坂の上に雲

あ、坂の上に雲だ。

え、坂の上に雲?

あぁ、「坂の上の雲」か。

ご存じ司馬遼太郎著。西欧諸国に追いつかんと明治時代を駆け抜け、ついにあのロシア帝国と戦火を交えた日露戦争が舞台。

「まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている」

なんとも心躍る書き出しじゃないか。
そう思いながら読み始めたのは、たしか会社を辞めた直後。

ちなみに辞めるまでの約3年間、地方の大都市に勤務した。
東京では皆が(そして少し前の自分も)クチャクチャになって、戦うように働いていた。
何のためか、誰のためか。
その東京を、少し離れた場所から眺め続けた3年間。それが会社を離れるきっかけとなったのかもしれない。

無職となって東京に戻った自分には、のんびりしている時間は無い。
けれど、たっぷりと時間だけはある(矛盾)。
そんな時期に、「坂の上の雲」がボクを呼んでいたのだ。

書き出しの通りの小国日本が、強国相手に素手で立ち向かった。これは近代日本の黎明期、つまりニッポンの青春時代だなーと読み進めた。(記述される状況は凄惨ではあるが‥)
まだ世界の中では何者でもない小さな国に生まれ、遥か高く浮かぶ雲を見上げながら懸命に駆ける登場人物たち。

それを読んでいるボク自身の日常は、独立後の希望を抱きつつも、先の見えない不安に苛まれる日々。寄る辺ない我が身に小国日本を重ね合わせて、自分を奮い立たせていたのだろう。

そう、ニッポン青春時代の物語は決して若者だけではないのだよ。老いも若きも、皆が坂の上の雲を見上げて駆けていた(ような気がしてくる)。

そして、読後十余年。
物語の細部もすっかり忘れてしまったし、ボクもその分だけ歳を取った。
でも、今も坂の上に浮かぶ雲を見つけると、
あ、「坂の上の雲」‥と、当時の気分を思い起こす。

「雲」といえば、シンガーソングライターの永井龍雲。
そう、名曲「道標ない旅」。
ボクの青春は、この曲を聴いて空を見上げた小5時代に始まったのではないかと思っている。
がきんちょ時代から、現在に続くオッサン期まで。
およそ世で言う「青春時代」とは異なる、ボクの(自称)青春時代。

幾つになっても、心は高い空を駆けることが出来るはず。
年齢ではない、心の持ち様なのだと、つくづく思う。

ん、このフレーズはどこかで‥。
そうだ、サミュエルウルマンの詩「青春」だ。

辞めた会社に、そんな青春のあり方について身を以って示し続けた経営者がいた。颯爽とこの世を去っていった彼から教えられた詩が、ウルマンの「青春」。東西を問わず政財界では有名な詩ではあるようだけれど、それだけ誰の心にも残る普遍性があるのだろう。
政でも財でもない、ただの中年にも染み入るこの詩(‥をここに記すのは止めておこう)。

などと書いているが、たいした青春時代を送っていないボク‥。
いつまでも青春セイシュンせいしゅん‥と言い続けているのは、青春らしい青春をしてみたいだけなんじゃないのか‥。
なんだかそんな気がしてきたので、ここらで筆(キーボード)を置くこととしよう。

ねこがきた

ねこがきた ねこがきた どこに来た 山にきた 里にきた 野にもきた~
なんとまあ、猫だらけの今日この頃。

童謡の替え歌は置いておいて、実際に猫がきたのは我がクライアントのお宅。
「猫さんがきました、おしらせします」とメール。
添付された写真には、ガラス越しにこちらを見つめている子猫。
「キュン‥」
品の良い青を帯びたグレーの毛並み、クリッとした瞳。
ジーっと見つめてしまうが、相手はもちろん動かない。

そういえばボクにも思い入れのあるネコがいた。
‥子供の頃のハナシ‥
庭から、みやぁと鳴き声がした。そこには蚊に刺されて目の周りまで腫れ上がった子猫。
当時ウチは田舎の一軒家だったので…。

