ねこがきた

ねこがきた ねこがきた どこに来た 山にきた 里にきた 野にもきた~
なんとまあ、猫だらけの今日この頃。

童謡の替え歌は置いておいて、実際に猫がきたのは我がクライアントのお宅。
「猫さんがきました、おしらせします」とメール。
添付された写真には、ガラス越しにこちらを見つめている子猫。
「キュン‥」
品の良い青を帯びたグレーの毛並み、クリッとした瞳。
ジーっと見つめてしまうが、相手はもちろん動かない。

そういえばボクにも思い入れのあるネコがいた。
‥子供の頃のハナシ‥
庭から、みやぁと鳴き声がした。そこには蚊に刺されて目の周りまで腫れ上がった子猫。
当時ウチは田舎の一軒家だったので…。

「かあちゃん、オラこの猫飼うだ」
「あかん、バアちゃんちさ連れてけ」

いなかのオラんちから、新宿の祖母ちゃん宅へお輿入れ。電車にのせてガタンゴトン。
なんでそうなるのかニャー。

しかし、この猫がとても良い猫に成長した。
祖母ちゃんが風邪ひいて寝込んだら、ネズミを捕まえて枕元に持って来たことがあった(‥困るが)。
朝、布団と一緒に畳まれたこともある。探してもいない‥。夜に布団を敷くと、ゴロンと。一日中鳴きもせず小便もせずにじっとしていたのだという。
そしてオラもその後東京に戻り、再会。膝の上に乗るこの猫と多くの時間を過ごしたとさ。
おしまい。(上写真はイメージです)

閑話休題

「ねこと暮らしたい。でも‥」という人は多いようだ。

昭和から平成初期の分譲マンションでは「ペット飼育不可」の管理規約が多数を占める。
当時、国が定めた標準約款だろうか。テラスハウスやひな壇住宅など、独立性の高さなどを理由に敢えて飼育可に変更する場合などを除き、分譲会社の多くは右に倣えの雛型を採用したわけだ。

管理規約が(入居・組合結成時に)一旦発効すると、その後の規約変更は簡単ではない。「ねこを飼いたいぞ!」という変更議案に、半数以上の区分所有者が賛成しなくてはならないのだから。

ところで、冒頭のクライアントがめでたく新しい猫を迎え入れた建物は、竣工当初からペット飼育が可能だったわけではない。
管理規約を改正して可能となった経緯があるようだ。管理組合役員や愛好家の頑張りがあったのかもしれない(実は、内緒で飼育される事例が散見されたらしい。その問題解決策として「飼うならきちんと責任を持って飼う」と動いたと聞く。何がどう転ぶかわかりませんな)。

猫のために住まいを購入する、良いなそれ。

猫ばかり書いていたからではないが、タイミングよく別のクライアントから「ワンコいいわよね」と言わんばかりの写真が届いた。迎えて1年の誕生日だという。たしかにこの子、人懐こくてカワイイのだよ。

ネコるべきかイヌるべきか、それが問題だ
飼い主ながら下僕にもなり得る境遇を喜びそして耐え忍ぶか
それともぺろぺろ攻撃を真っ向から受けて立つ交歓か

どちらも、どちらでも良いじゃないか。
でも悩む、揺れる心と秋の空。

街の居場所

思い立って眼底検査に行った。若い頃、網膜裂孔が見つかりレーザーでバチンと縫ったことがあるので、たまーに診てもらうのだ。
人気医院の当日WEB予約分はすぐ満杯。
残りの方は「直接出向いて、空き待ちをしてください」だって。
まあ暇だし、行って待つとするか。

受付:
「今、32人待ちです。今日は混んでますねー。状況はアプリで随時確認できますから、あと10人待ち位になったら医院に戻ってください。それまでお好きなところに居られて結構です」
ボク:
「はい、わかりました」

アプリ片手に街に出る。
「用もないのに」街に居続けるのは、いつ以来だろう。

「いやー、たまにはじっくりと店を見て廻るものいいなー」と書店に入る。
新書、専門書、さらには雑誌コーナーへふらふらと。

時計を見る、「なんだ、まだ30分しか経っていないぢゃないか」
アプリを見る、順番待ち人数は全く減っていない。

それでは、家具雑貨の店。「以前ここで展示用小物や照明を買ったな。今は要らない」
では次に、輸入食品の店。「今食料を買ってどうするのだ。医者に持っていくのか」
うむ、ユニクロにも入ろう。スタスタ、すたすたすた‥‥ひたすら歩く。

もう飽きたゾ疲れたゾ、持ってきた本を読もう。
店内エスカレーター脇にチェアが。
座ってみる。
これは厳しい‥。
すぐそこに立つ店員さんの視線に耐えきれないのだが。
文字は読むが、文章がアタマに入ってこない‥
いたたまれない。1分で席を立ってしまった。

街に目的もなく居るということが、こんなにタイヘンだとは。
ただフラフラするだけのオラは、もしかしてタイヘンの反対のヘンタイなのか。
街とは何かをする人だけが来る場所。そうなのかもしれない。

以前からそうだっただろうか。
もっと雑多で、キレイじゃなくて、ふらふらと様々な人が行き交っていたのは記憶違いか。

隅々まで清潔で快適、行き届いた街は安心で安全ではある。
でも、きれいに統制のとれた街はピシッとしていて、隙間がない。
少し窮屈に思えてきたりする‥。

そういえば、最近の歩道や公園施設を思い起こすとさー、
「立って腰掛けるオブジェのようなベンチ」は長居できない。
「仕切りを入れたベンチ」はゴロンと(するかどうかは別として)横になれない。
ましてやそんな場所で日がな一日ボーッとしていたら、怪しまれてしまうかもしれない。最早、ゆっくりのんびりする場所ではないのだ。
余計にもっと言うと、新宿地下通路の端には、上部が斜めカットされたカラフルな切株がワーッと生えている。趣旨が違うかもしれないが、この場所は何もしてはいけない場所。ゆっくりできない場所と言える(もちろんその意図はわかるが)。

ただ、そこにいることが難しい公園。
タダで、そこにいることが難しい街。

街はお金を出してモノやサービス、居場所を買うところ。
だからプチ消費者になればいい。スタバに入ればいいのよね(わし、ドトールがよいが)。

「おーっ15人待ちだ。もう午後なんですけど。チカレタよ、医院でわたし待つわ」

医院へ戻りながら、ふと商業施設1階の入口を見遣る。
風除室には長いベンチがある。
高齢の女性たちが押し込められたように鈴なりに座って、外を見ていた。
ここに一緒に座らせてもらえばヨカッタかも‥

今、そんなどうでも良いことを書いていたら、学生の頃を思い出した。

ひとりぼんやりと受けた授業の帰り、乗換えの日比谷駅。
ひとり日比谷公園の「ながーいベンチ」に「寝そべって」いた午後。
目を閉じていても透けて見えるような、強い陽射しの青い空だった。

「ベチャ」

胸のあたりが、しっとりと生温かいの‥
目を開けるのがコワイわ‥
「ながーい」からといって、青空の下で無防備に寝転んではアブナイのだ。