バー、バル、バール、 ババール、バルバル

吐く息が白い冬の朝、まだ薄暗い街角の冷えた石畳を歩く。明るく灯る一角は、早朝から開くバール。秋の終わり頃まではガラス越しに、新聞片手の客や店主の様子が見えた。けれども12月も半ばを過ぎると、窓がうっすらと曇り、店内がぼんやりと映るようになる。そんな些細なことで、あぁ冬になったのだ、と思うのだ。

そう、そんな寒い朝は暖かなバールに足が向いてしまう。ドアを開けると漂うカフェ(エスプレッソ)の香り、温められたコルネット(パン)も甘く誘う。抽出するマシンの音、客たちのざわめき‥。サッカー談議、新聞記事をめぐるあれこれが聞こえてくる。そしてカップの中の液体を飲み干すと三々五々、皆が店を出ていく。それぞれの一日が始まるのだ。(※これはイメージです)

寒い冬の朝、暖かく賑わいある店内が目に浮かびます。え、浮かばない? 

香り高いエスプレッソ、そして街角のバールと言えば、これぞ大衆イタリア。でもこれらは以外にも歴史は浅く、エスプレッソが本格的に普及したのは戦後で、その舞台となるバールの由来はアメリカにあったのですって。

気軽なカウンター立ち飲みスタイルのアメリカンバーがイタリアに入ってきたのは20世紀初め。そして同じ頃に誕生したのが、注文に応じて1杯ずつ素早く(即ちエスプレッソ≒急行で)抽出する機械(エスプレッソマシンの原型)。この二つがタイミング良く結合したおかげで、エスプレッソが世に街に出ることになったようです。その後、戦時中に敵国名が外れて(でも同義の伊語がなかったので)単に「バール」となって戦後を迎えます。そしてマシンが改良・量産されたことで、エスプレッソを安く、早く、立って飲める庶民憩いの場所となったバールは、瞬く間にイタリア全土へと普及していったのでした、めでたしめでたし(えらく駆け足ですが‥)。ということで、エスプレッソの誕生と普及には、マシンの開発とアメリカンバーが不可欠な両輪だったわけです。

閑話休題‥。冬の風物詩として思い浮かべるのは、

「結露ですね」(‥?)。

さすがにそれはないでしょうが、比較的旧い住宅に暮らすとなると大なり小なりついて回るのが結露。住まいや暮らし方によって発生の程度は様々、またその付き合い方も十人十色です。極端な話、解消するなら室内外の温度差をなくせば良いのですから(冬にそんなことしたらタイヘンだ‥)。

というわけで、我々と一心同体とも言える結露(そんな心配ご無用!の住まいもたくさんありますが‥)。どうせなら幸せな結露生活をしたいものです。「しあわせは いつも じぶんのこころがきめる」と相田さんが言う通り、心持ちが大事。バールに立ち寄るイタリア人(?)のように、曇ったガラスに冬の到来を知り、思いを馳せてみれば‥

そんなに甘くないんだ! 窓びっしょりなんだよ!

そうです、その通りですね。解決方法は、①ペアガラスに替える※、②インナーサッシを付ける、でしょうか。①:アルミの窓枠は変わらず結露する、②:開閉が面倒である、と一長一短ですが、かなり改善されることでしょう。(※①の場合、管理組合との協議が必要です)

それだけでなく、暮らし方も大事。心掛けることは‥。窓を開ける、換気扇を回す、調理に火を使わない、暖房しない、風呂の湯を溜めない(湯気ね)、息を止める(結構な水蒸気ネ)‥など豊富なメニューがあります(‥ムリアルヨ)。

いずれにしても、十人十色の傾向と対策で、心地よく、穏やかな冬を過ごしたいものです。

ところで、表題にある言葉の羅列は何か意味あるんでしょうか?

