まるいちきゅうの‥

上の写真は、スペイン/バレンシア地方を歩いた際に撮ったもの。
視界のほとんどは空、ソラ、そら!、抜けるように青い。
そう、バレンシアオレンジだ、たわわに実をつけている‥

ん?
たわわに‥実をつけてい‥る?
どう見ても「たわわ」ではない、それに少々貧相ではないか。
これ、オレンジぢゃなくて、ミカンじゃね?

「生産緑地地区」という看板を立てた土地を、見かけることが多い。
仕事をしていても(あまりしていないが‥)、ぶらぶらしていても、たまに見掛ける。

ということで、都市近郊でよく見かける生産緑地。
あちこちに点在するのには、それなりの理由がある。

「それなりの理由、とやらを教えてくれないか」
「いやよ、勝手に調べればいいんだワ」
「ふん、もはや単に”知っている”ことに、取り立てて価値があるとは思わんな」
「そうヨ、わかってるじゃない。知ることより考えること‥よ」
「なんだ、どっかの哲学者みたいじゃないか‥」
「おぢさん、知っているの?」
「そりゃ考えるには、考える前に知ること、が必要だったりするからな‥」
「なんだか、わからないわ‥」

生産緑地には、もちろん家などは建っていない。
「この畑の真ん中に家をたてたいわぁ、大草原の小さな家ね‥」
などと人の土地を前にして勝手なことを考えてはいけない。

ところが、そんな緑地が唐突に宅地化される。
わーい、ワーイ!
しかし、狭小な戸建てが並ぶことが多いのは、気のせいだろうか。
よくあるハナシだ、それぞれに事情があるのだ。

冒頭の写真も、実は生産緑地。
道路から少し上がった、小高い丘のようになっている。
そして点在する樹々の先に、地平線が少し丸く(丸いように‥)見える。

なぜだろう、それほど大きくない土地なのだけれど。
この土地を眺めていると、ここに地球の端があると感じる不思議。
通るたびに、まあるいなぁ、と呟く。

すると続いて、こんなセリフが口をついて出た。
まるいちきゅうのまるいちにち‥

そう、
まるいちきゅうの まるいちにち
とは、ある絵本の題名。
はらぺこあおむしのエリックカール氏、
こんとあきの林明子さん、
そして安野光雅さんら世界の作家たちの手に依る。
世界各地の暮らしが同時進行で描かれるおはなし。

朝も昼も夜も、同時に存在している。
たぶん、ちきゅうはまるい、のだ。

そうなると外せないのが、この詩。

カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球で
いつもどこかで朝がはじまっている
(続く‥)

改めて語るまでもない「朝のリレー」。
ローマ遺跡の柱頭が朝陽に染まる様を想像してみる。
時空さえ超えて!世界が朝でつながっている!そんな気分。
ああ、ローマ!
Romeだってすぐそこに‥
All mornings lead to Rome.

Romeと言えば‥
高校1年英語の授業時間だった。
ローマ遺跡に関する文章の和訳を教師から求められたヤツが、
「エーッ、エヘン‥」と改まったのちに堂々と(そう、いいヤツなんだ)、
「ロムくんが‥」と話し始めた。
教師とクラス全員が一瞬固まり‥
ついで、爆笑と称賛の嵐となったのだった。

たしかに後で思えば、ローマの語源は人の名前。
都市を擬人化して深く表現しようとしたのかもしれない。
だとしたら、笑って悪かったよ‥(それはナイ、のだが‥)

そんな彼も立派な大人になり、ローマではなく英語圏に暮らしているという。
まあ、勉強はほどほどに、ということだ。

隔てるもの

最近ウチが手掛けた住戸のうち、玄関が小さいものがいくつかある。

「郊外にあるフツーの分譲マンションだから、”玄関が大きい”わけがないだろ‥」

うむ、その通り。
だが、その「大きくない玄関」が「更に小さく」閉じられている‥ということだ。

上の写真はそのひとつ。
元々は、正面方向に廊下が延びていた。
その正面の廊下に壁を立て、閉じた。
「それじゃぁ、どうやって部屋に入るんだ‥?」

玄関ドアを開けると、目の前には壁。
普通ならリビングまで(一直線に)続いているはずの廊下が見えない‥
玄関だけが一つの空間となって、閉ざされている。
むむっ、左側に引き戸がある‥
引き戸を開けてみる‥

