Raindrops keep fallin’ on my .. ♪

関東地方も、今は梅雨の真っただ中。

季節の定番は、「紫陽花(あじさい)」と「しとしと雨」。あじさいは土壌のpHに反応して花の色が変わるようですが、先日見掛けたのは白いあじさい。別品種とのことですが、楚々とした趣きでこれも美しい。

しかし、そんな梅雨のイメージと違い「ザーッ」と降るスコールも身近なものになりましたね。それはそれで亜熱帯的風情があると思うし、ナンプラーも好きだし‥(ナンノコッチャ)。

ところで、風呂で浴びるシャワーの場合は「しとしと」も良いけれど、「ザーッ」の方が心地よい。そこで、上から降り注ぐスコールようなシャワーはどうでしょう。上の写真は以前に販売した住戸の浴室です。

天井近くの壁から突き出しているのはオーバーヘッドシャワーと呼ばれるもの。ハンドシャワーと違い、全身を包み込んで温めてくれる代物です。浴室の左側部分だけ切り取ると、風呂の洗い場というよりはシャワーブースに見える。つまり、シャワーシステムが主役で、ついでに浴槽も付いてるヨ、と主従が逆転した感じです。

話は飛んで古代ローマ人。日本にタイムスリップして目にしたのは、ケロリン(黄色いやつネ)椅子に座り、風呂桶で湯を汲む男たちでした(何のこと?)。これこそ日本式入浴、シャワー無し。銭湯も家風呂も、以前はそうでありましたね。

そんな日本人も時につれシャワーを得て、そしていよいよ頭上から湯を浴びるまでになった(感慨)‥。そうは言っても、時には湯船につかり、あーっ、ふーっ、などと発したいもの。

ということで、シャワーブース風の浴室とするのは如何でしょうか。写真のタイプは既に廃盤ですが、似た感じなら結構安価で済みそうです。それに、やっぱり浴槽も欲しいしね。

もちろん以前から、邸宅にはシャワーブース+ジェットバス(半露天風呂もイイネ‥)もあったでしょう。しかし、これもそれなりにいいじゃないですか。

そんな「庶民的・和洋折衷案」を謳いながらナンですが、実は昨年ご一緒した方が本格的シャワーブースを導入されました。もちろん既存ユニットバスは完全撤去。ガラスに覆われたザ・シャワーブース、かっちょええです。もはや、ケロリン椅子の居場所はありませんでした‥。

そんな(どんな?)この頃ですが、雨と言えば「雨にぬれても(Raindrops keep‥)」。この季節のスタンダードナンバーです。先月、この曲を歌っていたB.J.トーマスさんが、(梅雨入りを前に)亡くなったと新聞が伝えていました(米国に梅雨ないか‥)。子どもの頃、イトーヨーカドーあたりで流れていたなぁ、雨の日だったのかしら‥。

雨で憂鬱な気分だけど、僕は負けない、大丈夫。不満を言っても雨が止む訳でないし。そんなこと気にしないさ…。みたいな歌詞です(違ったら失礼‥)。

梅雨はまだ明けないけれど、大丈夫。不満を言ってもシャワーが出る訳でないし。そんなこと気にしないさ‥。みたいな気分です、ボクの場合。

そうです。シャワーが出なくても気にしない‥。あれこれシャワーについて書いてきましたが、実はここ1年ほど壊れたシャワーを放置中。ケロリン椅子に座って、風呂桶でザバーッっと‥。結構良いものですけどね、これはこれで‥。

JJ(ジェイジェイ)ですか?

受付:「いけださん、少し前に女性お一人がモデルルームに上がられています。アンケートはご記入済みですが、参考見学とのことです。」

ボク:「はい、わかりました。」(アンケートを一瞥しモデルへ向かう)

【モデルルームにてご挨拶。まだ見始めであり、広い範囲で検討しているとのこと。】

ボク:「ところで、(このモデルルームには)何をご覧になってお越しに?」

【暫し沈黙‥】

女性:「‥JJです‥」

ボク:「えっ‥。ジェイ・ジェイですか‥」

女性:「‥‥えっ。え、ええ、住宅情報を見て‥」(動揺の色あり)

リクルートが運営する情報サイト「SUUMO」は、以前は「住宅情報」という名称の情報誌として書店で販売されていました。略して「住情(ジュウジョウ)」。あるいはもっと省略して業界の一部で「JJ(ジェイ-ジェイ)」と呼ばれていました。一般の方は「JJ」とは呼びませんね。「住情」はよいとしても、後者はまるで音羽の出版社お得意の女性誌じゃないですか。

当時のモデルルームは、ガチガチの予約制ではなく、ふらりと訪れることができる(逆にふらりと寄ってもらいたい)施設として営業している側面もありました。ですから、どこの誰でも、テキトーな(それどころか、実在しない人物となって‥)アンケートを記入の上で、モデルルーム内覧をすることができたのです。

ということは当然、敵(?)が送り込んでくるス〇イが紛れ込んでいる可能性も否定できない(どんな世界や‥)。ましてや平日の閑散とした時間帯になると、担当者も出払っておりご自由にどうぞ、と放し飼い状態に‥(別にモデル見られてもいいじゃないじゃないか、とお思いでしょうがそれなりにあるのですよ)。