「かあちゃん、オラこの猫飼うだ」
「あかん、バアちゃんちさ連れてけ」

いなかのオラんちから、新宿の祖母ちゃん宅へお輿入れ。電車にのせてガタンゴトン。
なんでそうなるのかニャー。

しかし、この猫がとても良い猫に成長した。
祖母ちゃんが風邪ひいて寝込んだら、ネズミを捕まえて枕元に持って来たことがあった(‥困るが)。
朝、布団と一緒に畳まれたこともある。探してもいない‥。夜に布団を敷くと、ゴロンと。一日中鳴きもせず小便もせずにじっとしていたのだという。
そしてオラもその後東京に戻り、再会。膝の上に乗るこの猫と多くの時間を過ごしたとさ。
おしまい。(上写真はイメージです)

閑話休題

「ねこと暮らしたい。でも‥」という人は多いようだ。

昭和から平成初期の分譲マンションでは「ペット飼育不可」の管理規約が多数を占める。
当時、国が定めた標準約款だろうか。テラスハウスやひな壇住宅など、独立性の高さなどを理由に敢えて飼育可に変更する場合などを除き、分譲会社の多くは右に倣えの雛型を採用したわけだ。

管理規約が(入居・組合結成時に)一旦発効すると、その後の規約変更は簡単ではない。「ねこを飼いたいぞ!」という変更議案に、半数以上の区分所有者が賛成しなくてはならないのだから。

ところで、冒頭のクライアントがめでたく新しい猫を迎え入れた建物は、竣工当初からペット飼育が可能だったわけではない。
管理規約を改正して可能となった経緯があるようだ。管理組合役員や愛好家の頑張りがあったのかもしれない(実は、内緒で飼育される事例が散見されたらしい。その問題解決策として「飼うならきちんと責任を持って飼う」と動いたと聞く。何がどう転ぶかわかりませんな)。

猫のために住まいを購入する、良いなそれ。

猫ばかり書いていたからではないが、タイミングよく別のクライアントから「ワンコいいわよね」と言わんばかりの写真が届いた。迎えて1年の誕生日だという。たしかにこの子、人懐こくてカワイイのだよ。

ネコるべきかイヌるべきか、それが問題だ
飼い主ながら下僕にもなり得る境遇を喜びそして耐え忍ぶか
それともぺろぺろ攻撃を真っ向から受けて立つ交歓か

どちらも、どちらでも良いじゃないか。
でも悩む、揺れる心と秋の空。

街の居場所

思い立って眼底検査に行った。若い頃、網膜裂孔が見つかりレーザーでバチンと縫ったことがあるので、たまーに診てもらうのだ。
人気医院の当日WEB予約分はすぐ満杯。
残りの方は「直接出向いて、空き待ちをしてください」だって。
まあ暇だし、行って待つとするか。

受付:
「今、32人待ちです。今日は混んでますねー。状況はアプリで随時確認できますから、あと10人待ち位になったら医院に戻ってください。それまでお好きなところに居られて結構です」
ボク:
「はい、わかりました」

アプリ片手に街に出る。
「用もないのに」街に居続けるのは、いつ以来だろう。

「いやー、たまにはじっくりと店を見て廻るものいいなー」と書店に入る。
新書、専門書、さらには雑誌コーナーへふらふらと。

時計を見る、「なんだ、まだ30分しか経っていないぢゃないか」
アプリを見る、順番待ち人数は全く減っていない。

それでは、家具雑貨の店。「以前ここで展示用小物や照明を買ったな。今は要らない」
では次に、輸入食品の店。「今食料を買ってどうするのだ。医者に持っていくのか」
うむ、ユニクロにも入ろう。スタスタ、すたすたすた‥‥ひたすら歩く。