「バーバル、ババババ‥? バー、バル?。そうか、意味は全部同じで、言語が違うということだな、ハハン。」

「バーはエイゴ、バルはスペイン語だろう。バールはわかる、エスプレッソだイタリアだ。」

「お次はババールか‥。バザールなら知ってるが、ペルシャ語でイチバだが‥」

「バルバル‥バルバルバルっ? うーん、ワカラン‥」

どうもスイマセン‥

変わらぬものに

上の写真は、物件選びからリフォームまでをご一緒したMさんからのいただき物。同じお店のお菓子を二度もいただきました(モノ欲しそうに見えたか‥エヘヘ)。お住まいの地元にある老舗洋菓子店だそうです。手作り感を残した品の良い焼菓子。シンプルな材料を贅沢に使って作られた美味しさは、駄菓子好きのボクにだってわかるくらい。

後日、たまたまWeb上でこの店を目にしました(普段ならスルーでしょうが、このイラストは!と)。有名店なのですね、地元マダムも子供の頃から‥と紹介されています。載っていた人気商品のひとつが、創業以来のクラシカルなケーキ。あれ、これ食べたことあるぞ。ボクが幾つも物件を手掛ける駅にある洋菓子店のそれと瓜二つ、ケーキの名前も同じです。つまり、多摩丘陵の小さな駅前洋菓子店にもあったということ。

でも、ダミエというそのケーキ、他所(よそ)では聞かないな。もしかして古典的すぎて、もう誰も作っていないだけなのでしょうか。ちょっと気になったので、そのケーキの名前で検索したところ‥、「Mさん地元の洋菓子店」と「こっちの洋菓子店」ばかりが出てくるではありませんか。

流石にこれは何かある(笑)、訳があるでしょ。店に行って聞けばいいのですが、それもナンだから、あれこれ調べると‥

50年以上前に、当時のチーフパティシエが独立して新たに構えたのが多摩丘陵の洋菓子店なんですと。なんと半世紀以上!姿かたちを変えることなく、二つの店で同じバタークリームの生ケーキが作られ続けてきたんですね‥。

名物にうまいものなし、とまで言われてしまう旧いモノたち‥。でも、変わらぬように見えて、実はたゆまぬ進化をしている名物もあるはず。逆にニンゲンの方こそ、時が過ぎてもさほど変わっていないのではないか、なんてね(古典の先人達を思えば、変わらないどころか‥)。長く作り続けられているものには理由があり、どこか人の心(と舌)を温かく、ほっとさせてくれるものです。新しいヒトには新鮮に、ちょっと旧いヒトにはノスタルジックに‥。

美食や新味、斬新さを求める高級洋菓子は、リフォームに例えると(無理あるケド‥)デザイナーや気鋭建築家のリノベーションでしょうか。だとすれば、心と舌(と財布)に優しく、ちょっと懐かしい洋菓子は、無垢材や汎用品を用いてつくる素朴なリフォームに似ているかもしれません。

とすれば当然ウチは、高級菓子でなく懐かし系の洋菓子、いや駄菓子か‥。そう、放課後の駄菓子屋のほうがぴったりだ。いまだに駄菓子みつけて喜んでいるし(笑)

Mさんもそんな感じでご一緒いただいていたのかもしれません。住宅は人の手で造るモノであって、工業製品じゃないから、とか。そうですね、だいたいそんな感じで結構です、とか(笑)。それでいて、ご自身の好みが存分に反映された素敵な住まいになりましたから。

だとすると、先の洋菓子店のいただき物がよい塩梅に思えてきます。更には、50年をも遡る同じルーツを持つふたつの洋菓子店、それに加えてMさんとのご縁にも不思議なつながりを感じたわけです。

木洩れ日

秋も最終コーナー。夏には頭上から照りつけた太陽も、あれよという間に低くなり、樹々の間から顔を出しています(木と自分の位置関係によりますね‥)。風に葉が揺れるたび、部屋の壁に映る影がきらきらと光る午後、晩秋を実感します。

テラスにひらひらと舞い降りていた枯葉が、ある時ドサドサ(!)と降ってくると秋も終わり。すっかり葉の落ちた枯れ枝を通して届く光は少し弱々しく、まるで自分が林の中に入り込んだかのような気分になります。

晩秋から冬にかけて、そんな木立の中に注ぐ「木洩れ日」は穏やかで心に染み入ります。一方、同じ「木洩れ日」でも躍動感があるのは、夏の強い陽射しと青葉がつくる光と影。季節によって全く違う顔を見せる木洩れ日です。聞くところでは、この木洩れ日という表現に(直接)対応する英訳はないのだそうですね。光と枝葉と影、これらが創る世界の切り取り方は日本独特のものなのかもしれません。

ちなみに、木洩れ日は季節を表す季語でもないようですから、「木の間から日が洩れれば、即ちこれ木洩れ日」ということでよいのかな。(違っていたら、失礼‥)

