休暇小屋

「休暇小屋」、なんて素敵な響きでしょう。

バカンス、リゾートでなく「休暇」。別荘、コンドミニアムなどと呼ばずに「小屋」。素朴で飾りがなく、気が置けない、そんな匂いがします。サンダル履いて、ひねもすのたり、かな‥。

休暇小屋と名が付く(但し日本語に直して‥)有名どころに、「カップ・マルタンの(休暇)小屋」と呼ばれる海辺の小さな別荘があります。

建築家のル・コルビジェが自身(奥さん?)のために建てた8畳ほどの極小住宅で、地中海沿いに位置します。都市計画や大規模集合住宅も手掛け、都市に暮らした建築家の終の棲家(頻繁に出掛け、そこで亡くなったという意味で)が海の小屋であったのは意外というか、頷けるというか‥。ちなみにこの小屋はたった8畳ですから、さすがにキッチンはありません。知人が営む食堂と接続しているというわけですが、これまた魅力的な仕掛けですね。

彼は両親のためにも小さな家を建てていました。「レマン湖畔の小さな家」と呼ばれる約60㎡(もう少し大きい?)の建物は、10m超の連続した窓から湖を望みます。実際、お母さんが長く暮らした、簡素ながら居心地の良さそうな住まいです。無駄なくシンプルな間取りの平屋住宅ですから、平面マンションに関わるボクはその図面や室内写真をしげしげと眺めてしまいます。

日本の建築家も新旧問わず、小屋好きはたくさん居られるようです(ボクはその世界をよく知りませんが)。フランク・ロイド・ライト→レーモンド(以前のボクの事務所近くに、この創業者名を冠した設計事務所がありました)の系譜に連なる故・吉村順三氏が、自らの別荘について語った有名な一節があります。

「山荘は贅を尽くした建物である必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場でよいと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。この山荘に私が求めたのはそれだけです。」

それって「軽井沢の山荘」に限ったことではなく、日常暮らす住まいにもそのまま当てはめたいことじゃないですか。少なくとも庶民の場合、ボクの場合は‥(著名建築家の場合は、敢えて山荘に限った定義とする必要があったのかもしれませんが)。

そして今、この流れは中村好文さん(この方の事務所名はレミングハウスです、ネズミの‥)など現役の方々に受け継がれ、さらにたくさんの建築家が連なっているのでしょう。

さて、話が逸れて大きくなりましたので、小さく戻すと‥

ボクのイメージするところの「小屋」は、そんな先生方の「小屋と呼ぶ作品」と比べるべくもなく、もっと素朴でラフで安価なもの(でも、現場はきちんとやってくれますから、テキトーではありませんが)。

日常の住まいでさえも、心惹かれる休暇小屋のように感じることができたら‥。ということで、上の一節を‥

「住まいは贅を尽くしたものである必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場で良いと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。住まいに私が求めるのはそれだけです。」

おー、まるでウチの販売物件の紹介文みたいになりました。そのまま載せたら、(それ単なる受け売りだと)ご指摘受けてしまいそうですけどね‥。

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