春の夜の夢

高台の住宅地、それも少し古い分譲地を歩くと見掛けるものがあります。それは大きな敷地に建つ邸宅が、主(あるじ)を失って朽ちかけた寂しそうな姿。

当時の区画は、最近の分譲地と比較しても広いものが多く、250㎡(約80坪)程度の敷地は珍しくありません。建物は立派で意匠的に素晴らしいものもあり、当時は目を見張る住宅だっただろうと想像します。(それ以上に、都内の一部には際限なく広大な住宅群もありますが、それは僕には無縁なので‥)

ただ、今となっては土地建物とも大きすぎて価格が嵩み、そのまま購入して(手直しの上で)住まう方が現れにくい場合が多いのです。殆どの場合に建物は解体され、敷地分割を前提とした買い手は、自ずと建売業者(もしくは不動産業者)となるわけです。

敷地を分割しても充分な面積があり、元々は大区画が並ぶ好環境なのですから、新築の戸建ては建てれば売れる。でもちょっと困ったのが、敷地の最低面積が定められた地区の場合。2分割すると、一方の敷地は建築ができないのです。例えば165㎡の最低敷地面積制限があるとすると、250㎡の敷地は2敷地にできません。

ボクが見掛けた建物もそんな制限のある地区内にありました。売らないのか、売れないのか。それとも、所有者間の揉め事なのか‥。いずれにしても随分と時が経ち、いつまでもそのままの姿で佇む様は、まさに春の夜の夢のごとし。そんな有名な一文が頭に浮かびます。

さて‥。春つながりで撮った上の写真は早咲きの桜、河津桜。河津桜の故郷は、南伊豆の河津(かわづ)ですね。修善寺から天城を抜け山道を縫って下り、海と出会うところ。

そんな山から開いた、眩しい海の広がりを思い浮かばせるのが、小説「伊豆の踊子」です。昨年末、ぽっかり空いた時間に北国の温泉気分に浸りたくて、川端康成の「雪国」を(何十年ぶりに)手に取りました。その流れで先日読んだのが「伊豆の踊子」。今回は海を間近にした明るい温泉場の気分で(舞台は秋ですが‥)。そのタイミングで、たまたま近所の河津桜も満開になったというわけです。

古典であるこれらを読むと、作家の描写の豊かさや言葉の美しさを改めて感じます。この歳になって、ようやく少しだけ‥ですね。たとえば、野の匂いを失わない、という清々しい言葉。旅芸人の心持ちを表したものですが、その表現の幅に感心するとともに、匂いまでスッと心に染みたような気がしたり‥。

二月も終わり。日も高く、長くなってきました。暦の上だけでなく春の芽吹きを、あちこちに見つけます。ウチのテラスにはオオイヌノフグリが顔を出しました。道端の雑草扱いですが、小さな青い花は素朴で可憐、いかにも野の花という風情が良いと常々思います。とても名前とは似つかわしくありません。ご存知かも知れませんが、漢字で書くと大犬金玉ですからねぇ。

山小屋からこんにちは

洗練とはかけ離れた素朴な室内、リフォーム後に販売した住戸です。厨房の中から食堂(そう呼びたい感じ‥)側を覗いています。

住戸中央に厨房と食堂、その南側(主開口部)に居室が二つ並ぶ昭和50年代半ばの典型的間取りです。通常、この間取りの場合には食堂に窓がなく、南側居室の(引戸を開けて)採光を得ることになります。ですのでリフォームの際には、食堂に光と風を取り込むようにプランをあれこれ考えるのですが、本件は凸凹させた住棟計画が幸いして食堂に窓がありました。では基本プランはそのままでいきましょー、というわけです。

厨房の水廻りや排気位置は変更せず、食堂との間を閉じていた壁を撤去して、背面カウンターを造作しました。カウンター上部には写真の通り躯体の梁が下がっていたので、カウンターの天板を延長させて、床から側面→カウンター天板→側面→梁下に棚を間口左右一杯まで、同じ材料・奥行のまま一筆書きのように木製天板を走らせました。シンプルですが、ちょっと面白いカタチになりました。

