ないものは、ない

相も変わらずの雑記を書き散らかしているワタクシ。このページへの入口は狭ーく、我が事務所Website上の「代表イケダの雑記」という小さなボタンのみ。内容が薄い上に、その内容自体が各回の表題とも微妙にズレていて‥。

にもかかわらず、幾つかのページが(あるワードでの)検索上位でヒットするようで、それ経由でたどり着く例があるみたい。本文を読むと(表題と)全然関係がなかったりする訳で、さぞガッカリなことだろうと思うケド。まあ、いいか‥。

さて最近、安藤忠雄さんのインタビュー記事を読んだ。

今回知ったこと。安藤さんは10年ほど前に二度にわたる手術を受けて、合計五つの臓器を摘出したのだという。ひとつづつ挙げると胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓(すいぞう)、脾臓(ひぞう)。以上で五つ‥。

「先生、そんなに取っても生きとるもんなんですか」と安藤さんが問うと、

「生きとりますが、元気な人は居りませんなぁ‥」と先生‥。

これはさすがに堪えたようだが、覚悟を決めたという。曰く「五臓がないなら、ないように生きる」。(※この辺りは読後の記憶に頼っているので、細部が多少不正確かもしれません、悪しからず。)

「ないなら、ないように」‥そうは言っても、なくてはならないモノもあるでしょうが‥。

安藤さんがそんな覚悟と諦めを持って乗り越えてきたのは、今回に始まったことではない。有名な話だが、若い頃にはお金と学力が足りず(‥※本人談ですよ)、大学で建築を学ぶことは諦めた。そして、ファイトマネーが入るプロボクサーとして生き始めるも、天才と出会い自らの限界を知ってその道を諦めた。でも絶望せずに「ないなら、ないように」と思い直し、古(いにしえ)の神社仏閣に習いながら独学で建築を修めたと言う。

‥果して、術後の日常は数値を測ったり、食事をゆっくり摂ったりと気を遣う必要もありながらも、(それなりに)良いこともあったのだと(ご本人は言う)。そして誰もがご存じの通り、変わらぬ活躍を続けているのだ。

最近では出身地大阪の中之島に、子供のための本の森(こども用のモジュールでできた施設、圧巻の全面本棚!)を自身の負担で建築している。過去の大坂商人たちが、育ててくれた町に施設をつくり恩返しをしたように、自分も同じようにするのだと。(それ以外にも桜の植樹を始め、多くのことをされています。念のため‥)

超人過ぎて参考にならず、ましてや比べる気にもならないが、やはり言葉が心に残る。「ないなら、ないように生きる」。

そんな生き方はマネできないけれど、せめて「ないものは、ない」と心を定めることくらいは出来るはず。

上の写真はなーんにもない、スケルトンの室内。

「ないものは、ない」のだが、逆に「あるものは、ある」と思う。

つまり「ないもの」の代わりに、「なにか」があるはず。

それは光か風か、それとも時間、それとも‥‥

さあ、この空間を何で満たしていこうか。

水は青いか

北アルプスの山々を背にする盆地、安曇野。イメージするのは清冽な水と空気、そして光。日本のそんな場所で、企画から製造まで一貫して行われているPCがあります。

そう、VAIO。少し前にSONYから分離独立する形で歩き始めました。

安曇野といえばSONY時代のハイエンドPCの生産地。海外製造が全盛の時代に、Made in Japanとして安曇野から送り出されてる製品群がありました。

久しぶりにサイトを覗いてみたのですが、以前と変わらず、いやそれ以上にmade in 安曇野を突き詰めた取り組みが語られています。

なにより、舞台が安曇野であることが良いじゃないですか。松本、安曇野、上高地‥。静かな知性を感じさせる城下町とその周囲の圧倒的な自然。それを想い浮かべながら開くPCには、北アルプスの水が流れ、風が抜けるようです。アルプス伏流水がPC内を循環し冷却する、水冷式ノートPC。そんなんないか‥。

SONY時代と比べれば小さな会社となり、以前のようにファッショナブルで尖った製品群をラインナップすることは難しい。更に、今や汎用品と化したPC市場では、戦う土俵は限られている。VAIOはそんな困難な状況を承知の上で、日本の技を磨きぬくことで突き抜けようとしている、のだと思います(拍手)。(もちろん、PC以外の事業にも乗り出していることは言うまでもありませんが‥)

