思いきりアメリカ

窓を開ければ、南国の花のように華やかなツツジが咲き、樹々の緑も芽吹いている。
満開となった春が、夏の扉を開けようとしている今日この頃。
空もスカッと青いしね。

写真は年明けに工事を開始した住戸。
既に完成し、引渡しも済んでいる。
工事中から住戸内の様子を「チラみせ」告知を行っており、今回は春先の工事完成を待たずに購入者が決まっていたのだ。

「工事中ですけど、見ます?」
「はい、明日にでも!」

ということで、現地集合。
そう、ボクは出来るだけ自分の足で来てもらうことにしている。
迷ったり遠回りしたりして、第一印象は良くないかもしれない。
けれど、それでいいのだ。

今回も、それは散々な始まりではあった。
というのも、ウチは「光、風、緑」が眩しい物件が多い(単にボクの好み)。
ということは、(必然的に)山だったり、丘だったり、坂だったり、もするわけで‥。

「近くまで辿り着いているはずなのですが、迷ってしまって‥」
「今から行きます。そこを動かないで!」(救助隊か‥)

(無事、保護完了?)
「スーツケース持って、この坂は上がれません!ここ無理です!」
「ですよね。まぁ、せっかくですから室内を見ていってください。今日は電気工事していますけど‥」

翌日、連絡があった。
「スーツケースはタクシーに載せることにしました(笑)」とのこと。
‥(笑)

判断も、身のこなしも早い方。
そして止まらず、常に動き続けているようにお見受けする。
だからスーツケースが相棒なのだろう。

ボクはすっかり根が生えて、若い頃に描いた暮らし方とは随分違う(それでよいのだ)。
それ故、ちょっと眩しいな、って思う。
そんな方の拠点として、ボクの(可愛い)物件を選んでいただけたことが嬉しい。

おまけに、郷里の素敵なお品をたくさんに戴いた。
お礼を言いたいのはボクの方です。
Nさん、有難うございました!

土曜日に市場へ出掛け

ということで市場へ出掛けたのは、冬のおわり、春のはじまり。

川崎市の北部地域(横浜市との市境)には、市民の台所とも言える卸売市場がある。
正式には川崎市中央卸売市場北部市場。
通称、ホクブシジョウ。
て、そのまんまか‥

東京南西部の飲食店業者も仕入れに来ている。
豊洲や太田の市場より利便が良いのだろう。
ここは基本的にプロが集う場所。
けれど、週末の一日だけは一般人に開放される。

グルメ(と呼ぶと安っぽいな)、食べ歩き(これも‥)も素敵。
でも一方で、市場に通ってあれこれするのは別の楽しさ。
喧噪の中を歩き廻り、並ぶ食材に季節が移るのを感じる。
そして、見慣れぬ素材のあれこれを尋ね、言葉を交わす。
かご一盛り、またはキロいくら?の世界だ。

凝った器具や調理家電は使わない。
時短とか効率、これも言わないでおこう。
単純な道具を使って、コップに注いだワイン片手に、のんびりつくる。
なんかオイラ、趣味人「みたい」じゃないか!
なんてね‥

そんな場面が似合う住まいは、あまりお洒落じゃない方がよい。
水が出て、火が使える(だけ)の台所。
ダイドコ、といった風情のキッチン。
そうか、ウチのリフォームはそんな感じか‥

ところでオマエは市場で何を買ったんだ?‥だって?

うむ。その答えは上の写真の中に。
じゃぁ、ヒントね。
結構、深い海の中にいる。
ほわッと柔らかい、脂の乗った身。
揚げると旨いねぇ、丸ごといける。
そろそろ時期も終わりかも。
さて、なーんだ?(知らねーよ‥)

ちなみに小さいキンキも端のほうに写っているけれど、それではない。
だって、手間が掛かりそうだからな‥。
イチバウンヌンと偉そうな割りには、オイラは大したことないのだよ。

