ガラス越しに見えたモノ

左右に並んだ二枚の写真。
左は玄関から洗面室の扉。
右は洗面室の内側の様子。

玄関から入ってすぐ、廊下との間にドアを新設した。大きな透明ガラスが入った白い扉は、白壁と馴染んで存在感を消しているので圧迫感はない。

なぜ、ここに扉を付けたのか。それは寒い玄関だけを切り離して、廊下を居室側の空間に引込むため。洗面室浴室に行くたび、玄関から侵入する冷気に「寒ッ‥」ともならず、穏やかな環境を保てる。

これは自宅を含めて何度か試しており、それなりの効果があるように感じている。物理的に寒暖を防ぐだけでなく、外側と隔てる扉がもう一枚あることで、心理的にも落ち着くことが理由なのかもしれない。

話は飛ぶが、開放廊下型マンションの場合、外廊下に面する居室の「落ち着かない問題」がある。他の居住者の通路であるから「壁に耳あり障子に目あり」、オーバーに言えばそんな環境で暮らしているわけだ。
通風のために窓を開けたい、自然光が欲しい、歌いたい、うーん、おもぃっきり放屁したい!
外廊下のある住まいでは、そんなささやかな望みが夢のように思えてくる(のか?)。

そんな時に、先の「玄関に扉、もう一枚!」と類似して「外廊下側に、壁と窓、もう一枚!」は有効な手段だろう。
なに、部屋が狭くなるって。
そうそう、狭くなる。(けれど、その隙間スペースもまた豊かな空間になるのだよ)
すると、元の「3LDK田の字型」間取りは成り立たないかもしれない。n+LDKという「不特定多数対象型新築分譲時プラン」とはGoodbye、旅立ちの時かもしれない。

それでいのだ。
予算や場所、間取りを縦横無尽にスライドして検討できることが、中古マンション購入の強み。予算を下げたり、場所を変えたり、そもそもの物件選びの基準を変えてみる。リフォーム内容の幅のあれこれも加えると、選択肢は無限大。楽しくなってきたゾ。

もちろん「目の前が外廊下でも、いいじゃないの~」という方が大多数かもしれない。
「将来売る時も、普通間取りの方が売りやすそうだし~」とか。
その場合には、これらは戯言として聞いておいてください。

さて、もう一度上の写真。
焦げ茶色の扉は(手前の白い扉とは違い)彫りの深いルーバー扉。羽根も無垢材で作られ、指一本でルーバーが回転する、ちょっとグレードの高いものなのだ。

2年ほど前、このドアをたくさん採用した際に誤発注をしてしまい、1枚がお蔵入り。いつかいつか、と言いながら機会を逸していたのだが、「いけださん、そろそろ使ってよ」の声に遂に日の目を見ることに。

玄関開けて、ガラス扉越しに見えるこの扉。
かなりカッコええス。
でもさ、洗面室にルーバーってどうなのよ。
うーむ、くれぐれもイタズラをいたしませぬよう(笑)

葉落ちて姿現る

小さな頃から晩秋が好きだった。
だって、秋の生まれだから。
いや、関係ないか。

空き地の野球、沼のザリガニ釣り(これは夏ネ)、森の秘密基地‥。
気付けば濃い色の夕暮れ、カラスと一緒に帰る時間。
家に灯る暖かい光、その傍にある静かで深い夜。
子供時代、そんな落ち着いた時間が好きだった。
ちょっと物思いに耽ってみたい感じ‥(オマエいくつだ)

でも今は、以前のようにこの季節を楽しんでいない気がする。
現実の憂いが多くなると、そんな余裕はないのよね。
それでも枯葉が舞う季節はほんの一瞬だから、晴れた夕方にはサクサク踏みしめて歩いてみたいもの。

さて、いよいよ樹々の葉が寂しくなってきた上の写真。
葉が落ちて姿を現したのは、今秋ウチで販売した住戸のお隣の住棟。
うーん、ステキじゃないですか。
この雰囲気、アレに似てない?と一瞬思ったハナシを。

アレって何?

