市中山居

寒暖と晴雨を繰り返しながら、ようやく四月になりました。

冬のあいだの多摩丘陵は、葉を落とした樹々や森でさえもボリュームがあるせいか、人工物で埋められた街よりも少しだけ寒々しい。だからこそ、春を迎える喜びは都心の街と比べて大きいのかもしれません(もちろん、厳しい冬を越えて春を迎える北国とは比べ物にならないけれど‥)。

森に近く暮らすことの楽しみ(楽しい”面”というのが正しいですね‥)をしみじみと感じる、今日この頃です。

昨年中にリフォームをご一緒した方からのメールに、「すっかり朝型人間になりました。朝が気持ちよい場所です、シジュウカラが鳴いています」とありました。これまでは都内の閑静な住宅地にお住まいだった方です。窓の外に小さな森が見え、その向こう側から朝日が昇り、鳥がさえずる環境はまさに別世界でしょう(笑)。

そういえば一昨年も、同様に都内の閑静な住宅地から丘陵に移られた方が居られます。街の喧噪を少しだけ離れて、別荘(暮らしのような)生活をすべくこの丘陵に分け入ってこられました‥。果してそのご希望通り、街には近いけれどそこは別世界。「朝日とともに起きてきて~♪、夕日を眺めて寝てしまう~♬」というカメハメハ大王のような(これはないです…笑)素敵な暮らしを手に入れられた(ぱちぱち)。

皆さん、都心までの(比較的)良好な交通利便性は確保しつつ、のんびりとした日常を楽しんで居られる。そのいい塩梅のエリアが多摩丘陵であるというわけですね。

そうなのです、このエリアは多摩川を挟んで東京と向き合うフロントライン。ここで気ままに暮らしながらも、一旦緩急あれば街へと駆け付ける。まるでその姿は、英国の田園に居を構えつつ有事の際には最前線に赴くジェントルマン、ひいては鶴川に居を構えて都心に睨みを利かせた紳士、白洲次郎翁を彷彿させるじゃないですか。(曲解しすぎ、スミマセン)

そういえば随分と昔に塩野七生さんの著書で、ジェントルマンの語源(起源?)はイタリアに在りと読んだ記憶があります。その始祖である伊版ジェントルマンについては最早(ボクには)定かではありません。しかし本場英国のそれを経て、多摩丘陵に住まう顔ぶれにもその心は受け継がれている、そう思うのは多少無理がある…か(笑)。

かくいうボクも、鳥が鳴き樹々が茂る環境に身を置くひとりですが、まさに先日「一旦緩急」あって街まで駆け付けてきたところです。

「ランチビール‥」

アホか‥。しかし、のほほんと暮らすボクにとっては、これは一大事。懐かしい顔からの誘い(誘惑か‥)に押っ取り刀で馳せ参じ‥へへ。

童心

世界を魅了した、ピアニスト反田恭平さんのショパン。楽しげなコロコロとした音‥、その音を出す時は(自身の)こどもの頃を思い浮かべている、と書いていました。なんか良いハナシだなぁと思っていたら、デザイナー深澤直人さんのエピソードも思い出しました。

世田谷に新築したアトリエ(自宅兼仕事場のこと)について。子供の頃、似たような絵を何枚も描いていたそうです。その絵とは、十字の格子窓、オレンジの大きな木がある小高い丘の家。それが深澤少年にとって家の原風景となりました。それから幾年月、ついに実現したアトリエには、どこかその面影があるようです。(写真を見ました。素敵過ぎてまるで別モノですが(笑)、どこか相通じると言えばそうでもアル‥)

