
秋らしい風が吹き、澄んだ青空が広がったある日。
陽気に誘われ、重い腰を上げて街へ出た。
目的地は、随分と長く出入りしていない金融機関。
融資の切れ目は縁の切れ目、口座の解約手続きに。
最初の10年間、ボクは代々木公園近くに事務所を置いていた。
初めの頃は物珍しいのか知人が顔を出したり、5時から男の待機場所だったり。
実際、仕事の用事など殆どなかった気がする。
その頃に通った道を行く。
懐かしい。身体に馴染んだ道、径。
代々木公園を抜けて、NHKを横目に見ながら公園通りへ向かう。
区役所も公会堂も新築され、横にはタワーマンも完成した。
と思ったら今度はNHK工事中、そういえばZESTやMonsoon(古いな‥)は跡形もない。
街は動いている、変わっていく。
以前はいちいち気になっていたけれど、今はどーでもよろしいな。
ヒトの興味なんてあっという間に移ろうもの。
自分で言えば、クルマはその例に漏れない。
30年以上、旧い車にあれこれ散財してきたが、今や軽で充分と思う。
さて、無事に解約を終えた渋谷からの帰路、車窓からある建物が見えた。
端正な佇まいの中層集合住宅。
北側にも窓が並び、開放廊下は見当たらない。
つまり2戸1EVプラン。
この建物は、ボクと少しだけ縁がある‥
時はY2K前夜。
不良債権処理の途上にあったニホン。
出口のひとつとなる日本版REIT(不動産投資信託)が産まれる前のモヤモヤ期。
そのタイミングで米国へ行くことになった。
債権処理のセンパイ、アメーリカの不動産事情はどうなってんの?
集合住宅がやりたくてこの業界に入り、それだけをやってきたジブン。
アメーリカにはダイナミックに開けた新たな地平がある、そんな世界を見てしまった気がした。
その分野で活躍中の同期が帯同したこともあり、見開いた眼が塞がらない(?)2ヵ月間。
でも結局、田舎のネズミにはNYCやSFOより、JPでマンション。
だからその後も異動希望は出さなかったし。
ていうか、そもそも呼ばれていないし‥
そんな乱世の米国行きを画策し、仕切った兄貴分がいた。
そのアニキは後に組織を去り、銀行や監査法人をバックに会社を幾つか立ち上げた。
そういえば、独立系居住用リートの設立構想に引き込まれたこともあったな。
放課後、手弁当での課外活動。
集まるのは彼の周りにいた腕に覚えある、ちょっとヤンチャな専門家たち。
ボク、会社を辞めるつもりないんだけど‥
そんな感じでいつも嵐を巻き起こしてくれた兄貴分。
ここ数年は会うこともなかったが、またやってるヨ、と思って横目でみていた。
先日、そのアニキが急逝した。
いきなり余命2週間だという。
先の車窓から見た端正な集合住宅は、そのアニキによる仕事。
当時、産業再生機構案件となったデベロッパーに乗り込んでいた。
その時も、イケダも来てくれよ、と言われたことを思い出す。
マタデスカ、イカナイヨ‥
あのデべに今後は2戸1EVのマンションをつくらせる?
設計は「〇〇ガーデンヒルズ」にも関わったあのひと?
ちょっと、どうなの?
理想はわかるけどさぁ‥
そう、ボクとアニキは「開放廊下のあるマンション嫌い」が共通していた。
ボクは会社に入った新人時代から一貫してそうだったし、
彼も2戸1で暮らし、F.L.ライト邸を見に行くようなオトコだった。
だから竣工した例の物件を案内された際にはその出来栄えに目を見張ったし、これが成り立つならば良いな、とも思ったものだ。
その後、そのデべがどうなったのか。
それはここでは書かない。
そういえば、同じような理想を大きく掲げた会社があった。
「当社は日本の集合住宅の重大な欠陥である開放廊下のあるマンションをつくりません!」
みたいなコピーだったような気がする(正確には覚えていないが‥)。
そこまで言っちゃうの?というカンジ。
そう、そのサンウッドには当時、森ビルが背景にいた(だって「木が三つ」だよ)。
これまた、今どうなっているのかは知らない。
ともあれ、ヒトは死して何を遺すか。
少なくとも例の集合住宅はボクより長く生き、これからも何度も目にするのだろう。