坂の上に雲

あ、坂の上に雲だ。

え、坂の上に雲?

あぁ、「坂の上の雲」か。

ご存じ司馬遼太郎著。西欧諸国に追いつかんと明治時代を駆け抜け、ついにあのロシア帝国と戦火を交えた日露戦争が舞台。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

なんとも心躍る書き出しじゃないか。
そう思いながら読み始めたのは、たしか会社を辞めた直後。

ちなみに辞めるまでの約3年間、地方の大都市に勤務した。
東京では皆が(そして少し前の自分も)クチャクチャになって、戦うように働いていた。
何のためか、誰のためか。
その東京を、少し離れた場所から眺め続けた3年間。それが会社を離れるきっかけとなったのかもしれない。

無職となって東京に戻った自分には、のんびりしている時間は無い。
けれど、たっぷりと時間だけはある(矛盾)。
そんな時期に、「坂の上の雲」がボクを呼んでいたのだ。

書き出しの通りの小国日本が、強国相手に素手で立ち向かった。これは近代日本の黎明期、つまりニッポンの青春時代だなーと読み進めた。(記述される状況は凄惨ではあるが‥)
まだ世界の中では何者でもない小さな国に生まれ、遥か高く浮かぶ雲を見上げながら懸命に駆ける登場人物たち。

それを読んでいるボク自身の日常は、独立後の希望を抱きつつも、先の見えない不安に苛まれる日々。寄る辺ない我が身に小国日本を重ね合わせて、自分を奮い立たせていたのだろう。

そう、ニッポン青春時代の物語は決して若者だけではないのだよ。老いも若きも、皆が坂の上の雲を見上げて駆けていた(ような気がしてくる)。

そして、読後十余年。
物語の細部もすっかり忘れてしまったし、ボクもその分だけ歳を取った。
でも、今も坂の上に浮かぶ雲を見つけると、
あ、「坂の上の雲」‥と、当時の気分を思い起こす。

「雲」といえば、シンガーソングライターの永井龍雲。
そう、名曲「道標ない旅」。
ボクの青春は、この曲を聴いて空を見上げた小5時代に始まったのではないかと思っている。
がきんちょ時代から、現在に続くオッサン期まで。
およそ世で言う「青春時代」とは異なる、ボクの(自称)青春時代。

幾つになっても、心は高い空を駆けることが出来るはず。
年齢ではない、心の持ち様なのだと、つくづく思う。

ん、このフレーズはどこかで‥。
そうだ、サミュエルウルマンの詩「青春」だ。

辞めた会社に、そんな青春のあり方について身を以って示し続けた経営者がいた。颯爽とこの世を去っていった彼から教えられた詩が、ウルマンの「青春」。東西を問わず政財界では有名な詩ではあるようだけれど、それだけ誰の心にも残る普遍性があるのだろう。
政でも財でもない、ただの中年にも染み入るこの詩(‥をここに記すのは止めておこう)。

などと書いているが、たいした青春時代を送っていないボク‥。
いつまでも青春セイシュンせいしゅん‥と言い続けているのは、青春らしい青春をしてみたいだけなんじゃないのか‥。
なんだかそんな気がしてきたので、ここらで筆(キーボード)を置くこととしよう。

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