壁に華あり

中古マンション(区分所有建物)を取得してリフォーム実施後に販売する事業、これは一般的に買取再販と呼ばれます。買取再販事業に係る不動産取得税への減額措置が存在するくらいですから、(お役所にも少なくとも)事業として認識されているようです。(もちろんこの減額措置は、最終的に消費者負担の軽減が目的で、業者のためではないですが‥)

一般的に、この買取再販で好まれるのは駅近で築浅の物件。「不特定多数に向けて販売する」わけですから、需要が多そうな物件を選びたいのは当然です。間取りについても、誰もが許容できるものが良い。新築時の間取りを(敢えてお金を掛けて)変更する必要はない、と考えるのが普通です。

そのようにして新築時の(よく言えば普遍的な)間取りのままに、内装材を一新した「リノベーション済住戸」が誕生するわけです。

そういうボクも10年以上に亘ってこの業務に携わっています。「光と風が抜ける住まい」を(少しでも‥)実現するために、物件を選び、プランを検討してリフォームを行っています。

ところで、ウチの場合「業者は駅近で築浅の物件を好む」という王道からずいぶんと外れた位置に立っています。つまり駅近物件は少なく、築浅の建物にもご縁がないということ。その代わり、光と風が抜けたり、樹々が茂ったり、(年月を経て)落ち着いた佇まいを見ると喜ぶのです。それに加えて(以前からお話していますが)共用廊下に居室が面する物件もあまり好まないし、部屋数を減らす間取り変更も厭わない。

となると、不特定多数に広く訴求できず、検討対象者は限られます。であれば、せめて間口を広げるために内装は出来るだけシンプルにしておくのが基本方針。なのですが、時にはそれでは飽きたらず、ちょっと色のついた住戸をつくることも‥。

上の写真もそのような事例です。50㎡程度のコンパクト住戸を「古いアパートメントを自ら改装して暮らす」イメージでリフォームしたものです。(要は、設備の一部を残して新旧を擦り合わせてみた、ということデス)

小さなダイニングキッチンの窓外に広がるのは、公園の樹々。その溢れる緑が室内にまで繋がっていたら…。ついついそんな想いで、植物をモチーフとする壁紙を貼ってしまいました。場所はダイニングの壁一面(袖壁と下がり壁でできた、門型の壁)。ちなみに裏側は単色ですが、グリーンです。

よく知られたウィリアム・モリスを始め、草木からインスピレーションを得た壁紙は、表情豊かでページをめくっていても飽きません。でも奥が深そうで、自ら選ぶとなると話は別です。だって、言ってみれば花柄ですよ‥。

ということで写真の壁紙、実はボクが選んだものではありません、悪しからず…。

「やっぱりプロに任せてよかったわー、オイラが選んだアレを貼っていたらどうなったことやら…」(心の声)

夏・野菜・畑

この夏も、元気な夏野菜@市民農園のお裾分けをたくさんもらいました。

キュウリ、トマト、枝豆、オクラ、ゴーヤ、ししとう、モロッコいんげん、モロヘイヤ、空心菜‥。(とうもろこしとかないの?なんていいません‥)

もらったら、あれこれ考える前にどんどん食べないと‥。キュウリだったら冷して縦二つに割り、味噌やマヨネーズ、スパイスを載せて端からバリバリとやる、それも毎日‥。ミニトマトなら山盛りを一気に湯むきして、大きなホーロー容器に冷しておく(つるんと剥いて詰め込むと、キラキラときれいです)。それを朝に夕にと口に放り込むわけです。

もちろん、どっさり採れた時にいただくのですから、欲しいものを選んでもらうわけではありません。突然ドーンときて、忘れた頃にまたドーンといただく‥。ドーン、ドーンと寄せる波のような収穫に夏のチカラを実感したり。

そういえば文筆家(?)の玉村豊男さんが長野県東御市で拓いた「農園」ヴィラデスト。そこでの(初期の)日常を描いた著書でも、湯むきしたトマトをひたすら瓶詰(煮沸)する光景を見た記憶があります(それはまぁ素晴らしいキッチンですから、何をするにも絵になりますよね!)。併せて、あっという間に肥大するズッキーニと格闘(つまり、ひたすら食べるということ)する姿もあったような。ハハハ、夏の畑というのは大変なものです‥。

ちなみに、実は広い階層がトマトを食べるようになったのは、ここ百年程度のことなのに、いつのまにか(日本人からみると)トマトを使った料理がアイコンのようになったイタリア(南部)。この地の一般家庭においても、夏は一年分の(ビン詰め)トマトを仕込む時期なのだそうですよ。おっと、脱線しかけました‥。