それってコレ。
広尾ガーデンヒルズのなかでも、独特の雰囲気を持つ「イーストヒル」と呼ぶ区画がそれ。
日本らしからぬファサードは、米国東海岸を彷彿させる本格的デザイン。彫りの深いタイル、床の水平ラインに華奢な縦格子が美しいバルコニー、連続する小さな腰高窓‥。
落葉の季節ともなると、ここは晩秋のニューイングランドだ、ボストンだと思ってしまう。

とは言っても、彼の地に於いてこのような建物は比較的庶民的なものだろう。だから、それを彷彿させるデザインを纏った日本の高級団地という設定も微妙なハナシとは思うのだが。
ともあれ、異国が好きでそれだけでも嬉しいボクにとっては、このホンモノ感溢れるイーストヒル、これでいいのだ。

付け加えると、ガーデンヒルズには「イースト」でなく、もっと高額帯と位置付けられる好条件の区画が他にある。それらはデザインが異なっていて、モダンだったり、ジャパニーズ高級マンション系であったりする。

そう考えると「イースト」は本格的デザインではあるものの、広尾GHの中のワンオブゼムとなった。最初期の区画である「イースト」以降、それに続くニューイングランドの景色が現れなかったのは何故だと思うだろうか。

話は冒頭写真(ウチの住戸の隣ネ)に戻る。この住棟も、郊外では珍しい2戸1EVプランを採用している。つまり居室の前を通る開放廊下がないので北側にも窓が並び、スッキリと美しい。
これは広尾ガーデンヒルズと同じ形式で、事業主や設計者に強い想いがないと実現しないもの。両者とも’80年代初頭の物件だが、この頃は住宅(プラン)の質を上げたい設計者の気持ちに、事業主も同様の気持ちで応えることができた時代だったのだろう。
そうは言っても、高コストに耐えられる都心高額物件はまだしも、郊外で実現するのは結構難しかったはず。だから2戸1EVを採用している物件は極めて少ない(があるのだよ)。

それにしても2枚の写真、全然似てないんじゃないのー。という声が聞こえてくるナ。

うーむ、よく見ると確かに。似ているようで、実は全然違う。
そもそも冒頭写真は主採光面の反対側、つまり北側だ。腰高窓が並び、縦格子の階段が建物に取り込まれているからスッキリ見える。写真には写っていないバルコニー面が、イーストヒルのように端正なわけではない。妙な言い方だが、顔とおしりがパッと見には似ているということか。

それでも当時、郊外で2戸1EVを実現させたのは素晴らしい。
両面の採光、通風、プライバシー。
この希少な物件には、住んでわかる快適さがあるだろう。

このイーストヒルを設計した著名な建築家は、開放廊下(外廊下)型の集合住宅には批判的だったと聞く。まぁ、本心から好意的な建築家はいないだろうけれど。
プランの質を競った’80年代が過ぎ去り、バブルと呼ばれる時代を経て、「開放廊下型プラン×建築家ファサードデザイン」を掲げた高額マンションをよく見かけるようになり、今に至る。

そのような建築家コラボ(と呼ぶの?)マンションを数多く目の当たりにすると、当たり前のことではあるが、マンションとはつくづく経済性第一の箱であると実感する。もちろん居住性と経済性のせめぎ合いに葛藤する担当者たちが思い浮かぶし、表層に関わることになった建築家にも思うところはきっとあるのだろう。

そして、なにより消費者(というより住まい手)の迷いも一層強いであろうことも。

坂の上に雲

あ、坂の上に雲だ。

え、坂の上に雲?