そういえば、手前にいるのは千葉産の金目鯛。
キンメ(キンキじゃないのよ、キンメは~)といえば、伊豆南部が有名だけど。

千葉産キンメ、ちょうど先日見知ったことがあったので、ここに。
金目鯛の漁獲量は、最近は静岡を抜いて千葉がトップであること(直近は知らない)。
そこには千葉の漁業者の50年以上に亘る厳しい自主規制があること。
資源管理によって、漁獲量の維持に努めてきたこと。
自由に獲れるものをグッと我慢してきた、多数の漁業者がいること。
千葉産の金目鯛、有難く末永くいただくこととしたい(今日も買っていないが)。

陽射しはすっかり春。
でも、まだ冷たい空気と梅の花。
市場で買った「めひかり」もそろそろおしまいか(なんだ、メヒカリだったのか‥)。
※深海にいる魚は年中獲れると、あん肝を前に板前さんから以前聞いたが、それでも季節はあるのだろう。

それはそうと表題は、ある国の懐かしい民謡から拝借。
いや、元々の歌詞は「日曜日は市場へ出掛け 糸と麻を~」だが、日曜休みだからね‥ニホンの市場。 
文学、演劇、料理。それにサーカス、バレエ‥
昭和の時代には、その国の香りが周りに色濃くあった気がするのだけれど。
ちょっと遠い国になってしまったな。

あるものはある

allowed by Studio GHIBLI

ないものはない!

スパッと、言い切る潔さ。
さて、その意味は次の①②のどちらだろうか。
①ないものはない
②ないものはない

なんだ、どちらも同じぢゃないか‥

ちがうちがう、そうじゃない。
①は「ないけど、それがなにか?」
②は「なんでもあります」

島根県の沖(おき)にある隠岐(おき)の海士町(あまちょう)をご存知だろうか。
知る人ぞ知る、そして知らない人も知っている(かもしれない)、地方創生の旗手。
この町は①の「ない」。
そして町のスローガンは「ないものはない」だ。

ないモノはないけれど、本当に必要なモノはある。
ここにないモノって、本当に必要なモノなのか?
ほしいほしいじゃ、際限ないぜ。
そんな心意気。
都会からも人が移り住み、活気が生まれる町がそこにある。
あれも有ります、これも有ります、と無理して飾っては(ヒトもモノも)本当の魅力は見えてこないのかもしれない。

ウチのつくる物件も、ある意味①なのか。
少なくとも②ではないことだけは間違いない。
追い焚き無いですけど、何か?
食洗器無いですけど、何か?
オートロック無いですけど、何か?
エレベーター無いですけど、何か?
(おーい、なさすぎだろ!)
でもさー、光と風が抜ける気持ち良い暮らしありますケド、何か?
なんて言ってみたいが‥

一方、②の「ないものはない」と言える代表格は百貨店(だった‥)。
ワンクリックで世界中から(結構)何でも取り寄せることができる昨今、
なんでもあるはず(だった)百貨店には転機が訪れているみたい。
ガムバレ百貨店!
君はこれから何を売るんだ。

そんな百貨店の全盛期に、こんなコピーがあった。

ほしいものが、ほしいわ

懐かしーッ、西武百貨店だよ、それ。
ほしいものは欲しいからほしいもの‥、と永遠ループの迷子になってしまう。
干し芋の‥?

当時は、既にモノが溢れている時代。
もっともっともっと(買え)、より便利に、より快適に‥
でももう、自分のホントウに欲しいものも自分ではわからないわ。
そんなことになっていた時代に放った、一本のコピー。
当時の西武だからこそアリだったのだろう。

でも、もっとモット‥の状態は今も続いているのかもしれない。
そしてそこから脱出する、①の流れも確実に‥

と書きつつ、風呂でこんなコピーを思いついたのだが、どうだろう。

ほしいものは、ぜんぶ私のなかにある

これではなにも売れませんなあ。
-おしまい-

いただきます、がききたくて。

「和室の暗い押入が抜けると、台所だった」
文学的に描くとこうなる(どこがだ?雪国か‥)

「部屋の底が白くなった」
文学的に‥(しつこい!雪でなく、石膏ボードが散ったのか‥)

つまり、和室にあった押入の壁を突き破るとキッチンが現れた、ということ。
上の(リフォーム後の)写真は、今はダイニングエリアとなっている元・和室側からキッチン方向を見たもの。

