目を凝らせば

photo by STUDIO GHIBLI「耳をすませば」

耳をすませば。スタジオジブリによるこの映画の舞台は、多摩川に程近い多摩丘陵の高台。聖蹟桜ヶ丘から多摩センターあたりのようです。主人公の雫と、欧州留学時代の悲恋の幻影を雫の中に見たお爺さん(と、その孫で中学卒業後イタリア修行に出る聖司)の、実は切ない物語。上の写真は、雫が家族と暮らす団地のダイニング。壁に掛かる瞬間湯沸し器と、据え置き型のガスコンロが団地の雰囲気を醸しています。

これらの機器は、リフォーム前の団地を見る機会が多い僕にとって、懐かしいというよりも結構見慣れたもの。

以前、何かの雑誌で、建築士の自邸リフォームを眺めていた際に、敢えてこの瞬間湯沸かし器を組み込んだ、素敵なデザインのキッチンを見掛けました。使い勝手が良いのだ、とのこと。確かに、屋外の給湯器から長ーい配管を経由して、お湯が出るまでの時間と水の浪費を考えると、瞬間湯沸し器はいいんじゃないか、と改めて思ったりします。”作業場”感も醸していて単にオシャレというキッチンとは一線を画すというか‥。もちろん、最近の密閉性が高い住宅の場合には換気に注意する必要がありますが。

また、据え置き型ガスコンロも、ビルトインじゃないのぉ?という風に捉えられることが多いのでしょう。が、随分と精悍なデザインと性能を備えた製品が出ています。見た感じはそのまんま業務用。全面ステンレス、鋳物製の五徳、大火力バーナー、黒いシンプルなツマミ。デザイン的には、以前ここでご紹介した男前ビルトインガスコンロに勝るとも劣らないものです。もちろん家庭用です。なお、ホンモノの業務用を流用する場合はご注意ください。機能美に惹かれますが、安全機能や必要な換気量などの基準が一般家庭用とは異なっているようですから。

これらの機器を活かしてリフォームを出来ないかな、と思ったりします…。そういえば先日、ビルトインよりも据置型が好きだ、それ(据置)にしたいという方が居られました。うん、そうそう、と思わず呟いて‥。

楽しいですね、皆さんそれぞれのテイストがあって。でも、これをリフォーム済販売住戸で実践するには、僕はまだまだ修行が足りなそうです。

そういえば、映画の舞台となった周辺はかなりの高台です。南西方向に目をやると、丹沢の山々がシルエットとなり連なっていることでしょう。首都圏郊外もこの辺りに来ると、山に囲まれた場所であること、山々に守られた場所であることを実感します。そして、さらにその先に目を凝らせば、名峰富士の姿がくっきりと見えるかもしれません。

単純か空虚か

無印良品の広告を以前から手掛けているデザイナーの原研哉さんが、こんなことを語っていました。

無印良品の特徴はシンプルさにあるが、これはemptiness(空虚)と言うべきものであって、西洋で言うところのsimplicity(単純さ)とは違う。そして、それは空虚(即ち、空っぽ)であるから、作り手の意と違う受け止められ方をすることは当然であり、その相手の想像力を引き込む受容力、すなわち間をつくることが大事なのだ。無から+(プラス)を感じる感受性が大事である、と。

記事も手元になく、うろ覚えの上に記憶のつまみ食いなので、内容を正しく掬えていないかもしれないのですが、その言葉から僕が受け取ったことはそういうこと。色即是空、仏(ほとけ)の国の人だもの。

僕も好きな無印良品、身の回りを見渡せば、スッとそこに在る。確かにそれらの製品は、”シンプルにデザインされたモノ”、と形容するよりも、”色(シキ)が(消えて)空(クウ)になったモノ”、と表現する方が相応しい気がします。

一つひとつ研ぎ澄まされて企画され、大量生産されるプロダクト達は、独特の色(空?)を帯びて世に出てきます。しかし無印良品には、それと多少違うプロセスを辿る商品ラインがあります。そうです、無印良品のリノベーション。

設備や内装には無印とわかる特徴があります。また理念として、ひとつながりの空間、光と風の通り道(どこかでも聞いたような‥)、高断熱なども前面に押し出しています。たとえ理念があれども住宅、特に(オーダーの)リフォームというのは、一人ひとりのコストの制約、それぞれの住戸の個別性などから、住まい手との対話の中で成立する世界。突き詰めたプロダクトのようにはいかないものです。それでも無印良品に魅かれる住まい手が集うからでしょうか、設備機器だけでなく、事例で見るそれぞれの空間にもMUJIを感じます。

