土曜日に市場へ出掛け

ということで市場へ出掛けたのは、冬のおわり、春のはじまり。

川崎市の北部地域(横浜市との市境)には、市民の台所とも言える卸売市場がある。
正式には川崎市中央卸売市場北部市場。
通称、ホクブシジョウ。
て、そのまんまか‥

東京南西部の飲食店業者も仕入れに来ている。
豊洲や太田の市場より利便が良いのだろう。
ここは基本的にプロが集う場所。
けれど、週末の一日だけは一般人に開放される。

グルメ(と呼ぶと安っぽいな)、食べ歩き(これも‥)も素敵。
でも一方で、市場に通ってあれこれするのは別の楽しさ。
喧噪の中を歩き廻り、並ぶ食材に季節が移るのを感じる。
そして、見慣れぬ素材のあれこれを尋ね、言葉を交わす。
かご一盛り、またはキロいくら?の世界だ。

凝った器具や調理家電は使わない。
時短とか効率、これも言わないでおこう。
単純な道具を使って、コップに注いだワイン片手に、のんびりつくる。
なんかオイラ、趣味人「みたい」じゃないか!
なんてね‥

そんな場面が似合う住まいは、あまりお洒落じゃない方がよい。
水が出て、火が使える(だけ)の台所。
ダイドコ、といった風情のキッチン。
そうか、ウチのリフォームはそんな感じか‥

ところでオマエは市場で何を買ったんだ?‥だって?

うむ。その答えは上の写真の中に。
じゃぁ、ヒントね。
結構、深い海の中にいる。
ほわッと柔らかい、脂の乗った身。
揚げると旨いねぇ、丸ごといける。
そろそろ時期も終わりかも。
さて、なーんだ?(知らねーよ‥)

ちなみに小さいキンキも端のほうに写っているけれど、それではない。
だって、手間が掛かりそうだからな‥。
イチバウンヌンと偉そうな割りには、オイラは大したことないのだよ。

そういえば、手前にいるのは千葉産の金目鯛。
キンメ(キンキじゃないのよ、キンメは~)といえば、伊豆南部が有名だけど。

千葉産キンメ、ちょうど先日見知ったことがあったので、ここに。
金目鯛の漁獲量は、最近は静岡を抜いて千葉がトップであること(直近は知らない)。
そこには千葉の漁業者の50年以上に亘る厳しい自主規制があること。
資源管理によって、漁獲量の維持に努めてきたこと。
自由に獲れるものをグッと我慢してきた、多数の漁業者がいること。
千葉産の金目鯛、有難く末永くいただくこととしたい(今日も買っていないが)。

陽射しはすっかり春。
でも、まだ冷たい空気と梅の花。
市場で買った「めひかり」もそろそろおしまいか(なんだ、メヒカリだったのか‥)。
※深海にいる魚は年中獲れると、あん肝を前に板前さんから以前聞いたが、それでも季節はあるのだろう。

それはそうと表題は、ある国の懐かしい民謡から拝借。
いや、元々の歌詞は「日曜日は市場へ出掛け 糸と麻を~」だが、日曜休みだからね‥ニホンの市場。 
文学、演劇、料理。それにサーカス、バレエ‥
昭和の時代には、その国の香りが周りに色濃くあった気がするのだけれど。
ちょっと遠い国になってしまったな。

あるものはある

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ないものはない!

スパッと、言い切る潔さ。
さて、その意味は次の①②のどちらだろうか。
①ないものはない
②ないものはない

なんだ、どちらも同じぢゃないか‥

ちがうちがう、そうじゃない。
①は「ないけど、それがなにか?」
②は「なんでもあります」

島根県の沖(おき)にある隠岐(おき)の海士町(あまちょう)をご存知だろうか。
知る人ぞ知る、そして知らない人も知っている(かもしれない)、地方創生の旗手。
この町は①の「ない」。
そして町のスローガンは「ないものはない」だ。

ないモノはないけれど、本当に必要なモノはある。
ここにないモノって、本当に必要なモノなのか?
ほしいほしいじゃ、際限ないぜ。
そんな心意気。
都会からも人が移り住み、活気が生まれる町がそこにある。
あれも有ります、これも有ります、と無理して飾っては(ヒトもモノも)本当の魅力は見えてこないのかもしれない。

ウチのつくる物件も、ある意味①なのか。
少なくとも②ではないことだけは間違いない。
追い焚き無いですけど、何か?
食洗器無いですけど、何か?
オートロック無いですけど、何か?
エレベーター無いですけど、何か?
(おーい、なさすぎだろ!)
でもさー、光と風が抜ける気持ち良い暮らしありますケド、何か?
なんて言ってみたいが‥

一方、②の「ないものはない」と言える代表格は百貨店(だった‥)。
ワンクリックで世界中から(結構)何でも取り寄せることができる昨今、
なんでもあるはず(だった)百貨店には転機が訪れているみたい。
ガムバレ百貨店!
君はこれから何を売るんだ。

そんな百貨店の全盛期に、こんなコピーがあった。

ほしいものが、ほしいわ

懐かしーッ、西武百貨店だよ、それ。
ほしいものは欲しいからほしいもの‥、と永遠ループの迷子になってしまう。
干し芋の‥?

当時は、既にモノが溢れている時代。
もっともっともっと(買え)、より便利に、より快適に‥
でももう、自分のホントウに欲しいものも自分ではわからないわ。
そんなことになっていた時代に放った、一本のコピー。
当時の西武だからこそアリだったのだろう。

でも、もっとモット‥の状態は今も続いているのかもしれない。
そしてそこから脱出する、①の流れも確実に‥

と書きつつ、風呂でこんなコピーを思いついたのだが、どうだろう。

ほしいものは、ぜんぶ私のなかにある

これではなにも売れませんなあ。
-おしまい-