あぁ、「坂の上の雲」か。

ご存じ司馬遼太郎著。西欧諸国に追いつかんと明治時代を駆け抜け、ついにあのロシア帝国と戦火を交えた日露戦争が舞台。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

なんとも心躍る書き出しじゃないか。
そう思いながら読み始めたのは、たしか会社を辞めた直後。

ちなみに辞めるまでの約3年間、地方の大都市に勤務した。
東京では皆が(そして少し前の自分も)クチャクチャになって、戦うように働いていた。
何のためか、誰のためか。
その東京を、少し離れた場所から眺め続けた3年間。それが会社を離れるきっかけとなったのかもしれない。

無職となって東京に戻った自分には、のんびりしている時間は無い。
けれど、たっぷりと時間だけはある(矛盾)。
そんな時期に、「坂の上の雲」がボクを呼んでいたのだ。

書き出しの通りの小国日本が、強国相手に素手で立ち向かった。これは近代日本の黎明期、つまりニッポンの青春時代だなーと読み進めた。(記述される状況は凄惨ではあるが‥)
まだ世界の中では何者でもない小さな国に生まれ、遥か高く浮かぶ雲を見上げながら懸命に駆ける登場人物たち。

それを読んでいるボク自身の日常は、独立後の希望を抱きつつも、先の見えない不安に苛まれる日々。寄る辺ない我が身に小国日本を重ね合わせて、自分を奮い立たせていたのだろう。

そう、ニッポン青春時代の物語は決して若者だけではないのだよ。老いも若きも、皆が坂の上の雲を見上げて駆けていた(ような気がしてくる)。

そして、読後十余年。
物語の細部もすっかり忘れてしまったし、ボクもその分だけ歳を取った。
でも、今も坂の上に浮かぶ雲を見つけると、
あ、「坂の上の雲」‥と、当時の気分を思い起こす。

「雲」といえば、シンガーソングライターの永井龍雲。
そう、名曲「道標ない旅」。
ボクの青春は、この曲を聴いて空を見上げた小5時代に始まったのではないかと思っている。
がきんちょ時代から、現在に続くオッサン期まで。
およそ世で言う「青春時代」とは異なる、ボクの(自称)青春時代。

幾つになっても、心は高い空を駆けることが出来るはず。
年齢ではない、心の持ち様なのだと、つくづく思う。

ん、このフレーズはどこかで‥。
そうだ、サミュエルウルマンの詩「青春」だ。

辞めた会社に、そんな青春のあり方について身を以って示し続けた経営者がいた。颯爽とこの世を去っていった彼から教えられた詩が、ウルマンの「青春」。東西を問わず政財界では有名な詩ではあるようだけれど、それだけ誰の心にも残る普遍性があるのだろう。
政でも財でもない、ただの中年にも染み入るこの詩(‥をここに記すのは止めておこう)。

などと書いているが、たいした青春時代を送っていないボク‥。
いつまでも青春セイシュンせいしゅん‥と言い続けているのは、青春らしい青春をしてみたいだけなんじゃないのか‥。
なんだかそんな気がしてきたので、ここらで筆(キーボード)を置くこととしよう。

ねこがきた

ねこがきた ねこがきた どこに来た 山にきた 里にきた 野にもきた~
なんとまあ、猫だらけの今日この頃。

童謡の替え歌は置いておいて、実際に猫がきたのは我がクライアントのお宅。
「猫さんがきました、おしらせします」とメール。
添付された写真には、ガラス越しにこちらを見つめている子猫。
「キュン‥」
品の良い青を帯びたグレーの毛並み、クリッとした瞳。
ジーっと見つめてしまうが、相手はもちろん動かない。

そういえばボクにも思い入れのあるネコがいた。
‥子供の頃のハナシ‥
庭から、みやぁと鳴き声がした。そこには蚊に刺されて目の周りまで腫れ上がった子猫。
当時ウチは田舎の一軒家だったので…。

「かあちゃん、オラこの猫飼うだ」
「あかん、バアちゃんちさ連れてけ」

いなかのオラんちから、新宿の祖母ちゃん宅へお輿入れ。電車にのせてガタンゴトン。
なんでそうなるのかニャー。

しかし、この猫がとても良い猫に成長した。
祖母ちゃんが風邪ひいて寝込んだら、ネズミを捕まえて枕元に持って来たことがあった(‥困るが)。
朝、布団と一緒に畳まれたこともある。探してもいない‥。夜に布団を敷くと、ゴロンと。一日中鳴きもせず小便もせずにじっとしていたのだという。
そしてオラもその後東京に戻り、再会。膝の上に乗るこの猫と多くの時間を過ごしたとさ。
おしまい。(上写真はイメージです)