食堂に目をやると、奥には山小屋かログハウスのような壁。これは木目のビニルクロスではありません‥(ていうか、木目クロスを貼るなら、わざわざ安そうな杉板の模様にはしないですかね。僕以外は‥)。これは無垢の羽目板、それも節のある杉なので見た目にログハウス感がモリモリです。見た目だけでなく、近くに寄って触れてみると、暖かで厚みもあり素材に包まれるような安心感があります。壁一面の無垢材は目線に近い分、床材として使う以上に五感に訴えるものがあるかも知れません。

この住戸には、同じく杉材の扉なども採用しており、杉濃度が高め。購入されたのは、そんな素朴な感じがお好みで、お母さん自身が(スタジオ)ジブリ大好きとおっしゃる親子でした。

そのジブリですが、実はこの物件(に限らずウチの物件)の設計から現場までを担当した女性は、ジブリ美術館の建築工事に関わっています。ジブリ側(あの人たち‥)と設計側(&ゼネコン?)、両者のかみ合わない言葉を翻訳(!)する仕事に(途中から)引っ張り出されたのだとか。要するに、四角いものは四角くないといけない設計側と、そんなこととは違う世界の住人側では、造れるモノと創りたいモノが食い違ったようなのです。ジブリ側の誰か曰く「やっと話のできる人がきた!」だったそうです。言語が違うんですね‥(想像つきますよね、ハハハ)。

話は戻りますが、この住戸は床に無垢材が採用できない代わりに、壁に羽目板を使ったという経緯があります。素朴な雰囲気が好きで何度か使っていますが、せいぜい壁一面とプラスアルファ程度です。不特定少数(!)の方に向けての販売用住戸ですから、その程度で止めています。(濃すぎは禁物ですから)←って充分濃いか‥。

でもログハウスのように、ひと部屋だけを全面無垢材で囲ってみたいですね。できれば、窓の外に緑を望む部屋を選んで。緑の眩しい昼間も、しんと寝静まった真夜中も、きっと落ち着く居場所になるでしょう。山小屋にようこそ!

風の時代に

二世紀あまり続いた「地の時代」から、今まさに「風の時代」に切り替わるのだそうです。フムフム‥。それは、星模様についての話。星読みライターの石井ゆかりさんという方が書いておられました。

「地」が象徴するのは「物質的な事柄、所有と獲得、資本主義、そして地縁、血縁」。それに対して「風」は「コミュニケーションや関わり、知、情報、論理、テクノロジー、そして出逢い、友情、ネットワーク」なのだそうです。

たしかに、長きに亘り地縁(と血縁も?)の中に生きてきた我々の社会。ここ数十年で徐々に変化し、(良きにつけ悪しきにつけ)その呪縛から解かれてきました。それは、地から風への離陸準備なのでしょうか。これまでと違う形の自由を獲得して謳歌する代わりに、新たな孤独や制度の崩壊などに向き合いながら、ここまで来ました。

同じく時代の変化を表現する言葉として、(もう少しミクロな話ですが)「所有から共有へ」や「モノ消費からコト消費へ」というのもよく聞きます。これも「地から風へ」に符合する変化なのかもしれません。

そんな流れのなかで、ここ数十年当たり前だった「家を買うこと」は、どこに位置するのでしょう。読んで字のごとく、持ち家は「地の時代」の産物である「所有」する「モノ(消費)」なのでしょうか‥。

確かに持ち家は所有物、でもモノ消費とは違う気が‥。つまり、(家を資産としてでなく)心地よい暮らしを整える目的で所有することは「所有するからこそできる、究極のコト消費」だということ。自分の空間に注ぐエネルギーは、霧散したり無駄になることがありません。「コト消費」と称して各産業が販売促進する、例えば旅や経験などと比べても、「コトの濃度」は勝るとも劣らないと思うのですが如何でしょうか。

というか、そもそも「モノ消費」は前時代的と見られるけれど、単にモノを買って満足していたわけではないでしょう。モノが持つ文化やストーリーこそが買われた場合も多いはず。逆に今、所有から利用へと分類される物品(モノ)には、思い入れを込めるストーリーが希薄になったことも原因ではないかと思います。だって大量生産、大量消費。もはや「モノなんて」別に有難いものでないのでしょうから‥。