小さい頃の想いや記憶は、心の奥深くに眠っている。そして、思わぬ時に湧き出てきたり、創造の源泉になったりするのかもしれません。

ところでいきなり話は身近にZoom In。ボクは子供時代のひとときを、自宅の裏山に白鷺が飛来するようなカントリーな地で過ごしました。

春、水ぬるんだ用水路でカエルの卵を掴み、山に入りて竹を取り(竹取の翁か!)、弓矢をこしらえ切り株に放つ。

夏、早朝の虫取りは蜂に襲われ退却、桑の葉摘んで育てた蚕(かいこ)は、気付けば天井四隅で蛹(さなぎ)となって(その後は、ううっ‥)。

秋、夕暮れに草野球、ガラスを割ってシュンとして。沼で釣ったザリガニは、留守の間に共喰いし‥(またシュンと‥)。

冬、焚火に焼き芋、こたつでミカン。広場で揚げるはゲイラカイト(ご存知ですか、よく揚がるのヨ)‥。

そんな風に、朝から夕暮れまで駆け回っていた時代。でも、一番記憶に残っているのは自宅の小さな庭の昼下がり。「春の陽射しと干した布団の匂い」(ホコリだったのかも‥)。

今も住まいをつくる時、太陽に向いたバルコニーに出て、目をつむってみる。まぶた越しに届く暖かい陽射しを受けて思うんですね、ここは良い部屋じゃないか!って‥。

心地良い光と風さえあれば、それでもう充分じゃないか‥。

オジサンになった今でもそんな気分になるのは、こどもの頃の記憶以外の何ものでもない。冒頭の著名人に重ねて、そう思うのです(重ねるな!)。

啓蟄を過ぎ、今は「The 春」。あちこちに、目覚めた生き物たちを見掛けます(おー、隣でアリが初仕事に取り掛かっていますなぁ)。虫たち同様、ボクのコドモ時代の記憶も目覚める季節。

果してその目覚めは、何かが湧き出る創造の源泉か、それとも単なる老化の産物なのか‥。

いずれにしてもよい季節を迎えました。花粉さえ少なければねぇ‥

マジすか!ホワイト

sanwacompany Websiteより

モルタルのような質感の洗面台。その名をモルタナという。

これダジャレじゃないの~。製品はひどくまじめなモノだけに、この脱力感がなんとも良いぢゃないですか。住宅建材業界の風雲児(ではないか、もはや上場企業だし)、ご存知サンワカンパニーです。

通常、大手住設機器メーカーがこの手の(モルタル風とか‥)質感を模す際には、メラミンなどの樹脂製シートでつくることが多いでしょう。先日もお客様にちょっと見てちょーだいと言われ、あるリフォーム済住戸に行きました。今はグレーが住宅系でも流行りなのですね、まさにモルタル調シートの面材がビシッと貼られた大手メーカーのNewシステムキッチンが鎮座していました‥。(流行に乗った住まいについて、はここでは置いておきましょう)

ところで、この洗面台モルタナの表面は磁器質タイルです。左官で仕上げるのが(本来の)モルタル。だとすると、そのモルタルを(違う素材を使って)再現するという意味では、大手系・樹脂とサンワ・タイルに違いはない。あるのは再現へのアプローチの違いであり、あとは好みの問題ではあります。(サンワも何々風シートは多用しています、念のため‥)

サンワカンパニーの製品は、全般的にシンプルで素な感じのラインナップが多い気がします。ですのでウチの素朴なリフォームとも(なんとなく)馴染むので、ウチの創業当初から設備機器や床に建具‥あれこれと、随分たくさん使ってきました。

それにしてもこの会社の製品たち、名前は誰が付けるのでしょうね(笑)

スミス、ア・ラ・ノコメ、ウズック、ピッタナ、カチンコチン、デューロ・ボーン‥

もう何だかワカリマセーン!