閑話休題

「ねこと暮らしたい。でも‥」という人は多いようだ。

昭和から平成初期の分譲マンションでは「ペット飼育不可」の管理規約が多数を占める。
当時、国が定めた標準約款だろうか。テラスハウスやひな壇住宅など、独立性の高さなどを理由に敢えて飼育可に変更する場合などを除き、分譲会社の多くは右に倣えの雛型を採用したわけだ。

管理規約が(入居・組合結成時に)一旦発効すると、その後の規約変更は簡単ではない。「ねこを飼いたいぞ!」という変更議案に、半数以上の区分所有者が賛成しなくてはならないのだから。

ところで、冒頭のクライアントがめでたく新しい猫を迎え入れた建物は、竣工当初からペット飼育が可能だったわけではない。
管理規約を改正して可能となった経緯があるようだ。管理組合役員や愛好家の頑張りがあったのかもしれない(実は、内緒で飼育される事例が散見されたらしい。その問題解決策として「飼うならきちんと責任を持って飼う」と動いたと聞く。何がどう転ぶかわかりませんな)。

猫のために住まいを購入する、良いなそれ。

猫ばかり書いていたからではないが、タイミングよく別のクライアントから「ワンコいいわよね」と言わんばかりの写真が届いた。迎えて1年の誕生日だという。たしかにこの子、人懐こくてカワイイのだよ。

ネコるべきかイヌるべきか、それが問題だ
飼い主ながら下僕にもなり得る境遇を喜びそして耐え忍ぶか
それともぺろぺろ攻撃を真っ向から受けて立つ交歓か

どちらも、どちらでも良いじゃないか。
でも悩む、揺れる心と秋の空。

街の居場所

思い立って眼底検査に行った。若い頃、網膜裂孔が見つかりレーザーでバチンと縫ったことがあるので、たまーに診てもらうのだ。
人気医院の当日WEB予約分はすぐ満杯。
残りの方は「直接出向いて、空き待ちをしてください」だって。
まあ暇だし、行って待つとするか。

受付:
「今、32人待ちです。今日は混んでますねー。状況はアプリで随時確認できますから、あと10人待ち位になったら医院に戻ってください。それまでお好きなところに居られて結構です」
ボク:
「はい、わかりました」

アプリ片手に街に出る。
「用もないのに」街に居続けるのは、いつ以来だろう。

「いやー、たまにはじっくりと店を見て廻るものいいなー」と書店に入る。
新書、専門書、さらには雑誌コーナーへふらふらと。

時計を見る、「なんだ、まだ30分しか経っていないぢゃないか」
アプリを見る、順番待ち人数は全く減っていない。

それでは、家具雑貨の店。「以前ここで展示用小物や照明を買ったな。今は要らない」
では次に、輸入食品の店。「今食料を買ってどうするのだ。医者に持っていくのか」
うむ、ユニクロにも入ろう。スタスタ、すたすたすた‥‥ひたすら歩く。

もう飽きたゾ疲れたゾ、持ってきた本を読もう。
店内エスカレーター脇にチェアが。
座ってみる。
これは厳しい‥。
すぐそこに立つ店員さんの視線に耐えきれないのだが。
文字は読むが、文章がアタマに入ってこない‥
いたたまれない。1分で席を立ってしまった。

街に目的もなく居るということが、こんなにタイヘンだとは。
ただフラフラするだけのオラは、もしかしてタイヘンの反対のヘンタイなのか。
街とは何かをする人だけが来る場所。そうなのかもしれない。

