心の旅人

風立ちぬ 今は秋 今日から私は 心の旅人

すっかり風も秋色、ふと口ずさむのは、この歌。
こちとら中ぼーの頃から、秋といやぁこれに決まってんだよ。
「風立ちぬ 今は秋」は、ご存じ往年のヒット曲。

ちなみに「風立ちぬ いざ生きめやも」は小説。
もひとつ「風立ちぬ 生きねば」は映画だナ。

時代を大きく跨ぐ、風立ちぬ三兄弟‥(?)
もちろん長兄は堀辰雄、小説「風立ちぬ」。
表題はフランス詩の一節を引用し、自身が訳したものという。

それから時は経ち‥
その小説から着想する楽曲を、と乞われて松本隆さんが詞をかいた。
それも「風立ちぬ」。
避暑地の秋をイメージするその詩に大瀧さんが曲をつけて‥
曲をつけて‥
出来上がったその曲は‥
想像に反して(いや、想像通りに)、大瀧サウンドになっていた‥

‥ということで(小説のイメージとはすこし違うかもしれないが)素敵な一曲。

ところで小説の「いざ生きめやも」とはなんだ?
当時の中ぼーには、知らんけどなんか語感が良い、という程度。
いざ、というからには生きる決意なんだろうと。

ところが古語の「やも」は、文法的には反語だという。
「生きよう(生きめ)、いや生きられねぇ(やも)」みたいな感じか。

ということは、堀辰雄は「生きられるか‥いや、生きられないだろう」と書きたかったのか。
いや‥文法的には微妙だったとしても、「生きる‥生きられる」と読むべきなのか。
いやいや、どちらでもないのか。
生死の間で揺れる想いを(敢えて文法を超えて)込めたのかも知れない、と思ったりもする。

であるとしたら宮崎さん映画の副題にある「生きねば」は‥
・原典であるフランス詩本来の(直訳的)意味を記したのか
・それとも小説へのオマージュとして、堀辰雄の意を汲んでのものなのか
まあ、どうでもよいか‥

ところで話は飛んで、うん十年前‥
小説「風立ちぬ」に触れた中2のボクは友人を誘って二人、夏の終わりの旅に出た。
そう、舞台となった軽井沢へ。
万平ホテルの「近く」に宿をとり、木立を散策する中坊がふたり‥
なんかちょっと変だな、この中学生。

しかし、そこは単なる中坊。
夕暮れ時にひと風呂、と立ち寄ったのは中軽井沢の星野温泉。
吸い寄せられたのは、ゲームコーナー。
今をときめく星野リゾート、当時の記憶‥

ちなみに興じたゲームは、川でパトロール船を進めるだけ(つまらんこと覚えている)。
なんと、東京のゲーセン戦果を遥かに上回る(本人)最高スコアを更新中なのだよ(喜)
始末の悪いことに‥
迫る最終バス時刻‥

いけぱん‥最終バスいっちゃうよ‥
カチャカチャ‥カチャカチャ(スティックの音)
行っちゃうよ‥

あ~(最終バス発車時の友人の嘆き声)
(程なく‥)
あー(ゲームオーバーの嘆き声)

バス、いっちゃったね‥
ごめんよ‥‥
小雨の降る暗い道、傘も差さずに中軽井沢駅まで歩く。
こうなったら軽井沢駅まで、そして旧軽まで歩こうよ‥
文句も言わず、ずぶ濡れを自虐的に楽しむ友人。
それは、せめてもの救いではあったが‥

うーん、閑話休題‥
と言っても、戻るべき本題もないのだが‥

‥この夏、
ウチの販売住戸を案内した際のこと。
ついでに街を案内し、他社オープンルームまで覗くと、いつしか雑談へ。
その方が「きっと、いけださんは好きだと思うわ」と言う。
何を‥?
それはあるラジオ番組のこと。

その番組の題名は、邦訳すると「居ながら旅する」となる(邦訳 by Ikeda)。
「そうですか、radikoで聴いてみますよ」
‥‥たしかに、遠い何処かの雑踏に佇むような。
嫌いじゃない、いやむしろ好きだ、たしかに。
そして、なにより番組名が「居ながら旅する」だもの‥

居ながら旅‥
そう、アームチェアトラベル。
住まいは旅の拠点であり、そして旅自体をする場所でもある。
そんなことを、何度も書いてきた。
読み返してみると、〇〇の一つ覚えのように、あちこちに。

だから今回、そのラジオ番組をすすめられ、ちょっとビックリしたのだ。

初めて会った人がボクの文章を読んでいるわけがない。
まさか、旅に出たい、と顔に書いてあるのか?
それとも、(ボーっとした顔の奥に)旅して浮遊する心を見抜かれたのだろうか‥

いずれにしても、旅は心の中にある。
さあ、travelling without moving .

Facebooktwittermail