「廊下がないわ‥」(中の間取りは内緒)

Q:なぜオジサンは、変なリフォームをするの、いつもいつも‥?
A:それはね、おじさんはヘンなおぢさん、だからだよ‥
Q:でも、そこまでヘンなオヂサンには見えないわ‥
A:そうかい、でもね、人を見た目だけで判断してはいけないよ‥
Q:なんだかコワイわ‥

玄関というのは、決して快適な環境にはない。
だって、玄関ドア一枚を挟んで外なんだから。
玄関ドアの性能だって、わかったもんじゃない。
暑いし、寒い‥そんな気がする。

アツイサムイなんて、まだいい。
でも‥
玄関ドアが開いたその瞬間、廊下にいる自分がパンツ一丁だったらどうするか?

「ふん、別にどうってことないわ‥」

いずれにしろ、とにかく玄関だけを区切ったのだ。
独立した玄関は、外界との厚い隔壁になってくれる。

二枚の扉によって外界から切り離された、静かで落ち着ける、自分だけの居場所。
一日のすべきことを終え、住まいへと戻ったならば
玄関の向こうにある世界を遠ざけ、落ち着いた今日を生きるのだ。

誰かが言った‥
「大きな隔壁で過去と未来を閉ざし、今日というひと区切りを生きる」
と‥
抱えきれないほどの重荷は、ひとまず置いておけ
ということだろう。

また誰かは、こうも言った‥
過去はない
未来もない
あるのは、永遠に続く現在(いま)だけだ
現在を生きよ
現在を生き切れ
と‥

閑話休題

実はこの玄関、過去につながっている。
別に、タイムマシーンやドラえもん、ではない。

今から30年近く前のことだから、随分と昔。
その後に新御三家と呼ばれる外資系ホテルがひとつ、高層タワービルの上層階に開業した。

当時、ホテルは大きな敷地に独立して存するもの、と思っていた。
実際、他の新旧御三家はホテル然とした堂々の佇まいだった。
ところがタワービル入居型であるこのホテルは、それらザ・ホテル群とは趣を異にしていた。

「なんだか入口、ちいこいのぅ‥」
当たり前だ、地上階にはエレベーターホールしかないのだから。
入居するタワービルのエントランスとは分離された入口。

箱に乗り込み、垂直方向へ一気に移動する‥
街の雑踏が遠のく‥
扉が開く‥
眼前には天空の異空間が広がった

‥かつて、ホテルは街としての機能を持つ、とも謳われた。
つまり、多くの人たちが匿名で行き交い、路地のような賑わい、雑多さを包含するのだと。
確かに、それまでのホテルは大きな建物の中に様々な機能を持っていた。
例えば、床屋まであったりしたのだから‥

ところが件のホテルは、街に対して開いているとは言い難い。
小さな入口から「にじり」入り、街の雑踏を後にして天空へ昇るのだ。
そして他ホテルと比べ圧倒的に少ない客室数であることも手伝って、
良い意味でエクスクルーシブ(排他性?‥)感が際立っていた。

今では珍しくないスタイルだろうだから、
今更ナニ言ってんの?という感じだろう。
すんまそん‥当時の青年はそんな風に思っただけ。

話を戻そう。

いずれにしても、小さな玄関があるウチの物件。
玄関ドアともう一つの扉、という厚い隔壁を備える。
その先には、心休まる空間がある。

その空間の下敷きとなったのが、あの地上階のEVホールだということ。
もちろんウチの住戸は、ホテルのようなゴージャスな空間ではない。
でも、ホッとするような居場所ができた、それでいいのだ。

そして更に、もうひとつの下敷きがある。
それは
「大きな隔壁で過去と未来を閉ざし、今日というひと区切りを生きる」
という言葉。
あれこれ悩み多き毎日を生きるための、心の持ち方。
たった1枚の扉だけれど、そんな心持ちへの入口になれば、と思うのだ。