以前からそうだっただろうか。
もっと雑多で、キレイじゃなくて、ふらふらと様々な人が行き交っていたのは記憶違いか。

隅々まで清潔で快適、行き届いた街は安心で安全ではある。
でも、きれいに統制のとれた街はピシッとしていて、隙間がない。
少し窮屈に思えてきたりする‥。

そういえば、最近の歩道や公園施設を思い起こすとさー、
「立って腰掛けるオブジェのようなベンチ」は長居できない。
「仕切りを入れたベンチ」はゴロンと(するかどうかは別として)横になれない。
ましてやそんな場所で日がな一日ボーッとしていたら、怪しまれてしまうかもしれない。最早、ゆっくりのんびりする場所ではないのだ。
余計にもっと言うと、新宿地下通路の端には、上部が斜めカットされたカラフルな切株がワーッと生えている。趣旨が違うかもしれないが、この場所は何もしてはいけない場所。ゆっくりできない場所と言える(もちろんその意図はわかるが)。

ただ、そこにいることが難しい公園。
タダで、そこにいることが難しい街。

街はお金を出してモノやサービス、居場所を買うところ。
だからプチ消費者になればいい。スタバに入ればいいのよね(わし、ドトールがよいが)。

「おーっ15人待ちだ。もう午後なんですけど。チカレタよ、医院でわたし待つわ」

医院へ戻りながら、ふと商業施設1階の入口を見遣る。
風除室には長いベンチがある。
高齢の女性たちが押し込められたように鈴なりに座って、外を見ていた。
ここに一緒に座らせてもらえばヨカッタかも‥

今、そんなどうでも良いことを書いていたら、学生の頃を思い出した。

ひとりぼんやりと受けた授業の帰り、乗換えの日比谷駅。
ひとり日比谷公園の「ながーいベンチ」に「寝そべって」いた午後。
目を閉じていても透けて見えるような、強い陽射しの青い空だった。

「ベチャ」

胸のあたりが、しっとりと生温かいの‥
目を開けるのがコワイわ‥
「ながーい」からといって、青空の下で無防備に寝転んではアブナイのだ。

暑さ寒さも‥

買取再販。
買い取った不動産を再び販売する「お商売」のことをいう。

「買取」+「再販」と表記する通り、「安く買い」+「高く売る」。つまり「リフォームの有無」や「リフォームの程度」は買取再販の定義に入らない。

誰がこれをシゴトとしているのか…。
まず、上場している買取再販専業の独立系(再販大手と呼ばれる)やそれに準ずる業者。
それから、大手仲介会社の一部。仲介のついでに「それならウチで買いますよ」と、「いきなり再販業者」に変身する。
それらを頂きとすると、裾野にはウチのような零細がゴマンとある。まさに種々様々である。
事業への障壁が低いので(ホントウに低いのかは別として)、不動産業者はみーんな再販業者(or予備軍)とさえ言えるかもしれない。

不動産業の要諦は立地と価格(端的にはそういうこと、つまらん話だけど)。室内はきれいに越したことはないが、内装が素晴らしいからといって高く売れるわけではない。そういえばボクも、仲介の大先輩に「お前、内装にそんなにカネかけるのかよぅ」と呆れられたことがあった。

そんな不動産業界ではあるが、ここ10年位でリフォーム・リノベ工事の基準なども整理されてきた。「安心して住めるリフォーム済マンション」というカテゴリーもポピュラーになったように思う。
この変化は不動産業界単体というよりも、建設業界との際(きわ)の部分に起きた変化。つまり近そうでいて実際は遠く、溝が存在する「不動産業界」と「建築業界(設計も)」の接点部分における進展なのだと思っている。そう、二つの業界が近づくと物事が進化する。進化のポイントは業際にあるんじゃなかろうか。

但し、大手が参入すればするほど、早く安く大量に均質なモノづくりが進む(中古マンション自体は均質ではないが‥)。それは新築マンションの供給と同じ方法。だから破綻なくキレイではある。