…話が逸れました。この先、世の変化はますます加速するのでしょう。でも長い「地の時代」に成熟した文化やそれを愛でる暮らしは消えることはないでしょう。「時代が変わる」と言われる今だからこそ、浮足立たずに落ち着かないといけませんね‥。

所詮人生は旅であるし、世界も随分と狭くなった。そんな世の中でも、旅の拠点となる港、つまり拠り所となる自らの住まいを整えておきたいものです。

但し、これから始まる風の時代。うんざりするほど人が密集する都市部などからは距離をおいて軽やかに暮らすことが、二世紀を跨いだ今となって再び現実的になってきたのかもしれません。

ワルザザード

この街にはオアシスがあった

ある知人から来た年賀状に、メディナ(旧市街)でのツーショットと砂漠に浮かんだ駱駝のシルエット。文面には「昨年早々に出掛けたモロッコが最後の海外旅行になりそうです」。

送り主は元上司。ふた回り近い歳の差にも関わらず、(僕の新人時代から)友人のように接してもらい、付き合いは30年に亘ります。その年賀状を眺めて不思議な感慨を覚えたこと…。

僕にとってモロッコは30余年前、初めての海外渡航先だったから。昔むかし年下の僕が初めて渡ったその地に、今、大先輩が最後に辿り着いたという(実際は最後にならないと思うが)。30余年の時空を越え、終わりと始まりが逆さまに繋がってメビウスの輪のようだ‥と、思ったわけです。

2000年代後半からは、お金がなくてもiphoneがあれば(お金があるなら昔でも‥)世界中をスマートに旅することが容易でしょう。一方当時の僕は、格安チケットを握って(いや、それさえ持たずに)、ひたすら乗って歩いて(当時は正しい方向に進むだけでも難儀したもの)、見て食べて空気を吸い込むだけの旅です。小さなボストンバッグの中には、飛行機のタイムテーブルと、破った「地球の歩き方」が入っていたはず。

当時の道中は、相当に変わった(失礼‥)日本人と出会いました。早大探検部の連中はアマゾン帰りだし、超ショートヘアにした女性は単身サハラ経由でマリへ写真を撮りに行くと言うのだし‥。

写真はアトラス山脈の向こう側、砂漠に向かう拠点となる街ワルザザード(砂漠の民ベルベル人の言葉で、誰もいないところ(何も聞こえないところ?)‥という意味だったと思う)。そこではフランス人と商用で来ていた商社マンとも同席し、留学生かと問われ違うと答え、オイラもいつかそんな風に海を渡ってビジネスをするんだ、と思っていた‥筈なのですが‥。

欧米人にとってモロッコは、当時からエキゾチックな観光地という位置付け(映画スタジオもあるゾ)。だが、金のないアジアの若造(今もないが‥)にとっては、そんな贅沢とは違う(ちょっと)タフで憧れの地でした。そういえば、あちこちで「アチョーッ!」とされたっけ(当時、アジア人とはブルースリー。こっちが構えると、皆がスッと引く‥(笑)。ちなみに写真は、地元の皆を従えたところだ。フフ‥uso)

そんなオイラが、高校から大学時代まで学んだ第2外国語はドイツ語。だけど突然にマグレブの国(日沈むところ、という意)に呼ばれてしまって‥。出掛けた先はフランスが旧宗主国だったり、地中海側ばかりで、ドイツ語は一度も使うことなく忘却の彼方となったのでした。

でもそのおかげで、乾いた光や風を受け、土から生えたような(日干し煉瓦の)カスバ(城塞)を目に焼き付けたことが、今に繋がっているのかもしれません‥。

それは、「家はそれでいいのだ」ということ。シンプルで、ちょっとラフで良い。タイル貼りよりも白い壁、高層よりも地面に近く‥なんて言っていることも。

そういえば、ドイツ語は忘れた頃にやってくる。あれからずいぶん経って、買った伊車が独からの並行輸入(正規輸入していない)だったという話。となれば取扱説明書は独語のみ(何とも不親切なことだが‥)。何も今になってドイツ語が登場しなくてもねぇ。ということで錆びた頭の上を文字が滑り、図しかわからん。まあいいや、走って止まって、ライトが点けば‥。