行燈部屋だったキッチンに、窓外の光と緑の景色がつながった。
ここまでは既定路線だ。
さて、それからどうする。

ようこそ、「酒亭 いけだや」へ‥
ということで、毎晩一組だけをもてなす料理屋をつくることにした。
ハハハ、そんな訳はないけれど。

ちょっといいじゃないですか、この距離感。
作り手の顔は見えるけれど、手元は見えない。
一線が引かれた感じ。
向かって右側には落ち着く程度に袖壁を出して、上部が縦格子だから圧迫感がない。

一般的なプランだと、キッチン天板を延長したテーブルにハイスツールの組み合わせ。
それはそれで軽快な雰囲気が魅力的だけど、もう少しなんかこう‥

そこで、しっかり足を着けて座る椅子とそれに合う高さのカウンターテーブルに。
その先にはもう一枚のカウンター、惣菜を盛った大鉢でも並べてみたら‥
どうでしょう、小さな料理屋のようではないですか。

なんて言いながら、テーブルの上下左右に電源を用意した。
だって、酒亭みたいに使うわけないじゃん。
キッチンにいるお母さんのそばで子供が勉強するのにいいですよ。
レンジフード壁の前はPC開いておくのに良いですね。
なんて、営業が言うのがふつうじゃないか。

と言いながらカウンター下にも電源付けているのは、小型のワインセラーを置けるように。
そしてもっと言うと、上部電源はビールサーバーを置けるように。
そうそう、小料理屋というより居酒屋で見掛けるレイアウトだ。客席側にサーバーが置いてある、気取らない大衆酒場。
そんなイメージを捨てきれないボク、それでやたら電源をつけたというわけ(これはすべて妄想です)。

そういえば、この住戸を購入いただいたご家族との会話の中で、
「それじゃ、ビールサーバーでも置こっかな(笑)」とご主人。
うふふ、もしかして「酒亭 〇〇へようこそ」ってなるか!
なんて勝手な想像を膨らませていたのも、ボクひとり。

ところで、この表題。
どこかで聞いたことのあるような、ないような。

そう、栗原はるみさん。
ご存知、料理家の彼女が初期の頃に出した料理本なのだ‥

なのだ‥
と見せかけておいて、セイカイのハンタイ。
本家本元の書籍名は「ごちそうさま、がききたくて」

オイラのは、作りながら、食べながら、話しながら‥
そんなイメージでつくったキッチンとカウンター。
だから「いただきます、をききたくて」
なんちゃって。

そう言えば昨年、栗原さんが語る連載記事が新聞にあった。
下田育ちのはるみさんが、別荘に来ていたご主人に見初められた話や、
ご主人を失くした頃、偶然知った佐野元春の曲を聴いて元気になった話、
是非本人に会いたい願いが叶い、自宅訪問を受けたらカッコ良すぎて腰引けたハナシなど‥
(昨年末の紅白にもおじさんチームで出ていたが、たしかにカッコ良すぎだわ‥)
飾らない伸びやかな感じが、彼女のレシピと同じだと納得した次第。

また更に余談の余談だが、魚屋(卸?)に嫁いだ娘さんによる連載(たしか季節と魚と料理だった)を随分以前に読んだことがある。当時、好感の持てる方だなと感じていたのが、今回この家庭にしてこの娘、なるほどナルホドと思う。

「ほんとうにいい人ね、いい人はいいね」
こちらも同じく文豪の作品から、(今度は)変えずにそのまま拝借した(笑)。
こんな風に言えたら良いと思う。
さて、どの作品だか、お覚えだろうか。

別邸

カード会社から毎月送られてくる会員誌。
表紙に書かれた「デュアルライフのススメ」に目が留まった。

いいじゃない、デュアルライフ。
二拠点生活でしょ、何か楽しいヒントが‥

ページをめくる。
ん、ゴールドコースト。
コンドミニアム、ホテル、レストラン‥
え、サーフィンスポット?
うーむ
日本との時差が1時間だから行き来が容易、なんですと。
おーい、ちょっと!