無印良品という、形が有るようで無いものをベースにして、住まい手の想像力を(対話によって)引き込んでいくリフォーム。MUJIらしい(無形の)商品だなと思います。何者でもない空間が、住まう人によって色を帯びていく。まさに、原研哉さんの言うところの無印良品ではないですか。

己のリフォームをそれらと比べるのは不遜ではありますが、僕もリフォームに思いを巡らせます。(不特定多数を対象にする販売用住戸という)商品の性質上、シンプルについて考えるのですがその過程で、何かスーッと引いて(空虚に至る)引き算の感覚を持つことがあります。何とか風でない何か‥。白い余白のような‥。でも結局、引き算の軸が定まらず、モチーフを古今東西に求めてしまったりと、空虚になれない自分ではありました。それはそうですね。まずは、雑念の多い日々の暮らしを見直していかないと‥。

窓は語る

毎日毎日、開いたり閉じたり、忙しく働いている窓廻り‥。たくさんのコトが求められている箇所のひとつが窓廻りでしょう。

まず第一に光と風の出入口であり、バルコニー面ならば人と物も出入りする。眺望を楽しむ開口部であるとともに、外からの視線を遮ることも求められる。更に、太陽の暖かさを取り込む一方、冷たい外気を遮断する。内外装が施された壁や天井と違い、身ひとつで住戸の外側と内側の二役を演じているのです。まるでジキルとハイドではないですか!

そんな頑張るサッシ、日本で使われ続けているのはアルミサッシですが、これは世界的にはあまり評判の良いものではなくて‥。熱伝導率が高いおかげで、夏熱く冬冷たい、そして結露の温床にもなっている。デザイン的にもそれほどステキなわけでもありません(スイマセンこれは主観です、アルミサッシサイコーも有りですね.たしかに、古くて味のある窓枠も見掛けます.あれはスチールサッシなのかな)

そんなこんなで、いろいろとタイヘンなサッシ問題ですが、ここでは置いておいて。(なんだよ、置くのかヨ‥)

写真は、専用庭や玄関アプローチを持つ大型住戸のリビング。奥に続いている居室部分までをリビングの延長として、緩やかに繋げています。その”連続したリビング感”をつくる目的も兼ねて、ここ全ての窓廻りに採用したのが、木製建具のウッドシャッターです。

ブラインドではありません、建具形状の扉です。室内側に鎧(よろい)戸が付いている、というイメージでしょうか。

羽根は可動式のルーバーとなっていて、一枚の羽根を動かすと全ての羽根が一斉に同じ角度に動きます。光と風、景色や視線を、季節や時刻に合わせて羽根の角度で調整する。もちろん、ピタリと閉じることも可能で、それらの動きはとても柔らかくスムーズ。シンプルな木製品と見せかけて、精密なギアが内蔵された凝ったつくりなのです。

そしてすべての羽根は天然木の無垢材。無垢フローリングと同様、時間の経過とともに味わいが出てくることでしょう。海外で見掛ける二重ガラス木製サッシのように、高い断熱性を期待するためのものではありません。あくまで光や風などのコントロールが主目的ですが、先のアルミと比べても熱に対する挙動は穏やかです。

いいですね、ウッドシャッター。もちろん、これだけの質感と精密さを持つ建具をオーダーメイドで製作するわけですから、価格は相応ですが‥。でも、それに足るものを日々の暮らしに与えてくれる逸品だと思います。

小さくて大きな安心

photo by STUDIO GHIBLI

イタリア車を30年間乗り継いできました。その数6台(その外フランス、日本も初期に複数台)。最近まで乗っていたモノも全て80年代~90年代前半のクルマです(21世紀のクルマがない)。そして今年、イタ車を全て返上し、初めて軽自動車に乗りました。それも荷物が積める四角いバン、トール(高く)&ナロー(細い)な一台です。

小さくてタフなエンジンは粛々と回り、細くて小さなタイヤは路面をズズッと滑りながら(これは楽しいナ)、ターボで加給してグンと車体を押し出します。心配していたエアコンも、炎天下でさえ上等、上等。ああ、安心‥。こんなに安心してクルマに乗るのは、いつ以来だろうか、と。