ふりさけみれば

免許を更新した。
免許とは宅地建物取引業者免許証のこと。
個人が保有する宅地建物取引士とは別モノ、不動産業の免許なのだ。

免許証の有効期間は5年間(その昔は3年間だね)。
今回は3回目の更新、つまり免許取得から15年が経過したということだ。

地方勤務の時代に会社を辞めて東京に戻り、間髪入れず創業したのは15年と半年前。
創業といったって何もない。
免許もない、アレもない、コレもない、当たり前だけど。
大きな不安と、それを辛うじて上回る大きさの期待が拮抗していた気がする。
あれから15年、思いとは裏腹にやはり現実は簡単ではなくて‥
それにしても華々しいことは何もなかったナ。

地味に脇道を歩いてきた。
そう、トボトボと脇道を‥
それでも、思えば遠くへ来たもんだ。

例えば、ワキミチ感満載なのが物件ラインナップ‥(笑)
数えてみたら、ウチで販売した物件の8割はエレベーター(EV)が無かった。
えっ?
EV(電気自動車ではないぞ)なんて当たり前の時代にですよ?

「EVが無い?
  つまり古い団地ばかりなんだろ?」

そう思う貴兄も居られよう。
しかし数えてみると、「いわゆる公団の団地」は2割しかないのだよ。
では、それ以外は?

ちなみに、販売した物件の特徴を挙げてみると。
・居室が共用開放廊下に面する物件は5%以下
・昭和の竣工物件が80%
・専有面積100㎡超が数件(120㎡タウンハウスなんてタイヘン‥)
・専用庭付が10件(専用庭面積107㎡や65㎡は草ボーボーだよ‥)
・ルーフバルコニー付が4件‥

「つまり、EVが無い理由は何なんだよ?」

アレコレ並べても「販売物件の8割EV無し」の理由はワカラナイネ‥
ただ、
「ウチの物件には【共用開放廊下に(直接)面した居室】が殆ど無い」
ことが主要因になっているようではある。

光と風の抜ける住まいを‥
たとえ豪邸でなくても、心地よい住まいを‥
集合住宅に関わって長いけれど、いつも、いつまでも、そう思う。
それを自分なりに解釈して物件を選んできた結果だろう。

ということで多くの中古物件に興味を持てず、スルーしてしまうわけ。
自ずとプロ買取業者たちの王道、主戦場から遠く離れ‥(まぁ元々勝負にならないケド)。
そして脇道、いや草むらに分け入って‥
その草むらの背丈は高く、まるでトウモロコシ畑。
見渡せど周りが見えず、ウロウロと‥
そうやって四季が廻っていくのであった。

そしてまた、気付けば夏がすぐそこに。
夏といえば、ゆりの季節。
その花を校名の由来に持つ高校が近くにある。
生徒職員やOBが育てたやまゆりが咲き誇り、一般公開されるという。

どおりで、身の回りにゆりが溢れていると思ったよ。
ここ最近は百合ヶ丘、新百合ヶ丘と物件が続いているし‥
このあいだ観た映画はリリーフランキー、
昨日は郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」を耳にするなんて‥

そして、更新したばかりの免許証にも麗しいその花が‥

4月を迎えた君へ

4月になった。

ウチには、春に恒例の異動も入社式もない。
だって個人事務所だから。
その意味においては季節感のない日々を暮らして15年が経つ。
でも、昇進とか昇給とかワクワクするにゃぁ~、いいにゃぁ~

そんな折、古巣の後輩の抜擢人事を紙面で知った。
トップは見ていたということか。
捨てたものではないな、と思った(ナニが‥?)。

勝手にお祝いすることにした。
新人だったその後輩を、当時から可愛がっていた先輩を誘って。
もちろん本人には声掛けしない。
だって困るだろう、こんなときに。
果たして、二人で会うや話し込み、祝杯どころか彼の名さえ挙がらずにお開きとなったとさ。
まあそんなもんだ、我々にも語りたいコレマデとコレカラが、たくさんあるのだよ。

もちろんお祝いの言葉を送ってある、「我が事のように嬉しいよ」と。
すると「嬉しさもありますが、緊張感が大きく上回っている感じです」と返信がある。
そこで「我が事のように嬉しいが、我が事となれば嬉しくない」と返す、本当にそう思う。