そうだよな。
こういう特集は「届きそうで届かない」が昔からお決まりだったよな、ウンウン。
いやいや、このご時世だ。
すぐに手が届きそうな読者が結構いるということか。
いずれにしても、ご縁のないハナシなのだけは確かなことだヮ‥

ところで、その「デュアルライフ」に釣られたのは、先日聞いた話を思い出したから。
その話とは、箱根に小さな別邸を持った女性のこと。

この女性は特別の資産家ではない。言ってみればフツーの人。
その別邸とは、随分と築年数の経ったリゾートマンション。
リゾート物件の例に漏れず、手の届きそうな価格。十数年ほど前には壱百万円台で売買されていたことさえある。もちろんその後価格が戻り、今はその限りではないけれど。

でもちょっと他のリゾートマンションと違うのは、設計者。
あのフランク・ロイド・ライトからアントニン・レーモンドという系譜に連なる日本人建築家による建物だということ。
そして、この方の下から多くの住宅系建築家が輩出し、それが現在にまで繋がっている。つまり現在活躍している良心ある建築家たちの始祖といえる人物だ。

例えば冒頭の写真は、そのマンション内の各住戸へと向かう開放廊下のもの。
しかし玄関は並んでおらず、面格子付きの居室窓も見当たらないのはなぜか。
実は、この廊下は住戸2フロア分の中間に位置している。
つまり、開放廊下が存在しつつも、廊下側居室の窓が廊下に面さずに解放されている。
そして、廊下に面する各階段室を半階分昇降することで上下階の各住戸にたどり着く仕組み。
余計なモノのない、なんと清々しい廊下。
そして照明は低い位置にある。下部だけが照らされた通路を歩くのは気持ちが良いのダ。

一部だけ見ても、このように細やかな工夫がなされた稀有な建物。
ちなみに、この建築家が設計した集合住宅は他に聞いたことがない。
だから余計に、手を入れて住み継ぐ意思を持った住まい手が現れる。
この女性もその一人なのだろう。

ところで別荘、いや別邸にはいつでも行けるわけでない。
せっかく持っているのに‥。
ついフツーのひとは考えてしまう。コスパ、わㇼーじゃん。

でも、行けない!イケナイ!と焦ることはない。
そこにあること、いつでも私を待っていること。それが日々を豊かにする。
別邸での暮らし、今度飾りたいモノなどを夢想してウキウキする時間。
行けないからこその、心の遊ばせ方もある。ということだろう。

ふーん、なるほどね。

樹々が茂り、草の薫りが濃い郊外。
都心に近い、別荘みたいな郊外。
そんな場所で、リフォーム済マンションを手掛けるボク。

ある意味、正真正銘の別荘には敵わないけれど‥
でも、ここは別荘かもしれない、と思える住まい。
それも無理なく手が届き、無理なく暮らせる住まい。
そんな住まいを、ひとつでも送りだすことができたら‥
そんなことを思う今年の始まり。

ガラス越しに見えたモノ

左右に並んだ二枚の写真。
左は玄関から洗面室の扉。
右は洗面室の内側の様子。

玄関から入ってすぐ、廊下との間にドアを新設した。大きな透明ガラスが入った白い扉は、白壁と馴染んで存在感を消しているので圧迫感はない。

なぜ、ここに扉を付けたのか。それは寒い玄関だけを切り離して、廊下を居室側の空間に引込むため。洗面室浴室に行くたび、玄関から侵入する冷気に「寒ッ‥」ともならず、穏やかな環境を保てる。

これは自宅を含めて何度か試しており、それなりの効果があるように感じている。物理的に寒暖を防ぐだけでなく、外側と隔てる扉がもう一枚あることで、心理的にも落ち着くことが理由なのかもしれない。

話は飛ぶが、開放廊下型マンションの場合、外廊下に面する居室の「落ち着かない問題」がある。他の居住者の通路であるから「壁に耳あり障子に目あり」、オーバーに言えばそんな環境で暮らしているわけだ。
通風のために窓を開けたい、自然光が欲しい、歌いたい、うーん、おもぃっきり放屁したい!
外廊下のある住まいでは、そんなささやかな望みが夢のように思えてくる(のか?)。

