葉落ちて姿現る

小さな頃から晩秋が好きだった。
だって、秋の生まれだから。
いや、関係ないか。

空き地の野球、沼のザリガニ釣り(これは夏ネ)、森の秘密基地‥。
気付けば濃い色の夕暮れ、カラスと一緒に帰る時間。
家に灯る暖かい光、その傍にある静かで深い夜。
子供時代、そんな落ち着いた時間が好きだった。
ちょっと物思いに耽ってみたい感じ‥(オマエいくつだ)

でも今は、以前のようにこの季節を楽しんでいない気がする。
現実の憂いが多くなると、そんな余裕はないのよね。
それでも枯葉が舞う季節はほんの一瞬だから、晴れた夕方にはサクサク踏みしめて歩いてみたいもの。

さて、いよいよ樹々の葉が寂しくなってきた上の写真。
葉が落ちて姿を現したのは、今秋ウチで販売した住戸のお隣の住棟。
うーん、ステキじゃないですか。
この雰囲気、アレに似てない?と一瞬思ったハナシを。

アレって何?

それってコレ。
広尾ガーデンヒルズのなかでも、独特の雰囲気を持つ「イーストヒル」と呼ぶ区画がそれ。
日本らしからぬファサードは、米国東海岸を彷彿させる本格的デザイン。彫りの深いタイル、床の水平ラインに華奢な縦格子が美しいバルコニー、連続する小さな腰高窓‥。
落葉の季節ともなると、ここは晩秋のニューイングランドだ、ボストンだと思ってしまう。

とは言っても、彼の地に於いてこのような建物は比較的庶民的なものだろう。だから、それを彷彿させるデザインを纏った日本の高級団地という設定も微妙なハナシとは思うのだが。
ともあれ、異国が好きでそれだけでも嬉しいボクにとっては、このホンモノ感溢れるイーストヒル、これでいいのだ。

付け加えると、ガーデンヒルズには「イースト」でなく、もっと高額帯と位置付けられる好条件の区画が他にある。それらはデザインが異なっていて、モダンだったり、ジャパニーズ高級マンション系であったりする。

そう考えると「イースト」は本格的デザインではあるものの、広尾GHの中のワンオブゼムとなった。最初期の区画である「イースト」以降、それに続くニューイングランドの景色が現れなかったのは何故だと思うだろうか。

話は冒頭写真(ウチの住戸の隣ネ)に戻る。この住棟も、郊外では珍しい2戸1EVプランを採用している。つまり居室の前を通る開放廊下がないので北側にも窓が並び、スッキリと美しい。
これは広尾ガーデンヒルズと同じ形式で、事業主や設計者に強い想いがないと実現しないもの。両者とも’80年代初頭の物件だが、この頃は住宅(プラン)の質を上げたい設計者の気持ちに、事業主も同様の気持ちで応えることができた時代だったのだろう。
そうは言っても、高コストに耐えられる都心高額物件はまだしも、郊外で実現するのは結構難しかったはず。だから2戸1EVを採用している物件は極めて少ない(があるのだよ)。

それにしても2枚の写真、全然似てないんじゃないのー。という声が聞こえてくるナ。

うーむ、よく見ると確かに。似ているようで、実は全然違う。
そもそも冒頭写真は主採光面の反対側、つまり北側だ。腰高窓が並び、縦格子の階段が建物に取り込まれているからスッキリ見える。写真には写っていないバルコニー面が、イーストヒルのように端正なわけではない。妙な言い方だが、顔とおしりがパッと見には似ているということか。

それでも当時、郊外で2戸1EVを実現させたのは素晴らしい。
両面の採光、通風、プライバシー。
この希少な物件には、住んでわかる快適さがあるだろう。

このイーストヒルを設計した著名な建築家は、開放廊下(外廊下)型の集合住宅には批判的だったと聞く。まぁ、本心から好意的な建築家はいないだろうけれど。
プランの質を競った’80年代が過ぎ去り、バブルと呼ばれる時代を経て、「開放廊下型プラン×建築家ファサードデザイン」を掲げた高額マンションをよく見かけるようになり、今に至る。

