暑さ寒さも‥

買取再販。
買い取った不動産を再び販売する「お商売」のことをいう。

「買取」+「再販」と表記する通り、「安く買い」+「高く売る」。つまり「リフォームの有無」や「リフォームの程度」は買取再販の定義に入らない。

誰がこれをシゴトとしているのか…。
まず、上場している買取再販専業の独立系(再販大手と呼ばれる)やそれに準ずる業者。
それから、大手仲介会社の一部。仲介のついでに「それならウチで買いますよ」と、「いきなり再販業者」に変身する。
それらを頂きとすると、裾野にはウチのような零細がゴマンとある。まさに種々様々である。
事業への障壁が低いので(ホントウに低いのかは別として)、不動産業者はみーんな再販業者(or予備軍)とさえ言えるかもしれない。

不動産業の要諦は立地と価格(端的にはそういうこと、つまらん話だけど)。室内はきれいに越したことはないが、内装が素晴らしいからといって高く売れるわけではない。そういえばボクも、仲介の大先輩に「お前、内装にそんなにカネかけるのかよぅ」と呆れられたことがあった。

そんな不動産業界ではあるが、ここ10年位でリフォーム・リノベ工事の基準なども整理されてきた。「安心して住めるリフォーム済マンション」というカテゴリーもポピュラーになったように思う。
この変化は不動産業界単体というよりも、建設業界との際(きわ)の部分に起きた変化。つまり近そうでいて実際は遠く、溝が存在する「不動産業界」と「建築業界(設計も)」の接点部分における進展なのだと思っている。そう、二つの業界が近づくと物事が進化する。進化のポイントは業際にあるんじゃなかろうか。

但し、大手が参入すればするほど、早く安く大量に均質なモノづくりが進む(中古マンション自体は均質ではないが‥)。それは新築マンションの供給と同じ方法。だから破綻なくキレイではある。

となると、そのリフォーム内容は無難で、万人が受け入れ可能なものになっていくのだろう。別にそれが悪いわけではないが。(でも「万人」という「個人」は存在しないから、誰も喜ばないということもあり得るな‥)

であればこそ、ウチも常日頃「誰にでも受けるリフォーム物件」にすべく、時には「振り切りたい衝動に駆られて」脱線し(かけ)ながらも、あるべきセンを守ってきた(つもりだ)。(ホントウか‥)

そんな日々の中で、最大公約数を旨としない個別リフォームを(たまに)ご一緒することもある。そう、「たまに」ご一緒するのがちょうどいいのだ、ボクの場合。

上のリフォーム写真には、リフォーム主のご実家にあったステンドグラスが使われている。「いつかその機会があれば」と倉庫に眠らせていた建具だという。子供時代の懐かしい記憶が埋め込まれた、唯一無二の住まい。

彫金が施された蓋つき鏡のアンティークも施主所有品。壁には色むらが味わい深いモザイクタイル、そして仲良く並ぶステンドグラス‥。実は玄関を入った正面にも、帰った人を迎え入れるようにステンドグラスが嵌め込まれている。
明かりを灯すと、温かく懐かしい。時と場所を越えて、何処か遠くに居る気がする一角となったと思う(夕刻時には一層のことだろうな)。

ちなみにこの施主は服飾デザインの専門家。建築と服飾、どちらもデザインという領域でつながっている。今回のリフォームにおいては、(自邸であるから尚更のことだが)隣のデザイン領域での豊富な知見が生き生きと発揮されていた。

領域の際(きわ)に神は宿る。あちらとこちら。お彼岸に寄せて、そんなことを思ったワタクシだった。

秋へ!

夏が白い波をあげて沖へ去って行く
離島へ向かう客船を追いかける波跡のように
さらば夏よ、また逢う日まで‥

ナンチャッテ。
いまわ~もぅあき~ だれも~いないうみ~♪
ご存知ないですよね、トワ・エ・モア。なにせボクが生まれた頃の唄ですから‥。
そんな古い歌が口をついて出てくる、秋のはじまり。

いつもなら夏のうちに、北海道から大きな秋刀魚の初物がやってくる。ちょっと高いけどこれは特別だね、と奮発して買えるくらいのヤツ。その時ばかりは熾した炭をテラスに置き、夕闇に乗じてじゅう~っとやる。小さな楽しみ。

そんな「もうすぐ秋がやってきますぜ!」の号砲(さんま)が夏に鳴り、しばらくして本当の秋が来る。すると(既にサンマを食べているので)身も心も、秋を迎える準備万端‥
‥だったのだが今は違う。何の心の準備もないままに、いきなり朝の気温が下がる、秋の風を感じる、ときている。
なんだ、いまはもうあき、なのか?