でも、よく読むとそのマンマの意味だったりするわけで。例えば仏蘭西語みたいなア・ラ・ノコメは粗い鋸目(の残る床材)、ウズックは浮造り加工(された床材)、ピッタナはサイズオーダーできる棚なんですよ。

現在は廃盤ですが、アッシュボーン(アッシュ材の直貼り防音(ボーォン)床材)、エンビデモク(塩ビの木目シート)なんてのもありました‥。そう言えばエンビデ‥は数年でボロボロになり、ウチの負担で張り替える事例も複数あって‥(トホホ)。

ところで、サンワの製品は一物一価、定価販売です。つまり業者も消費者も同じ価格ということ。これは今の時代的にはいいことではあるのですが、「あれこれ買って付けたいナ」となった場合にちょっと気になることがひとつ。

これまでの住宅建材の流通価格体系と異なりますから、施工業者は(従来は価格に内在させていた)経費を別建てにしないとお商売が成り立たない(場合が多い)。つまり「あれもこれもサンワで買って施主支給するから工賃だけで取付け頼むよ」と施主に言われた場合に施工業者側が何と言うのか。製品と施工(を分離したことで起こる)保証の線引き、別途計上する経費‥などについて新たに取決めが必要なケースもあり、施主と施工業者の信頼関係が問われるかもしれません。

おっと、ハナシがそれましたね‥。

ちなみに表題の「マジすか!ホワイト」とはなんぞや? これはタイルの名称です。物件探しからご一緒してきた方が、今度採用する予定です。正しくは「マジスカホワイト」。「マジすか!」が語源でしょうか(そうだとしても何が、マジすか!なのかボクにはわかりませんが‥笑)。シンプルそして比較的安価。こういうのがサンワらしい製品だなぁと、旧いボクは思ったりします。

ないものは、ない

相も変わらずの雑記を書き散らかしているワタクシ。このページへの入口は狭ーく、我が事務所Website上の「代表イケダの雑記」という小さなボタンのみ。内容が薄い上に、その内容自体が各回の表題とも微妙にズレていて‥。

にもかかわらず、幾つかのページが(あるワードでの)検索上位でヒットするようで、それ経由でたどり着く例があるみたい。本文を読むと(表題と)全然関係がなかったりする訳で、さぞガッカリなことだろうと思うケド。まあ、いいか‥。

さて最近、安藤忠雄さんのインタビュー記事を読んだ。

今回知ったこと。安藤さんは10年ほど前に二度にわたる手術を受けて、合計五つの臓器を摘出したのだという。ひとつづつ挙げると胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓(すいぞう)、脾臓(ひぞう)。以上で五つ‥。

「先生、そんなに取っても生きとるもんなんですか」と安藤さんが問うと、

「生きとりますが、元気な人は居りませんなぁ‥」と先生‥。

これはさすがに堪えたようだが、覚悟を決めたという。曰く「五臓がないなら、ないように生きる」。(※この辺りは読後の記憶に頼っているので、細部が多少不正確かもしれません、悪しからず。)

「ないなら、ないように」‥そうは言っても、なくてはならないモノもあるでしょうが‥。

安藤さんがそんな覚悟と諦めを持って乗り越えてきたのは、今回に始まったことではない。有名な話だが、若い頃にはお金と学力が足りず(‥※本人談ですよ)、大学で建築を学ぶことは諦めた。そして、ファイトマネーが入るプロボクサーとして生き始めるも、天才と出会い自らの限界を知ってその道を諦めた。でも絶望せずに「ないなら、ないように」と思い直し、古(いにしえ)の神社仏閣に習いながら独学で建築を修めたと言う。

‥果して、術後の日常は数値を測ったり、食事をゆっくり摂ったりと気を遣う必要もありながらも、(それなりに)良いこともあったのだと(ご本人は言う)。そして誰もがご存じの通り、変わらぬ活躍を続けているのだ。

最近では出身地大阪の中之島に、子供のための本の森(こども用のモジュールでできた施設、圧巻の全面本棚!)を自身の負担で建築している。過去の大坂商人たちが、育ててくれた町に施設をつくり恩返しをしたように、自分も同じようにするのだと。(それ以外にも桜の植樹を始め、多くのことをされています。念のため‥)