そんな時に、先の「玄関に扉、もう一枚!」と類似して「外廊下側に、壁と窓、もう一枚!」は有効な手段だろう。
なに、部屋が狭くなるって。
そうそう、狭くなる。(けれど、その隙間スペースもまた豊かな空間になるのだよ)
すると、元の「3LDK田の字型」間取りは成り立たないかもしれない。n+LDKという「不特定多数対象型新築分譲時プラン」とはGoodbye、の時かもしれない。

それでいいのだ。
予算や場所、間取りを縦横無尽にスライドして検討できることが、中古マンション購入の強み。予算を下げたり、場所を変えたり、そもそもの物件選びの基準を変えてみる。リフォーム内容の幅のあれこれも加えると、選択肢は無限大。楽しくなってきたゾ。

もちろん「目の前が外廊下でも、いいじゃないの~」という方が大多数かもしれない。
「将来売る時も、普通間取りの方が売りやすそうだし~」とか。
その場合には、これらは戯言として聞いておいてください。

さて、もう一度上の写真。
焦げ茶色の扉は(手前の白い扉とは違い)彫りの深いルーバー扉。羽根も無垢材で作られ、指一本でルーバーが回転する、ちょっとグレードの高いものなのだ。

2年ほど前、このドアをたくさん採用した際に誤発注をしてしまい、1枚がお蔵入り。いつかいつか、と言いながら機会を逸していたのだが、「いけださん、そろそろ使ってよ」の声に遂に日の目を見ることに。

玄関開けて、ガラス扉越しに見えるこの扉。
かなりカッコええス。
でもさ、洗面室にルーバーってどうなのよ。
うーむ、くれぐれもイタズラをいたしませぬよう(笑)

葉落ちて姿現る

小さな頃から晩秋が好きだった。
だって、秋の生まれだから。
いや、関係ないか。

空き地の野球、沼のザリガニ釣り(これは夏ネ)、森の秘密基地‥。
気付けば濃い色の夕暮れ、カラスと一緒に帰る時間。
家に灯る暖かい光、その傍にある静かで深い夜。
子供時代、そんな落ち着いた時間が好きだった。
ちょっと物思いに耽ってみたい感じ‥(オマエいくつだ)

でも今は、以前のようにこの季節を楽しんでいない気がする。
現実の憂いが多くなると、そんな余裕はないのよね。
それでも枯葉が舞う季節はほんの一瞬だから、晴れた夕方にはサクサク踏みしめて歩いてみたいもの。

さて、いよいよ樹々の葉が寂しくなってきた上の写真。
葉が落ちて姿を現したのは、今秋ウチで販売した住戸のお隣の住棟。
うーん、ステキじゃないですか。
この雰囲気、アレに似てない?と一瞬思ったハナシを。

アレって何?

それってコレ。
広尾ガーデンヒルズのなかでも、独特の雰囲気を持つ「イーストヒル」と呼ぶ区画がそれ。
日本らしからぬファサードは、米国東海岸を彷彿させる本格的デザイン。彫りの深いタイル、床の水平ラインに華奢な縦格子が美しいバルコニー、連続する小さな腰高窓‥。
落葉の季節ともなると、ここは晩秋のニューイングランドだ、ボストンだと思ってしまう。

とは言っても、彼の地に於いてこのような建物は比較的庶民的なものだろう。だから、それを彷彿させるデザインを纏った日本の高級団地という設定も微妙なハナシとは思うのだが。
ともあれ、異国が好きでそれだけでも嬉しいボクにとっては、このホンモノ感溢れるイーストヒル、これでいいのだ。

付け加えると、ガーデンヒルズには「イースト」でなく、もっと高額帯と位置付けられる好条件の区画が他にある。それらはデザインが異なっていて、モダンだったり、ジャパニーズ高級マンション系であったりする。

そう考えると「イースト」は本格的デザインではあるものの、広尾GHの中のワンオブゼムとなった。最初期の区画である「イースト」以降、それに続くニューイングランドの景色が現れなかったのは何故だと思うだろうか。

