冬の午後には

冬には弱い。
そんな季節にも心穏やかな時間がある。

そう、それは晴れた日の午後。
昼下がり、と言うとちょっとアレだけど。
ただし、陽のあたる窓辺に限る(笑)

窓外には葉を落とした枝々。
枝々の背景はクリアな青空。
北風小僧が吹き抜け、ピューと鳴って光る。

腰高の窓際に寄せたテーブルに腰掛けている。
窓からの陽が差している。
外から隔てられた静謐な室内は春のよう。
午後のラジオが小さく低く流れている。
そんな日常のひととき。

以上、イメージ。
まるで平和で昭和な昼下がり、ではないか。
メロドラマ、なんて言葉があった時代でもある。
そんな頃を思い出しているのかもしれない。
であればラジオから響く声は、低くて甘い細川俊之さんの‥

それはよいとして‥
年が明けた。
一層しびれる冷え込みとは反比例して、
日は高く長く、空気は澄んで、明るさを増してくる。

さあ、今年も一年、いつもと変わらず淡々と。
でも、一所一所に想いを込めて、懸命に。

‥‥

と、ここまで書いてきて、
①昼下がりの、
②腰高窓に、
③日が差し込む
①~③に該当する販売中物件があるじゃない!と思い起した。

そうそう‥
実はその腰高窓の空間、従前は独立した洋室だった。
南に開口し、空と緑が見える窓辺があるのだ。

なんと勿体ない、壁や収納や廊下の向こうに閉じ込められて‥
ここは表に引っ張り出さないと!
ということで、
壁二枚や廊下やら何やらをすべて壊して、こっち側(?)に取り込んでしまった。

高めの腰壁で囲まれたキッチン要塞を核として、つながり、広がる大空間。
その一角に腰高窓の窓辺がある。
そこは一体何をする場所なの?、それは住まい手が決めること。
そういう場所があることが大事なのだ、と半ば強引に一角を占めた。

今ここで「冬の晴れた午後の窓辺」と書いてみて改めて思う、
陽射しあふれる(腰高の‥笑)窓辺への憧憬。
それが無意識に、プランをする手を動かしたのだなあと。