超人過ぎて参考にならず、ましてや比べる気にもならないが、やはり言葉が心に残る。「ないなら、ないように生きる」。

そんな生き方はマネできないけれど、せめて「ないものは、ない」と心を定めることくらいは出来るはず。

上の写真はなーんにもない、スケルトンの室内。

「ないものは、ない」のだが、逆に「あるものは、ある」と思う。

つまり「ないもの」の代わりに、「なにか」があるはず。

それは光か風か、それとも時間、それとも‥‥

さあ、この空間を何で満たしていこうか。

水は青いか

北アルプスの山々を背にする盆地、安曇野。イメージするのは清冽な水と空気、そして光。日本のそんな場所で、企画から製造まで一貫して行われているPCがあります。

そう、VAIO。少し前にSONYから分離独立する形で歩き始めました。

安曇野といえばSONY時代のハイエンドPCの生産地。海外製造が全盛の時代に、Made in Japanとして安曇野から送り出されてる製品群がありました。

久しぶりにサイトを覗いてみたのですが、以前と変わらず、いやそれ以上にmade in 安曇野を突き詰めた取り組みが語られています。

なにより、舞台が安曇野であることが良いじゃないですか。松本、安曇野、上高地‥。静かな知性を感じさせる城下町とその周囲の圧倒的な自然。それを想い浮かべながら開くPCには、北アルプスの水が流れ、風が抜けるようです。アルプス伏流水がPC内を循環し冷却する、水冷式ノートPC。そんなんないか‥。

SONY時代と比べれば小さな会社となり、以前のようにファッショナブルで尖った製品群をラインナップすることは難しい。更に、今や汎用品と化したPC市場では、戦う土俵は限られている。VAIOはそんな困難な状況を承知の上で、日本の技を磨きぬくことで突き抜けようとしている、のだと思います(拍手)。(もちろん、PC以外の事業にも乗り出していることは言うまでもありませんが‥)

言ってみれば「レッドオーシャン」を、(裸一貫‥?)技術と信念で泳ぎ抜くような‥。

なんて、「高みの見物」よろしく外野から云々している場合ではアリマセン。ボクのいる不動産業界(特に再販、つまりリフォームして販売するというヤツね)、よく考えたら真っ赤っ赤ですよ、別の意味で。

「レッド」ではなく「ブルー」の分野を見出し(若しくは創り出し)、儲かるところに軸足を移していくことも経営には必要なことでしょう。でも、そうでないところで踏ん張る人達もいる。

赤くても青くても、どんな海にも人(魚か?)が暮らし、日々ひとりひとりとの対話があります。だからでしょうか、そういえばボクは自分のいる海をブルーだレッドだと考えたことがなかった。つまりボクは経営者ではないのでしょう。だってねぇ、好きな仕事で泳ぐ海がいまさら真っ赤だといってもねぇ‥。

点滴石をも穿つ‥。

ある時気づいて顔を上げたら「真っ赤に染まったこの海」が、かつての地中海がそうだったようにように「昔の青い海」に戻っていた、なんてことはあるでしょうかねえ。

三人の日

ようやく立春。高くなった日射しと凛とした空気が混ざり合う感覚は、この季節ならではです。

春という字は 三人の日 と書きます あなたと私と そして誰の日?

と始まる懐かしい歌は「春ラ!!!」。石野真子さんのヒット曲、ご存知ですか(一体、誰に聞いているのか‥)。続く歌詞は、

あなたが好きになる前にちょっと 愛した彼かしら 会ってみたいな久しぶり 貴方も話が合うでしょう 三人揃って春の日に 三人揃って春ラララ♬

‥というもの。なんでそんな男と会わなきゃならんのだ‥。

今改めて考えると、とんでもない歌詞ですが、まあそれはいいや。当時小5だったボクにはどうでもよいこと。春には感傷的な歌が多いですが、この歌はカラッと振り切っていて、これもまた良しか‥。