話は冒頭写真(ウチの住戸の隣ネ)に戻る。この住棟も、郊外では珍しい2戸1EVプランを採用している。つまり居室の前を通る開放廊下がないので北側にも窓が並び、スッキリと美しい。
これは広尾ガーデンヒルズと同じ形式で、事業主や設計者に強い想いがないと実現しないもの。両者とも’80年代初頭の物件だが、この頃は住宅(プラン)の質を上げたい設計者の気持ちに、事業主も同様の気持ちで応えることができた時代だったのだろう。
そうは言っても、高コストに耐えられる都心高額物件はまだしも、郊外で実現するのは結構難しかったはず。だから2戸1EVを採用している物件は極めて少ない(があるのだよ)。

それにしても2枚の写真、全然似てないんじゃないのー。という声が聞こえてくるナ。

うーむ、よく見ると確かに。似ているようで、実は全然違う。
そもそも冒頭写真は主採光面の反対側、つまり北側だ。腰高窓が並び、縦格子の階段が建物に取り込まれているからスッキリ見える。写真には写っていないバルコニー面が、イーストヒルのように端正なわけではない。妙な言い方だが、顔とおしりがパッと見には似ているということか。

それでも当時、郊外で2戸1EVを実現させたのは素晴らしい。
両面の採光、通風、プライバシー。
この希少な物件には、住んでわかる快適さがあるだろう。

このイーストヒルを設計した著名な建築家は、開放廊下(外廊下)型の集合住宅には批判的だったと聞く。まぁ、本心から好意的な建築家はいないだろうけれど。
プランの質を競った’80年代が過ぎ去り、バブルと呼ばれる時代を経て、「開放廊下型プラン×建築家ファサードデザイン」を掲げた高額マンションをよく見かけるようになり、今に至る。

そのような建築家コラボ(と呼ぶの?)マンションを数多く目の当たりにすると、当たり前のことではあるが、マンションとはつくづく経済性第一の箱であると実感する。もちろん居住性と経済性のせめぎ合いに葛藤する担当者たちが思い浮かぶし、表層に関わることになった建築家にも思うところはきっとあるのだろう。

そして、なにより消費者(というより住まい手)の迷いも一層強いであろうことも。

坂の上に雲

あ、坂の上に雲だ。

え、坂の上に雲?

あぁ、「坂の上の雲」か。

ご存じ司馬遼太郎著。西欧諸国に追いつかんと明治時代を駆け抜け、ついにあのロシア帝国と戦火を交えた日露戦争が舞台。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

なんとも心躍る書き出しじゃないか。
そう思いながら読み始めたのは、たしか会社を辞めた直後。

ちなみに辞めるまでの約3年間、地方の大都市に勤務した。
東京では皆が(そして少し前の自分も)クチャクチャになって、戦うように働いていた。
何のためか、誰のためか。
その東京を、少し離れた場所から眺め続けた3年間。それが会社を離れるきっかけとなったのかもしれない。

無職となって東京に戻った自分には、のんびりしている時間は無い。
けれど、たっぷりと時間だけはある(矛盾)。
そんな時期に、「坂の上の雲」がボクを呼んでいたのだ。

書き出しの通りの小国日本が、強国相手に素手で立ち向かった。これは近代日本の黎明期、つまりニッポンの青春時代だなーと読み進めた。(記述される状況は凄惨ではあるが‥)
まだ世界の中では何者でもない小さな国に生まれ、遥か高く浮かぶ雲を見上げながら懸命に駆ける登場人物たち。

それを読んでいるボク自身の日常は、独立後の希望を抱きつつも、先の見えない不安に苛まれる日々。寄る辺ない我が身に小国日本を重ね合わせて、自分を奮い立たせていたのだろう。

そう、ニッポン青春時代の物語は決して若者だけではないのだよ。老いも若きも、皆が坂の上の雲を見上げて駆けていた(ような気がしてくる)。

そして、読後十余年。
物語の細部もすっかり忘れてしまったし、ボクもその分だけ歳を取った。
でも、今も坂の上に浮かぶ雲を見つけると、
あ、「坂の上の雲」‥と、当時の気分を思い起こす。