これまで、クルマの異音や異常に感覚を研ぎ澄ませながら(会話ともいうが…)、いつどこで緊急停止してもいいように緊張感を持って運転をしていたものです。

実際に、立ち往生は数えきれないほど。首都高速上から海岸沿い、そのあたりの道端まで、キュゥと言って止まる可愛いもの(カワイクない‥)から、火を噴いて即時消火が必要なものまで、もう思い出せばうんざりするほど‥。何度ローダー(車輛ごと載せてもらうトラック)のお世話になったことか。そして、何度もう嫌だイヤ、と思ったことか。でもそんな日々は30年間続いたのでした、ハハハ、ハ‥。

そんな中で今般、ピッコロ(背はデカいが)なクルマを選びました。仕事に徹するシンプルで簡素な造りに、ある意味小型イタリアンカーに通じるものを感じて‥。

これが思っていた以上に正解で。これまでのような悶絶する心配のない、タフで(いろいろな意味で)安価で、安心できる環境にホッとした。それどころか、いやコイツが却って良いなあ。そう思っているところです。

家もそうなだなあと、常々思います。もちろん、危険でなく安心な方がいいね、という意味ではなくて(これはそもそも最低限の要件ですね)。どちらかというとコストのハナシ。住宅ローン、税金、電気代など費用全般が嵩(かさ)む家はつらいな。僕のクルマでの緊張感とは似て非なるものだけど、いつもお金が飛んでいく緊張感。そんなものがない家は、自分が穏やかでいられるのではないか、なんて思ったりして。

更に言えば、住宅設備機器も似たようなモノ。シンプルに粛々と仕事をしてくれるのが良いですね。欲を言えば永く使えて、愛着を持てるすっきりとしたデザイン。そういえば、ウチで十年来活躍しているのはイタリアメーカーの小さくてシンプルな電気式オーブンです。すっかりくたびれてシミだらけだけれど、そんな姿が愛おしい。パンから魚、肉料理までなんでもござれ、スイッチはダイアル3つのみ。

その前に使っていたのは、衝動買いした過熱水蒸気調理の高級機種。使いこなせないどころか、あっという間に動かなくなってしまったのです(ただの電子レンジに‥)。ついでに言うと殆ど同時期に、このメーカー製の(プラズマみたいな?)エアコンから同じメーカー製TVの上に漏水して、どっちもダメになってしまったのだ。製品が悪いわけではなく、僕と高機能機器と(そのメーカーと)の相性が悪いというだけ。なのだろうと思う。

長らく乗っていた殆どのクルマたちも、電子的には極めてシンプルなものです(機械的には複雑なモノもありましたが)。そんな僕と相性が良いはずの古いクルマたちでさえも、寄る年波には勝てず、パーツ欠品に悩まされて、手を離れていったわけです(金の切れ目が‥)。頑張ってくれ、イタリアンオーブン! まだまだ当分の間、君の修理部品は大丈夫そうだから。

駅から3分、森まで1分

小さく見えて大きい。気持ちの良さそうな建物。

陽当たりのよい南斜面に、樹々を背景にした木質感あふれる建物。この春に新築されたものです。

なんとここ、駅から徒歩3分。東京から多摩川を渡って程無い各駅停車駅です。都心へは決して遠くないのですが、ここはどこ?という環境です。ハイ、どこでもドア。

さてここはどこでしょう?

ヒント:「ある目的地の名称が駅名となっているが、実はその目的地が遠すぎるという残念な駅」。きっと、そんなカテゴリーがあれば上位入賞が確実であろう駅。

もうお分かりですね。この写真の背後から続く森は、隣接する日本女子大(付属中高)キャンパスと一体となり広大な森を駅の近くに形成しています。そしてその森を抜けると(複数の歩道でアクセス可能です)「よみうりランド」エリアに到着するわけです。

はい、答えは小田急線「読売ランド前」でした。

ところで、写真の建物は何でしょう?答えは保育園。地域に開放されている施設も付属した、大きくて暖かみのある建物です。土や自然に近い保育に特徴がある、業界大手による運営なのだとか。実際の保育内容については僕は何も知りません。ただ、これだけ立派な土地建物は地主さんによるものでしょう。ソロバンだけではない、共感する何かがあって誕生した保育園なのだと思います、きっと。