もう飽きたゾ疲れたゾ、持ってきた本を読もう。
店内エスカレーター脇にチェアが。
座ってみる。
これは厳しい‥。
すぐそこに立つ店員さんの視線に耐えきれないのだが。
文字は読むが、文章がアタマに入ってこない‥
いたたまれない。1分で席を立ってしまった。

街に目的もなく居るということが、こんなにタイヘンだとは。
ただフラフラするだけのオラは、もしかしてタイヘンの反対のヘンタイなのか。
街とは何かをする人だけが来る場所。そうなのかもしれない。

以前からそうだっただろうか。
もっと雑多で、キレイじゃなくて、ふらふらと様々な人が行き交っていたのは記憶違いか。

隅々まで清潔で快適、行き届いた街は安心で安全ではある。
でも、きれいに統制のとれた街はピシッとしていて、隙間がない。
少し窮屈に思えてきたりする‥。

そういえば、最近の歩道や公園施設を思い起こすとさー、
「立って腰掛けるオブジェのようなベンチ」は長居できない。
「仕切りを入れたベンチ」はゴロンと(するかどうかは別として)横になれない。
ましてやそんな場所で日がな一日ボーッとしていたら、怪しまれてしまうかもしれない。最早、ゆっくりのんびりする場所ではないのだ。
余計にもっと言うと、新宿地下通路の端には、上部が斜めカットされたカラフルな切株がワーッと生えている。趣旨が違うかもしれないが、この場所は何もしてはいけない場所。ゆっくりできない場所と言える(もちろんその意図はわかるが)。

ただ、そこにいることが難しい公園。
タダで、そこにいることが難しい街。

街はお金を出してモノやサービス、居場所を買うところ。
だからプチ消費者になればいい。スタバに入ればいいのよね(わし、ドトールがよいが)。

「おーっ15人待ちだ。もう午後なんですけど。チカレタよ、医院でわたし待つわ」

医院へ戻りながら、ふと商業施設1階の入口を見遣る。
風除室には長いベンチがある。
高齢の女性たちが押し込められたように鈴なりに座って、外を見ていた。
ここに一緒に座らせてもらえばヨカッタかも‥

今、そんなどうでも良いことを書いていたら、学生の頃を思い出した。

ひとりぼんやりと受けた授業の帰り、乗換えの日比谷駅。
ひとり日比谷公園の「ながーいベンチ」に「寝そべって」いた午後。
目を閉じていても透けて見えるような、強い陽射しの青い空だった。

「ベチャ」

胸のあたりが、しっとりと生温かいの‥
目を開けるのがコワイわ‥
「ながーい」からといって、青空の下で無防備に寝転んではアブナイのだ。

暑さ寒さも‥

買取再販。
買い取った不動産を再び販売する「お商売」のことをいう。

「買取」+「再販」と表記する通り、「安く買い」+「高く売る」。つまり「リフォームの有無」や「リフォームの程度」は買取再販の定義に入らない。

誰がこれをシゴトとしているのか…。
まず、上場している買取再販専業の独立系(再販大手と呼ばれる)やそれに準ずる業者。
それから、大手仲介会社の一部。仲介のついでに「それならウチで買いますよ」と、「いきなり再販業者」に変身する。
それらを頂きとすると、裾野にはウチのような零細がゴマンとある。まさに種々様々である。
事業への障壁が低いので(ホントウに低いのかは別として)、不動産業者はみーんな再販業者(or予備軍)とさえ言えるかもしれない。

不動産業の要諦は立地と価格(端的にはそういうこと、つまらん話だけど)。室内はきれいに越したことはないが、内装が素晴らしいからといって高く売れるわけではない。そういえばボクも、仲介の大先輩に「お前、内装にそんなにカネかけるのかよぅ」と呆れられたことがあった。

