夏・野菜・畑

この夏も、元気な夏野菜@市民農園のお裾分けをたくさんもらいました。

キュウリ、トマト、枝豆、オクラ、ゴーヤ、ししとう、モロッコいんげん、モロヘイヤ、空心菜‥。(とうもろこしとかないの?なんていいません‥)

もらったら、あれこれ考える前にどんどん食べないと‥。キュウリだったら冷して縦二つに割り、味噌やマヨネーズ、スパイスを載せて端からバリバリとやる、それも毎日‥。ミニトマトなら山盛りを一気に湯むきして、大きなホーロー容器に冷しておく(つるんと剥いて詰め込むと、キラキラときれいです)。それを朝に夕にと口に放り込むわけです。

もちろん、どっさり採れた時にいただくのですから、欲しいものを選んでもらうわけではありません。突然ドーンときて、忘れた頃にまたドーンといただく‥。ドーン、ドーンと寄せる波のような収穫に夏のチカラを実感したり。

そういえば文筆家(?)の玉村豊男さんが長野県東御市で拓いた「農園」ヴィラデスト。そこでの(初期の)日常を描いた著書でも、湯むきしたトマトをひたすら瓶詰(煮沸)する光景を見た記憶があります(それはまぁ素晴らしいキッチンですから、何をするにも絵になりますよね!)。併せて、あっという間に肥大するズッキーニと格闘(つまり、ひたすら食べるということ)する姿もあったような。ハハハ、夏の畑というのは大変なものです‥。

ちなみに、実は広い階層がトマトを食べるようになったのは、ここ百年程度のことなのに、いつのまにか(日本人からみると)トマトを使った料理がアイコンのようになったイタリア(南部)。この地の一般家庭においても、夏は一年分の(ビン詰め)トマトを仕込む時期なのだそうですよ。おっと、脱線しかけました‥。

農園といえば一般的には、農地所有者もしくは管理をする農協(JA)が貸し出す市民農園が相場でした。それら市民農園は一見雑然としていますが、よく見てみるときれいに畝が立ち、整然と作物が育っています。手慣れた方々ばかりと見え、新参者には敷居が高そうな感がありますね(実際はそうでもないのでしょうが‥)。

一方で最近は、民間企業が運営する農園を目にします。

これまでの市民農園にあった高い敷居と大きめの区画面積をグッと下げ、その代わりにサポート体制で利用料金をグッグッと上げた感じでしょうか。利用単価で比べると市民農園のひと回りどころか10倍にもなりビックリですが、気軽なレジャーと考えればそれでも充分に安価とも言えるでしょう。用具貸出しや種の提供、アドバイザー駐在などサポートが厚く、ひとりでもみんなでも楽しめそうです。

変わり種として、ウチの事務所に近い成城学園前に、ちょっとオサレな畑があります。ここは元々農地でなく(なので農園の定義からは外れますね)、地下化された線路の頭上に蓋(人工地盤)をした民有地。もちろん小田急が運営しています。成城らしいと思うのは、ラウンジやシャワーが付属すると共に、「水遣り」や「手入れ代行」というメニューがあること、もちろん有料で‥(笑)

さて、どうでもよい話を書き連ねました。そんなことより、たまった野菜をどうしたらいいんだー。ゴーヤもたくさん? ‥チャンプルーって言ってもさ、そんなに食べられないしナ(得意ではない、レパートリーも少ない‥)。

ということで今夏は、あれもこれも一気に鍋に放り込んで「素揚げ」にして解決したという次第。めんつゆの入った壺にでも浸けておけば、そのまま酒のお供にしたり、保存も応用も利きますし。まだまだ暑い日が続くので、素麺などにもいけるしねー。

めでたしめでたし。《おわり》

休暇小屋

「休暇小屋」、なんて素敵な響きでしょう。

バカンス、リゾートでなく「休暇」。別荘、コンドミニアムなどと呼ばずに「小屋」。素朴で飾りがなく、気が置けない、そんな匂いがします。サンダル履いて、ひねもすのたり、かな‥。

休暇小屋と名が付く(但し日本語に直して‥)有名どころに、「カップ・マルタンの(休暇)小屋」と呼ばれる海辺の小さな別荘があります。

建築家のル・コルビジェが自身(奥さん?)のために建てた8畳ほどの極小住宅で、地中海沿いに位置します。都市計画や大規模集合住宅も手掛け、都市に暮らした建築家の終の棲家(頻繁に出掛け、そこで亡くなったという意味で)が海の小屋であったのは意外というか、頷けるというか‥。ちなみにこの小屋はたった8畳ですから、さすがにキッチンはありません。知人が営む食堂と接続しているというわけですが、これまた魅力的な仕掛けですね。