となると、そのリフォーム内容は無難で、万人が受け入れ可能なものになっていくのだろう。別にそれが悪いわけではないが。(でも「万人」という「個人」は存在しないから、誰も喜ばないということもあり得るな‥)

であればこそ、ウチも常日頃「誰にでも受けるリフォーム物件」にすべく、時には「振り切りたい衝動に駆られて」脱線し(かけ)ながらも、あるべきセンを守ってきた(つもりだ)。(ホントウか‥)

そんな日々の中で、最大公約数を旨としない個別リフォームを(たまに)ご一緒することもある。そう、「たまに」ご一緒するのがちょうどいいのだ、ボクの場合。

上のリフォーム写真には、リフォーム主のご実家にあったステンドグラスが使われている。「いつかその機会があれば」と倉庫に眠らせていた建具だという。子供時代の懐かしい記憶が埋め込まれた、唯一無二の住まい。

彫金が施された蓋つき鏡のアンティークも施主所有品。壁には色むらが味わい深いモザイクタイル、そして仲良く並ぶステンドグラス‥。実は玄関を入った正面にも、帰った人を迎え入れるようにステンドグラスが嵌め込まれている。
明かりを灯すと、温かく懐かしい。時と場所を越えて、何処か遠くに居る気がする一角となったと思う(夕刻時には一層のことだろうな)。

ちなみにこの施主は服飾デザインの専門家。建築と服飾、どちらもデザインという領域でつながっている。今回のリフォームにおいては、(自邸であるから尚更のことだが)隣のデザイン領域での豊富な知見が生き生きと発揮されていた。

領域の際(きわ)に神は宿る。あちらとこちら。お彼岸に寄せて、そんなことを思ったワタクシだった。

秋へ!

夏が白い波をあげて沖へ去って行く
離島へ向かう客船を追いかける波跡のように
さらば夏よ、また逢う日まで‥

ナンチャッテ。
いまわ~もぅあき~ だれも~いないうみ~♪
ご存知ないですよね、トワ・エ・モア。なにせボクが生まれた頃の唄ですから‥。
そんな古い歌が口をついて出てくる、秋のはじまり。

いつもなら夏のうちに、北海道から大きな秋刀魚の初物がやってくる。ちょっと高いけどこれは特別だね、と奮発して買えるくらいのヤツ。その時ばかりは熾した炭をテラスに置き、夕闇に乗じてじゅう~っとやる。小さな楽しみ。

そんな「もうすぐ秋がやってきますぜ!」の号砲(さんま)が夏に鳴り、しばらくして本当の秋が来る。すると(既にサンマを食べているので)身も心も、秋を迎える準備万端‥
‥だったのだが今は違う。何の心の準備もないままに、いきなり朝の気温が下がる、秋の風を感じる、ときている。
なんだ、いまはもうあき、なのか?

もちろん今夏も、我が町に秋刀魚が来なかったわけではない
でも細くて高っか~いのよ
さらばサンマよ、また逢う日まで‥

というわけで先日、千葉産の小さめ鰯を買ってみたら、これがサンマに負けず劣らず良いではないですか。サンマの場合は教条的に塩焼きとなってしまうのだが、その点イワシは気分がカジュアルでフレキシブル。和洋なんでもござれだ。頭を落としてキレイなワタ(サンマでは喰うが)を抜いてみると、うーむ思った通りの身。芋とニンニク、摘んだローズマリーを絡めてオーブンに放り込むだけ、あー簡単。

(‥待つこと暫し‥)⏳

旨いぢゃないか!秋もイワシに限る(負け惜しみではない)。

というわけで、アジだイワシだサンマだと庶民的な青魚があればタイチョウプなワタクシ。なんだか「さんまロス」を乗り越えられそうな気になってきたゾ。

そうだね、秋へ行こう!