そんな不動産業界ではあるが、ここ10年位でリフォーム・リノベ工事の基準なども整理されてきた。「安心して住めるリフォーム済マンション」というカテゴリーもポピュラーになったように思う。
この変化は不動産業界単体というよりも、建設業界との際(きわ)の部分に起きた変化。つまり近そうでいて実際は遠く、溝が存在する「不動産業界」と「建築業界(設計も)」の接点部分における進展なのだと思っている。そう、二つの業界が近づくと物事が進化する。進化のポイントは業際にあるんじゃなかろうか。

但し、大手が参入すればするほど、早く安く大量に均質なモノづくりが進む(中古マンション自体は均質ではないが‥)。それは新築マンションの供給と同じ方法。だから破綻なくキレイではある。

となると、そのリフォーム内容は無難で、万人が受け入れ可能なものになっていくのだろう。別にそれが悪いわけではないが。(でも「万人」という「個人」は存在しないから、誰も喜ばないということもあり得るな‥)

であればこそ、ウチも常日頃「誰にでも受けるリフォーム物件」にすべく、時には「振り切りたい衝動に駆られて」脱線し(かけ)ながらも、あるべきセンを守ってきた(つもりだ)。(ホントウか‥)

そんな日々の中で、最大公約数を旨としない個別リフォームを(たまに)ご一緒することもある。そう、「たまに」ご一緒するのがちょうどいいのだ、ボクの場合。

上のリフォーム写真には、リフォーム主のご実家にあったステンドグラスが使われている。「いつかその機会があれば」と倉庫に眠らせていた建具だという。子供時代の懐かしい記憶が埋め込まれた、唯一無二の住まい。

彫金が施された蓋つき鏡のアンティークも施主所有品。壁には色むらが味わい深いモザイクタイル、そして仲良く並ぶステンドグラス‥。実は玄関を入った正面にも、帰った人を迎え入れるようにステンドグラスが嵌め込まれている。
明かりを灯すと、温かく懐かしい。時と場所を越えて、何処か遠くに居る気がする一角となったと思う(夕刻時には一層のことだろうな)。

ちなみにこの施主は服飾デザインの専門家。建築と服飾、どちらもデザインという領域でつながっている。今回のリフォームにおいては、(自邸であるから尚更のことだが)隣のデザイン領域での豊富な知見が生き生きと発揮されていた。

領域の際(きわ)に神は宿る。あちらとこちら。お彼岸に寄せて、そんなことを思ったワタクシだった。

秋へ!

夏が白い波をあげて沖へ去って行く
離島へ向かう客船を追いかける波跡のように
さらば夏よ、また逢う日まで‥

ナンチャッテ。
いまわ~もぅあき~ だれも~いないうみ~♪
ご存知ないですよね、トワ・エ・モア。なにせボクが生まれた頃の唄ですから‥。
そんな古い歌が口をついて出てくる、秋のはじまり。

いつもなら夏のうちに、北海道から大きな秋刀魚の初物がやってくる。ちょっと高いけどこれは特別だね、と奮発して買えるくらいのヤツ。その時ばかりは熾した炭をテラスに置き、夕闇に乗じてじゅう~っとやる。小さな楽しみ。

そんな「もうすぐ秋がやってきますぜ!」の号砲(さんま)が夏に鳴り、しばらくして本当の秋が来る。すると(既にサンマを食べているので)身も心も、秋を迎える準備万端‥
‥だったのだが今は違う。何の心の準備もないままに、いきなり朝の気温が下がる、秋の風を感じる、ときている。
なんだ、いまはもうあき、なのか?