ちなみに、手元の常用字解(白川静著)で確認すると、「春」という字の由来には、当然ですが「三人の日」はありません(笑)。草が力強く生えてくる様を表す中国2000年前の文字が元になっているのですね。

真子さんといえば‥。ボクが中1になる頃、(ゴダイゴ〈GO DIE GO、つまり輪廻転生か〉がテーマソングを歌う)ポートピア博覧会に行こうぜ!と友達と二人、神戸の叔母を頼って出掛けたことがありました。

海に浮かぶ未来都市ポートアイランドは、残念ながらあまり記憶がありません。覚えているのが、灘中高の校門(アホか‥)、そして石野真子さんの実家界隈(叔母に教えてもらったのだ)。どーでも良いことだけ覚えているものです。

そう、当時のボクは真子さんのファンだった。サインだって書けるゾ(あと王貞治さんもね)。そういえば、大人になってから神楽坂の酒場でお見掛けしたこともありました。うふふ、ご縁があるのだよ(ナイヨ)。

せっかく辞書を持ち出したところで、ひとつ。

忙しいの「忙」という字は、「りっ心べん」と「亡(ぼう)」からなるので心を亡くすという意味だ、とよく聞きますね。だから忙しくしてはイケナイ、心をなくすから、と。

常用字解によると、「いそがしい、あわただしい」の意味に使用するのは、唐の時代以後のことだそう。それ以前には、ぼんやりとした様子を表していたようです。

もうすぐ春がきます(いや、もう来たのか‥)。忙しくすることが多くなる季節。忙しいことを嘆くより、忙しさのなかにもボーっとして、春の陽射しにぼんやりと心を遊ばせる隙間を持っていたいもの。

いつもテキパキと如才なく張りつめているよりも、茫洋として捉えどころのないところに案外、本物が隠れている、なんてことがあるかもしれません。

閑話休題‥。あ、閑か‥。

閑忙という言葉がある通り、閑と忙は反対の意味ですね。でも、古くはどちらも似たようなもので、ボーっとしていたのかも‥。皆が忙しくするこの季節に、ぼんやりと春を待ちわびている自分。まぁそれもいいじゃないか、なんて思おうとしてみたりして‥。

絵に描いたような

グランマ・モーゼス、つまりモーゼスおばあちゃんはアメリカの画家。四季がめぐる農村の風景を描いた絵画をたくさん残していて、(その時代や場所を体験していないボクにも)なぜか懐かしく、つい見入ってしまう。

きっとアメリカのどこにでもあっただろう原風景も、季節が移れば舞台も変わる。春には春の、秋には秋の農作業や集いがあって‥。そんな自然と人がつながった暮らし。その暮らしの楽しい記憶がぎゅっと詰まっているような、そんな情景です。

苦労を重ねながら歩んできた、農場暮らしの一主婦が絵筆を取ったのは、なんと76歳の時。それから四半世紀に亘り描き続けたキャンバスには、眼前の風景と一緒に長い人生の記憶が織り込まれているのでしょう。

いくつになっても始めていいんですよね。長い時の蓄積には、即席ではつくれない宝物が眠っている(ことが人によっては、ある)かもしれません。そんな彼女の背景を知って、絵もさることながら、その生き方暮らし方に想いを馳せたボクでした。

ちなみに今回、彼女の絵を見てふと思い出したのは、(これまた古いのですが‥)TVドラマ「大草原の小さな家」。そう、毎週土曜日の夕方でしたね、インガルス一家の物語。(ボクが主役と認識していた)次女のローラは、原作者であるローラ・インガルス本人ですから、きっと自身の体験に根差した物語です。このドラマの舞台は19世紀後半の西部開拓時代。調べてみると、そうです、ローラとグランマ・モーゼスは同じ時代に生まれ育った同世代だったわけです。

そんなこともありボクは、子供の頃に(テレビで)観た大草原の暮らしを、この歳になって見る絵画のなかに見出して、懐かしく思ってしまったのかもしれません。まるでボクがこの農場に暮らしていたかのように。

