つきのころはさらなり

夕暮れ時の一瞬、吸い込まれるような透明感を湛えた空が現れることがある。

時を遡ること30年近く‥
休みは取れず、予定も立たない、休日にもボケベル(!)が鳴る、トホホ‥な20代。
真夏に突然、ポッカリと10日間の休暇を得たことがあった。

電光石火、チケットだけを握りしめ(いや、ちぎり取った「〇〇の歩き方」も)、格安エコノミーで機上の人に。
北回り十数時間のフライトも、窮屈なシートもへいちゃら。
そうだ、そのころは若かったのだよ。
そうそう、深夜着のマドリッドだろうと、晩の宿は決めていなかったし。

ということで‥
学生時代にも歩いた真夏のフライパン、アンダルシア。
どの街でも、どこにも行かない。
ふらふらと歩くだけ。
なかなか沈まない太陽のおかげか、遅くまで人で賑わう街角。
街の、なかでもバルの灯りは柔らかい。

彼の国には、あちこちに小さな広場がある。
狭い路地の先に広場が開けた。
思わず空を見上げた。
青味は消えて光だけ残る、天まで続きそうな透明感。
眺めていると空に吸い込まれそうだ。
こんな色の空があるのか、と思った。
ここはスペインだから?
それともポツンと異国に居る自分だから、そう思えるだけなのか?

帰国後‥
変わらずの毎日、夜空を気にすることもなかった。
光と喧噪の東京、夕暮れの空は見えない。
仕事場でも、顔はデスクや同僚を向いたまま。
高層ビルの窓外にも、大きな空が広がっていたはずなのに。

その後‥
会社を辞めたボクは郊外に暮らした。
ぼんやりと空を眺めていた夕暮れ時のこと。
「あの空」がここにもある!
と、ようやく気付いたのだ。
フツウに、当たり前に、当然に‥

いままで何をみていたのだろう?

陽が沈んで、真っ暗になる前の一瞬。
色が消えて「光の粒」だけが残ったような空。

どうでもよいことだけど、
なぜ今ごろ気づいたのだろう。
会社辞めたから?
夜が深い郊外だから?
それとも歳を取ったから?

まあ、なんでもいいけれど‥