もちろん今夏も、我が町に秋刀魚が来なかったわけではない
でも細くて高っか~いのよ
さらばサンマよ、また逢う日まで‥

というわけで先日、千葉産の小さめ鰯を買ってみたら、これがサンマに負けず劣らず良いではないですか。サンマの場合は教条的に塩焼きとなってしまうのだが、その点イワシは気分がカジュアルでフレキシブル。和洋なんでもござれだ。頭を落としてキレイなワタ(サンマでは喰うが)を抜いてみると、うーむ思った通りの身。芋とニンニク、摘んだローズマリーを絡めてオーブンに放り込むだけ、あー簡単。

(‥待つこと暫し‥)⏳

旨いぢゃないか!秋もイワシに限る(負け惜しみではない)。

というわけで、アジだイワシだサンマだと庶民的な青魚があればタイチョウプなワタクシ。なんだか「さんまロス」を乗り越えられそうな気になってきたゾ。

そうだね、秋へ行こう!

永遠と耐用年数のあいだ

森瑤子さんの「デザートはあなた」は、日本がバブル華やかなりし頃の小説。岩城滉一さん主演でテレビドラマになった当時、ボクも毎週日曜日の夜にボォーっと観ていました。なぜ曜日まで憶えているのかって?初任地福岡の日曜夜は、週明け1週間分のアイロン掛けが恒例だったから。アイロンと岩城滉一はセット物なのです。

主人公は大西俊介(岩城さんね)、世界最大の広告代理店(電○のこと?)に勤務する独身貴族。食と文化貢献(サグラダ・ファミリアへの支援。実際に日本人彫刻家が活躍していますね)、そしてバイクとヘミングウェイを愛する色男という設定です。先代から相続した土地に建てた外国人用アパートメントに自らも居住しているという‥。

今ならば「ちょっとねー」ではありますが、当時の空気を表していたとは言える。自宅に招いた美女を前に、丹精込めた料理を振る舞った挙げ句「デザートはあなた‥」に毎度逃げられる大西。親友役と主題歌には忌野清志郎さん。いい味が出ているドラマでした。

Question.ここで問題です。次の文中の[  ]に入る数字はいくつでしょう?

北軽井沢に建設中のホテル開業に合わせて壁画制作を請け負う女性美術家を、大西が陣中見舞いに訪ねる。大西の「君の仕事は永く残っていいね」という一言に返ってきたのが、「そんなことないわ。コンクリートの寿命は何年だと思うの 、[ ]年よ。私の作品も[ ]年後には朽ちた建物とともに瓦礫となるのよ、アーメン」という美術家の言葉。

Anser.さて答えは、ご想像にお任せします(怒!)

当時はまだ古いコンクリート建物が今ほど多い時代ではありませんでしたし、建物や設備の更新工事も今ほど普及していなかったことでしょう。法定耐用年数が建物の寿命だと言う人もいた時代ですからね。

小説中には、更にこんな会話もありました(※全て要約です)。

大西「それにしても何だよね、このホテルもここに建つ必然性が感じられないね。どうして日本には、踏み入れた途端にドキドキするようなホテルがないんだろう」

女性美術家「そうね、セビリアのアルフォンソ十三世みたいなホテルね。でも唯一の救いは私に壁画を頼んだことよ」

そんな登り坂の時代が表現された小説ではありました。翻って(少しは枯れた)現在の日本は、より周囲に馴染む建物をつくっていると思いたい。そして、そういう建物を造るようになるまでには、現在に至るまでの時間と経験が必要だったとも…。

と書いたものの、難しい問題はわからないので置いておくとして。いずれにしても、コンクリートの建物も(永遠ではないとしても)長寿ではあって欲しいところです。

ところで、今年の夏。蝉しぐれを聴きながら汗をかきかき出掛けたのは、10年以上前にウチが初めて手掛けた団地、そこにある隣の住棟。

当時でさえ齢四十を超えていたその団地は、いまや五十余にして益々健在です(先の女性美術家によれば、もう「アーメン」ですな…)。10年余の歳月なんてへいちゃらョと言わんばかりに、当時と変わらぬ姿で存在していました。