トップから「胆力を評価する」と言われたという。
口舌ではなく、胆力でしなければならない仕事がある。
そりゃ大変だよナ、重圧だ。
でも誰かがやらねばならぬのだナ。

ボクが会社を去って15年、その15年間もずっと彼は闘ってきた。
ボクは、An Officer and a Gentlemen(愛と青春の‥)の教官が士官候補生に対したように、彼に最敬礼をした(‥気分になったよ)。

ところで、毎年この時期に目にしていた新聞広告がある。
そう、新社会人になる君へ。
伊集院静さんからのエールだ。
毎年、毎年、新年度がスタートする日(そして成人の日)の紙面に掲載されてきた。
水や空気のように、当たり前の風景になっていたその広告。
毎回、広告から言葉を見つけ、心新たにスタートラインを引き直した、少しだけ。
もうボクは新人ではなかったけれど。

そして今回‥

毎回エールを送ってきたご本人が、もう今年は居ない。
「2000年4月に初めて伊集院静さんが執筆された第1回原稿を改めて掲載し‥最終回とすることに致しました」とあった。

「道が二つあるならば、厳しい方を行け」
つまり、EVが有っても無くても階段を行け。
「向かい風に向かって行け」
つまり、段差や坂道のある物件を手掛けろ。

『はい、心して取り組んで居ります』
んー、ちょっと違うか‥


空が近い週末

週も半ばを過ぎた平日の、それも昼下がり。
いい歳をしたオトコが呑気にキッチンに立っている。
大鍋いっぱいのスープづくり。
具だくさんのスープは、あれこれ使い回せるからな‥

それにしても、平日と週末の区別なく暮らす期間が随分と長くなった。
現に今も定休日は無く、かといっていつも忙しいわけでもない。
人はこれを、メリハリのない毎日、と言うのだろう(その通りだナ)。

そういえば会社勤め時代、週末が主戦場となる不動産販売の現場に結構長く居た。
土日は目が回るほど忙しく、手付かずの弁当を夕方になって皆で食べることもあったな。
それを尻目に、応援に来た上司が早々にお握りをコッソリ頬張る(笑)ところを現行犯逮捕したり‥

そんな疲労困憊の週末が明け、月曜日の辛くツラい報告会議を経て、ようやく(平日だけど)週末を迎えて‥
「それでは二日、いや先週末は三連休の出勤だったので振替休日を三日いただきます」
そんなわけナイだろう‥
会社というのは月曜日から始まるのだよ、トホホ。

「いけだ、あの件はどないなっとるんや?明日説明や、一緒に‥」
「池田君、建築との打ち合わせ、水曜日しか予定合わないのだけど出られるかな‥」
「火曜日、専務が(ついでに)現場行かれる言うとる、いけだは居らんのか」

かくして平日の振休は無残にも削られ続けた。
まだ若く、現場責任者だった数年間に積み上がった未消化振休は〇〇〇日と、かるーく三桁を駆け上がっていった。
え、一年間は50週ちょっとだぞ。
一年間の土日全部出勤したとしても100日じゃないのか、未消化は。
〇〇〇日って、どんだけだよ‥

この未消化分を闇に葬らず帳簿に残し、放置してくれた会社の度量は認めよう。
とはいえ、いかんせんマズイだろう。
労基にニラまれるのも止むを得まい‥

まぁ大きくなった会社の地中深くには、礎(いしづえ)となった面々が多数埋まっているのだろうと思う。

そんな感じで、週末のない暮らしは続いた。
クラス会行けない、ハナキン飲み会の翌日ツラい‥
昔の仲間でキャンプなんてとんでもない(幸いその志向がないが)

だからだろう、すっかり一週間にメリハリや境目のない人間が誕生した。
近年の話だが、こんなことがあった。
サラリーマンを長く続けている学生時代からの知人。
ふたりで異境へ旅した仲だ、スピーチだってガツンとやってやった。
数年会っておらず、いつ会えるのかと時折、催促がくる。
そんなに言ってくれるならと「土曜の午後どうだ、日曜もOKだが?」と返した。
こちらは、たっぷりと時間を取ってゆっくり話そう、という気持ちも含んでいるのだが‥