そのような建築家コラボ(と呼ぶの?)マンションを数多く目の当たりにすると、当たり前のことではあるが、マンションとはつくづく経済性第一の箱であると実感する。もちろん居住性と経済性のせめぎ合いに葛藤する担当者たちが思い浮かぶし、表層に関わることになった建築家にも思うところはきっとあるのだろう。

そして、なにより消費者(というより住まい手)の迷いも一層強いであろうことも。

坂の上に雲

あ、坂の上に雲だ。

え、坂の上に雲?

あぁ、「坂の上の雲」か。

ご存じ司馬遼太郎著。西欧諸国に追いつかんと明治時代を駆け抜け、ついにあのロシア帝国と戦火を交えた日露戦争が舞台。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

なんとも心躍る書き出しじゃないか。
そう思いながら読み始めたのは、たしか会社を辞めた直後。

ちなみに辞めるまでの約3年間、地方の大都市に勤務した。
東京では皆が(そして少し前の自分も)クチャクチャになって、戦うように働いていた。
何のためか、誰のためか。
その東京を、少し離れた場所から眺め続けた3年間。それが会社を離れるきっかけとなったのかもしれない。

無職となって東京に戻った自分には、のんびりしている時間は無い。
けれど、たっぷりと時間だけはある(矛盾)。
そんな時期に、「坂の上の雲」がボクを呼んでいたのだ。

書き出しの通りの小国日本が、強国相手に素手で立ち向かった。これは近代日本の黎明期、つまりニッポンの青春時代だなーと読み進めた。(記述される状況は凄惨ではあるが‥)
まだ世界の中では何者でもない小さな国に生まれ、遥か高く浮かぶ雲を見上げながら懸命に駆ける登場人物たち。

それを読んでいるボク自身の日常は、独立後の希望を抱きつつも、先の見えない不安に苛まれる日々。寄る辺ない我が身に小国日本を重ね合わせて、自分を奮い立たせていたのだろう。

そう、ニッポン青春時代の物語は決して若者だけではないのだよ。老いも若きも、皆が坂の上の雲を見上げて駆けていた(ような気がしてくる)。

そして、読後十余年。
物語の細部もすっかり忘れてしまったし、ボクもその分だけ歳を取った。
でも、今も坂の上に浮かぶ雲を見つけると、
あ、「坂の上の雲」‥と、当時の気分を思い起こす。

「雲」といえば、シンガーソングライターの永井龍雲。
そう、名曲「道標ない旅」。
ボクの青春は、この曲を聴いて空を見上げた小5時代に始まったのではないかと思っている。
がきんちょ時代から、現在に続くオッサン期まで。
およそ世で言う「青春時代」とは異なる、ボクの(自称)青春時代。

幾つになっても、心は高い空を駆けることが出来るはず。
年齢ではない、心の持ち様なのだと、つくづく思う。

ん、このフレーズはどこかで‥。
そうだ、サミュエルウルマンの詩「青春」だ。

辞めた会社に、そんな青春のあり方について身を以って示し続けた経営者がいた。颯爽とこの世を去っていった彼から教えられた詩が、ウルマンの「青春」。東西を問わず政財界では有名な詩ではあるようだけれど、それだけ誰の心にも残る普遍性があるのだろう。
政でも財でもない、ただの中年にも染み入るこの詩(‥をここに記すのは止めておこう)。

などと書いているが、たいした青春時代を送っていないボク‥。
いつまでも青春セイシュンせいしゅん‥と言い続けているのは、青春らしい青春をしてみたいだけなんじゃないのか‥。
なんだかそんな気がしてきたので、ここらで筆(キーボード)を置くこととしよう。