より永遠に近い建造物であるのが石造り。それが持つ悠久の時間のようなものを、「より耐用年数に近い」コンクリートの白い箱に見い出した気がしたものです(気のせいですか)。

蝉の声を聞きながら、そんな一瞬の小旅行(トリップ)となった夏の一日でした。

振り返っても、みどり‥

夏休み。湯河原にある別邸のテラスからパシャリと一枚。抜けるような青い空、濃くなった樹々の緑。外は焼けるような暑さですが、室内は快適。時たまテラスに出て写真を撮るくらいであれば、却って夏の暑さを楽しめるってもんです。

「別邸での早朝は、浜辺の散歩から始まります。お気に入りのパン屋に立ち寄って、朝食用バゲットを買い求めるのが日課です。日中は溜まった本を読んだり、町の温泉場に足を伸ばして温泉に浸かったり、のんびり過ごすことが多いですね。」

ヌワンチャッテ…。こういう投稿(雑誌モデルのコメントみたいなヤツね)、一度やってみたかったのだ。へへへ

けど…

これは妄想。おいらに別邸なんて無いもんねー。それに、この写真は湯河原じゃなくて、都心20km圏だし。

もうお分かりでしょう。実はこれ、ウチのリフォーム予定物件です。

でもね、この景色どうですか。これなら湯河原でなくても、別荘じゃなくても良いんでないの。ここには温泉湧いてないし、海もない。けれど温浴施設はあって、気の利いた鮨屋だってあるゾ。何なら漁港の代わりに、近所の市場でプロに混じって鮮魚を手に入れたってよいのだ(ククっ、苦しい置き換えだなぁ…)。

というわけで相変わらず、樹々のミドリが溢れる物件に手が伸びるワタクシ。先日も似たような写真を載せましたネ、でもコレまた別モノ。

ホンモノの別荘を持つのはキビチーけど、近郊で別荘的住まいならニャンとかなる。そんな暮らしは、金銭的にも精神的にも良いんでないかい、と思うのです。

おまけにこの物件、反対側の窓もスゴイんですよ。道路側ですが、こちらも窓外の眺めは青空と緑(電線がありますが、これはしょうがナイス。ここは日本、普通の街ですからね)。もう充分に素敵です。

そんな感じのこの住戸。両面に広がる緑の開口を活かして、光と風の抜ける部屋に「ヘーン、シン!」中てす。またひとつ、心地の良い暮らしが生まれますように。

整理整頓

今年は早い梅雨明け、と思いきや、戻り梅雨。そしていよいよ、容赦なく日射しが照りつける夏本番です。

と季節を謳ってみるも、暑かろうが寒かろうが現場には関係がない。休みになるわけでもない。そこに物件がある限り、工事は続くのだ…。

ところが、続くはずの工事が突如として止まってしまう。そんなことに気を揉む日々がありました。

写真の端、床に敷き込まれているのはパーティクルボード。新規二重床に必須の建材です。最近、これがもう市場から蒸発してしまって、タイヘンなことに。問屋にも店頭にも無いわ、ネットにもない。

そういえば、今春には給湯器が入手困難になり、工程の調整に難儀しました。しかしパーティクルボードが無かったら、もっと大変です。だって床がないと工事が始まりませんから(壁を先行するなど時間稼ぎもありますが、限界がありますよね)。

「池田さん、仲間がパーチ仕入れたってさ。その仕入先がまだ倉庫に持ってるんじゃないかって。値段は(倍以上)高いけど、最後はソレっすかネ」

「そだね…」

出来れば避けたいけど、あるだけマシか。普通に待っていたら工事が始まらないうちに予定した工期が終わってしまうゼ、トホホ…。

そんな「あるだけマシ」な状況が続き、最後の手段を講じる期日が迫る中…、果たしてウチは(何故か)パーチの確保を完了しました(もちろん通常価格です)、パチパチ。よって、スケジュールも予定通り。うーん、何とツイているのか。これは日頃の行ないの賜物と言えよう、オホン(笑、誰のだ?)