すぐに戻ってきた答えは「平日ダメなのか?」
ボク「今はダメだな」
知人「そうか、大丈夫になったら連絡待ってるわ♡」

そうくるか?
そうなのだ、週末休日は別腹なんだよ。
もちろん我々二者の関係においては‥かも知れないが。

仕事のない平日夕方、陽の沈む頃。
ボクは自宅を出て、嬉々として上り方面の電車に乗り街へ出掛けるのだ。
若いころからの慣れ親しんだ行動パターンに疑問も持たず‥
仕事帰りのメンバーに混じって‥(笑)

冬の午後には

冬には弱い。
そんな季節にも心穏やかな時間がある。

そう、それは晴れた日の午後。
昼下がり、と言うとちょっとアレだけど。
ただし、陽のあたる窓辺に限る(笑)

窓外には葉を落とした枝々。
枝々の背景はクリアな青空。
北風小僧が吹き抜け、ピューと鳴って光る。

腰高の窓際に寄せたテーブルに腰掛けている。
窓からの陽が差している。
外から隔てられた静謐な室内は春のよう。
午後のラジオが小さく低く流れている。
そんな日常のひととき。

以上、イメージ。
まるで平和で昭和な昼下がり、ではないか。
メロドラマ、なんて言葉があった時代でもある。
そんな頃を思い出しているのかもしれない。
であればラジオから響く声は、低くて甘い細川俊之さんの‥

それはよいとして‥
年が明けた。
一層しびれる冷え込みとは反比例して、
日は高く長く、空気は澄んで、明るさを増してくる。

さあ、今年も一年、いつもと変わらず淡々と。
でも、一所一所に想いを込めて、懸命に。

‥‥

と、ここまで書いてきて、
①昼下がりの、
②腰高窓に、
③日が差し込む
①~③に該当する販売中物件があるじゃない!と思い起した。

そうそう‥
実はその腰高窓の空間、従前は独立した洋室だった。
南に開口し、空と緑が見える窓辺があるのだ。

なんと勿体ない、壁や収納や廊下の向こうに閉じ込められて‥
ここは表に引っ張り出さないと!
ということで、
壁二枚や廊下やら何やらをすべて壊して、こっち側(?)に取り込んでしまった。

高めの腰壁で囲まれたキッチン要塞を核として、つながり、広がる大空間。
その一角に腰高窓の窓辺がある。
そこは一体何をする場所なの?、それは住まい手が決めること。
そういう場所があることが大事なのだ、と半ば強引に一角を占めた。

今ここで「冬の晴れた午後の窓辺」と書いてみて改めて思う、
陽射しあふれる(腰高の‥笑)窓辺への憧憬。
それが無意識に、プランをする手を動かしたのだなあと。


joy to the world

秋は好きだが、冬には弱い。

夕日が、つるべ落としの如くシュルシュルと暮れる晩秋から初冬となると、
ああ!早く日が長くなってほちい!
と、指折り数える日々‥
ちなみに日没が最も早いのは12月初旬、これを境に徐々に日が長くなり‥

そう、日の入り時刻だけで言えば冬至より前にボトムが来るのだ。
ちなみに大晦日の頃には10分ほど長くなっている。
もちろん年が明けてからの寒さは一層厳しくなるわけだが、午後の日が長くなるだけでも希望の光が差すってもの。
蛇足だが、日の出時刻は1月初旬まで徐々に遅くなっていくので、朝はますます寒く眠いのだけれどねぇ‥

とても若いころ、大晦日の夕暮れに外に出ると、空気に(新)春らしさを感じて妙な気がしたことがあった。
それはそういうことだったのだ!
ん?なにがどういうことだったのか?
夕方がやけに明るく穏やかに感じられた訳は、日が延びたこと。そして暖かな一日だったことも理由なんだろうけれど。

まあ、いずれにしても日は短くなり、寒さも増してくる今日この頃。
そういえば3年ほど暮らした仙台、といえば国分町だが(なのか?)、
晩秋の明け方に路地裏のゴミ箱横で目が覚めたこともあった‥
アブナイアブナイ。
冬は特に気を付けないと‥

そこで思いついたのが冬眠。

アブナイ冬は眠って過ごす‥
とはいっても、脂肪を蓄えてクマのように眠り続けるのはムリ。
それじゃシマリスでいこう。
穴に籠り、時折目覚めて飯食って用を足す、これは魅力的だな。
いずれにしても活動量を減らし、体温を少し下げて(‥?)、夜の外出を減らして冬を乗り切れば良いじゃないか、と思った次第。

