ジードルンク

※表題と写真は無関係です。

「何なに‥、今回は海外の集合住宅かい。ジードルンクってぇのはドイツだな。郊外に団地を造るってことで、100年も昔に、今でも有名な建築家たちが大勢関わったというやつだ。たとえばル・コルビュジエまで参加したんだそうな‥。」

「まるでどこかのサイトから引用したような答えだな。まあ、そういうことだ。」

「しかし、やけに電線が多いな。この写真、本当にドイツなのか?」

「誰かドイツなんて言ったか。集合住宅(ジードルンク) @カワサキ、ジャパンだ。」

「‥‥。」

これはドイツの集合住宅だ、と言えば、(もしかしたら)頷くひとがいる(かもしれない)写真の建物。川崎市内にある大規模団地の一棟です。レンガ色の外壁に、白い階段が「らしい」感じ。

ところでこの建物、北側なのに見慣れた開放廊下が見当たりません。どこにあるのか、わかります?正解は‥

「ありません」

正解がない、のではなく「開放廊下がない」が正解です。

北側外壁にも各住戸の窓が並んでいる。北側を主採光面にすること(および主採光面にバルコニーが全くないこと)は、日本の郊外物件では稀です(最近のタワーは別ですが)。であればこの建物は南北に開放・開口する住戸が並び、開放廊下が存在する余地がありません。すなわち、隣り合う2住戸でひとつづつEV&階段を抱えているのです。EVを降りると目の前に自邸の玄関扉があるわけですねー。

この配置はとても贅沢なつくりです。開放廊下がないので視線や足音とは無縁。住戸の南北にある窓を開放(解放?)できます。このような「2戸1EV」の中高層マンションは(特に郊外では)数が限られているはずです。

要するに、いわゆる5階建団地を高層化して(6階以上はキツイから)各階段室にEVも設置した。つまり団地の正当なる進化系です。しかしその後、経済的効率的理由によってこのスタイルは主流にはならず傍流へと押しやられていきましたが。

その後民間マンションにおいて主流となったのが、ご存知「開放廊下型」。この開放廊下型の原型はドイツで生まれたようです。経済合理性を求めたカタチですから、ドイツ発祥だったことに不思議はありませんね。ただ、以前見たその原型は、日本の開放廊下とは違った軽やかな印象。外に面する開放廊下の腰壁は透明ガラスでした。

そういえば、ほとんどこれは日本の風景では、と見紛うような南側ファサード(バルコニーの雰囲気)を持つ団地をポーランドで見かけました(旧東側諸国には多かったのでしょうね、きっと)。

廻りまわって、日本における団地リフォームの事例。「旧東ドイツのアパートメントの雰囲気」が好き、という方のリノベーション(どんなん‥?)もありました。(一見)豊かで、モノが溢れ返る現在の日本だからこそ、却ってそれは映えるでしょうし、集合住宅の原点回帰でもあるでしょう。

集合住宅の歴史、みたいなハナシ‥(別に得意ではありません)。とりとめもなくあちこち行き来するばかりで、収拾がつきません。それでは、この辺りでお仕舞いといたします。

ファースト、セカンド‥‥

ファーストと言えば、「四番、ファースト、王(場内アナウンスのイメージで)」

セカンドは、「二番、セカンド、篠塚(同上)」

ではサードと言えば‥‥(しつこいぞ!でも、あの人ですね)

ファースト、セカンド‥と聞くと、子供の頃は好きだった野球場のざわめきと臨場感、ウグイス嬢(今もこう呼ぶのか?)の声を思い出します。上のアナウンスはモチロン、往年の巨人軍(王選手と篠塚選手は重なっていた?よね‥)。

そんな小学校時代の僥倖のひとつは、王選手のホームラン世界新756号達成の瞬間に後楽園球場のスタンドに居合わせたこと。小4の9月3日、照明が消えた球場で一筋のスポットライトが照らす王選手とご両親の姿が思い浮かびます(多分そうだった記憶‥)。

世の理として、ファーストがあって初めてセカンド‥と続くわけです。が、野球に限ったことではなく、セカンドというのは味わいのある小技の利いた立ち位置ですね。例えば水島新司さんのドカベンなら、殿馬一人という二塁手(これ野球だろ‥、というか古すぎるか‥)。ちなみに声の主(アニメ)はスネ夫くんと同じ方(肝付さん)ですよね。声からして味あるわ。

そもそも僕が扱うものは中古、すなわちセカンドハンドだから、セカンド贔屓になるのは当然のハナシ。新しい建物が時間の経過とともに味わいを増し、苔むし(?)、カビが生え(‥)、良くも悪くも素性が露呈する(きびしー)のです。セカンドの味わいは唯一無二のモノというわけです。