とは言っても、箱は箱でしかない。この素晴らしい環境に魂を入れるのは一人ひとりの先生方なわけで。立派な箱や出来上がった(素晴らしい)仕組みの中で、それぞれが情熱を持ち続けられるか。どこの組織でも一緒の課題です。園児にも先生にとっても良い場所であることを願います。

脱線しましたが、徒歩3分の里山(のような)保育園、というのは希少です。普通に考えると、自然豊かな保育園は駅と反対方向にあって、保護者がエッチラオッチラ自転車漕いで、預けたらまた駅に向かう‥。それがここ駅3分保育園では、保護者が駅前で(でも駅ビル保育園ではない)森の園舎にこどもを預けて、勤務先に向かう‥。いいですね、こんな保育園が近くにあったら。

まぁ、できれば勤務先に向かわない方がいいのでしょうし、現に向かわないで済むリモート環境が整ってきた方もお見掛けします。こどもを預けるためだけに駅へ‥、さあ自宅に戻って仕事!なんて、まるで逆になったりして。

みんな違っていい。それも日によって。毎日はこういうものだ、みたいなルーチンが無くなって‥。こどもを預けて、今日は会社へ、明日は自宅で。こどもと一緒に今日は会社へ、明日は自宅で。毎日違って、みんな違って、みんないい‥ではないですか!

シンプルに暮らすこと

チョキチョキ、チョキチョキ。ふーん、と思う記事があると時折、新聞を切り取っておく癖があります。今っぽくない習慣ではありますが‥。

そんな切れ端の棚卸しをしていたら、こんな記事がありました。かいつまんで言うと‥

米国人にとって大きな家は、今も変わらぬ成功の象徴であり、今でもその平均面積は拡大している。でも、そんな典型的な「夢」に疑問を抱き、スモールハウスに暮らすことを選択した人たちのハナシ。

どんな状況だったのかというと‥。「家というステータス、生活様式の捕らわれの身だった。」、「両親は大きな家を建てたが、仕事に追われて一緒にゆっくり過ごした記憶がない。家はデカいが中はカオスだった。」、「ニューヨークで生活費月額67万円。この街で生き残るために仕事ばかりしていた。欲しいモノは悩まず買えるようになったが、何か大切なものを失っていると感じていた。」

そしてどんな暮らしを選んだのか‥。「よりシンプルに、より少ない消費で生きたい。」、「200㎡近い自宅を処分して、730万円で購入した41㎡に家族3人+犬1匹で暮らす。子どもと毎晩遊ぶ、これが幸せな暮らし。」、「ブルックリンから小さな町に転居。仕事量と生活費を大幅に減らし、小さな家でやりたかったことに専念したい。」

とまぁ、大都市を擁する国ではいずこも同じなのですね。この記事は、日本での都心タワーマンション熱と、そこからサッサと降りた人たちのハナシのようでもあり、僕のまわりでも見かけるハナシ。特に珍しいことではありません。ちなみにこの記事は2年以上前のものなので、現在の米国では更に様相が異なっていることと想像します。

そう言えば、都心のタワーを買って数年後に売却すれば利益が出て、更なる買い替えで資産が増やせる、といったコンサルタントの記事(説法)を長らく目にしましたが、ここにきてそんな言説にも随分変化が出ているように感じます。というか、これからは郊外の戸建だ、だそうです‥。

無理なく購入して、気持ちよく暮らす。そんな力の抜けたイメージで数々の物件と向き合ってきた僕は、今回引っ張り出した古い記事を改めて楽しく読んだ自分に、変わらぬ自分への安堵とともに、全く変わらないことへの嘆息も漏れたのでした。

再び・中庭

今秋に手掛けた当社物件の中庭。中庭の向こう側も敷地内の建物。

ところで中庭(courtyard)です。すこし前に、住戸に付属する小さな中庭について触れました。でも一般的には、マンションの中庭と言えば、敷地内にある複数の住棟に囲まれた空地を指すのでしょう。低層はもちろん、中高層マンションにも見られます。その名称の通り中庭らしいか否かは別として‥。

最近の新築分譲マンションで、ちょっと面白い物件を見掛けました。四角い敷地に、湾曲した建物(数棟)が(上から見ると)楕円を描くように配置されており、建物に囲まれた敷地中央には楕円型の中庭があるのです。日本の分譲マンションではあまり見掛けない形状です。