さて、上の写真に戻って大工さんの作業台。始業前に立ち寄ったのですが、ご覧の通り。木材の切れ端が整然と並び、床用ボンドまで横に添えられています。よく見る光景。

いつ訪ねても、材料と道具がキレイに並んでいる。まだ使えそうな端材は、寸法ごとに揃えて立て掛けてある。そんな所作がよく似合う、気持ちの良い大工さん。その清々しさは、小ざっぱりとした割烹の大将が醸すキリリ感、それと相通ずるものを感じます。

建築資材はもちろん有って欲しいけど、なんと言っても人あっての現場です。ボクの描いたフニャフニャの落書きを、アレコレ修正しながらビシッと仕上げてくれる人たち。暑さ寒さがあろうとも、(欠品がなければね…)予定通りに現場は進む。そう思える安心感はとても大きいことです。

ところで、品薄のパーティクルボードが無事に確保出来たのは、誰の行ないの賜物かって?

それはどうやらボクではなくて、現場を仕切る職人さん達のお陰様、というわけですね(笑)

みどりの海原

ウチのような小さな事務所にも、営業電話が掛かってくる。このご時世でも、まだ電話営業が有効なのかどうかは知らないが、とにかくあれこれ掛かってくる。

「マンション用地を探しています」「収益物件の客付けをお願いします」「賃貸管理のご担当者を」「広告を使わない集客方法があります」「原状回復工事は当社へ」「解体業者です」「新規事業にフィットネスクラブのフランチャイズを」「事業資金のご融資は」「事務機器の経費削減に」「池田社長はいらっしゃいますか」「〇〇証券です」「先物取引の‥」‥‥んもーっ!!

「すんません、ウチやっていないのよー」

ウチはチョー狭い事業領域で生きているので、街の不動産屋さんが扱っていそうな業務の殆どが当てはまらない。あ、それから、しゃちょーの資産運用もね‥。だから、なーんも要らないのだハハハ(笑)。しかし逆もまた真なり…、不動産屋の仕事頼まれてもお役に立ちません、あれもこれもやってないんで。トホホ‥、そんな業者でいいのでしょうか。

さて、そんなトホホな我が社(と呼ぼう)も行う、改装工事を施した中古マンションを反復継続して販売する事業は、もちろん不動産業であります(建築業ではない)。この業態は、仲介業者を挟んで顧客と対面、それも契約時だけという、顧客との接点が薄い種族。但しボクの場合は、案内の際も自ら住戸の鍵を開けて立ち会い、あれこれおしゃべりすることが多いのでその限りではありませんが。

そんなウチも不動産情報サイトに自社物件を掲載することもあります。その場合は仲介業者を介さず、顧客を直接にご案内します。

当社掲載物件に興味を持たれて直接見学に来られた皆さんですから、その物件を気に入れば購入、イマイチならば見送り、で業務オワリ。ところが、物件を気に入ったのだけれどタイミング合わず成約済で買えなかった方や、実は条件が合わないのは知ってたけど見たかったんだヨ、という方とのご縁は終わらず、逆にここが始まりに。

そんな方々との出会いが幾つもあり、ここしばらく「物件を探してリフォームしよう」という案件が続いていました。

昨春に探し始めてすぐに物件が決まり、盛夏にリフォーム、晩夏に入居という(業者並みの)スピード記録の方がいる一方で、4年越しのお付き合いでリフォーム完成に辿り着いた方もいらっしゃいます。

リフォーム業者ではなく建築士でもない、「リフォーム済物件の販売業者」と一緒に行う「物件探しとリフォーム」…。あまり馴染みのないハナシですが、考えようによってはアリ?かも知れません(実際、思われた方々がいたわけで‥)。

そして更に今回は、ウチの「リフォーム済物件」見学から始まり、「物件探してリフォーム」検討を経由して、「他社のリフォーム済物件」購入という、予期しないゴールをご一緒した一件もありました。

その方と物件探しをアレコレする中、条件に合う住戸に出会いました。「ピッタリじゃないですか! 」。ただひとつ、(リフォーム済につき)リフォームをする必要がないことを除けば…。

ということで、ボクとご一緒いただいた最大のポイントであろう「一緒にリフォーム」は、ここまで来ると最優先事項ではないと判断。物件購入にはタイミングも大切ですね。

写真は以前に販売した住戸から。実は今回の取得された住戸から見る景色は、これとほとんど同じ。遠くの地平から朝日が上り、やがて夕日に染まっていく。遮られることのない海原のような緑の眺望は、なかなか得難い特等席です。