ふと「こもれび」で思い出したこと‥。

関東平野が途切れた先、山々が連なる丹沢エリア。その東端には幾つかの温泉が湧き、小さな宿が点在しています。厚木からほんの少し山に入るだけ、と都心部から至近、もしかしたら最も近い温泉郷かもしれません。

旅行に出掛けよう、と気負うこともなく其処に居る。そんな、日常の傍らにある身近な非日常、とでもいえる場所。ただ、ふらりと夕焼け小焼けを見に行くような‥。

そんな山の懐に、晩秋の木立ちが似合う素朴だけれど端正なお宿があります。そこに付設する小さなバー空間の名前が「こもれび」でした。バーとはいうものの、少し早めの到着時や夕暮れ時、もしくは風呂上りのビールを一杯楽しむような、ささやかな場所です。

二十年来、幾度も訪ねたそのお宿。山の食膳、漆の浴槽と豪華ではなくとも人の手が入った居心地の良さがあります。最近は随分とご無沙汰ですが、木洩れ日という言葉とともに、晩秋の東丹沢を思い出しました。

時間とお金を掛けた華やかな旅行はもちろん格別ですが、日々の暮らしの隙間に置かれた小さな旅、それも良いものです。

いよいよ冬が近づいてきます‥

かくれんぼ三つかぞえて冬となる -寺山修司-

振り向くとそこには‥。

それならば、ひとぉ~つ、ふたぁ~つ、と、ゆっくり数えてみようかな(笑)

ノマド ー 放浪と旅 ー

終わりがあるのが旅。

旅をするのは帰るため。

終わりのない旅は放浪でしかない。

伊豆大島を舞台にした深夜ドラマに、そんな(感じの)セリフがあった。片桐はいりさん演じる主人公は裁判官を辞め、この島に辿り着いた。そして港の小さな居酒屋で働いている(毎回必ず、客の目の前に焼きたての「くさや」が出てくる‥笑)。彼女がある日の客に「もう明日は帰るの?」と問うと、島をふらりと訪れていたそのサラリーマン男性は、冒頭のような意味の言葉を発した。

それを観ながらボクは、「放浪でしかない」と言うけど「放浪もいいじゃない~」と思ったが、すぐに「そうだよねー、実際問題として放浪というのは難しいよねー」と思い直す。放浪という響きにはロマンがあるけれど。

そう言えば、よく耳にする「終わりのない旅」というのは「放浪」と違うのか?‥まあいいや。

‥放浪かぁ‥

春のことだから少し前になるが、久しぶりに大スクリーンで映画を観た。ノマドランドというアメリカ映画。ノマドと聞けばアジアや中近東の遊牧民を想うが(ボクは北アフリカの砂漠の民も想起してしまう)、この映画では、自ら大型バンを駆って(暮らしながら)大陸を移動し、季節労働、非正規労働で日々の糧を得る人々を指すのだろう。主人公も夫を亡くし、その勤め先だった企業城下町ごとの閉鎖という憂き目にあった。

米国社会に広がった格差と、その足元での過酷さが描かれている。その一方で、アメリカが生まれながらに持つ遺伝子(とでも言うのか‥)、つまり広大な大地と、そこを移動しながら何かを希求し続ける強さを感じる映画でもあった。凍てつく山々や地平線の向こうへ進もうとする主人公の中に、タフで骨太な、何か希望のようなものさえ見えたように思う(単なる主観です)。

とは言ったって、アメリカだって無限ではない。事実、西の果てには海があり、南に行けば国境の町があるのだから。以前、何かで読んだのだが、南の最果てには、放浪の末に辿り着いた者たちによって開拓された農園があるのだという。たぶん、放浪にも終わりがあるのだろう。

ところで、冒頭の「伊豆大島への旅」に絡めて思うこと。たしかに船での移動は、それが単なる「移動」ではなく「旅」のようだ。それがほんの僅かな乗船時間だとしても。港を出る、海から対岸へ、そして港へ。ただそれだけで旅になる(旅する気分になる、と言った方が正解か)。あぁ、やってきたな、と思うのだ。

冒頭の彼が言う通り、旅には終わりがあり、そこには港がある。例えるなら、住まいは日々の暮らしにおける港だろうか。一日の航行を終えて帰港するように、家路を急ぐ。明かりを灯し、荷を下ろす。あぁ、帰ってきた、と安堵できる場所であると良いと思う。