この物件は湾岸エリアに位置し、周りにはタワーマンションが林立しています。タワーの場合は敷地外周部を公開空地とすることで高い容積率を(役所から)得る代わりに、街の景観にも寄与します。反対にこの中高層建物は、内に向かって閉じて居住者専用の中庭をつくりました。言ってみれば基本的には普通のマンション。躯体を湾曲させて、空地全体に樹々や水盤を設えたコトだけが新味、と言っては身も蓋もないですが。そして庭に面した(居住者専用の)カフェやライブラリーを共用部分に仕込んでいます。

容積は稼げるがコストが高いタワー、その反対である通常の板型マンション。という条件下でのソロバンなのか、それとも別の理由があるのかは分かりません。それでも、個性的なラウンド型建物と豊かな中庭によって、特別感が演出されているのはお見事です。

中庭の一角でPC開いてリモートデスクワーク。住民専用カフェで居住者同士のティータイム‥。子供の誕生会は、外のお友達呼んでパーティールームで。ライブラリーには本屋がセレクトした人気ジャンルの本が並ぶんだとか。

いいですね、自宅には持ちえない施設ばかりです。使いこなせたら暮らしの幅も広がるでしょう。でも、果していつまでこのクローズドな共用施設で居心地の良さは続いてくれるのでしょう。

こんな話を聞いたことがあります。Community、コミュニティのどちらも言葉も、頭文字(C/コ)が三方を閉じながらも一ヶ所が開いている文字であると。閉じていて安心できる場所でありながら、外にも開いている。つまり、コミュニティには風通しが大事だというコトです。同感‥。

このマンションと似た施設が集まる都市ホテルが快適なのは、そこが街に開かれているから。不特定多数の人々がざわめきの中を行き交い、個人の匿名性が担保されているから。僕はずっとそう思っていたクチなので‥。

いずれにしても、我らが郊外の中古マンションでは望むべくもない施設ではあります。

また、そんなものがなくても、部屋の中に光と風の抜ける居心地の良い場所をつくり、空と緑を建物の外に求める暮らし方があればいい。

そして、ふらり街の雑踏に身を置いて、カフェ(酒場?)にでも腰を落ち着けるとしましょうか。

玄関扉、窓枠、窓ガラス、面格子

ウチの物件では逆に希少な、開放廊下+面格子の居室。なんと3.3帖、結構いけます。却って居心地良くて‥

さて問題です。上の表題に挙げた四項目に共通するのは何でしょう?

‥、‥。

はい、正解です。共用部分の専用使用権だなんて、随分難しい用語をご存知ですね。もしかして、このブログを結構読んでいただいていますか?知らず知らずに力がついて‥(ウソ!よくぞこんな駄文に‥)。

さて、日本のマンションでは、(各住戸にアクセスする)共用廊下に着目すると、いくつかの典型的パターンがあります。①2戸1階段型(2戸1EVを含む)、②中(屋内)廊下型、③開放廊下型。この①~③の3つがその典型といえましょう。マンション黎明期には①と②が多くみられ、民間の勃興期には③が多くなった気がします。最近のタワー型は殆ど②ですね、③で無理やりつくったタワーと称する高層建物もありましたが、開放廊下から下を覗くとチョー怖いの。

棟数別ではきっと、③の開放廊下型がダントツで多いのでしょう。即ち共用廊下に面して居室があって、窓ガラス一枚を隔てて共用廊下の目と耳がある状態。閉めれば暗く行燈部屋に、開ければ丸見え丸聞こえ‥。どうしたら良いの?(なお、③を採用しつつ廊下と居室との間に、吹抜けやアルコーブといった緩衝空間を設けたマンションも多数あります。どれほどの慰めになるかは別として‥)。

このような生活空間が気にならない方でしたら、もちろん問題はありません。でも、気になるけれどしょうがない、と最初から諦めている方も多いのではないでしょうか。マンションとはそういうモノだからしょうがないのだ、と。

僕が採ってきた方針は、この開放廊下(に面した)住戸以外を検討するというものです。具体的には、①の2戸1タイプを選ぶ、もしくは③の中でも角住戸を選ぶということ。また、②については、古い中層階タイプ、タワー形状タイプともに郊外の中古では選択肢が少ないです。なお、①~③に属さない個性的なマンションでピンとくるものがあれば面白いのですが、レアな一点ものの様相です。

しかし、僕が挙げた住戸タイプはマンション全体の比率ではやはり少ない。エリアや予算、築年数(そんなに気にすること?)を考慮していくと、開放廊下タイプだけが候補に残ることもあるでしょう。

