」である場合が多く、一層落ち着いた室内環境が整っているとも言えます。

結局、2戸1階段マンションのススメ、のようですが、これは総論。実際はバリエーションも多く、一概には言えません。ただ、そんな間取りの違いに着目してインターネット上のページをめくると(スクロール、か‥)、今までスルーしていた住戸の中から新たな発見があるかもしれません。

なお、上の写真は、中入り玄関でも両面バルコニーでもない、もっと変わり種の大型特殊住戸でした。どうもすいません。

あり合わせのものですが

イタリア在住のコラムニスト大矢アキオさん、僕が若い頃に時折読んだ自動車専門誌の出版社に居られた方。その後、早くに独立してイタリアに渡られました。彼の地から、自動車文化を軸にしたイタリアについて発信されており、書物やコラムを楽しく読んだものです。

最近、久しぶりに彼のコラムを目にして、フムフムと頷いたこと。

ご存知フェラーリ(酒でなくスポーツカーのほう)のテールランプは、最近まで(一部の例外を除いて)丸型であったわけですが、(少なくとも初期の)ランプは大衆車の流用であったという話(わかるワカル、あのクルマだ)。つまり、以前の本稿にも登場した「また直してくれよ、トニー!」のFIAT社の小型大衆車と一緒であると。ちなみに、現在は大FIATグループに属するフェラーリですが、このテールランプの件は、傘下に入る前のことです。

つまり、エンジンやスタイリング(専門の工房が車体まで製作しますね)、そして走りそのものに神経を注ぐなかで、パーツなどの端部は重要ではない、というか安価に調達することが命題だったのでしょう。もっと言うと、エンジンや内装はすんばらしいのに、信じられないようなチープな電装パーツによって、えーっというトラブルを引き起こすこともあったのが当時のイタリア車だった、とも言えます。(注:これは個人の実体験・感想です‥。なお、Fe社は知りません。)

そして今、フェラーリ最新車種の(丸型でない)テールランプデザインについて、あれこれとファンたちが(伝統の丸型を踏襲していないと)騒がしい件を、大矢氏が「しょせん始まりは流用ではないですか、デザイナーの勇気を称えましょう」と軽ーくコメントしています。ハハハ。

そういえば、我が社用商用車のテールランプは、(いまだに)素っ気ない四角型。往年の欧州小型車のランプに酷似します。この車輛を選んだ理由、実はこのランプなのです。デザインのためのデザインではない、安価で機能だけのパーツが良いのです。大衆的な車輛であっても、最近の新車パーツは今っぽく手の込んだカタチをしていますからね。

僕の(当社で販売する住戸の)リフォームは設備がシンプルで、上の時代のクルマづくりと、少し似たところがあります。設備機器が一番重要ではないと思うこと、空間全体で何かをつくりたいと考えていること、(それとお金をあまり掛けられないこと!)。もちろん、ウチは名だたる高級車でもなんでもなく、大衆車ならぬ、お求め易いリフォーム住戸です。比べるべくもなく、当たり前ですが。

特別なものは使わず、何時でも何処でも手に入る材料で、気持ちの良い空間をつくりたい。もちろん出来ることは限られているけれど、ほんの少しの想いや手間を掛けることで、パッと開けることがあります。

料理も同じですね。その場にあるものでチャチャッと仕上げて、カッコイイ。

何もない家‥。冷蔵庫にあるのは、萎びた長ネギのみ。パントリーには米、それと‥あったよ!オイルサーディン缶。男がこれでチャーハンを作り、男女がウマイ!と快哉を叫んで喰らう、という光景。

まぁこれは‥、森瑤子さんの小説だったからアリなんでしょう‥ねぇ。

喰う寝るところで住む処

光と風の抜ける暮らし、はモチロンいいけれど‥。

木枯らしが吹く季節の、もう宵の口とは呼べない時間帯。そんな時には暫し、光と風の出番はお休み。暖かく閉じられた空間で、キッチンカウンター越しに杯を傾けたい。そんな感じの小さなダイニングスペースです。

このダイニングは、直接窓に面さない落ち着いた住戸中央部に位置します。緩やかにつながるリビング越しに、空と緑を望みます。この住戸の開口部は南北に合計4カ所。2戸1階段の両面バルコニー、ワイドスパンですので、すべての居室がゆったり開口しています。

ここは元々、壁付けキッチンがあるだけの空間。ダイニングとするには悩ましいスペースでした。ダイニングはリビングと一緒にバルコニー側居室に持っていくのが良いのか?それとも何にも作為はせず、キッチンだけ付けて後は使い手に委ねるのが良いのか?と、余計なお世話で考えた末に、決めたのがこのカタチ。