先日もひとつ、小さな港が完成した。壁に嵌め込まれたのは、複数のステンドグラス。かつてのご実家の一部であり、その後は大切に保管されていたという建具。そして今、時空を越えて新しい住まいに継承された。とても温かで、唯一無二の港になったと思う、にゃあ(港には猫が似合う。事実、この港には猫がいるのだ)。

きらきら光る

ここは津和野ではありません(‥わかるよ)。それでも、幅広い水路と石積み(風)の護岸があり、秋の陽射しを反射しながら水が流れる風景は、普段見慣れた街角とは少し違って、ゆったりとした気分になります。水路の中に鯉は見当たりませんね(笑)

多摩川にほど近い町の一角。この辺りは400年以上も昔に、多摩川の水を引き込んで新田開発された歴史を持つ地域です。この水路もその末裔でしょうか。100m程続く開渠になっており、大区画の敷地がそれぞれ橋を渡して接しています。従前からの屋敷のようですから、昔の面影を残す風景と関係があるのでしょうか(水路は官有でしょうが)。

ところで‥。ボクはこの「水路のある町」に程近い「丘陵エリア」で、リフォーム&販売を随分と手掛けてきました。その反面、(思い起こすと)そこから坂を下った多摩川沿岸エリアは殆ど実績がありません(近いのにちょっと極端ですね…)。最寄り駅までフラットで近い、ということは買い物などの利便性も(それなりに)高く、日常生活には却って好適です。というよりむしろ、平坦地が好まれる方の方が多いですよね。

逆に、丘陵(急陵とでも書くべきか‥)を選ぶのはちょっと物好き‥。いやいや、違いの分かる人‥と、いうことにしておきましょう。いずれにしても緑のある風景はいいですね。

つまりボクは坂道があり、そして(必要以上に‥)樹々の茂る場所をつい選んでしまう。その積み重ねの結果として、物件が偏在したということ。便利だから、人気だからという理由では、なかなか別の方に目が向かなかったのですね。

そうは言っても、水のあるところは素敵な場所が多いです。東京から見て多摩川の先(川の先、即ち川崎)と言えば二ヶ領用水。前述の通り400年以上前から田を潤してきた水のみち。川崎市北端部の多摩川から取水して平坦地を巡るく二ヶ領用水の本流は、(現在では)水辺と緑の散策路として整備されている箇所が多くあります。桜の名所であるにとどまらず、日常の風景として街に溶け込んでいる。言うならば、生活道路ならぬ生活水路とでも呼びましょうか。当たり前のようにそこに在る、そんなさりげなさです。

ずっと昔、ボクの祖父さんがオトーサンだった頃、有名な二ヶ領用水の桜を見るために一族で都心からはるばるやってきた。けれど(なぜか)見つからずに諦めて帰ったとさ、と聞いたことがあります。ということは、ボクにとっても因縁の二ヶ領用水‥。「お祖父さん、確かにここの用水路と桜は見事ですよ‥。」

そんな二ヶ領用水とそこに茂る樹々を臨む、素晴らしいロケーションの中古マンションが幾つか存在しています。以前から気になっているのですけど、なかなかご縁はありませんね‥。

夜間飛行

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は、かぎりない宇宙の営みを告げています。

満天の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の何と饒舌なことでしょう。

光と影の境に消えていった遥かな地平線も、まぶたに浮かんでまいります。

日本航空があなたにお届けする音楽の定期便、JET STREAM。みなさまの夜間飛行のお供をいたしますパイロットは、わたくし城達也です。

・・・・・♪

中学生時代‥。深夜、机に向かいながら聴いていたのが、このFM番組。抑えたナレーション、インストルメンタルの楽曲。それに加えて、番組中盤に語られるショートストーリーが、ボクを見知らぬ世界の街角に誘うのだ‥(ナンチャッテ‥)。

ちなみにこのJETSTREAMは、「海外渡航者を増やしたい」日本航空が長きに亘って「お届け」していた番組。でもそれはそれでいいじゃないか、それに乗っかれば‥。ということで、ジェットエンジン音と航空無線が交錯するナレーションから始まるこの「音楽の定期便」は見事(思惑通り)、見知らぬ国を夢想する少年をひとり増やしたわけです。(しかし後年、渡航の際にJAL国際線を利用することは殆どなかったという‥寂)

現実に世界の街を歩き、社会人にもなってこの番組から遠ざかった頃、城さんが病を得て降板したと知りました。それからもう30年近く経ちます。なんかあっと言う間のコトですね、自分はまだ、荒野を目指す青年のつもりだったけれど‥。