もちろん今夏も、我が町に秋刀魚が来なかったわけではない
でも細くて高っか~いのよ
さらばサンマよ、また逢う日まで‥

というわけで先日、千葉産の小さめ鰯を買ってみたら、これがサンマに負けず劣らず良いではないですか。サンマの場合は教条的に塩焼きとなってしまうのだが、その点イワシは気分がカジュアルでフレキシブル。和洋なんでもござれだ。頭を落としてキレイなワタ(サンマでは喰うが)を抜いてみると、うーむ思った通りの身。芋とニンニク、摘んだローズマリーを絡めてオーブンに放り込むだけ、あー簡単。

(‥待つこと暫し‥)⏳

旨いぢゃないか!秋もイワシに限る(負け惜しみではない)。

というわけで、アジだイワシだサンマだと庶民的な青魚があればタイチョウプなワタクシ。なんだか「さんまロス」を乗り越えられそうな気になってきたゾ。

そうだね、秋へ行こう!

永遠と耐用年数のあいだ

森瑤子さんの「デザートはあなた」は、日本がバブル華やかなりし頃の小説。岩城滉一さん主演でテレビドラマになった当時、ボクも毎週日曜日の夜にボォーっと観ていました。なぜ曜日まで憶えているのかって?初任地福岡の日曜夜は、週明け1週間分のアイロン掛けが恒例だったから。アイロンと岩城滉一はセット物なのです。

主人公は大西俊介(岩城さんね)、世界最大の広告代理店(電○のこと?)に勤務する独身貴族。食と文化貢献(サグラダ・ファミリアへの支援。実際に日本人彫刻家が活躍していますね)、そしてバイクとヘミングウェイを愛する色男という設定です。先代から相続した土地に建てた外国人用アパートメントに自らも居住しているという‥。

今ならば「ちょっとねー」ではありますが、当時の空気を表していたとは言える。自宅に招いた美女を前に、丹精込めた料理を振る舞った挙げ句「デザートはあなた‥」に毎度逃げられる大西。親友役と主題歌には忌野清志郎さん。いい味が出ているドラマでした。

Question.ここで問題です。次の文中の[  ]に入る数字はいくつでしょう?

北軽井沢に建設中のホテル開業に合わせて壁画制作を請け負う女性美術家を、大西が陣中見舞いに訪ねる。大西の「君の仕事は永く残っていいね」という一言に返ってきたのが、「そんなことないわ。コンクリートの寿命は何年だと思うの 、[ ]年よ。私の作品も[ ]年後には朽ちた建物とともに瓦礫となるのよ、アーメン」という美術家の言葉。

Anser.さて答えは、ご想像にお任せします(怒!)

当時はまだ古いコンクリート建物が今ほど多い時代ではありませんでしたし、建物や設備の更新工事も今ほど普及していなかったことでしょう。法定耐用年数が建物の寿命だと言う人もいた時代ですからね。

小説中には、更にこんな会話もありました(※全て要約です)。

大西「それにしても何だよね、このホテルもここに建つ必然性が感じられないね。どうして日本には、踏み入れた途端にドキドキするようなホテルがないんだろう」

女性美術家「そうね、セビリアのアルフォンソ十三世みたいなホテルね。でも唯一の救いは私に壁画を頼んだことよ」

そんな登り坂の時代が表現された小説ではありました。翻って(少しは枯れた)現在の日本は、より周囲に馴染む建物をつくっていると思いたい。そして、そういう建物を造るようになるまでには、現在に至るまでの時間と経験が必要だったとも…。

と書いたものの、難しい問題はわからないので置いておくとして。いずれにしても、コンクリートの建物も(永遠ではないとしても)長寿ではあって欲しいところです。

ところで、今年の夏。蝉しぐれを聴きながら汗をかきかき出掛けたのは、10年以上前にウチが初めて手掛けた団地、そこにある隣の住棟。

当時でさえ齢四十を超えていたその団地は、いまや五十余にして益々健在です(先の女性美術家によれば、もう「アーメン」ですな…)。10年余の歳月なんてへいちゃらョと言わんばかりに、当時と変わらぬ姿で存在していました。

より永遠に近い建造物であるのが石造り。それが持つ悠久の時間のようなものを、「より耐用年数に近い」コンクリートの白い箱に見い出した気がしたものです(気のせいですか)。