ベランダにテーブルと椅子を出して、朝日の中で朝食を食べているとお聞きしました。

うんうん、そうでしょう、そうでしょう…。

と思っていたら、引越しのダンボールに埋もれて行き場がないのですって!ハハハ…

団地礼賛

約50年前の日本、高度成長期の住宅不足を背景にして怒涛のように建築された日本公団の団地群。特徴のひとつは、みーんな同じ間取り、のように見えること。でもよく眺めてみるとかなりバリエーションがあり、年を追って変化しているようです。けど、違いがわかんないなー、あんまり‥。ということで、そのあたりについては団地に詳しいサイト等があるでしょうからお任せしましょう。

建物配置については、さすがに場所が違えば団地ごとに異なります。建設時に敷地内残土をできる限り搬出しないように、元の敷地形状を活かした計画がなされたことは、以前に書いた通りです。とは言え、日照確保のために棟どうしが一定間隔を保ち、おまけに殆どが南向き配棟ですから、どれも同じに見えてしまうのは致し方ない。

そんな団地たち‥。後続の(そして今も続く)民間マンションとは明らかに一線を画す違いがあります。それは、敷地の大きさに対して圧倒的に建物(面積)が少ないこと。つまり現行で消化可能な容積率をかなり余らせた状態とも言えます(逆に1住戸あたりの土地持分が多いとも‥)。

航空写真(google mapなどでみてください)で比べてみれば一目瞭然です。マンションも戸建もぎっしりと並ぶ住宅地で、そこだけ縮尺が違うかのように住棟間隔が空いている敷地があります。学校のグラウンド‥ではありません、そこは団地の敷地。広い敷地に白い箱が点在し、箱の周りは大きく育った樹々の緑に占められています。

そんな団地のゆとりは、敷地や建物内に足を踏み入れてみると一層大きく感じられます。

この春も複数の団地でリフォーム工事を行いました。春先の日曜日、早朝に出向いたことがあります。低層階に位置するその住戸内に立つと、まだ低い太陽の光が何かに遮られることなく室内にサーッと差し込んでいました。バルコニーの先にはきれいに刈り込まれた広い芝生。更にその先には芽吹きを待つ樹々が連なっている。新緑はさぞ眩しいことでしょう。室内の反対方向を振り返ると、キッチンの窓いっぱいに咲く桜が‥(ちょうど満開だった)。そしてその静けさの中で、樹々を渡る鳥の繊細な声だけが響いている。ここは街と隣り合わせの桃源郷なのか‥。ちょっと言い過ぎですが、その時に感じたままを文章にするとそうなります。

そんなわけで、急ぎ立ち去るべきところ去り難く、暫しそこに佇んでおりました。

確かに団地の間取りや外観は、どれも同じく画一的に見えます。でもそんなこと、どーでも良いと思えるような豊かな時間と空間があるように思います。

さらに言うと、どの住戸も同一の白いキャンバスであるとしても、描かれる絵は十人十色であり、余白がたくさんあるということです。

上の写真は、文中に登場した住戸の完成直前の様子。この住戸の取得からリフォームまでご一緒したオーナーが考え、選び、自ら漆喰まで塗り上げました。素朴さと手作り感がありながら、断熱壁やインナーサッシを新設した快適な空間は、団地の豊かな環境を取り込んで唯一無二の住まいになったと思います。

新しき革袋に

多摩川に程近い城南地区に住む知人と会うには、川に沿って延びる南武線沿線が好都合。ということで東急線と交差する駅へ。開発が進んだ駅前では、ニョキニョキ生えるタワマンに見下ろされる。散歩気分のオイラはサンダル履きでやって来たものの、オシャレに変貌した街にちょっと場違いな感じか?

都心駅ビルでも郊外ターミナルビルでも、どこにも並ぶ似た店舗群。そんな既視感のある商業ゾーンを抜けて外に出て、きょろきょろとビルの谷間を探す。ひっそりとしたあの路地あたりが待ち合わせの場所だろう、小径にするりと滑り込んだ。

夜になると賑わうのだろうその界隈にも、昼間から開けている店をぽつぽつと見掛ける。既に数組の客が杯を傾けながら楽しそうに談笑している様子は夜と変わらない。店内は昼間の陽射しと比べると薄暗く、いや昼間だからこそ、その暗がりに居場所を見つけた気分になるというものか‥。

まっさらなキャンバスに描かれたマチも良いが、ボクは横丁のある風景にも親しみを感じる。学校からの帰り道には小さな横丁を抜けて、坂上に黒塀が続く石畳の路地を帰ったっけ。そう、子供時代のボクはまだ花街の風情が残る坂の街に暮らしていたのだ。