ところであの番組は今どうなっているの、まだあるのかな?とradikoで調べてみると‥。なんと番組は健在で、お供いただくパイロットが(こっちはホンモノ、永遠の青年)福山雅治さんではあーりませんか。ナレーションの文面は当時と変わらない(つまり冒頭にある語りです)。でも、その先を聴くのは止めておこう‥。

夜が深くなるこの季節。

(日本航空ではなくて‥格安航空の)エコノミーシート(ならぬ格安アームチェア‥)に身を預け、夜間飛行に出掛けたいこの頃。手元に文庫本と珈琲(お酒…)の用意ができたら、switch on。お供をいたします音楽は‥

今はyoutubeにたくさんありますからねぇ‥

近産近消

やってまいりました、ながーい木材。現場に整然と積まれたこの床材の長さは4mあります。ここは団地の一室です。なにか、ちょっと違和感がありますね‥。

ここで問題です。

問1.「4mもの長さのある床材をどのようにして室内に運び込んだのでしょうか。なお、ここはエレベーターのない2戸1階段タイプの建物です。」

それでは問2.「この住戸は何階にあるでしょうか。」

それでは回答を‥

問1:「 窓から入れた」

問2:「2階」

どうでしょう、正解できましたか。(んなもん、わかるか!コラッ!)

この長ーい無垢材が部屋の端から端まで、真っ直ぐに継ぎ目なく貼られた床は気持ちの良いものです。

ところがマンションでは殆どお目にかかりません。だって、エレベーターに入らないし‥。そもそも階段も共用廊下も、そして室内でも角を曲がれませんね。だから、通常のマンション床用建材は900(長くても1800)mm程度に加工されているのです。

でもボクは近場でとれたこの床材を使いたいと考えているので、解体が完了した室内の窓から真っ直ぐに搬入してもらっています。となると搬入には限界がありますね。4mの床材を窓からびろーんと室内に入れる様を想像してください。何階まで上がるでしょうか。ちなみに1階分の階高は3m弱です。そうです、せいぜい2階まで。地上から3階住戸への垂直方向受け渡しは、手を伸ばせばできるかもしれませんが、3階の窓で受け取った人は一体どうやって室内に入れるのでしょう‥。ということで、この床材は基本的には低層階に限定して使用しています。

この床材は奥多摩で育ち、製材されてここにやってきました。かつてその辺りにはナラやカシなどが育つ自然林が広がっていましたが、江戸時代(江戸は火事が多いので随時需要があったそうです‥)から第二次大戦中に亘る乱伐によって姿を変えてしまったと聞きます。そして需要に応じるように杉や桧の大量造林が行われて‥。にもかかわらず、次第に外国産木材に押されることになってしまったのですね‥。(国産材の活用には復活の兆しもあるようですが‥)

ということでウチは杉を使うことが多いのですが、もちろん桧もあります。上の写真はヒノキの床材。杉とは違う桧の効果も見込んだクライアントのご希望です。杉よりも白く、きめが細かく、キリっとした鮮烈な香り。ブランド産地でなく無印ひのきですが、それでいいのだ。

ちなみに桧と言っても和風ではありません。北欧の素朴な暮らしにイメージの源泉を求めた今回のリフォーム、節有りのカジュアルな白木は却って北の国の温かさを想起させます。窓外に広がる空や緑と相まって、落ち着いた素敵なお部屋に仕上がる予感があり、クライアントと共にボクもワクワクしています。

無用の用

営業マン:「こちらが、洗面室でございます!」(快活に)

お客さま:「ほー」

営業マン:「こちらは、お便所でございます!」(堂々と)

お客さま:「おーっ」

随分と前になりますがウチの物件で、ある担当者がこんな案内をしていました。別に、洗面や便所に特別な特徴がある物件では「ございません!」。それなのに‥。このふたりの遣り取りが可笑しくて、稀に思い出しニヤッとしてしまいます。ボクが仲良くしていた営業の方なのですが、その爽やかさ(?)のお陰か、購入希望者の案内だけでなく、売却を希望する物件所有者からも信頼の厚い、デキる営業マンでした。

ところで、彼が上の写真のような物件を案内したら何と説明するでしょうか。ちなみにこの空間は、廊下の途中にある元・洋室ですが、現在は廊下側一部に縦ルーバーを配しただけの廊下一体型ホール状になっています。なお奥行のあるルーバーは見る角度によって完全に’壁’となるので、オープンスペースでありながら玄関からこの空間は見通せません。