彼は両親のためにも小さな家を建てていました。「レマン湖畔の小さな家」と呼ばれる約60㎡(もう少し大きい?)の建物は、10m超の連続した窓から湖を望みます。実際、お母さんが長く暮らした、簡素ながら居心地の良さそうな住まいです。無駄なくシンプルな間取りの平屋住宅ですから、平面マンションに関わるボクはその図面や室内写真をしげしげと眺めてしまいます。

日本の建築家も新旧問わず、小屋好きはたくさん居られるようです(ボクはその世界をよく知りませんが)。フランク・ロイド・ライト→レーモンド(以前のボクの事務所近くに、この創業者名を冠した設計事務所がありました)の系譜に連なる故・吉村順三氏が、自らの別荘について語った有名な一節があります。

「山荘は贅を尽くした建物である必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場でよいと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。この山荘に私が求めたのはそれだけです。」

それって「軽井沢の山荘」に限ったことではなく、日常暮らす住まいにもそのまま当てはめたいことじゃないですか。少なくとも庶民の場合、ボクの場合は‥(著名建築家の場合は、敢えて山荘に限った定義とする必要があったのかもしれませんが)。

そして今、この流れは中村好文さん(この方の事務所名はレミングハウスです、ネズミの‥)など現役の方々に受け継がれ、さらにたくさんの建築家が連なっているのでしょう。

さて、話が逸れて大きくなりましたので、小さく戻すと‥

ボクのイメージするところの「小屋」は、そんな先生方の「小屋と呼ぶ作品」と比べるべくもなく、もっと素朴でラフで安価なもの(でも、現場はきちんとやってくれますから、テキトーではありませんが)。

日常の住まいでさえも、心惹かれる休暇小屋のように感じることができたら‥。ということで、上の一節を‥

「住まいは贅を尽くしたものである必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場で良いと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。住まいに私が求めるのはそれだけです。」

おー、まるでウチの販売物件の紹介文みたいになりました。そのまま載せたら、(それ単なる受け売りだと)ご指摘受けてしまいそうですけどね‥。

夏休みの

「あおいそら、しろいくも」

小学校に入学して、はじめて開いた国語教科書に載っていた言葉です。その言葉だけ、春の空気感と共に記憶しています。他のことを覚えていないのは、あっという間に馴れて擦れてしまったからでしょうか。

そういえば、中学校で最初の英語授業‥。「じゃあ、みんなで!」と一斉に発声した「たーいがっ!」。爺ちゃん先生の焦げ茶のジャージと共に切り取られています。なお、「たーいがっ」は「tiger」。でもって、プーさんの仲間のトラは「ティガー」ですね。

さて、同じ「青い空、白い雲」でも上の写真は夏の盛り、大きな団地の一角です。脇のベンチに座った親子が自販機の飲料を手に話し込んでいましたが、じきに立ち去ってしまい、聞こえるのは蝉の声ばかり。

大きく育った樹々、高くて青い空、ジリジリと照る日射し。時が止まり、いつまでも続く夏休み‥。そんな気がする日曜日、お昼前のひと時です。

それにしても、「青い空と白い雲」を引き立てる「樹々」が大きく豊かなこと! 当時の団地は空地が大きく取られており、そのほとんどに何らかの植栽が施されていたのですから、何十年も経てば自ずと公園のようになるわけです。

航空写真を見るとわかりますね。戸建や集合住宅がギュッと詰まった密度の濃い住宅地のなかで、縮尺が違うのではと思うような一画があるのです。白い箱が点在し、その隙間を埋めるように緑が見える。まさにその場所が公団の分譲団地です。

当時の団地開発に際しては、できるだけ敷地外に土を出さないことを原則としていたと聞きます。造成を最小限に抑え、従前の敷地形状を活かして建物を配置していったのでしょう。歩いてみても確かにその通り、建物ごとに地盤面の高低差があり、建物の向きも大きさも、微妙にまちまちです。四角い豆腐のようだと揶揄される建物が並びながらも、決して無機的ではない空間だと感じます。

今となっては新たに望むべくもない、ずっと夏休みのような場所‥。いつもはバタバタと往き来する団地ではありますが、ふと立ち止まり、改めてそんなことを思ったわけです。