だから最近、幾らかの知人は心得たもので、
「いけだ、冬眠が明けたら春にまた会おうな」
などという意味不明で不思議な会話さえ交わされるようになった。

まるでムーミンとスナフキンみたい。
チェーリオ!
‥‥
愛らしくはないが‥

冬は長くつらい、けど身も心も暖かくしたい‥
暗く寒い時季を乗り越えるための知恵がほしい。
なるほど、昔から人はそのために様々な仕掛けをつくってきた、のか‥

どうかはわからない。
でも今年の我が家には、ある日の到来を指折り数えるカレンダーがある。
上の写真がソレ、それってアレ?

しかし、ただのカレンダーではない。
それにしてもずいぶんと重いぞ、腰を痛めそうだ。
気を付けないと‥
ていうか、これはまるで箱じゃないの。
ていうかそもそも箱だ。
いったいナニが入っているのかしら‥
この時季を乗り越えるための‥?

ふふふ‥

遺したもの

秋らしい風が吹き、澄んだ青空が広がったある日。
陽気に誘われ、重い腰を上げて街へ出た。

目的地は、随分と長く出入りしていない金融機関。
融資の切れ目は縁の切れ目、口座の解約手続きに。

最初の10年間、ボクは代々木公園近くに事務所を置いていた。
初めの頃は物珍しいのか知人が顔を出したり、5時から男の待機場所だったり。
実際、仕事の用事など殆どなかった気がする。

その頃に通った道を行く。
懐かしい。身体に馴染んだ道、径。
代々木公園を抜けて、NHKを横目に見ながら公園通りへ向かう。

区役所も公会堂も新築され、横にはタワーマンも完成した。
と思ったら今度はNHK工事中、そういえばZESTやMonsoon(古いな‥)は跡形もない。

街は動いている、変わっていく。
以前はいちいち気になっていたけれど、今はどーでもよろしいな。
ヒトの興味なんてあっという間に移ろうもの。
自分で言えば、クルマはその例に漏れない。
30年以上、旧い車にあれこれ散財してきたが、今や軽で充分と思う。

さて、無事に解約を終えた渋谷からの帰路、車窓からある建物が見えた。
端正な佇まいの中層集合住宅。
北側にも窓が並び、開放廊下は見当たらない。
つまり2戸1EVプラン。
この建物は、ボクと少しだけ縁がある‥

時はY2K前夜。
不良債権処理の途上にあったニホン。
出口のひとつとなる日本版REIT(不動産投資信託)が産まれる前のモヤモヤ期。
そのタイミングで米国へ行くことになった。
債権処理のセンパイ、アメーリカの不動産事情はどうなってんの?

集合住宅がやりたくてこの業界に入り、それだけをやってきたジブン。
アメーリカにはダイナミックに開けた新たな地平がある、そんな世界を見てしまった気がした。
その分野で活躍中の同期が帯同したこともあり、見開いた眼が塞がらない(?)2ヵ月間。

でも結局、田舎のネズミにはNYCやSFOより、JPでマンション。
だからその後も異動希望は出さなかったし。
ていうか、そもそも呼ばれていないし‥

そんな乱世の米国行きを画策し、仕切った兄貴分がいた。
そのアニキは後に組織を去り、銀行や監査法人をバックに会社を幾つか立ち上げた。

そういえば、独立系居住用リートの設立構想に引き込まれたこともあったな。
放課後、手弁当での課外活動。
集まるのは彼の周りにいた腕に覚えある、ちょっとヤンチャな専門家たち。
ボク、会社を辞めるつもりないんだけど‥

そんな感じでいつも嵐を巻き起こしてくれた兄貴分。
ここ数年は会うこともなかったが、またやってるヨ、と思って横目でみていた。
先日、そのアニキが急逝した。
いきなり余命2週間だという。

先の車窓から見た端正な集合住宅は、そのアニキによる仕事。
当時、産業再生機構案件となったデベロッパーに乗り込んでいた。
その時も、イケダも来てくれよ、と言われたことを思い出す。
マタデスカ、イカナイヨ‥

