シンプルに暮らすこと

チョキチョキ、チョキチョキ。ふーん、と思う記事があると時折、新聞を切り取っておく癖があります。今っぽくない習慣ではありますが‥。

そんな切れ端の棚卸しをしていたら、こんな記事がありました。かいつまんで言うと‥

米国人にとって大きな家は、今も変わらぬ成功の象徴であり、今でもその平均面積は拡大している。でも、そんな典型的な「夢」に疑問を抱き、スモールハウスに暮らすことを選択した人たちのハナシ。

どんな状況だったのかというと‥。「家というステータス、生活様式の捕らわれの身だった。」、「両親は大きな家を建てたが、仕事に追われて一緒にゆっくり過ごした記憶がない。家はデカいが中はカオスだった。」、「ニューヨークで生活費月額67万円。この街で生き残るために仕事ばかりしていた。欲しいモノは悩まず買えるようになったが、何か大切なものを失っていると感じていた。」

そしてどんな暮らしを選んだのか‥。「よりシンプルに、より少ない消費で生きたい。」、「200㎡近い自宅を処分して、730万円で購入した41㎡に家族3人+犬1匹で暮らす。子どもと毎晩遊ぶ、これが幸せな暮らし。」、「ブルックリンから小さな町に転居。仕事量と生活費を大幅に減らし、小さな家でやりたかったことに専念したい。」

とまぁ、大都市を擁する国ではいずこも同じなのですね。この記事は、日本での都心タワーマンション熱と、そこからサッサと降りた人たちのハナシのようでもあり、僕のまわりでも見かけるハナシ。特に珍しいことではありません。ちなみにこの記事は2年以上前のものなので、現在の米国では更に様相が異なっていることと想像します。

そう言えば、都心のタワーを買って数年後に売却すれば利益が出て、更なる買い替えで資産が増やせる、といったコンサルタントの記事(説法)を長らく目にしましたが、ここにきてそんな言説にも随分変化が出ているように感じます。というか、これからは郊外の戸建だ、だそうです‥。

無理なく購入して、気持ちよく暮らす。そんな力の抜けたイメージで数々の物件と向き合ってきた僕は、今回引っ張り出した古い記事を改めて楽しく読んだ自分に、変わらぬ自分への安堵とともに、全く変わらないことへの嘆息も漏れたのでした。

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