蝉の声を聞きながら、そんな一瞬の小旅行(トリップ)となった夏の一日でした。

振り返っても、みどり‥

夏休み。湯河原にある別邸のテラスからパシャリと一枚。抜けるような青い空、濃くなった樹々の緑。外は焼けるような暑さですが、室内は快適。時たまテラスに出て写真を撮るくらいであれば、却って夏の暑さを楽しめるってもんです。

「別邸での早朝は、浜辺の散歩から始まります。お気に入りのパン屋に立ち寄って、朝食用バゲットを買い求めるのが日課です。日中は溜まった本を読んだり、町の温泉場に足を伸ばして温泉に浸かったり、のんびり過ごすことが多いですね。」

ヌワンチャッテ…。こういう投稿(雑誌モデルのコメントみたいなヤツね)、一度やってみたかったのだ。へへへ

けど…

これは妄想。おいらに別邸なんて無いもんねー。それに、この写真は湯河原じゃなくて、都心20km圏だし。

もうお分かりでしょう。実はこれ、ウチのリフォーム予定物件です。

でもね、この景色どうですか。これなら湯河原でなくても、別荘じゃなくても良いんでないの。ここには温泉湧いてないし、海もない。けれど温浴施設はあって、気の利いた鮨屋だってあるゾ。何なら漁港の代わりに、近所の市場でプロに混じって鮮魚を手に入れたってよいのだ(ククっ、苦しい置き換えだなぁ…)。

というわけで相変わらず、樹々のミドリが溢れる物件に手が伸びるワタクシ。先日も似たような写真を載せましたネ、でもコレまた別モノ。

ホンモノの別荘を持つのはキビチーけど、近郊で別荘的住まいならニャンとかなる。そんな暮らしは、金銭的にも精神的にも良いんでないかい、と思うのです。

おまけにこの物件、反対側の窓もスゴイんですよ。道路側ですが、こちらも窓外の眺めは青空と緑(電線がありますが、これはしょうがナイス。ここは日本、普通の街ですからね)。もう充分に素敵です。

そんな感じのこの住戸。両面に広がる緑の開口を活かして、光と風の抜ける部屋に「ヘーン、シン!」中てす。またひとつ、心地の良い暮らしが生まれますように。

整理整頓

今年は早い梅雨明け、と思いきや、戻り梅雨。そしていよいよ、容赦なく日射しが照りつける夏本番です。

と季節を謳ってみるも、暑かろうが寒かろうが現場には関係がない。休みになるわけでもない。そこに物件がある限り、工事は続くのだ…。

ところが、続くはずの工事が突如として止まってしまう。そんなことに気を揉む日々がありました。

写真の端、床に敷き込まれているのはパーティクルボード。新規二重床に必須の建材です。最近、これがもう市場から蒸発してしまって、タイヘンなことに。問屋にも店頭にも無いわ、ネットにもない。

そういえば、今春には給湯器が入手困難になり、工程の調整に難儀しました。しかしパーティクルボードが無かったら、もっと大変です。だって床がないと工事が始まりませんから(壁を先行するなど時間稼ぎもありますが、限界がありますよね)。

「池田さん、仲間がパーチ仕入れたってさ。その仕入先がまだ倉庫に持ってるんじゃないかって。値段は(倍以上)高いけど、最後はソレっすかネ」

「そだね…」

出来れば避けたいけど、あるだけマシか。普通に待っていたら工事が始まらないうちに予定した工期が終わってしまうゼ、トホホ…。

そんな「あるだけマシ」な状況が続き、最後の手段を講じる期日が迫る中…、果たしてウチは(何故か)パーチの確保を完了しました(もちろん通常価格です)、パチパチ。よって、スケジュールも予定通り。うーん、何とツイているのか。これは日頃の行ないの賜物と言えよう、オホン(笑、誰のだ?)

