街の居場所

思い立って眼底検査に行った。若い頃、網膜裂孔が見つかりレーザーでバチンと縫ったことがあるので、たまーに診てもらうのだ。
人気医院の当日WEB予約分はすぐ満杯。
残りの方は「直接出向いて、空き待ちをしてください」だって。
まあ暇だし、行って待つとするか。

受付:
「今、32人待ちです。今日は混んでますねー。状況はアプリで随時確認できますから、あと10人待ち位になったら医院に戻ってください。それまでお好きなところに居られて結構です」
ボク:
「はい、わかりました」

アプリ片手に街に出る。
「用もないのに」街に居続けるのは、いつ以来だろう。

「いやー、たまにはじっくりと店を見て廻るものいいなー」と書店に入る。
新書、専門書、さらには雑誌コーナーへふらふらと。

時計を見る、「なんだ、まだ30分しか経っていないぢゃないか」
アプリを見る、順番待ち人数は全く減っていない。

それでは、家具雑貨の店。「以前ここで展示用小物や照明を買ったな。今は要らない」
では次に、輸入食品の店。「今食料を買ってどうするのだ。医者に持っていくのか」
うむ、ユニクロにも入ろう。スタスタ、すたすたすた‥‥ひたすら歩く。

もう飽きたゾ疲れたゾ、持ってきた本を読もう。
店内エスカレーター脇にチェアが。
座ってみる。
これは厳しい‥。
すぐそこに立つ店員さんの視線に耐えきれないのだが。
文字は読むが、文章がアタマに入ってこない‥
いたたまれない。1分で席を立ってしまった。

街に目的もなく居るということが、こんなにタイヘンだとは。
ただフラフラするだけのオラは、もしかしてタイヘンの反対のヘンタイなのか。
街とは何かをする人だけが来る場所。そうなのかもしれない。

以前からそうだっただろうか。
もっと雑多で、キレイじゃなくて、ふらふらと様々な人が行き交っていたのは記憶違いか。

隅々まで清潔で快適、行き届いた街は安心で安全ではある。
でも、きれいに統制のとれた街はピシッとしていて、隙間がない。
少し窮屈に思えてきたりする‥。

そういえば、最近の歩道や公園施設を思い起こすとさー、
「立って腰掛けるオブジェのようなベンチ」は長居できない。
「仕切りを入れたベンチ」はゴロンと(するかどうかは別として)横になれない。
ましてやそんな場所で日がな一日ボーッとしていたら、怪しまれてしまうかもしれない。最早、ゆっくりのんびりする場所ではないのだ。
余計にもっと言うと、新宿地下通路の端には、上部が斜めカットされたカラフルな切株がワーッと生えている。趣旨が違うかもしれないが、この場所は何もしてはいけない場所。ゆっくりできない場所と言える(もちろんその意図はわかるが)。

ただ、そこにいることが難しい公園。
タダで、そこにいることが難しい街。

街はお金を出してモノやサービス、居場所を買うところ。
だからプチ消費者になればいい。スタバに入ればいいのよね(わし、ドトールがよいが)。

「おーっ15人待ちだ。もう午後なんですけど。チカレタよ、医院でわたし待つわ」

医院へ戻りながら、ふと商業施設1階の入口を見遣る。
風除室には長いベンチがある。
高齢の女性たちが押し込められたように鈴なりに座って、外を見ていた。
ここに一緒に座らせてもらえばヨカッタかも‥

今、そんなどうでも良いことを書いていたら、学生の頃を思い出した。

ひとりぼんやりと受けた授業の帰り、乗換えの日比谷駅。
ひとり日比谷公園の「ながーいベンチ」に「寝そべって」いた午後。
目を閉じていても透けて見えるような、強い陽射しの青い空だった。

「ベチャ」

胸のあたりが、しっとりと生温かいの‥
目を開けるのがコワイわ‥
「ながーい」からといって、青空の下で無防備に寝転んではアブナイのだ。

Facebooktwittermail