永遠と耐用年数のあいだ

森瑤子さんの「デザートはあなた」は、日本がバブル華やかなりし頃の小説。岩城滉一さん主演でテレビドラマになった当時、ボクも毎週日曜日の夜にボォーっと観ていました。なぜ曜日まで憶えているのかって?初任地福岡の日曜夜は、週明け1週間分のアイロン掛けが恒例だったから。アイロンと岩城滉一はセット物なのです。

主人公は大西俊介(岩城さんね)、世界最大の広告代理店(電○のこと?)に勤務する独身貴族。食と文化貢献(サグラダ・ファミリアへの支援。実際に日本人彫刻家が活躍していますね)、そしてバイクとヘミングウェイを愛する色男という設定です。先代から相続した土地に建てた外国人用アパートメントに自らも居住しているという‥。

今ならば「ちょっとねー」ではありますが、当時の空気を表していたとは言える。自宅に招いた美女を前に、丹精込めた料理を振る舞った挙げ句「デザートはあなた‥」に毎度逃げられる大西。親友役と主題歌には忌野清志郎さん。いい味が出ているドラマでした。

Question.ここで問題です。次の文中の[  ]に入る数字はいくつでしょう?

北軽井沢に建設中のホテル開業に合わせて壁画制作を請け負う女性美術家を、大西が陣中見舞いに訪ねる。大西の「君の仕事は永く残っていいね」という一言に返ってきたのが、「そんなことないわ。コンクリートの寿命は何年だと思うの 、[ ]年よ。私の作品も[ ]年後には朽ちた建物とともに瓦礫となるのよ、アーメン」という美術家の言葉。

Anser.さて答えは、ご想像にお任せします(怒!)

当時はまだ古いコンクリート建物が今ほど多い時代ではありませんでしたし、建物や設備の更新工事も今ほど普及していなかったことでしょう。法定耐用年数が建物の寿命だと言う人もいた時代ですからね。

小説中には、更にこんな会話もありました(※全て要約です)。

大西「それにしても何だよね、このホテルもここに建つ必然性が感じられないね。どうして日本には、踏み入れた途端にドキドキするようなホテルがないんだろう」

女性美術家「そうね、セビリアのアルフォンソ十三世みたいなホテルね。でも唯一の救いは私に壁画を頼んだことよ」

そんな登り坂の時代が表現された小説ではありました。翻って(少しは枯れた)現在の日本は、より周囲に馴染む建物をつくっていると思いたい。そして、そういう建物を造るようになるまでには、現在に至るまでの時間と経験が必要だったとも…。

と書いたものの、難しい問題はわからないので置いておくとして。いずれにしても、コンクリートの建物も(永遠ではないとしても)長寿ではあって欲しいところです。

ところで、今年の夏。蝉しぐれを聴きながら汗をかきかき出掛けたのは、10年以上前にウチが初めて手掛けた団地、そこにある隣の住棟。

当時でさえ齢四十を超えていたその団地は、いまや五十余にして益々健在です(先の女性美術家によれば、もう「アーメン」ですな…)。10年余の歳月なんてへいちゃらョと言わんばかりに、当時と変わらぬ姿で存在していました。

より永遠に近い建造物であるのが石造り。それが持つ悠久の時間のようなものを、「より耐用年数に近い」コンクリートの白い箱に見い出した気がしたものです(気のせいですか)。

蝉の声を聞きながら、そんな一瞬の小旅行(トリップ)となった夏の一日でした。

振り返っても、みどり‥

夏休み。湯河原にある別邸のテラスからパシャリと一枚。抜けるような青い空、濃くなった樹々の緑。外は焼けるような暑さですが、室内は快適。時たまテラスに出て写真を撮るくらいであれば、却って夏の暑さを楽しめるってもんです。

「別邸での早朝は、浜辺の散歩から始まります。お気に入りのパン屋に立ち寄って、朝食用バゲットを買い求めるのが日課です。日中は溜まった本を読んだり、町の温泉場に足を伸ばして温泉に浸かったり、のんびり過ごすことが多いですね。」