「こちらは、ドアと壁のない部屋でございます!」

彼なら、そんな風に言ったでしょうか‥。

いや、彼の真っ直ぐな性格から考えると、お客様を前に「‥いけださん、この場所は何とお呼びしたらよいでしょうか!」(大きな声で)

とボクに聞いてきたかもしれません。わからないことを、わからないと言うことは大切ですね。逆に、売主(ボク)の横で、立て板に水でスラスラと(結構いい加減なことを)話す営業マンもたまーにいますが(笑)。(あ、それおいらか‥)

さて、写真のスペースは、何とお呼びしたらよいでしょう。そういえば販売時は何と呼んでいたっけ?(図面を見てみたら「ホール」と記載していました)

いずれにしても、「お便所」や「洗面所」のようにわかりやすく決まった用途はありませんね。いや、トイレや洗面も(本当は)その名称通りの用途に使われていないかもしれないし、目的を限定すべきではないのかもしれない‥。(それじゃぁ一体、お便所を何に使おうというんだ!)

そうです。部屋の用途を特定する、そんな行為が(ただでさえそれほど広いわけでもない)住戸を、もっと窮屈にしているのかもしれません。そんなことを思ったりします。

もっと言うと「ここ何する場所?」のような、「よーわからん」場所があると、その無駄(に思えるもの)が暮らしに別の何かをもたらしてしてくれるかも‥。

Doing nothing often leads to the very best something.

なんにもしないことをすると、いいことがあるんだ。(意味はこんな感じでよいでしょうか‥)

くまのプーがそう言っていました。「何をするか決まっていない場所」と「何もしないことをすること」。ちょっと意味は違うけれど、似たような効能があるかもしれない。

さあ、なんにもしないことを、しよう。

でも、どうやってするんだろう。ウンと‥ウーンと‥

ご安全に!

夏の日曜日の午後、誰もいない工事現場に立ち寄りました。

と言っても知らない建物への不法侵入ではありません。物件の購入からリフォーム工事までをご一緒している方の現場です。

既に備え付けられ(養生をされた)キッチンの上には、おやつ(「皆さんでどうぞ」と‥)が置かれています。この週末は、施主支給の器具をお持ちいただく期日でしたので、職人のために置いていって下さったのでしょう。

まだ養生やパテの跡だらけの室内に目を遣ると、あっちの方にドラえもんがちょこんと座っているではありませんか。近寄ってみると、ここにもメモが添えられており、

「おはようございます。今日も一日、ご安全に!」

とあります。なんとニクい心遣い‥。殺伐とした(実はそんなことないが‥)週明けの現場で、いかつい職人さんが(実は優しい男前だが‥)ふと頬を緩める姿が目に浮かぶようです。それにしても、ドラえもんが工事現場にまで現れるのは、ここ多摩丘陵に藤子・F・不二雄さんが長く暮らしていたことが関係して、いないか‥。

ところでこの「ご安全に!」は、長きに亘り製造・建築現場で交わされる挨拶のことば。導入時期は大正、戦後と諸説ありますが、明治時代にドイツから持ち帰り、原語のまま使われていた「Glück auf!(グリュックアウフ/ご無事で!)」に由来するようです。日本と同じく近代化を急ぐドイツを支え、危険と背中合わせで地下の坑道に潜った炭鉱夫たち。互いの無事を祈り、そして無事を称えただろうその言葉が、時空を越えて今も生きているのですね。

さて、このドラえもんには後日談があります。ポケットを押すとおしゃべりするドラえもん、あまりに可愛いし(自分宛の?)メモ付なものだから、職人さんはすっかり貰い物だと思い、自分の娘のために持ち帰っていたのです。

ところがこのドラえもん、はるか昔に友人から贈られた大切なもので、他所に連れて行かれるのは想定していなかった。‥らしく、ドラがいないと大慌て。職人さんのお嬢さんに渡ったドラを「申し訳ないが返して欲しい‥。代わりに〇〇差し上げるから‥」と。

そこで思うのは、そんな大事なものを(わざわざ)現場に置いてくださった彼女の気持ち。顔の見える現場を心掛けていたことが、何らかの形で伝わっていれば、と嬉しく思ったものです。