古き良きアメリカ、普通の人々を描いた絵画(いや、イラストか)といえばノーマン・ロックウェル。その作品は、きっと誰もが目にしたことがあるはず。それ一枚を壁に掛けるだけで、ノスタルジックなハンバーガーショップが出来そうです(笑)。幸せな気分になる絵が多くて良いですね。でも、それより少し前のアメリカの情景を描くグランマの絵画には、また違った、心の別の場所に訴える何かを感じたというわけでした。

そういえば、もうひとり画家の話。昨年リフォームをご一緒した方から、スウェーデンの画家カール・ラーションを教えられました。購入&リフォームの際に、お好きな画家を挙げてくださったわけです。

こちらもまた、スウェーデンで人気のある画家。北欧家庭の日常や室内の風景、屋外での柔らかい光や風を感じる風景と人物、それらが幸せな空気感とともに描かれています。

もちろん物件選びやリフォームにあたって、その絵そのままをカタチにできるものではありません。だからこそ却って、ラーションの絵を見ながら、その方が思い描いているだろう空間や陽射しの質感を想像する機会を持つことができました。

果たして、たっぷりの陽射しと手触り感を纏って完成した室内は、「ラーションの絵画と似て非なるもの」ではなく、反対に「ラーションの絵画とは非なるも似た雰囲気」を感じるものになったと(ボクは勝手に)思います。

まあ実際のところ、ご本人がその点についてどう思われているのかは、ちょっとコワくて聞きそびれましたが‥(笑)

代々木の杜から

正面に見えるは代々木の杜

ここはどこ?

実はウチの旧事務所。創業時から10年間に亘って、渋谷区代々木を本店所在地としていました。

写真データを整理していて見つけたもので、心なしかセピア色(データだからあり得ないが‥)。2009年の入居後間もない頃のものでしょう。まだ何もありません。‥というか、10年経っても何もないまま、様子も殆ど変わりませんでしたね(笑)。

ともあれ、これは当時の写真。窓の外、左隅にチラと見えるのは代々木の通称ドコモタワーです。このタワーはデザインが素敵で、基壇部は太く大きく、高層部に向かって段々に絞られています。そう、まるでマンハッタンで初期に建てられた高層ビルディングを彷彿とさせる、ちょっとクラシカルな印象があるのです。

夕闇が迫ると、窓外にこのタワーのシルエットが浮かび、その左手奥には西新宿高層ビル群が煌めいて見えました。たくさんの社員が集って働き、遅くまで灯りの消えない(自身もそこにいたはずの)ビル群を遠くに眺めては、一国一城の主(古っ!)になった感慨と、その裏腹に雑居ビルの一隅でポツーンと独りに、何とも言えない気分になったことを思い出します。‥これまた今でも変わらないのですが。

さて、この事務所のど真ん中に鎮座するのは、杉の厚い天板。長さは2枚合わせて4m超あり、事務スペースと接客スペースを連続させた大テーブルとしていました。今、これを眺めていて何か見覚えがあるなと思ったら‥。

そう言えば、昨年の物件(自社販売とリフォームサポート物件の両方)で造作したのが、長さ4m級キッチン。コンロやシンクだけでなく、家事や軽食など多用途カウンターを付設する木製大型天板です。旧事務所のレイアウトとなにやら似ています。どうやら「バーン!と長いの」が好きなのは当時から変わっていないようです。

それを言うなら、この旧事務所。床も杉無垢材を貼っているし、壁は漆喰のDIYです。なんだ、今のウチの物件と同じじゃないか。

ウチはまだ13年、老舗ではありません。でも先日の投稿でも挙げた、老舗を揶揄する「名物にうまいものなし」ではないですが、同じに見えながらも変わっていかなければいけませんね。