壁や棚と一緒に、ついでにシンプルなダイニングテーブルも造作。小さいながらもダイニングキッチン、狭いながらも楽しい飲み喰い処となったのでした。

もちろん、キッチン本体をこちら側に向けて、対面にダイニングカウンターなんてのもいいですね。ただし、この住戸もリフォーム済の既製品として販売するものでしたので、手を掛け過ぎずに収めました。

そういえば最近、大手キッチンメーカー(だったと思う)が、「テーブル」と一体化したキッチンを発表した、という記事を見掛けました。「キッチン」(にテーブル)というモノは見掛けますが、本件は逆で「ダイニングテーブル」(に小さなシンクとコンロ)という感じ。聞けば最近の要望として、もっとダイニング&キッチンを小さくして、居室に面積を割きたいという声があるのだとか(え、ウチのコレそのまんまだゾ‥少し前だけど)。なんとそのキッチン付テーブルのお値段は「100を遥かに超えて万円」でした‥。

えー、いいけど高いナ。それよりも、そういうオモロイモノは大工さんに相談しながら、作ってもらったらいいじゃないのかな、と思います。もっとすんごいの出来ると思うケド。

ちなみに、ご存知でしょうが、キッチン本体とダイニングテーブルは近くて遠きもの。「何が?」「高さが‥」。そうなんです、キッチン高さは(標準)85cm、テーブルは(だいたい)72cm。この約10cmが、ふたり一緒になることを許してくれないの‥。

このふたり(の高さ)を同一平面に収めるには、①調理側床を下げる(食卓側床を上げる)、②ダイニングチェアをスツールにする、など工夫や割り切りが必要になるわけですね。

で、どうする? 僕は、(高さが)一緒にならなくてもいいじゃないか、とふたりを諭したい。そして、笠木の付いた壁を間に立てて、対面の割烹風カウンターで一献といきましょう!

お若いんでしよ?

中学生の頃、通っていた床屋でのこと。髪を切ってくれている、パンチパーマに髭と色付眼鏡のお兄さんが、(意を決したように、とボクは感じた)唐突に僕に話し掛けてきた。

お兄さん:「お客さん!」

おいら:「はい?」

お兄さん:「お若いんでしよ?」

おいら:「はい、中学生ですから(このシト、ナニいっとるんだ…)」

お兄さん:「ですよね!」

マンションにも、築年数がそこそこ浅いのに随分と老けて見える建物がある一方で、年数が経過しているのに若々しい建物もある。また違う観点で見ると、若くても(星霜を経たように)風格を感じる建物もあるし、いつまで経っても厚みが出ないモノもある。

果して、パンチのお兄さんにとって、中学生のボクは一体ナニモノに見えたのだろうか。(思い当たる節がなくはないけれど‥、ハハハ)

ところで、建物の見た目の年齢や風格の違いは、どこからくるのでしょう。管理? 外観?、それとも立地、環境? 

当社では、自社で取得してリフォーム後に販売するほかに、顧客の住戸購入からリフォームまでをご一緒するケースがあります。どちらの場合も物件に(表面的な)若さを求めず、古くても(or今後古くなっても)味があるような物件を選びたいと考えています。単に築年数が浅くて(今は)キレイだからいいね、という選び方はあまりしないのです。

樹々があるのは七難隠す‥。きちんと管理された樹木が敷地内に茂っている集合住宅は、建物自体には特徴がないとしても素敵です(※効能には個人差があります)。逆に樹木がなく、若さが売りのマンションは、中年期(!)以降は建物だけ(デザイン、質感、管理状態?)で勝負しなければなりませんから、一層シビアです。

樹々があれば、重厚なタイル貼りや立派なエントランスがなくてもいい、と僕は思うクチ。ところがマンション建築の際、植栽は一番最後に計画されることが多いのですね。つまり建物(や共用施設)が配置されて、残った場所に緑をちょんちょんと置いていく感じでしょうか(特に既存宅地の中小規模のマンションは‥)。ですので、樹木一本や生け垣をレイアウトすることさえ難しい、というケースが散見されるのです。ちょっと残念なことです(止むを得ないことはよーく判っています、仕事にしていましたから‥)。

樹木推進を阻害する要因として加えるならば、樹木の管理には費用と労力が掛かるということ。年に何度かの剪定や消毒があります。隣地に越境したり、落ち葉を掃いたり。育ちすぎて日照を阻害して、組合員から苦情が来たり‥。成長した樹木を、組合の決定によって伐採してしまう、そんなことも起こっています。

若いってことは、単純に素晴らしい。古い建物も、シミを除去し(外壁塗装)、血管年齢を若く保ち(配管交換)、若々しく健康であって欲しいもの。でも若いだけじゃなくて、築年数相応の落ち着きや風格を備えたマンションであるならば、尚のこと良いですね。そんな建物ならばこれから先も変わらず、(比較的)緩やかな経年変化をしてくれそうですから。