言ってみれば「レッドオーシャン」を、(裸一貫‥?)技術と信念で泳ぎ抜くような‥。

なんて、「高みの見物」よろしく外野から云々している場合ではアリマセン。ボクのいる不動産業界(特に再販、つまりリフォームして販売するというヤツね)、よく考えたら真っ赤っ赤ですよ、別の意味で。

「レッド」ではなく「ブルー」の分野を見出し(若しくは創り出し)、儲かるところに軸足を移していくことも経営には必要なことでしょう。でも、そうでないところで踏ん張る人達もいる。

赤くても青くても、どんな海にも人(魚か?)が暮らし、日々ひとりひとりとの対話があります。だからでしょうか、そういえばボクは自分のいる海をブルーだレッドだと考えたことがなかった。つまりボクは経営者ではないのでしょう。だってねぇ、好きな仕事で泳ぐ海がいまさら真っ赤だといってもねぇ‥。

点滴石をも穿つ‥。

ある時気づいて顔を上げたら「真っ赤に染まったこの海」が、かつての地中海がそうだったようにように「昔の青い海」に戻っていた、なんてことはあるでしょうかねえ。

三人の日

ようやく立春。高くなった日射しと凛とした空気が混ざり合う感覚は、この季節ならではです。

春という字は 三人の日 と書きます あなたと私と そして誰の日?

と始まる懐かしい歌は「春ラ!!!」。石野真子さんのヒット曲、ご存知ですか(一体、誰に聞いているのか‥)。続く歌詞は、

あなたが好きになる前にちょっと 愛した彼かしら 会ってみたいな久しぶり 貴方も話が合うでしょう 三人揃って春の日に 三人揃って春ラララ♬

‥というもの。なんでそんな男と会わなきゃならんのだ‥。

今改めて考えると、とんでもない歌詞ですが、まあそれはいいや。当時小5だったボクにはどうでもよいこと。春には感傷的な歌が多いですが、この歌はカラッと振り切っていて、これもまた良しか‥。

ちなみに、手元の常用字解(白川静著)で確認すると、「春」という字の由来には、当然ですが「三人の日」はありません(笑)。草が力強く生えてくる様を表す中国2000年前の文字が元になっているのですね。

真子さんといえば‥。ボクが中1になる頃、(ゴダイゴ〈GO DIE GO、つまり輪廻転生か〉がテーマソングを歌う)ポートピア博覧会に行こうぜ!と友達と二人、神戸の叔母を頼って出掛けたことがありました。

海に浮かぶ未来都市ポートアイランドは、残念ながらあまり記憶がありません。覚えているのが、灘中高の校門(アホか‥)、そして石野真子さんの実家界隈(叔母に教えてもらったのだ)。どーでも良いことだけ覚えているものです。

そう、当時のボクは真子さんのファンだった。サインだって書けるゾ(あと王貞治さんもね)。そういえば、大人になってから神楽坂の酒場でお見掛けしたこともありました。うふふ、ご縁があるのだよ(ナイヨ)。

せっかく辞書を持ち出したところで、ひとつ。

忙しいの「忙」という字は、「りっ心べん」と「亡(ぼう)」からなるので心を亡くすという意味だ、とよく聞きますね。だから忙しくしてはイケナイ、心をなくすから、と。

常用字解によると、「いそがしい、あわただしい」の意味に使用するのは、唐の時代以後のことだそう。それ以前には、ぼんやりとした様子を表していたようです。

もうすぐ春がきます(いや、もう来たのか‥)。忙しくすることが多くなる季節。忙しいことを嘆くより、忙しさのなかにもボーっとして、春の陽射しにぼんやりと心を遊ばせる隙間を持っていたいもの。

いつもテキパキと如才なく張りつめているよりも、茫洋として捉えどころのないところに案外、本物が隠れている、なんてことがあるかもしれません。

閑話休題‥。あ、閑か‥。

閑忙という言葉がある通り、閑と忙は反対の意味ですね。でも、古くはどちらも似たようなもので、ボーっとしていたのかも‥。皆が忙しくするこの季節に、ぼんやりと春を待ちわびている自分。まぁそれもいいじゃないか、なんて思おうとしてみたりして‥。