つまり、「クルマもそれでいいのだ」ということにした訳です‥。

2戸1世帯

竣工から約50年以上が経ち、長い歴史を持つに至った団地。なかでも日本のそこかしこで旧日本公団が建てたものが群を抜いて多い(はず)。

(現在の感覚としては少々)狭いながらも、ステンレス流し台やダイニング(食事室)など洋風形式を取り入れた居住スタイルは、よく練られた新しいものでした。経済成長とともに大量に湧き出たサラリーマン層を中心とした、マイホームの受け皿となっていったわけですね。

特に大型団地の場合は商店街まで予め計画され、学校も近接していました。そんな(白紙のキャンバスに描かれた)夢のような街が登場したのですから、持ち家購入世代の視線には熱いものがあったでしょう。どこか今と通じるものがありますね。そうです、都心のタワーマンション‥。熱視線の向かう先は、そうやって時代と共にぐるぐると変遷しながら廻っていくのでしょう。

そんな団地、工事のご挨拶などで出向いた際、たまに見掛ける事象があります。それは、階段室で向かいあった住戸双方に掲げられた同じ苗字の表札。

つまり、(偶然同じ苗字だったという以外は‥)隣接住宅2戸持ちだということ。ピンポンして、ご不在だな‥なんてやっていると「あ、ウチですか?」なんてお向かいの玄関から、お顔が出てきたり。

以前お会いした方は、たしか4住戸所有されていて、自己居住用だけでなく賃貸用にしているとか。お子さんが複数いるし、遠い先の話だけど建替えまで見据えて‥とのことでした。なんか、一般的なマンションではあまり見掛けない感覚ですね。足らぬなら、繋げてしまえホトトギス‥。

ご存じの通り、隣り合う住戸同士の壁は共用部分。たとえ両住戸を所有していても、(区分所有法上の合意形成がなされない限り)壁を壊して出入りはできません。構造的には問題がないとしてもです‥。

ということで、なんとバルコニーで行き来する例を見たことがありました。住戸間のバルコニー隔て板を外して、サンダル履いて隣の住戸へ行くわけですね。安藤忠雄さんの初期作「住吉の長屋」ではトイレへ行くのに傘を差します。それよりは随分とラクチン。それでも暑い寒いがあり、ちょっと外の樹々に目を止めたり、夜風に当たって虫の音を聴いたり。風流、と言ってしまっていいですかねぇ‥。

この当時の団地で多いのは50㎡前後の住戸。これを1ユニットとして、2ユニットでゆとりあるファミリータイプ。3ユニットでは2世帯住宅でしょうか(さすがにないか‥)。

ハハハ、まるでレゴブロック。そういえば会社にいた頃、これからの事業をあれこれ語るなかで先輩が、上下左右のユニットを自由に接続して1住戸にできるマンション、なんて構想(妄想)したりしていました。それがリアルに実現出来るのが団地(かもしれない)ですね。

ナンチャッテ‥

ところで、表題の「2戸1世帯」という言葉はご存知ですか。ご存知ないですか‥、それはそのはず。

当時の団地設計者達は、将来発生する上述した住戸連結での用途を見越しており、秘密裏にそれを「2戸1世帯」と呼んでいたそうな‥

‥訳はなくて、たった今ボクが考えた造語ですからねー。

おしまい。

オルタナティブ?

稲垣えみ子さん、という元朝日新聞記者(今フリー)をご存知でしょうか。彼女は在職時代(の東日本大震災の頃)から、電力を極力使わない生活を試みておられ、10A(?当時は20Aだったか?)生活の様子など綴った記事を楽しく読んだ記憶があります。

最近久しぶりに目にしたコラムによると、その生活スタイルは更に研ぎ澄まされたものになっていて‥。冷蔵庫なし、ガス契約なし、風呂は銭湯。毎日使い切る分だけの食材を買い、余れば天日干し、ぬか漬けに。えっ、火がないの?と思ったら一口カセットコンロがありました‥。昔はみんなこうだった、さらりと彼女は言います。

ちなみにこれは苦行ではなく、全くもって喜びに満ち溢れているのだと。そこで得られたものは、(いくら欲しても足りない)モノの呪縛から放たれた自由や、自分の中に眠っている(どうやってでも生きていけると思える)チカラ、それから‥(忘れた)。(たしかそんな感じのことが書いてあった気がする)