う~ん、開放廊下型マンションで、廊下側は「玄関+面格子付き窓」のみ。そのような住戸で、安心して、光と風が抜ける快適な暮らしをするにはどうしたら良いか。

それが簡単に出来たら、新築マンションも、皆そうなっているでしょう。だから、そんなシンプルな話ではなさそうですね。

ではどうするか。きっと何か解決方法があるはずです。でも、それは万人共通の解ではないでしょう。そもそも間取りも、予算も、そして何よりも暮らし方が、それぞれ違いますから。

どうしても気になるあの物件、ジーっと見つめていたら何か思い浮かぶかもしれませんよ。僕も考えてみますから!

走り、旬、名残り

色づいた葉が秋の雨に濡れて、はやくも歩道を染めています。‥‥ってここはどこ?

これは数年前の写真です、失礼しました。川崎北部に位置する多摩丘陵の一角です。時は11月上旬だったはず。今からだと、まだ1か月も先ですね‥。

ここ1週間ほど、金木犀(きんもくせい)が強く香り、朝晩はしっかりと涼しくなってきました。気の早い僕は、色づいた樹々の写真を引っ張り出し、目まぐるしく移り変わっていく季節のはしりを‥。

「走りです」と旨いものをいただくのは嬉しいけれど、写真なんぞ見せられてもナンですな。”走り”の写真なんて聞いたことないぞ! 旬でいいんだ。いや!旬がいいんだよ!

でも、季節感はさておき、如何ですか。リフォームした住戸の南側バルコニーからの眺めです。

芽吹き、新緑の季節、盛夏の頃を過ぎて、そして今があり、ひと月先にはこの景色に変わる。そんな季節の巡りをただ眺めるだけでも、充分に「旅ができる住戸」です。

「たびができるじゅうこ」、なんかよくないですか?

いま思いついたこのフレーズ、それはある文句が頭をよぎったから。おそらく30年近く前、あるスポーツシートメーカー(後年、ノムさんが楽天球場で座ってたナ)の広告。その一文は(たしか‥)「移動ではない、旅ができるシートだ」。海の見える田舎道、傍らにはカエル的スポーツカー(だった気がする)。ズーっと遠くまで走って行けそうな、行きたいような気分‥。

「移動はできない、だが旅ができる住戸だ」。レカロよろしく、アームチェアを窓際に引っ張り出して、小さなサイドテーブルには旅のお供を。

それでは、どうぞ良い旅を。

GO WEST

「GO WEST」 という表題にして、この写真。「えーっ、なんだ。かまぼこーぉ?」 と言われそう‥。

でもね、小田原と言えば蒲鉾、かまぼこと言えば鈴廣ですね(そんなことないですか‥)。僕は神奈川県民ではなかったけれど、中学時代の社会科見学で工場へ行ったなぁ~。蒲鉾つきのお昼ご飯で‥。

蒲鉾をお薦めするわけでも、小田原に行こう!というキャンペーンでもありません。JR東日本、いい日旅立ちじゃないんだから。

でも、キャンペーンするなら絵になりますね、西の方。神奈川県は広い。丹沢から足柄山、そして箱根から湯河原へ。

会社勤めをしていた頃、小田急線新宿駅のホームに立つと、行先案内板には小田原や箱根湯本が‥。黙ってこれに乗ってしまえば、今夜は温泉に一泊だなムフフ。

相模湾の先に広がる海が、心の中に浮かんでまいります(Jet-Stream城達也さん風に)。小田原の漁港や、箱根湯本の店先で饅頭の湯気が立っている様までが‥。もうすこし足を伸ばせば、熱海、伊豆、いや三島方面か。

日常のなかに、ふと身近な旅の雑念が紛れ込んでくる小田急線。えーい、もういいや!乗ってしまえ、と日常を振り切ってしまえば、私はもう旅人。そんなところが魅力のひとつかもしれません。

ふるさとの訛なつかし停車場‥である、往年の上野駅に漂う終着駅”感”と比べると旅情は極薄目ではありますが、そこは、東海道につながってその先に行き止まりのない開放感を以て良しとしましょう。

ちょっとそこまで小さな旅に‥なんて想いに駆られる季節。たまには、間違えたフリをして、反対方面の電車に乗ってみませんか。あっと言う間に、山が、海が、そして湯気が!目の前に現れてきますよ、きっと。