先日、僕より少し若い知人から連絡がありました。大手を辞めて会社を興したとのこと。そして、なんと偶然にも事務所は代々木に置いたというのです。手探りで、緊張した面持ちで一歩一歩確かめるように進むさまが、とても懐かしく感じられます。相当の覚悟を持ってひとりで歩き始めた、ボクの若い友人にエールを送りたい。「がんばれ!オイラも思い新たにガムバルぞ!」 年明けの青い空を仰ぎ、そんなことを思ったのでした。

あ、ちなみにボクの現在の事務所は代々木にはありません。いまはウルトラマンの街ですからね。じゃぁねー

杉の恵み

花咲き心躍る春を用意するのは、純白の雪に覆われる、秋田の厳しい冬‥。

これは、秋田の酒造会社がラベルに載せた紹介文の書き出し。凛とした情景と空気感、そして春の芽吹きさえ予感させるようだ、とボクまで心が躍る一文です。

わが家の食中酒(兼料理酒)として長らく活躍しているのが、この酒造会社の普通酒。きっかけは以前通っていた庶民的、且つ清潔感漂う割烹にありました。そこで出す日本酒はここの本醸造のみという潔さ。主役はあくまで料理、それに寄り添うのはこの酒、ということでしょう。今はそういうのは流行らないのかもしれませんね‥(笑)

そんなことで、美味なるも潔い店の流儀に感じ入り、二十年来(家では)これに決めた!となったワタクシ。キリッと北国の冬が醸す酒×お弟子さん達の所作も凛々しい割烹。酒に不案内のボクはイメージ優先。なんの疑いもなく旨く感じるものです。

さて、そんなご縁のある秋田について、杉の話をふたつ(どんなご縁だ)。

まずひとつは、何年か前に発売されて以来、気になっていた「秋田杉GIN」というリキュールです。日本三大美林のひとつと言われるのが秋田杉。その秋田杉の香りを閉じ込めたジンだというので興味津々、試す機会を窺がっていました。というか、サッサと買えばいいだけなのですが。

ご存知の通りジンは、穀物原料のスピリッツに植物の香りを溶かし込んで蒸留した酒類です。つまり香りの容れ物か。ジンに共通する規定はふたつ。ジュニパーベリー(という実)で香りをつけること(これがジンの根幹ネ)、度数37.5度以上であること。だそうです、これだけ。なので、日本らしい香りを重ねていくこともできるのですね。

ということで僕の、北の森林が香るクラフトジンとの邂逅‥。正月気分も相まって、口中を清々しい香りが抜けていきました。

もうひとつの秋田杉ハナシは、写真に見える(寅も載る)お櫃(おひつ)のこと。

時は遡ります。会社は辞めたものの、まだ先は見えず、少しの希望と多くの不安を抱えていたころ(今も変わりませんが‥)。

首都圏の百貨店を実演販売で廻っていた、わっぱ製造老舗の名工の前で足を止め、お話しを伺いました。樹齢100年以上の秋田杉ならではの木目細かな柾目、放たれる森の香り、手仕事の美しさ‥。何かを手探り中のボクはすっかり目と心を奪われ、気付けば虎の子の商品券(ウン万円‥)を総動員しての購入となりました(そんなことしている場合なのか‥)。

使い続けて10数年。無塗装のお櫃は、ごしごし洗って乾かして‥とラフに使っています。味わいを増した木肌には黒ずみや凹みがあるものの、ふわり杉らしい香りと吸湿性は変わりません。無塗装の無垢材は思いの外に丈夫、使ってナンボです。

そして今、リフォームの際によく使う床材も杉無垢材。地産地消ならぬ、近(所)産近消の杉材は、ご近所の奥多摩産を多用しています。

そんなこんなで、あれこれ続く杉との縁。今回は杉づくしのお話でした。

いやー、ジンが間に合って良かったわ。お櫃の上にちょこんと寅さんだけでは、ちょっと可愛すぎますからね。

いなかのねずみ

EINSTEIN by Torben Kuhlmann

先日、都心のタワーマンションに住む知人を久しぶりに訪ねました。上り電車の窓には夕焼け小焼け。空が暮れゆく一方で、街が眩しく光り始める時刻です。電車がターミナル駅に滑り込む、改札を抜けて人混みに流されるように向かったのはデパート。(ヒト、多いゎ‥)