ヌワンチャッテ…。こういう投稿(雑誌モデルのコメントみたいなヤツね)、一度やってみたかったのだ。へへへ

けど…

これは妄想。おいらに別邸なんて無いもんねー。それに、この写真は湯河原じゃなくて、都心20km圏だし。

もうお分かりでしょう。実はこれ、ウチのリフォーム予定物件です。

でもね、この景色どうですか。これなら湯河原でなくても、別荘じゃなくても良いんでないの。ここには温泉湧いてないし、海もない。けれど温浴施設はあって、気の利いた鮨屋だってあるゾ。何なら漁港の代わりに、近所の市場でプロに混じって鮮魚を手に入れたってよいのだ(ククっ、苦しい置き換えだなぁ…)。

というわけで相変わらず、樹々のミドリが溢れる物件に手が伸びるワタクシ。先日も似たような写真を載せましたネ、でもコレまた別モノ。

ホンモノの別荘を持つのはキビチーけど、近郊で別荘的住まいならニャンとかなる。そんな暮らしは、金銭的にも精神的にも良いんでないかい、と思うのです。

おまけにこの物件、反対側の窓もスゴイんですよ。道路側ですが、こちらも窓外の眺めは青空と緑(電線がありますが、これはしょうがナイス。ここは日本、普通の街ですからね)。もう充分に素敵です。

そんな感じのこの住戸。両面に広がる緑の開口を活かして、光と風の抜ける部屋に「ヘーン、シン!」中てす。またひとつ、心地の良い暮らしが生まれますように。

整理整頓

今年は早い梅雨明け、と思いきや、戻り梅雨。そしていよいよ、容赦なく日射しが照りつける夏本番です。

と季節を謳ってみるも、暑かろうが寒かろうが現場には関係がない。休みになるわけでもない。そこに物件がある限り、工事は続くのだ…。

ところが、続くはずの工事が突如として止まってしまう。そんなことに気を揉む日々がありました。

写真の端、床に敷き込まれているのはパーティクルボード。新規二重床に必須の建材です。最近、これがもう市場から蒸発してしまって、タイヘンなことに。問屋にも店頭にも無いわ、ネットにもない。

そういえば、今春には給湯器が入手困難になり、工程の調整に難儀しました。しかしパーティクルボードが無かったら、もっと大変です。だって床がないと工事が始まりませんから(壁を先行するなど時間稼ぎもありますが、限界がありますよね)。

「池田さん、仲間がパーチ仕入れたってさ。その仕入先がまだ倉庫に持ってるんじゃないかって。値段は(倍以上)高いけど、最後はソレっすかネ」

「そだね…」

出来れば避けたいけど、あるだけマシか。普通に待っていたら工事が始まらないうちに予定した工期が終わってしまうゼ、トホホ…。

そんな「あるだけマシ」な状況が続き、最後の手段を講じる期日が迫る中…、果たしてウチは(何故か)パーチの確保を完了しました(もちろん通常価格です)、パチパチ。よって、スケジュールも予定通り。うーん、何とツイているのか。これは日頃の行ないの賜物と言えよう、オホン(笑、誰のだ?)

さて、上の写真に戻って大工さんの作業台。始業前に立ち寄ったのですが、ご覧の通り。木材の切れ端が整然と並び、床用ボンドまで横に添えられています。よく見る光景。

いつ訪ねても、材料と道具がキレイに並んでいる。まだ使えそうな端材は、寸法ごとに揃えて立て掛けてある。そんな所作がよく似合う、気持ちの良い大工さん。その清々しさは、小ざっぱりとした割烹の大将が醸すキリリ感、それと相通ずるものを感じます。

建築資材はもちろん有って欲しいけど、なんと言っても人あっての現場です。ボクの描いたフニャフニャの落書きを、アレコレ修正しながらビシッと仕上げてくれる人たち。暑さ寒さがあろうとも、(欠品がなければね…)予定通りに現場は進む。そう思える安心感はとても大きいことです。

ところで、品薄のパーティクルボードが無事に確保出来たのは、誰の行ないの賜物かって?

それはどうやらボクではなくて、現場を仕切る職人さん達のお陰様、というわけですね(笑)