稲垣さんを思い出したのは、30Aという団地の電気容量について考えていたから。大きく育った樹々の間にゆったりと5階建てが並ぶ団地(で昭和40年代半ば頃までに建てられた物)では、構造的に容量上限が30Aの場合が多いのです。

時は流れ、今は生活の殆ど全てを電気で賄う時代。調理、冷暖房から照明まで電化製品の高機能化(要不要は別のハナシ)は止まりません。また一方では、新興メーカーBALMUDAのように洗練されたデザインと力強い単機能を持つ家電も隆盛です。リノベしたお宅を紹介する写真の背景にはかなりの頻度で登場しますね、ザ・レンジとか。先日、二子玉川の蔦屋家電を通過(‥)してきましたが、それらが素敵に陳列されていましたし‥。

そんな電気一辺倒の状況のなか、団地でどっこい生きているのが「ガスとガス栓」。キッチンだけでなく、複数の居室にガス栓が設置されています。先の電気容量で快適に暮らすために、ガスも上手に併用したいところ。というか団地でなくてもガス、いいじゃないですか。

上の写真はガスファンヒーターです。高さ35センチとコンパクトですが、寒い朝の外気温なんて関係なし、一瞬で”芯のある”熱風を吹き出してくれる心強い味方。石油ヒーターのようにポリタンクでの燃料搬入も必要もありませんから、使い勝手は良好です。

キッチンにはガスオーブン。ガスコンロの下にコンビネーションレンジ、つまり電子レンジ+ガスオーブンですね。ビルトインで省スペースにもなりますし、なにより電気オーブンと比べても、これまた”芯のある”強い火力。小技を使わずガンガンいきましょう。

ガスコンロ下部の(魚焼き)グリルも、最近は焼き魚以外の料理に多用されます。たとえば以前に武骨な道具として載せたガスコンロ(なお写真のコンロ下部はコンビネーションレンジ)には鋳鉄の鍋が付属し、ダッチオーブン的な使い方が提案されています。

ついでにご飯もガスでどうぞ。最近は、火加減の調節が不要で扱いやすい土鍋も見掛けます。15分も火にかけておけば出来上がり、とは思ったより簡単ではないですか。もうあれもこれも‥、家電の代わりにガスが大活躍(出来るかな‥)。

土鍋でふっくらご飯を炊く、お焦げもいいな。そんな心の余裕を持てる日は、ここまできたらもっと原始的にいこー。これは日常というよりはお楽しみの部分ですが、もうひとつの熱源として炭は如何でしょう。でも集合住宅内だから、小さな七厘で。例えば、味噌や麹に漬け込んだ魚の切身を小さく切って、ひとつずつ炙って‥、キューッ(何の音?)と。(やっぱり手間だから、ガス台で炙りますか‥)

随分とまぁ、無責任な放言続きではあります。実は、ダッチオーブン以外はボクも実際にやっていて、効果や楽しさを実感しているもの。だから、団地の容量30Aと聞いても、何とかなるんじゃないかなぁなんて思ったりして。

忙しない日常はついて回るけれど、そこから切り離された時間と空間を持っていたい(持っていないとツライなー)。それは(あまり)お金の多寡とは比例しない、心持ちひとつでできる贅沢な時間。そんなときに、電気だけでない、もう一つの選択肢であるガス(や炭火‥?)が心を落ち着けてくれるかも知れません。

420回の道も一歩から

by Studio Ghibli

よんひゃくにじゅっかい!四百二十回!

この数字は何でしょう? お察しの良い方なら‥。

そうです、正解。住宅ローン返済期間35年の総返済回数ですね。

住宅ローンの完済後に抵当権が抹消されて、ようやく名実ともにワタシのモノ(その後も税徴収が続くのだからホントはどうだか怪しいが‥)。このロング・アンド・ワインディングロードをトボトボと歩んでいくわけですが、そんな千里の道も、物件購入という第一歩を踏み出さないと始まらない。(とは言え、実際には繰り上げ返済や途中売却などの割合も多く、35年間返済を続ける方の割合はそれ程高くはないようですが。)

先が見えにくくなっている時代‥。もしかして持たない方がいいのか? それとも下り坂の日本でも、ここだけは資産性がある(と信じる人もいる)都心タワーならば購入する意味があるのか。そうではなくて、資産性の多寡や価格アップダウンにかかわらず、住居を確保することが必要なのか。