「雲」といえば、シンガーソングライターの永井龍雲。
そう、名曲「道標ない旅」。
ボクの青春は、この曲を聴いて空を見上げた小5時代に始まったのではないかと思っている。
がきんちょ時代から、現在に続くオッサン期まで。
およそ世で言う「青春時代」とは異なる、ボクの(自称)青春時代。

幾つになっても、心は高い空を駆けることが出来るはず。
年齢ではない、心の持ち様なのだと、つくづく思う。

ん、このフレーズはどこかで‥。
そうだ、サミュエルウルマンの詩「青春」だ。

辞めた会社に、そんな青春のあり方について身を以って示し続けた経営者がいた。颯爽とこの世を去っていった彼から教えられた詩が、ウルマンの「青春」。東西を問わず政財界では有名な詩ではあるようだけれど、それだけ誰の心にも残る普遍性があるのだろう。
政でも財でもない、ただの中年にも染み入るこの詩(‥をここに記すのは止めておこう)。

などと書いているが、たいした青春時代を送っていないボク‥。
いつまでも青春セイシュンせいしゅん‥と言い続けているのは、青春らしい青春をしてみたいだけなんじゃないのか‥。
なんだかそんな気がしてきたので、ここらで筆(キーボード)を置くこととしよう。

ねこがきた

ねこがきた ねこがきた どこに来た 山にきた 里にきた 野にもきた~
なんとまあ、猫だらけの今日この頃。

童謡の替え歌は置いておいて、実際に猫がきたのは我がクライアントのお宅。
「猫さんがきました、おしらせします」とメール。
添付された写真には、ガラス越しにこちらを見つめている子猫。
「キュン‥」
品の良い青を帯びたグレーの毛並み、クリッとした瞳。
ジーっと見つめてしまうが、相手はもちろん動かない。

そういえばボクにも思い入れのあるネコがいた。
‥子供の頃のハナシ‥
庭から、みやぁと鳴き声がした。そこには蚊に刺されて目の周りまで腫れ上がった子猫。
当時ウチは田舎の一軒家だったので…。

「かあちゃん、オラこの猫飼うだ」
「あかん、バアちゃんちさ連れてけ」

いなかのオラんちから、新宿の祖母ちゃん宅へお輿入れ。電車にのせてガタンゴトン。
なんでそうなるのかニャー。

しかし、この猫がとても良い猫に成長した。
祖母ちゃんが風邪ひいて寝込んだら、ネズミを捕まえて枕元に持って来たことがあった(‥困るが)。
朝、布団と一緒に畳まれたこともある。探してもいない‥。夜に布団を敷くと、ゴロンと。一日中鳴きもせず小便もせずにじっとしていたのだという。
そしてオラもその後東京に戻り、再会。膝の上に乗るこの猫と多くの時間を過ごしたとさ。
おしまい。(上写真はイメージです)

閑話休題

「ねこと暮らしたい。でも‥」という人は多いようだ。

昭和から平成初期の分譲マンションでは「ペット飼育不可」の管理規約が多数を占める。
当時、国が定めた標準約款だろうか。テラスハウスやひな壇住宅など、独立性の高さなどを理由に敢えて飼育可に変更する場合などを除き、分譲会社の多くは右に倣えの雛型を採用したわけだ。

管理規約が(入居・組合結成時に)一旦発効すると、その後の規約変更は簡単ではない。「ねこを飼いたいぞ!」という変更議案に、半数以上の区分所有者が賛成しなくてはならないのだから。

ところで、冒頭のクライアントがめでたく新しい猫を迎え入れた建物は、竣工当初からペット飼育が可能だったわけではない。
管理規約を改正して可能となった経緯があるようだ。管理組合役員や愛好家の頑張りがあったのかもしれない(実は、内緒で飼育される事例が散見されたらしい。その問題解決策として「飼うならきちんと責任を持って飼う」と動いたと聞く。何がどう転ぶかわかりませんな)。

猫のために住まいを購入する、良いなそれ。

猫ばかり書いていたからではないが、タイミングよく別のクライアントから「ワンコいいわよね」と言わんばかりの写真が届いた。迎えて1年の誕生日だという。たしかにこの子、人懐こくてカワイイのだよ。