上述のシーンとは別件ですが、モデルルーム外側を覆うプレハブの窓(普段は絶対開けない)が開錠されていたことがあってビックリ。更に、ある会社では顧客アンケートファイルが紛失し、そこに記載されたお宅に(資料請求した覚えはないが近くで販売している)他のマンション業者から営業電話が掛かってきた‥なんてことも実際にあった話‥。プレハブのモデルルームに警備会社のセキュリティが導入されるようになったのも、ちょうどその頃だったなぁと記憶しています。

話は戻って、住宅情報界のガリバー「リクルート」のこと。当時、この会社は不思議なチカラに満ちていました。メンバーが濃い。もちろん組織人ではあるけれど、一人づつ個人が生き生きと動いている感じというか。就社ではなく就職、更に言うと、社会に飛び出す準備として今はリクルートに在籍している、というのかな。「社会」自体が自分の「会社」であると思っているんじゃないかこの人たちは、と思ったものです(個人的感想)。

今でこそ人材の流動性は高くなり、リクルートのようなカルチャーを持つ企業が増えました。ですが、僕らの世代の大多数は就職=就社が既定路線、という当時。そんな頃でさえ、既にリクルートを卒業したOB達が社会のあちこちに散らばり、川上から川下まで繋がって仕事している。今風に言うと独自のエコシステム(生態系)ってやつでしょうか(?、違うか‥)。ボクの場合、リクルートコスモス(不動産業ネ)も身近で、ここの人達も全く同じ様子だったから、余計にそう感じたのかもしれませんね。

ところで、写真の女性誌(JJの本家‥)は遂に休刊となったそうですね。学校のあの子が読者モデルだとか、スナップが載ったとか‥思い起こせば懐かしいこの雑誌。その存在さえ忘れていたけれど、ずっとあのスタイルで走ってきたのでしょうか。よくぞここまで!と思います‥。‥長くなるのでやめておきましょう。

それにしても、雑誌廃刊のニュースが頻繁に聞こえてくる昨今。子供のころから紙の雑誌が傍らにあって、インスピレーションを得たり、多くの想像を膨らませてきた(JJではありません‥)ワタシとしては、ちょっと寂しい気がしています。

帰郷

黒目がちの赤ちゃん、たくさんいますね

目視で確認したその数、少なくとも40匹以上。去年の夏にカマキリ母さんが産み付けたたまごから、赤ちゃんたちが飛び出てきました。本当は100匹以上いるらしいのだけれど‥。

あんな小さな卵鞘(ランショウというのだそう)にどうやって納まっていたのでしょう。そろそろ出てくるか?とウオッチしていましたが、残念ながらその場に居合わせることはできませんでした。皆、既にあちこちへ離散している様子。

ここ数年続けて見掛ける光景です。梅雨前の今頃に赤ちゃんカマキリが生まれ、あっという間に見掛けなくなったと思ったら、秋にデカいのが現れる。そして写真のような草木(これはローズマリー)の枝や、手摺の裏側などに産卵していくのです。

生まれ出た瞬間から、自力で生きた餌を獲り、生き抜かなければならないカマキリの人生(?)は過酷。一つの卵鞘から出た兄弟たちが全滅することも珍しくないようです。当初は赤ちゃん同士、最後にはオス自身が栄養としてわが身を供することさえある。つまり、共食いをしてでも、残った一匹が子孫を残す。そんな壮大な仕組みには驚嘆します。

カマキリの孵化が(一般的な)春ではなく、少し遅れて夏近い時期であるのは、餌になる昆虫が豊富になる時期を待っているから。なるほど陸上昆虫の王者は、満を持して登場するわけですね。

上の写真の赤ちゃん達を産んだ去年のカマキリ母さんも、ここでワァーッと生まれた中の一匹だったのでしょうか。そして、ひと夏をこの辺りの草むらで過ごして、最期に生まれ故郷に戻ってきたのかな。カマキリに帰巣本能があると聞いたことはないけれど、逆にずっとこの(狭い)場所に居たとも思えないし‥。

カマキリ母さんは故郷に戻ってきた(のかもしれない)と書いていたら、小中学生の頃に聴いた歌詞とメロディが、想像の情景と共に鼻歌となって浮かんできました。

朝もやを抜けて / 汽車は走る 遥かな道を / 僕をのせて 疲れた心を / いやすように 汽笛は響く / 野山越えて やがて青い / 空がのぞき もうすぐ帰る / 僕のふるさと‥

わずかな荷物が / 僕のすべて まぶしい日射しが / 時を笑う 朝もやを抜けて / 汽車は走る 見慣れた景色が / 窓を飛びかう 忘れかけた / 僕の笑顔 もうすぐ帰る / 僕のふるさと‥

そう、松山千春さんの「帰郷」。映る情景は彼の故郷である北海道でしょうか。であれば、そこは幼い頃の僕も一時期だけ暮らした場所。

そして、会いたい人が暮らす土地でもあります。北海道を故郷に持つ後輩(仕事上の同志でもあった)は東京での暮らしに見切りを付け、「帰郷」の歌詞の通り、まさに帰郷しました。今もその地に暮らしています。

そんな彼と十数年ぶりの邂逅の機会が巡ってくるようだったのですが、ここ一年の混乱でそれはなくなりました。いつか会えるのでしょうか。いや、会えなくてもいいのかもしれない、とも思うのです。頑張っていますか、と心の中で問いかける。そんな友とのカタチもあるのではないか、と。(Facebookでいいじゃんか‥ねぇ)