数字に表れないそんなところに、たくさんのマンションの中から気持ちよく暮らすための1戸を選ぶヒントが隠れているかもしれません。

秋は夕暮れ

次の一節、おぼえていますか。若い頃にそらんじたことがあるかもしれませんね。

秋は夕暮れ。夕日の差して 山の端いと近うなりたるに 烏の寝所へ行くとて 三つ四つ 二つ三つなど飛び急ぐさへ あはれなり。まいて雁などの連ねたるが いと小さく見ゆるは いとをかし。日入り果てて 風の音 虫の音など はた言ふべきにあらず。

ご存知、清少納言の枕草子です。中学生の頃、教科書に載った”春はあけぼの‥”を気に入って、(平易な)枕草子を一冊小遣いで買いました。きっと、秋は夕暮れ、みたいな詩情あふれる文章が満載なのだろうと思って‥(普通、買わないよなぁ)。

ところがというか、やっぱりというか。残念ながら僕にとってその殆どは面白いものでなく、そのまま背表紙を見せて本棚の風景となったわけで。その頃はそんなのばっかりだったなぁ。勇んで買ったLPレコード、繰り返し聞いたのはシングルカットの一曲だけ、みたいな。要は、まだ著者やアーティストを味わうチカラが備わっていなかったのだ(今も変わらない)。とほほ。

上の写真は、秋の夕暮れ。既に夕日が、山の端(”春”にでてくる”山ぎわ”は空の端なんですよね)の向こう側に消えた蒼い時。

都心にも近い割りに、秋は夕暮れ‥が似合う多摩丘陵。里山の雰囲気がそこここに見られ、起伏の多い地形が夕闇に小山を浮かび上がらせます。(ある住宅地には夕景にシルエットとなるお寺の五重塔があります、まるでいにしえの都‥)

この季節、家路を急ぐほんの一瞬、そんな空を仰いで立ち止まってみてはどうでしょう。

なお、空が赤く染まった夕暮れの一瞬をマジックアワーと呼ぶそうです。素敵な呼称です。それもいいですが、空の赤みが取れて、吸い込まれそうに蒼く透き通るその後の瞬間が僕は好きです。写真はそのイメージ、これはブルーアワー。

マジックアワーと言えば、三谷幸喜さんの映画がありました。夕暮れ時のその一瞬は、映画撮影者にとっても大切なのだとか。たしかに一日に一回、一瞬だけのチャンス。それも毎日あるわけでない‥。何度か、監督ご本人をウチの事務所がある祖師谷から成城のあたりでお見掛けしました。近所に撮影所がありますしね、それともウルトラマン商店街がお好きなのでしょうか。

探しても探しても

ぐるりと180度、見渡す限り続く空と緑。その所々に建物が在る、という按配。以前にも、川崎市最大の生田緑地が眼前に広がる(リフォーム中の)住戸を載せました。上の写真も緑と空のバランスこそ違え、ある意味似たものどうし。僕がこういうの好きなもので‥。

この住戸も、東京から多摩川を渡って程なくの多摩丘陵に位置し、生活利便性が比較的高い駅が最寄りです。こんな場所があるのですよ、この辺りには。

とは言っても、エリア全体がこんな空と緑ばかり、という訳では勿論なく、探して選んで見つけるという具合です。そうですよね、山の中ではないのだから。

そういえば、この物件を(当社が譲り受ける時点まで)新築時からずっと所有されていた前オーナーは、(仕事で)世界の主要都市数カ所で暮らした経験をお持ちの方でした。にもかかわらず、結局ここが一番良い、と日本での非居住期間が長くなっても手放すことをしなかった、と仰っていました。

当然、ロンドンにもニューヨークにも素晴らしい場所はあったのでしょうけれど、帰るべき場所は日本です。そして、日本に戻っている期間にはここに暮らしながら、(更なる)空と緑の物件を求めて遠方に足を伸ばしたこともあったそうです。しかし、森の中に居ると森と空が見えないのだ、と合点してここに戻ってきたのだとか‥。

そんなこんなで、訳あって手放すことになるまで、とっても愛されたこの住戸。受け取った僕なりの解釈で、その素晴らしい眺望と三面採光プランを磨いて送りだしたわけですが、例のごとく誰でもOK!とはいかない、住まい手を選ぶモノになりました。

でもそれでいいのでした。今度の新しいオーナーは、光と風が抜ける住戸で、空と緑を独り占めにする暮らしをされていることでしょう。

話は変わって、先日。当社サイトをご覧になり、都心からある方が来所されました。現在のお住まいは、四季が移ろう素敵な公園を眼前にする分譲マンション。そこを処分して、環境の良い場所に物件を探し、無理せず身の丈に合ったリフォームをして暮らしたい、というご相談です。僕が是非ご協力したいと思うような方なのですが、何せ今の住まいも充分にいいのですよ。まして、僕が(主に)扱うエリアで探す理由は特にないわけで‥。