当たり前のこととなっていますが、ここ数十年間の日本は、持ち家取得を推してきました。借家よりも持ち家世帯が有利になるよう制度を整え、皆が住宅を購入することは経済を拡大させる手段となり、同時に安定した社会をつくる。更に言えば、自分の家は自分で用意させる(対象を増やす)ことで、国自らは住居確保や管理に(あまり)お金を掛けずに済むという仕組み(のような気がします)。そんな視点から、自らの住宅購入について考えてみることもアリでしょう。

でも、人それぞれの置かれている経済的、社会的な環境によって答えは違うし、仮に環境が同じでも生き方が違うんだから正解はない‥。身も蓋もないけど、結局ワカリマセーン。

また、親族から受け継いだ物件などで複数(とは言っても、いろいろだが‥)所有も多くなっており、二ホンもここにきて、持つ・持たないの両極になってきている気がします。

何のために自宅を持つのか。もう一度考えて、第一歩の踏み出し方を考えなくてはなりませんね。

ところで千里といえば、①千里ニュータウン(西の大横綱、東の張出は多摩ニューか)、②草千里(阿蘇ですな)、そして③大江千里(ちなみに森高千里はチサトですから、センリではありません)‥。

ご存知ですか大江千里さん。彼は日本ポップス界でのキャリアを捨てて、米国に渡りジャズを学んだ。そしてひとりで立って、今がある。成功するしないは時の運、どっちでもいいけれど、そんな風に人工物(街)から大自然(阿蘇)、そして人物(大江‥)まで‥千里の道を歩んできた存在に感嘆し、勇気づけられます。

でも、あれもこれもチャレンジでは身が持たないねぇ、ということで手堅く自分の居場所は確保しておきたいもの‥。千里を歩むかのような先程の壮言からずいぶんと縮んでしまいましたが、そんなモノです‥。

ということで、住宅購入に関しては千里の道を行かない。この場の結論は、そういうことで如何でしょうか。つまり、もっと短期で返済できる物件を選ぶ、もしくは長期返済するならば繰り上げ返済が出来る資金計画上の余裕を持つ。膝に遊びを持たせておこう、ということ。他にもやることあるんだし‥。そして無理なく購入して、気持ち良く過ごす時間とその空間についてこそ、あれこれ考えたいところですね。

寒風と共に去りぬ

この晩秋から冬にかけては、いつまでも暖かかったものだから、年末になっても葉が落ちずに残った樹々をずいぶんと見掛けました。

ですが年が明けてみれば、そんな葉っぱたちも寒風とともにすっかり落ちてしまって、空を見上げるといつも通りの冬らしい景色です。

日本各地から大雪の便りが聞こえてくるこんな時節にも、スカッと抜けるような青さを見せる太平洋側、南関東の空ではあります(雪を楽しみにする子供たちは多いのですけどね‥)。そんな空を見上げて、風が光る、という言葉を思い浮かべることがあります。

風が光る‥。

ご存じの通り、本来この表現は寒い時季のものではないのですね。そう、すっかり寒さは遠ざかり、暖かくなって春爛漫‥。うららかな日和に相応しい表現で、やわらかな風まで輝いて見える様子が目に浮かびます。

でも、僕にとっての「もうひとつの光る風」とは、年が明けて(感覚的に)明るさが戻ってきた頃の光。冷えた空気がピンと張り詰めるなか、青い空を渡る澄んだ風のなかに見える(気がする)光なんです。(撮った上の写真はイメージです(笑))

‥‥なんちゃって。

ホントは寒いの苦手‥。やはり春の訪れが待ち遠しく、(本来の用法がいうところの)風が光る季節が楽しみなんですけど。

そうは言っても、現場は動いているのです。暑かろうが、寒かろうが‥。僕のところでも、もうすぐ新しい工事がスタート。風が光る春に向かって発進です。

正月は矢の如し

by Studio Ghibli

街はすぐに日常の風景に戻ってしまいました。松の内どころか三が日でさえも、どこかせわしなく、正月らしい気分に浸り切っていられないのは、きっと僕だけではないでしょう。