閑話休題

さて、上の写真の話。

道路向こうの緑地まで見通す奥行10m超の空間は、南東・南西角の三面採光。真ん中に鎮座するキッチンを挟んで、二つの空間が緩く繋がっています。朝から午後まで、室内を移ろう陽射しが部屋の表情を刻一刻と変えていくのです。

勝手に言ってしまいましょう、手前はセカンドリビングである、と。

まだ従前の間取りだったこの住戸を取得したボクは、日の出前にここへきて朝日が昇るのを待ちました。「おーっ!やっぱり‥」と、当時単なる個室だったこの部屋の窓二カ所に、低く眩しい朝日が差すのを確認したのです。そしてそのまま10mの長辺に沿って移っていくことも。

そして、バカボンに登場するお巡りさんのお目目のような「ひとつながりの空間」が、僕の落書きそのままに実現したのでした。そして同時に、朝日の中で珈琲を飲むため(だけの)セカンドリビングも‥。

なんて‥。実際は二つの空間をどのようにでも使っていただけるように、と思いながら計画したのですが、なかでも朝日のコーヒーは魅力的だな、と。

そして今、とても素敵なご夫婦にお住まいいただいています。前述したボクの行動と想いをまるで見ていたかのように、朝日の注ぐ(セカンド)リビングで、鳥の声と共にコーヒーを楽しんでいらっしゃるとお聞きしました。

そんな話を聞くだけで、こちらまで幸せな気分。10年以上に亘って、樹々に近く、光と風が抜ける(であろう)住まいを(細々と)つくり続けています。こんな出会いと小さな喜びが、歩き続けるチカラになっているのだと思います。

長い休暇

ふと気づいて顔を上げ、あたりを見渡すと、もう4月。自身の入学・卒業式もなければ、人事異動とも無縁になって久しいけれど、春だけは長い間に馴染んだ条件反射的な感傷があるような。

細目をして、随分と昔の春を思い出してみると‥。中学1年は初めて担任を持つ男性教諭。先生手づくりの学級通信の題名は「時代」。そう、あの歌姫の‥。中2の担任も若い英語の先生だったのだけど、初ホームルームはいきなり黒板に「クラスの標語は All for one , one for all です」。そして授業始まって早々の廊下で「いけだ!」と振りむきざまに「Heaven helps those who help themselves!‥意味わかるか?」。「‥おれ、頼ってないスけど、何か?」とまぁ、先生も生徒も熱量高く、暑苦しい80年代初頭。都心のある中学校での記憶です。

ボクがそんな感じだった頃に出たアルバムが売れ続けているという話。それは大瀧詠一さん。印象的なジャケットと相まって、あの時代の風が抜けていく。ちょうど芽吹きの緑と空の青、そして風が光る(「寒風と共に去りぬ」)この季節だからこそ、余計に眩しく感じるのかも知れません。

でもそんな作風が大瀧サウンドの芯ではない、と佐野元春さんは言います。歳の差はあるも当時のアルバムに参加していた佐野さんは、大瀧詠一とはロックンロールであると。R&B、R&R、SOUL‥深く掘り溜めた井戸の中から、(僕のような素人が知る)爽やかな日本ポップスサウンドが生まれた訳なんですね。これがプロなのだ、きっと。

大瀧さんといえば、松本さん、細野さん。松本さんがアルバム「ロング・バケイション」と今の時代について、こんなことを語っていました。

文化とか経済とかがピークを、峠を越したんだと思う。みんなもうそれほど新しいものを欲しがっていないんじゃないか。実際、新しい技術も出てこないし。科学とか技術の限界があって、そういうものを通り越して、こういうロンバケへの憧れが残っているんじゃないかな。長い休暇。必死に働いてもしょうがないという‥

長い休暇‥。たしかにそんな言葉に改めて心惹かれるのはボクだけではないはず。どこもかしこもピリピリしていて、なんだか疲れるしなー。(現実の長い休暇は取れる気がしないケド‥)

そんな大瀧詠一さんはもう数年前に亡くなり、そしてその「分厚い音づくり」の手本だったあの(プロデューサー)フィルスペクターさんも亡くなったという記事を最近目にしました。もうこの世にはいないけれど、それらの音楽は残り、次の世代が引き継いでいく‥。

いつもより少し早い桜の花が、舞っています。創業から10年間、代々木公園近くに事務所を置いていました。新宿への道すがら、お寺に掲げられた「今月の言葉」を横目に歩いたものです。なかでも、たびたび口をついて出てくるのがこの句‥

散る桜、残る桜も、散る桜 (良寛和尚)

ある種の諦観と、その先に想う希望。なんだろうな―この感じ、と思ったら、そうか「ライフイズビューティフル」!、となぜか映画を思い出したのでした(なんだかよう解らん私見ですが‥)。