とまぁ、取り付く島もない話のように一見思えますが、そうでもないのかなぁ。

試しに、都心から同距離エリアなどを見てみるのですが(ひいき目もあるのか)、価格や(僕が良いと思う)環境などの条件を天秤に掛けると、なかなか目ぼしい他エリアを見付けられない。予算が無尽蔵の方ならともかく、それぞれ限りある予算の中でということになるならば(その予算によっては)、やっぱりこのエリアは結構いいんじゃないかなと思うのです。

それに加えて何よりも、僕の関連サイトを読み込んで、何かを想い、実際に行動を起こされた方であるわけですから。どこかに糸口があるだろう‥と。

物件探し(+リフォーム)は、ご縁ものです。それに僕も、あれこれ何でもお世話します、とも言い(言え)ませんし。でもこの細い糸に繋がる何かが何処かに落ちているかも‥。そんな風に、見えない何かに想いを巡らせたりしています。

風景をつくるもの

私鉄沿線、都心近郊の駅近く。中心部の賑わいの一本外側を南北に走る直線道路です。が、よく見慣れた街の風景とは何かが違います。

ある意味無機的ともいえるコンクリート打ち放しの建物が道路両側に並ぶストリート。ただし、(素人の僕が見ても、どの建物も似た意匠であり)質感と緊張感を持ったコンクリート建物には、何らかの連続性を感じます。

ずいぶん前は、この真っ直ぐな道路が抜けておらず、別の道を迂回していた頃の記憶があります。このエリアを久しぶりにクルマで通り抜けて、すっかり変わった街並みに今さらですが足を止めてみました。

ストリートの一角には、街に開いたパティオを店舗が抱き込むように囲む棟が2棟、向かい合っています。上の写真でいうと右手前のエリア。同じコンクリートでもちょっと趣きが違い、通りの緊張感を柔らかく緩和しているように見えます。

少しだけ調べてみました。やはり、土地所有者の強い意思が実現させた空間だったのですね。

元々は農地の区画と思われる、細長く広大な敷地。この敷地を対角線上に貫通していた都市計画道路が、ちょうどバブル時代に事業決定されたのです。道路両側に細切れの三角地ばかりが残ってしまう上に、重い相続税負担も重なる状況。土地の切り売りで決着したい衝動に何度も駆られたそうです。

たしかに今見ても、難しそうな敷地形状が続いています(鉛筆のような敷地もあるゾ!)。それでも、粘り強く行動し実現した、沿道型の街並み。その意思を支えたのは、代々の土地と、そこに新たに現れる街並みへの想いだったのでしょう。

そしてその実現のために、オーナーが年月をかけて協力を取り付けた先が、安藤忠雄建築研究所だったことが肝です。オーナーは以前から安藤建築のファンでもあったとのことです。

幾つかのウェブサイトを覗いてみました。この手のモノは当然ではありますが、建物と街並みに対して(専門家から素人まで、勝手に‥)賛否両論がたくさん上がっています。僕はこの街並みにコメントする立場ではありませんが、それよりもこの街並みを創りだしたオーナーの熱量を想像します。

この沿道には、意匠こそ統一感あれど、資金確保のための民間分譲マンションから、行政を巻き込んだ劇場・保育園、スモールオフィス、店舗までいろいろな要素で構成されています。オーナーの粘り強い働きかけによって、当初想定を超える複合的な街区になったと安藤さんがコメントを寄せていました。

そういえば、この街区を評して、”安藤建築が嫌いだ、こんな無機質なところに住んだら人間まで無機質になると思う.団地を思い起こさせる”と酷評するコメントを見掛けました。もちろん、好き嫌いはご自由です。でも、時間を掛けて樹々が茂った団地は、決して無機質とは思いません、僕は。表層的にはそう見えるのでしょうか。

いずれにしても、この街区の賛否はともかく、(特に個人の場合には)これだけ頑張らないと何らかの風景は出来ないのですね。ところで、風景や街並みってなんでしょうか。綺麗に計画されて整ったもの?一人ひとりの暮らしの積み重ねがつくるのもの?

あ、そうそう書き忘れました、ここは京王線の仙川エリア。街区のなかに民間マンションは2棟、同じ大手不動産会社による分譲です。2棟とも南北に長い敷地に沿って、東向き住戸と西向き住戸が廊下を挟んで向かい合っています。好立地で意匠性の高いマンション。価格もそれなりですが、この建物でどう暮らそうかと妄想を掻き立てる、リフォームし甲斐のある物件ではありますね。