閑話休題。そんなボクも今ではすっかり郊外の人となって‥

東京都から見て川の先にあるから川崎、その川沿いの多摩丘陵入口の低地に位置するのが登戸地区。南武線と小田急線が交差するこの地区では現在、区画整理事業に伴う槌音が聞こえている。工場群が立地する地区の再開発と異なり、地権者の多いこの地区が槌音を聞くまでには随分と長い期間(と費用‥)が必要だったようで、ようやく日の目を見たというところか。

高架を走る電車の窓外に見える様子が日々変わっていく。以前のボクだったら、街の変化を見逃すまいと目を凝らしただろう。誰が建てるのか、新しく何が出来るのか‥。でも今はあまり熱心ではない。それよりも逆に何が無くなってしまうのか、何は残るのか、そんなことの方が気になるくらいで。

この街の古くからあった小径には、店主の背後に酒樽が鎮座する酒場があった。其処では酒と言えば確かその銘柄だけで、その樽から枡に取ってもらう。杉の清々しい香り漂う枡酒は正月でなくとも華やかで、ボクにとっては少しだけ特別な店だったのだが、ある時に年季を感じさせたその店は区画整理に伴い跡形もなく姿を消してしまった。(その後、組合側が用意するプレハブなどで営業をしているのかもしれないが、ボクは知らない‥)

ここ登戸でも、タワーマンションに下層商業店舗という開発が幾つか予定されているようだけれど、広い区画整理エリアだからそんなのばかりではない。よく言えば個性豊か、別の言い方をすると何の統一感もなくあちこちに小さな建物が(駅裏に一軒家も!)建ち始めている。でもそれが良いではないか。もちろん大資本が面単位で行う大規模開発も悪くはないけれど、なんていうかスキマみたいなモノもね‥。

オーナー兼店主が店を切り盛りしているであろう小さな飲食店が、ちらほら小さな賃貸ビルに出現している。すべてが順風満帆に行くわけではないだろうけれど、そんな中から新しいこの街に根付いていく店が現れるのだろう(樽酒はないかな?)。

新しき酒は新しき革袋にいれよ、ならぬ、新しき店よ新しき街に出でよ。ナンチャッテ‥(旧い店は戻って来なさんな、とはいわない‥)

一方で、新しい店が次々と入ってくる旧い街も良いもの。旧い街が新しい店の熟成を促し、逆に街の細胞も(新店を迎えて)生き生きと活きてくる。

まさにボクが育った都心の街がそう。一見すると古い革袋(お寺さんや石畳は変わらないからね‥)だが、新しい酒を入れ続けているうちに、古い革袋は漏れるどころかすっかり強靭な細胞に入れ替わっているようだ

今は出掛ける機会もすっかり減ったけれど、いつ行っても新しい店が一見旧そうな佇まいの街に馴染んでいる。個人店(のように見える店)が多い街はボクにとって、居心地が良く、風が通り抜ける街。さらに言うと、裏路地に猫がいる街も(笑)

As Time Goes By

一年でほんの一瞬、この季節ならではのコントラスト

幾つか特定のマンションが中古市場に登場すると、通知が来ます。先日もピコン。どれどれ‥

価格は少し高めだから、リフォーム済の物件だろうか。間取りにも誰かの手が入っている。ん、どこかで見たことのある間取り‥。なんだ、以前にウチが販売した物件ではないですか。

ウチがリフォーム済物件の販売を始めて優に10年以上(細々とではあるが)。当時購入された方が売りに出しても不思議ではありません。新築マンションでさえ、竣工後1年もすれば中古として市場に出てくるのですから。

実際、販売した物件が売りに出るのは今回が初めてではありません。以前には、引渡しからたったの2年で売りに出された(それも既に空室の状態で‥)物件があります。(案内には立ち会えなかったので)購入の契約時に初めてお会いしたご主人は「物件に一目惚れしました。全権委任した妻は現地を見ていませんが(笑)」と、にこやかに話されていました。それから2年後、売却中であることを知った時には少し動揺して‥。その理由を知る由もありませんが、都心から来られたご夫婦には郊外生活が合わなかったのでしょうか‥。

ところで今回の物件、Mさんはどうされたのだろう‥。

添付写真を見ると居住中の室内は整然と使われています。販売時に置いてきた家具類も健在。リビングに使った差し色も気に入っていただけたはず。そう思うのは、当時は白色であった寝室壁の一面が、リビングの差し色と同色に塗られているから。そして当時は無かったベビーベッド、仲良く並んだ二脚の子供用チェア(よく見掛ける外国製のアレだ)が写っていました。