ネコるべきかイヌるべきか、それが問題だ
飼い主ながら下僕にもなり得る境遇を喜びそして耐え忍ぶか
それともぺろぺろ攻撃を真っ向から受けて立つ交歓か

どちらも、どちらでも良いじゃないか。
でも悩む、揺れる心と秋の空。

街の居場所

思い立って眼底検査に行った。若い頃、網膜裂孔が見つかりレーザーでバチンと縫ったことがあるので、たまーに診てもらうのだ。
人気医院の当日WEB予約分はすぐ満杯。
残りの方は「直接出向いて、空き待ちをしてください」だって。
まあ暇だし、行って待つとするか。

受付:
「今、32人待ちです。今日は混んでますねー。状況はアプリで随時確認できますから、あと10人待ち位になったら医院に戻ってください。それまでお好きなところに居られて結構です」
ボク:
「はい、わかりました」

アプリ片手に街に出る。
「用もないのに」街に居続けるのは、いつ以来だろう。

「いやー、たまにはじっくりと店を見て廻るものいいなー」と書店に入る。
新書、専門書、さらには雑誌コーナーへふらふらと。

時計を見る、「なんだ、まだ30分しか経っていないぢゃないか」
アプリを見る、順番待ち人数は全く減っていない。

それでは、家具雑貨の店。「以前ここで展示用小物や照明を買ったな。今は要らない」
では次に、輸入食品の店。「今食料を買ってどうするのだ。医者に持っていくのか」
うむ、ユニクロにも入ろう。スタスタ、すたすたすた‥‥ひたすら歩く。

もう飽きたゾ疲れたゾ、持ってきた本を読もう。
店内エスカレーター脇にチェアが。
座ってみる。
これは厳しい‥。
すぐそこに立つ店員さんの視線に耐えきれないのだが。
文字は読むが、文章がアタマに入ってこない‥
いたたまれない。1分で席を立ってしまった。

街に目的もなく居るということが、こんなにタイヘンだとは。
ただフラフラするだけのオラは、もしかしてタイヘンの反対のヘンタイなのか。
街とは何かをする人だけが来る場所。そうなのかもしれない。

以前からそうだっただろうか。
もっと雑多で、キレイじゃなくて、ふらふらと様々な人が行き交っていたのは記憶違いか。

隅々まで清潔で快適、行き届いた街は安心で安全ではある。
でも、きれいに統制のとれた街はピシッとしていて、隙間がない。
少し窮屈に思えてきたりする‥。

そういえば、最近の歩道や公園施設を思い起こすとさー、
「立って腰掛けるオブジェのようなベンチ」は長居できない。
「仕切りを入れたベンチ」はゴロンと(するかどうかは別として)横になれない。
ましてやそんな場所で日がな一日ボーッとしていたら、怪しまれてしまうかもしれない。最早、ゆっくりのんびりする場所ではないのだ。
余計にもっと言うと、新宿地下通路の端には、上部が斜めカットされたカラフルな切株がワーッと生えている。趣旨が違うかもしれないが、この場所は何もしてはいけない場所。ゆっくりできない場所と言える(もちろんその意図はわかるが)。

ただ、そこにいることが難しい公園。
タダで、そこにいることが難しい街。

街はお金を出してモノやサービス、居場所を買うところ。
だからプチ消費者になればいい。スタバに入ればいいのよね(わし、ドトールがよいが)。

「おーっ15人待ちだ。もう午後なんですけど。チカレタよ、医院でわたし待つわ」

医院へ戻りながら、ふと商業施設1階の入口を見遣る。
風除室には長いベンチがある。
高齢の女性たちが押し込められたように鈴なりに座って、外を見ていた。
ここに一緒に座らせてもらえばヨカッタかも‥

今、そんなどうでも良いことを書いていたら、学生の頃を思い出した。

ひとりぼんやりと受けた授業の帰り、乗換えの日比谷駅。
ひとり日比谷公園の「ながーいベンチ」に「寝そべって」いた午後。
目を閉じていても透けて見えるような、強い陽射しの青い空だった。

「ベチャ」

胸のあたりが、しっとりと生温かいの‥
目を開けるのがコワイわ‥
「ながーい」からといって、青空の下で無防備に寝転んではアブナイのだ。