単純か空虚か

無印良品の広告を以前から手掛けているデザイナーの原研哉さんが、こんなことを語っていました。

無印良品の特徴はシンプルさにあるが、これはemptiness(空虚)と言うべきものであって、西洋で言うところのsimplicity(単純さ)とは違う。そして、それは空虚(即ち、空っぽ)であるから、作り手の意と違う受け止められ方をすることは当然であり、その相手の想像力を引き込む受容力、すなわち間をつくることが大事なのだ。無から+(プラス)を感じる感受性が大事である、と。

記事も手元になく、うろ覚えの上に記憶のつまみ食いなので、内容を正しく掬えていないかもしれないのですが、その言葉から僕が受け取ったことはそういうこと。色即是空、仏(ほとけ)の国の人だもの。

僕も好きな無印良品、身の回りを見渡せば、スッとそこに在る。確かにそれらの製品は、”シンプルにデザインされたモノ”、と形容するよりも、”色(シキ)が(消えて)空(クウ)になったモノ”、と表現する方が相応しい気がします。

一つひとつ研ぎ澄まされて企画され、大量生産されるプロダクト達は、独特の色(空?)を帯びて世に出てきます。しかし無印良品には、それと多少違うプロセスを辿る商品ラインがあります。そうです、無印良品のリノベーション。

設備や内装には無印とわかる特徴があります。また理念として、ひとつながりの空間、光と風の通り道(どこかでも聞いたような‥)、高断熱なども前面に押し出しています。たとえ理念があれども住宅、特に(オーダーの)リフォームというのは、一人ひとりのコストの制約、それぞれの住戸の個別性などから、住まい手との対話の中で成立する世界。突き詰めたプロダクトのようにはいかないものです。それでも無印良品に魅かれる住まい手が集うからでしょうか、設備機器だけでなく、事例で見るそれぞれの空間にもMUJIを感じます。

無印良品という、形が有るようで無いものをベースにして、住まい手の想像力を(対話によって)引き込んでいくリフォーム。MUJIらしい(無形の)商品だなと思います。何者でもない空間が、住まう人によって色を帯びていく。まさに、原研哉さんの言うところの無印良品ではないですか。

己のリフォームをそれらと比べるのは不遜ではありますが、僕もリフォームに思いを巡らせます。(不特定多数を対象にする販売用住戸という)商品の性質上、シンプルについて考えるのですがその過程で、何かスーッと引いて(空虚に至る)引き算の感覚を持つことがあります。何とか風でない何か‥。白い余白のような‥。でも結局、引き算の軸が定まらず、モチーフを古今東西に求めてしまったりと、空虚になれない自分ではありました。それはそうですね。まずは、雑念の多い日々の暮らしを見直していかないと‥。

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