さて、上の写真に戻って大工さんの作業台。始業前に立ち寄ったのですが、ご覧の通り。木材の切れ端が整然と並び、床用ボンドまで横に添えられています。よく見る光景。

いつ訪ねても、材料と道具がキレイに並んでいる。まだ使えそうな端材は、寸法ごとに揃えて立て掛けてある。そんな所作がよく似合う、気持ちの良い大工さん。その清々しさは、小ざっぱりとした割烹の大将が醸すキリリ感、それと相通ずるものを感じます。

建築資材はもちろん有って欲しいけど、なんと言っても人あっての現場です。ボクの描いたフニャフニャの落書きを、アレコレ修正しながらビシッと仕上げてくれる人たち。暑さ寒さがあろうとも、(欠品がなければね…)予定通りに現場は進む。そう思える安心感はとても大きいことです。

ところで、品薄のパーティクルボードが無事に確保出来たのは、誰の行ないの賜物かって?

それはどうやらボクではなくて、現場を仕切る職人さん達のお陰様、というわけですね(笑)

みどりの海原

ウチのような小さな事務所にも、営業電話が掛かってくる。このご時世でも、まだ電話営業が有効なのかどうかは知らないが、とにかくあれこれ掛かってくる。

「マンション用地を探しています」「収益物件の客付けをお願いします」「賃貸管理のご担当者を」「広告を使わない集客方法があります」「原状回復工事は当社へ」「解体業者です」「新規事業にフィットネスクラブのフランチャイズを」「事業資金のご融資は」「事務機器の経費削減に」「池田社長はいらっしゃいますか」「〇〇証券です」「先物取引の‥」‥‥んもーっ!!

「すんません、ウチやっていないのよー」

ウチはチョー狭い事業領域で生きているので、街の不動産屋さんが扱っていそうな業務の殆どが当てはまらない。あ、それから、しゃちょーの資産運用もね‥。だから、なーんも要らないのだハハハ(笑)。しかし逆もまた真なり…、不動産屋の仕事頼まれてもお役に立ちません、あれもこれもやってないんで。トホホ‥、そんな業者でいいのでしょうか。

さて、そんなトホホな我が社(と呼ぼう)も行う、改装工事を施した中古マンションを反復継続して販売する事業は、もちろん不動産業であります(建築業ではない)。この業態は、仲介業者を挟んで顧客と対面、それも契約時だけという、顧客との接点が薄い種族。但しボクの場合は、案内の際も自ら住戸の鍵を開けて立ち会い、あれこれおしゃべりすることが多いのでその限りではありませんが。

そんなウチも不動産情報サイトに自社物件を掲載することもあります。その場合は仲介業者を介さず、顧客を直接にご案内します。

当社掲載物件に興味を持たれて直接見学に来られた皆さんですから、その物件を気に入れば購入、イマイチならば見送り、で業務オワリ。ところが、物件を気に入ったのだけれどタイミング合わず成約済で買えなかった方や、実は条件が合わないのは知ってたけど見たかったんだヨ、という方とのご縁は終わらず、逆にここが始まりに。

そんな方々との出会いが幾つもあり、ここしばらく「物件を探してリフォームしよう」という案件が続いていました。

昨春に探し始めてすぐに物件が決まり、盛夏にリフォーム、晩夏に入居という(業者並みの)スピード記録の方がいる一方で、4年越しのお付き合いでリフォーム完成に辿り着いた方もいらっしゃいます。

リフォーム業者ではなく建築士でもない、「リフォーム済物件の販売業者」と一緒に行う「物件探しとリフォーム」…。あまり馴染みのないハナシですが、考えようによってはアリ?かも知れません(実際、思われた方々がいたわけで‥)。

そして更に今回は、ウチの「リフォーム済物件」見学から始まり、「物件探してリフォーム」検討を経由して、「他社のリフォーム済物件」購入という、予期しないゴールをご一緒した一件もありました。