お店に行くのもナンだから自宅においで、と忙しい知人の誘い。そんならツマミはオイラが用意すんべ、という訳でデパ地下です。こんなの毎日喰ってたらウチの家計は破綻するゾなどと思いながらも、あれこれ物色中のおばさん(失礼、オラはオジサンか‥)尻目にパパッと総菜を買って、タクシーに。あ、フルーツも忘れずにネ。

それにしても都心のタワーはゴージャスです。車寄せから、エントランス、吹抜のホールにラウンジ、(どうも!なんて挨拶しながら)レセプションも通過。2ヵ所目のオートロックをクリアしてようやくEVホールだ!(ハアハア、遠いナ‥)。超高層タワーの廊下はもちろん内廊下で、床はカーペット。この静謐さ、まさにホテルライクです。当たり前か‥。

固い甲羅に守られたような堅牢な建物、暑い寒いと無縁な完全空調、煌めく摩天楼の眺め、遠く地上から聞こえてくる都会の喧噪。うん、ここは大都会だ、それも、とても快適な‥。

楽しい宴を終え、光が溢れる都心部から郊外に辿り着いての道すがら。実感するのは、夜が暗いということ。でもそれは嫌ではなく、むしろホッとする瞬間でもあります。空気いいなぁ、なんて思ったりしながら、トボトボと‥。

そんな帰途にぼんやりと思い出していたのが、この季節ならではの照明の温かさ。

今月初めの夕刻、ボクが複数住戸を手掛けたマンションの前を通り掛かった時のこと。ウチで販売した住戸の専用庭に(2階に迫るほど)大きなツリーが置かれ、単色の柔らかな光が灯っていました。米国生活の長い素敵な方で、ツリーのサイズも飾り方にしても、どことなくアメリカ仕込み。街の華やかなイルミネーションも良いですが、郊外の夜にはこんな静かな明かりが似合います。夕暮れ時に眺めているだけで、温かく豊かな気分になったことを思い出しました。

そういえば少し前のことですが、あるマンションが冬季期間中のイルミネーションを計画した際に、ボクがお手伝いをしたことがありました。ウチの物件を購入された方が理事になったご縁で、「イケダサンなら室内同様に(安く!)素敵に仕上げてくれるだろう」というもの。嬉しいけど勘違い、こちらはシロウト、コマッタよ!しかしここは引けないところ‥。無給を条件に(だって謝礼はキチンと、と仰るので‥)、デザインと購入器具を提案させていただいたのです(実はデザイナーに泣きついて、タダで相談に乗ってもらったのだが‥)。結果は上々。ちょっと旧めの大規模住宅の中庭に、しっとりと馴染んでいたその明かり。今思い起こすと、先の米国仕込みのお庭に似た、白熱単色の静かで優しい光が灯っていたものです。

住まいの内と外がつながるバルコニーや専用庭。家の中だけでなく、窓の外にも(ツリーじゃなくても、少しだけ‥)明かりを灯してみてはどうでしょう。ぼんやりと灯る光は、外を歩く誰かの栄養になるかもしれません。もちろん自分にとっても‥。

外に明かりを灯すと、夜は鏡のように室内を反射していた窓ガラスが、スッと見通せるようになります。明かりと一緒にバルコニーに置いたグリーンやオブジェが、昼とは違う空間を広げてくれるかもしれません。でも外から丸見えじゃぁ困りますから、ブラインドを足元だけ上げてもいいですね。最近はLEDのソーラーライトも種類が豊富ですから、電源不要、維持費も不要。部屋内から外側へ、春に向けてお楽しみの領域を広げてみるのも良いですね。