あのデべに今後は2戸1EVのマンションをつくらせる?
設計は「〇〇ガーデンヒルズ」にも関わったあのひと?
ちょっと、どうなの?
理想はわかるけどさぁ‥

そう、ボクとアニキは「開放廊下のあるマンション嫌い」が共通していた。
ボクは会社に入った新人時代から一貫してそうだったし、
彼も2戸1で暮らし、F.L.ライト邸を見に行くようなオトコだった。

だから竣工した例の物件を案内された際にはその出来栄えに目を見張ったし、これが成り立つならば良いな、とも思ったものだ。
その後、そのデべがどうなったのか。
それはここでは書かない。

そういえば、同じような理想を大きく掲げた会社があった。
「当社は日本の集合住宅の重大な欠陥である開放廊下のあるマンションをつくりません!」
みたいなコピーだったような気がする(正確には覚えていないが‥)。
そこまで言っちゃうの?というカンジ。
そう、そのサンウッドには当時、森ビルが背景にいた(だって「木が三つ」だよ)。
これまた、今どうなっているのかは知らない。

ともあれ、ヒトは死して何を遺すか。
少なくとも例の集合住宅はボクより長く生き、これからも何度も目にするのだろう。

心の旅人

風立ちぬ 今は秋 今日から私は 心の旅人

すっかり風も秋色、ふと口ずさむのは、この歌。
こちとら中ぼーの頃から、秋といやぁこれに決まってんだよ。
「風立ちぬ 今は秋」は、ご存じ往年のヒット曲。

ちなみに「風立ちぬ いざ生きめやも」は小説。
もひとつ「風立ちぬ 生きねば」は映画だナ。

時代を大きく跨ぐ、風立ちぬ三兄弟‥(?)
もちろん長兄は堀辰雄、小説「風立ちぬ」。
表題はフランス詩の一節を引用し、自身が訳したものという。

それから時は経ち‥
その小説から着想する楽曲を、と乞われて松本隆さんが詞をかいた。
それも「風立ちぬ」。
避暑地の秋をイメージするその詩に大瀧さんが曲をつけて‥
曲をつけて‥
出来上がったその曲は‥
想像に反して(いや、想像通りに)、大瀧サウンドになっていた‥

‥ということで(小説のイメージとはすこし違うかもしれないが)素敵な一曲。

ところで小説の「いざ生きめやも」とはなんだ?
当時の中ぼーには、知らんけどなんか語感が良い、という程度。
いざ、というからには生きる決意なんだろうと。

ところが古語の「やも」は、文法的には反語だという。
「生きよう(生きめ)、いや生きられねぇ(やも)」みたいな感じか。

ということは、堀辰雄は「生きられるか‥いや、生きられないだろう」と書きたかったのか。
いや‥文法的には微妙だったとしても、「生きる‥生きられる」と読むべきなのか。
いやいや、どちらでもないのか。
生死の間で揺れる想いを(敢えて文法を超えて)込めたのかも知れない、と思ったりもする。

であるとしたら宮崎さん映画の副題にある「生きねば」は‥
・原典であるフランス詩本来の(直訳的)意味を記したのか
・それとも小説へのオマージュとして、堀辰雄の意を汲んでのものなのか
まあ、どうでもよいか‥

ところで話は飛んで、うん十年前‥
小説「風立ちぬ」に触れた中2のボクは友人を誘って二人、夏の終わりの旅に出た。
そう、舞台となった軽井沢へ。
万平ホテルの「近く」に宿をとり、木立を散策する中坊がふたり‥
なんかちょっと変だな、この中学生。

しかし、そこは単なる中坊。
夕暮れ時にひと風呂、と立ち寄ったのは中軽井沢の星野温泉。
吸い寄せられたのは、ゲームコーナー。
今をときめく星野リゾート、当時の記憶‥

ちなみに興じたゲームは、川でパトロール船を進めるだけ(つまらんこと覚えている)。
なんと、東京のゲーセン戦果を遥かに上回る(本人)最高スコアを更新中なのだよ(喜)
始末の悪いことに‥
迫る最終バス時刻‥

いけぱん‥最終バスいっちゃうよ‥
カチャカチャ‥カチャカチャ(スティックの音)
行っちゃうよ‥

あ~(最終バス発車時の友人の嘆き声)
(程なく‥)
あー(ゲームオーバーの嘆き声)