その方と物件探しをアレコレする中、条件に合う住戸に出会いました。「ピッタリじゃないですか! 」。ただひとつ、(リフォーム済につき)リフォームをする必要がないことを除けば…。

ということで、ボクとご一緒いただいた最大のポイントであろう「一緒にリフォーム」は、ここまで来ると最優先事項ではないと判断。物件購入にはタイミングも大切ですね。

写真は以前に販売した住戸から。実は今回の取得された住戸から見る景色は、これとほとんど同じ。遠くの地平から朝日が上り、やがて夕日に染まっていく。遮られることのない海原のような緑の眺望は、なかなか得難い特等席です。

ベランダにテーブルと椅子を出して、朝日の中で朝食を食べているとお聞きしました。

うんうん、そうでしょう、そうでしょう…。

と思っていたら、引越しのダンボールに埋もれて行き場がないのですって!ハハハ…

団地礼賛

約50年前の日本、高度成長期の住宅不足を背景にして怒涛のように建築された日本公団の団地群。特徴のひとつは、みーんな同じ間取り、のように見えること。でもよく眺めてみるとかなりバリエーションがあり、年を追って変化しているようです。けど、違いがわかんないなー、あんまり‥。ということで、そのあたりについては団地に詳しいサイト等があるでしょうからお任せしましょう。

建物配置については、さすがに場所が違えば団地ごとに異なります。建設時に敷地内残土をできる限り搬出しないように、元の敷地形状を活かした計画がなされたことは、以前に書いた通りです。とは言え、日照確保のために棟どうしが一定間隔を保ち、おまけに殆どが南向き配棟ですから、どれも同じに見えてしまうのは致し方ない。

そんな団地たち‥。後続の(そして今も続く)民間マンションとは明らかに一線を画す違いがあります。それは、敷地の大きさに対して圧倒的に建物(面積)が少ないこと。つまり現行で消化可能な容積率をかなり余らせた状態とも言えます(逆に1住戸あたりの土地持分が多いとも‥)。

航空写真(google mapなどでみてください)で比べてみれば一目瞭然です。マンションも戸建もぎっしりと並ぶ住宅地で、そこだけ縮尺が違うかのように住棟間隔が空いている敷地があります。学校のグラウンド‥ではありません、そこは団地の敷地。広い敷地に白い箱が点在し、箱の周りは大きく育った樹々の緑に占められています。

そんな団地のゆとりは、敷地や建物内に足を踏み入れてみると一層大きく感じられます。

この春も複数の団地でリフォーム工事を行いました。春先の日曜日、早朝に出向いたことがあります。低層階に位置するその住戸内に立つと、まだ低い太陽の光が何かに遮られることなく室内にサーッと差し込んでいました。バルコニーの先にはきれいに刈り込まれた広い芝生。更にその先には芽吹きを待つ樹々が連なっている。新緑はさぞ眩しいことでしょう。室内の反対方向を振り返ると、キッチンの窓いっぱいに咲く桜が‥(ちょうど満開だった)。そしてその静けさの中で、樹々を渡る鳥の繊細な声だけが響いている。ここは街と隣り合わせの桃源郷なのか‥。ちょっと言い過ぎですが、その時に感じたままを文章にするとそうなります。

そんなわけで、急ぎ立ち去るべきところ去り難く、暫しそこに佇んでおりました。

確かに団地の間取りや外観は、どれも同じく画一的に見えます。でもそんなこと、どーでも良いと思えるような豊かな時間と空間があるように思います。

さらに言うと、どの住戸も同一の白いキャンバスであるとしても、描かれる絵は十人十色であり、余白がたくさんあるということです。

上の写真は、文中に登場した住戸の完成直前の様子。この住戸の取得からリフォームまでご一緒したオーナーが考え、選び、自ら漆喰まで塗り上げました。素朴さと手作り感がありながら、断熱壁やインナーサッシを新設した快適な空間は、団地の豊かな環境を取り込んで唯一無二の住まいになったと思います。