そうは言ってもねぇ‥。「ナニ、大人げないこと言っているのよー。お嬢ちゃんにあげればいいじゃない!」と同僚に言われ、シュンとしたとかしないとか‥(笑)。いえいえ、いくつになってもそんな気持ちをお持ちの方だから、我々も楽しく安心してご一緒できるのですよ。フフフ。

お客さまに恵まれていると、つくづく思います。物件検討からリフォームまでをご一緒していただく方々はもちろん、ウチでリフォームして販売する(チョット、クセアルヨ‥)物件を喜々として選んでいただくみなさんも、有難うございます。

さすがに夏の名残りも見つけにくくなったこの頃。多摩丘陵では、未だ頑張る蝉(せみ)や蜩(ひぐらし)の声は日々小さくなり、主役はコオロギたちに。穏やかな陽射しと、心地よい風が吹く季節の到来ですが、そんな良い日は思いの外少ないもの。目を凝らして、見逃さないようにしたいものですね。

不安定の中を

Allowed by Studio GHIBLI

三次元空間を行く飛行機が、なぜ安定して飛べるようになったのか‥。

空の歴史のなかにも、我々が日常生活を飛び続けるためのヒントがある。

それを知ったのは、ずっと以前に故・児玉清さんの文章に触れたのがきっかけでした。更に言うと、児玉さんが紹介する「不安定からの発想(佐貫亦男著)」という書物に遡ります。航空宇宙工学の先生の手によるものであるけれど、読み進めばナルホド、これはダ・ビンチの夢想から始まる約四百年に亘る黎明期の話であると同時に、我々の暮らしへのヒントでもあるのではないかと。

航空機時代の夜明け前、(鳥人間や気球の時代を経て)空に挑む者たちが目指したのは、乱れる気流にも揺るがない強さと安定性を持つ飛行機。しかし、安定を目指せば目指すほど、一旦コントロールを失うとその安定性が仇となり、落下の危険性が増してしまう。

そもそも、小さな飛行物体が激流に抗することができると考えることに無理があるといいいます。不安定であることが当たり前。それを受け流しながらその不安定状態をコントロールする、即ち積極的に上下左右へ操縦することで安定を得ているのです。そして機体は剛でなく柔でなくてはならないと。

そのような、不安定を制御するという考え方に転換したことで、空の時代の幕が開けたのだといいます。それを開いたのがあのライト兄弟‥。この兄弟を中心に、その前後に登場する先駆者たちそれぞれの理論や人間性を絡めて、時代を描いた読み物です。

ちょっと話は逸れますが、納得したことがひとつ。普段乗るジェット機の窓から覗いた主翼(とそこについているエンジン)は、いつ見ても絶えずたわんでいて、そのうちボキッと折れてしまうのではないかと常々不安に思っていたのです。どうやらそれは杞憂だったようで、この柔らかさこそが安定した飛行に必要だとのこと。敢えて揺れるように設計されているので、そんなことでは壊れないのだと(ヨカッタ)。

話を戻すと‥。ボクは小さな会社(の体裁をした個人事務所)の操縦桿を握っていて、どこにも属さない不安定な立場。そのボクが会社を辞めてひとりで歩き出した頃に、この「不安定の中で安定する」という考え方に出会いました。

以来歩き続けるなか、先が見えなくて足元が覚束なく、フワッと宙に浮いたように(うーん、例えるなら遊園地の乗り物が宙で反転した瞬間の無重力のような‥)感じる瞬間が何度かあったけれど、そのたびにこの言葉を思い出します。不安定で当然なんだと思い込むことで、「待てよ、いま倒れることはない、まだ時間はあるさ」と持ち直す。そう、上空に例えるなら、まだ速度や高度もあり、コントロール次第では航行を継続できる(かもしれない)から、と。

考えてみれば、いつの時代も世界は安定なんてしていないのかもしれません。ましてや、昨今は自然環境だけでなく社会的環境も、ものすごいスピードで変わり続けているのですから。

だからといって、「環境に合わせて変化し続けよう」なんて相当しんどいハナシ。ダーウィンさんは「唯一生き残ることができるのは、(強い者ではなく)変化できる者である」というけれど‥。変われない時、変われないことだってあるんだから。

敢えて言うなら、周りが変化することに焦ったり、必要以上に恐れたりしないということか。そう諸行無常、同じ状態でありつづけるものはない。だから、現状に固執せず、流れを受けて、剛より柔でいきたいものです。