バス、いっちゃったね‥
ごめんよ‥‥
小雨の降る暗い道、傘も差さずに中軽井沢駅まで歩く。
こうなったら軽井沢駅まで、そして旧軽まで歩こうよ‥
文句も言わず、ずぶ濡れを自虐的に楽しむ友人。
それは、せめてもの救いではあったが‥

うーん、閑話休題‥
と言っても、戻るべき本題もないのだが‥

‥この夏、
ウチの販売住戸を案内した際のこと。
ついでに街を案内し、他社オープンルームまで覗くと、いつしか雑談へ。
その方が「きっと、いけださんは好きだと思うわ」と言う。
何を‥?
それはあるラジオ番組のこと。

その番組の題名は、邦訳すると「居ながら旅する」となる(邦訳 by Ikeda)。
「そうですか、radikoで聴いてみますよ」
‥‥たしかに、遠い何処かの雑踏に佇むような。
嫌いじゃない、いやむしろ好きだ、たしかに。
そして、なにより番組名が「居ながら旅する」だもの‥

居ながら旅‥
そう、アームチェアトラベル。
住まいは旅の拠点であり、そして旅自体をする場所でもある。
そんなことを、何度も書いてきた。
読み返してみると、〇〇の一つ覚えのように、あちこちに。

だから今回、そのラジオ番組をすすめられ、ちょっとビックリしたのだ。

初めて会った人がボクの文章を読んでいるわけがない。
まさか、旅に出たい、と顔に書いてあるのか?
それとも、(ボーっとした顔の奥に)旅して浮遊する心を見抜かれたのだろうか‥

いずれにしても、旅は心の中にある。
さあ、travelling without moving .

なつのしっぽ

あききぬと めにはさやかに みえねども かぜのおとにぞ おどろかれぬる

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

秋が来たと、はっきり見えはしないけれど、風の音がそれを気づかせてくれたぜ(T藤原)

と、夏の終わりに書きかけのまま放置していたら、気付けば9月もおわり。
朝晩の気温もグッと下がり、秋を気づかせてくれるものは、もはや風の音だけではない。

夏の長い尾尻、ゆっくりと地球の反対側へ去っていき、もうほとんど見えない。
夏よ、さよなら。
そんな今年の夏も、ウチの物件を通じていろいろな人に出会った。

思い出すのが、アーティスト三人衆。
三人のあーちすと、いやアーティストがウチの物件を見に来たというハナシ。

あーちすと‥?

‥余談だが、のんさん(元・能年玲奈?)はこの夏、肩書を「あーちすと」から「アーティスト」に変えたという。
ボクも、彼女が女優(俳優)の肩書に「あーちすと」を書き加えた頃のことを(なんとなく)覚えている。
それ以降の厳しい状況下も、好きなことをやる、とあちこち全力で取り組んできた彼女。
「ひらがな表記で少しおとぼけていた」根拠のない自信は今、確固たる自信に変わったのだと。
だからそのタイミングで「アーティスト」、かっこいいゾ。

話は戻って、我が物件に来られたアーティストたち。
とは言っても、お互いに知り合いでもなく、連れ立ってきたわけでもない。
別々に、でも申し合わせたようにやって来た。

想いを持って、創りだす。
自らを頼りに、勝負する。
専門領域は三人三様でも、
そこは皆、一緒。

彼女たちは、こんなところで創作をしたい、といった。
いったいどこに引っ掛かりがあったのか‥
それは皆、少しずつ違うような気がする。

んー、たった三人?
いやいや、ウチにとっては大きな数字。
だって分母が、うんと小さいんだから。

一方、迎え撃つこちら、もちろんアーティストではない。
つまり、ひらがなの「ふどーさんや」か。
まさに根拠もなければ自信もないんだが。

どうする、おとぼけ「ふどーさんや」。
オマエはどこに向かうのか。
もはや「カ・ン・ジ」の「不動産屋」にもなれないんだろう。

そうだな、カタカナか?
「フドーサンヤに俺はなる!」ってか‥

というより、なんだかヘンだぞ、それ。
カタカナの不動産屋って、なにすんだ?