晴れやかな気分でのんびり過ごす正月‥。そんな風景は遠い記憶やCMの中にはあるけれど、現実にはどこにある? そりゃぁ、年末から高級旅館に移動して新年を迎え、ちょいと近くの神社に参拝(箱根駅伝を沿道で応援する?)‥そんな過ごし方なら浮世を忘れて正月を満喫できるかもしれませんが‥。それが無理なら、相変わらず賑やかなテレビ番組の中に没入するとか‥ハハハ。

そもそも現代正月の風情を支えているのは、その間も休みなく働く人たちであるし、今年はさらに過酷な環境で勤務を続けたひともいる。記憶のなかにある旧き良き正月の風景は、どんどん姿を変えていくのでしょう、というか既にないのかもしれません。

盆暮れ正月、君もあなたも私も僕も一斉休暇。そんな長らく続いた慣習の始まりがどこにあるのか、農村の骨休めかそれとも奉公人の帰省なのか、ボクは知りません。けれど、どちらにしても国じゅう一斉にお休み、街から人が消えてシーンとする‥なんてこと、多分ないでしょう。

一斉休暇だった当時はみんな一緒に休みだったからこそ、安心して(半強制的に、且つ、年に二度だけ)のんびりと寛ぐことが出来たのだろうけれど‥。逆に今は、何処かで何かが動いている、そんな気がして落ち着きません‥。

(半強制的には)のんびりとさせてくれない時代。そんな今だからこそ、盆暮れ正月という世間の時間軸とは無関係に、「小さなのんびり」を自分でつくらないと‥笑。つまり、毎日の暮らしのなかにこそ、いつでもほっと落ち着ける環境をつくっておきたいということ。

そのために、自分の還る場所、心地よい居場所を、小さくても(いや却って小さい方が‥)良い、どこかに確保したいものです。

そこはやっぱり、自分の家がいい。例えば今の住まいにNewコーナー、アームチェアと好きなモノを置いてみる。それとも(無理のない)古くて小さな住戸を購入して、自分のワールドを創ってみるとか!(小さい方がワールド、ツクリヤスイデスネ)

街なかにお気に入りの場所をつくるのも、モチロン楽しいこと。でも、自分の住まいに集中して注ぐエネルギーは、きっと無駄にはならないはず。

え、なんですか?

「そんなの当たり前でしょ、ずっとそうしてきているもの‥。今年は家買って、つくるわよ!」ですか‥。そうですよね、釈迦に説法でしたね(笑)、失礼しました。

格子戸をくぐり抜け‥

こぉしどを、くぐりぬけ、みあげるゆーやけのそらに‥と始まるその歌は、小柳ルミ子さんのデビュー曲「私の城下町」。なにか新年らしい写真を載せようと、ウチの物件としては珍しい格子戸の一枚を探していたら、突然頭の中を駆け巡ったのがこの曲、私の城下町by安井かずみ&平尾昌晃(それはどうでもよいが‥)。

その当時、僕はまだほんの子どもで、歌謡曲を聴くトシではなかった筈ですが、それでも刷り込まれています。ずいぶんと流行った曲ですから。それとも時が少し経ち、物心(ものごころ)がついた頃?、土曜8時のドリフで彼女が歌っていたのかな。よく出ていたもんね、ハハハ。(えらく古いハナシ失礼しました‥)

さて、この住戸は(僕が好きな)壁式のRC造3階建。開口部(格子戸のところ)の周りはぐるりとコンクリート壁なので撤去はできません。でもそれでいいんです、それが却って良い。住戸のなかに、もう一つコンクリート壁で仕切られた別空間があるイメージ。そしてその別空間へは、ガラッと木製格子の引戸を開けて入っていくという仕掛けです。

表の部屋と雰囲気を変えて、薄茶の壁に濃茶の廻り縁、窓には桐製ブラインドを。もちろん木製の格子戸は特注です。(より密閉性をというお客様に備えて、ワーロン製の障子紙を用意しておきました→不要でした‥)

さて、イサムノグチ(みたいな)ペンダントを灯して、格子戸を閉じると‥。おっ、結構いいじゃないですか!

肘掛椅子的小旅行(アームチェアトラベル)は、この格子戸を開けて‥。さあ、今宵は何処へ出掛けましょうか。