高い専門性を持って活躍していた彼女は、いつの間にかお母さんの草鞋(わらじ)も履いていたのでした。

この住戸を販売したのは比較的最近のことのように感じていました。でも数えてみれば、それは一昔前のことだと言えるだけの時間が経過していたのです。物事は同じところに留まることはなく、常に変化している。当たり前のことですね、諸行無常です。

今回この住戸の売却を担当している方は幸い知った顔なので、差しさわりのない事情についてならば知ることも出来るかもしれません。でも知って何になるわけでもない。きっと次の一歩を踏み出すタイミングなのだろうな‥。小さなご縁があったご家族、皆さんに幸あれと思います。

夢の跡にて

「ぼんやりとした写真を見ろ!」「春霞だ!」「重機の土埃だ!」「いや、写真が下手くそだ!」

さて、この現地はよく知る場所なのですが、久しぶりに通り掛かったところ、これまで存在していた数棟の低層集合住宅が跡形も無くなっていました。

消えた住宅群は、ある特殊法人が所有していた職員用宿舎。時代の流れで閉鎖されていたのです。何人も立ち入らぬよう周囲はぐるり閉じられ、バリケード越しに覗くススキがなんとも「兵(つわもの)どもが夢の跡」。そしてそのまま月日が経ち、民間に売却されて現在に至ります。

2,000坪超の広大な敷地に5台の重機が入って造成中。新築分譲戸建て約50戸が計画されています。敷地は東西に長く、南に傾斜するひな壇状である上に、南北西の三方で公道に接していますから、(無駄なく)ピッチピチ(‥)に戸建を配置することができる。(ある意味では‥)戸建用地として好適と言えましょう。

ちなみに、写真奥の方、つまり造成中土地の向こう側にRC建造物(のアタマ)が見えますね。これは3階建の分譲マンションで、以前にボクもリフォーム販売を手掛けています。窓外には敷地内の樹々が茂り、鳥のさえずりで目が覚めるという羨ましい環境にある住戸でした。

低層地域といえばイメージは戸建住宅。たとえ大きな土地があっても、容積率が低く建物を上に伸ばすことができない地域のマンション事業は(一般的に)厳しく、戸建事業者に(土地を)買い負けてしまう場合が多いのです(もちろん条件次第ではマンション用地になり得ます。また、丘陵エリア特有の傾斜地などではコンクリートのカタマリであるマンションの方が出番が多かったりもしますから、低層地域全てが戸建になるわけではないのですが。なお、賃貸マンションに3階建が多いのは別の話です、土地が代々の所有ですから‥)。

ということで、上の低層マンションは(昭和のものとはいえ)比較的珍しい部類と言えましょう。

随分前にはこんなことを言われていました。マンションは戸建を買うまでの(マイホームすごろくの)通過点であり、上がりは一軒家だと。郊外まで出ていってマンション買うの?とか‥。今はあまり聞きませんけどね。

しかし、空が広く緑の濃い環境を好む方の全てが戸建派とは限りません。(一般的な戸建に比べれば)管理や処分が比較的容易であり、費用を抑えて身軽にいることができるのが中古マンションの良いところ。その視点に立つ方ならば、戸建エリアに立地する低層マンションは望ましい選択肢になり得るでしょう。

‥と書くも残念ながら、前述の通り低層3階建マンションは数が少ない。でも少ないながらも、時代の追い風を受けた(敷地配置、住戸プランともに)贅沢なマンションも時々見られます(上写真はちょっと違うが‥)。今となっては新たにそれらを造ることができないでしょうし、(少なくとも)近い将来に登場する機会もないように思います。

そう考えると、ますます貴重に思えます。ましてや、当時の工事に掛かったであろう金額を想うと、現在の販売価格は「エッ!」と思うほど安かったりする。

もちろん、それが世の中の一般的な需給バランスからくる評価なのでしょう。でも自分自身にとってそれが良い物件ならそれでよし。つまり世間一般とジブンの価値観が違うなら割安に思えるわけですから、益々良いではないですか! 

「この書き散らかした投稿を見ろ!」「何が言いたいんだ!」「いったい誰に向けて書いているのだ!」「いや、これはただの雑記だ、独り言だ!」