農園といえば一般的には、農地所有者もしくは管理をする農協(JA)が貸し出す市民農園が相場でした。それら市民農園は一見雑然としていますが、よく見てみるときれいに畝が立ち、整然と作物が育っています。手慣れた方々ばかりと見え、新参者には敷居が高そうな感がありますね(実際はそうでもないのでしょうが‥)。

一方で最近は、民間企業が運営する農園を目にします。

これまでの市民農園にあった高い敷居と大きめの区画面積をグッと下げ、その代わりにサポート体制で利用料金をグッグッと上げた感じでしょうか。利用単価で比べると市民農園のひと回りどころか10倍にもなりビックリですが、気軽なレジャーと考えればそれでも充分に安価とも言えるでしょう。用具貸出しや種の提供、アドバイザー駐在などサポートが厚く、ひとりでもみんなでも楽しめそうです。

変わり種として、ウチの事務所に近い成城学園前に、ちょっとオサレな畑があります。ここは元々農地でなく(なので農園の定義からは外れますね)、地下化された線路の頭上に蓋(人工地盤)をした民有地。もちろん小田急が運営しています。成城らしいと思うのは、ラウンジやシャワーが付属すると共に、「水遣り」や「手入れ代行」というメニューがあること、もちろん有料で‥(笑)

さて、どうでもよい話を書き連ねました。そんなことより、たまった野菜をどうしたらいいんだー。ゴーヤもたくさん? ‥チャンプルーって言ってもさ、そんなに食べられないしナ(得意ではない、レパートリーも少ない‥)。

ということで今夏は、あれもこれも一気に鍋に放り込んで「素揚げ」にして解決したという次第。めんつゆの入った壺にでも浸けておけば、そのまま酒のお供にしたり、保存も応用も利きますし。まだまだ暑い日が続くので、素麺などにもいけるしねー。

めでたしめでたし。《おわり》

休暇小屋

「休暇小屋」、なんて素敵な響きでしょう。

バカンス、リゾートでなく「休暇」。別荘、コンドミニアムなどと呼ばずに「小屋」。素朴で飾りがなく、気が置けない、そんな匂いがします。サンダル履いて、ひねもすのたり、かな‥。

休暇小屋と名が付く(但し日本語に直して‥)有名どころに、「カップ・マルタンの(休暇)小屋」と呼ばれる海辺の小さな別荘があります。

建築家のル・コルビジェが自身(奥さん?)のために建てた8畳ほどの極小住宅で、地中海沿いに位置します。都市計画や大規模集合住宅も手掛け、都市に暮らした建築家の終の棲家(頻繁に出掛け、そこで亡くなったという意味で)が海の小屋であったのは意外というか、頷けるというか‥。ちなみにこの小屋はたった8畳ですから、さすがにキッチンはありません。知人が営む食堂と接続しているというわけですが、これまた魅力的な仕掛けですね。

彼は両親のためにも小さな家を建てていました。「レマン湖畔の小さな家」と呼ばれる約60㎡(もう少し大きい?)の建物は、10m超の連続した窓から湖を望みます。実際、お母さんが長く暮らした、簡素ながら居心地の良さそうな住まいです。無駄なくシンプルな間取りの平屋住宅ですから、平面マンションに関わるボクはその図面や室内写真をしげしげと眺めてしまいます。

日本の建築家も新旧問わず、小屋好きはたくさん居られるようです(ボクはその世界をよく知りませんが)。フランク・ロイド・ライト→レーモンド(以前のボクの事務所近くに、この創業者名を冠した設計事務所がありました)の系譜に連なる故・吉村順三氏が、自らの別荘について語った有名な一節があります。

「山荘は贅を尽くした建物である必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場でよいと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。この山荘に私が求めたのはそれだけです。」

それって「軽井沢の山荘」に限ったことではなく、日常暮らす住まいにもそのまま当てはめたいことじゃないですか。少なくとも庶民の場合、ボクの場合は‥(著名建築家の場合は、敢えて山荘に限った定義とする必要があったのかもしれませんが)。

そして今、この流れは中村好文さん(この方の事務所名はレミングハウスです、ネズミの‥)など現役の方々に受け継がれ、さらにたくさんの建築家が連なっているのでしょう。

さて、話が逸れて大きくなりましたので、小さく戻すと‥

ボクのイメージするところの「小屋」は、そんな先生方の「小屋と呼ぶ作品」と比べるべくもなく、もっと素朴でラフで安価なもの(でも、現場はきちんとやってくれますから、テキトーではありませんが)。

日常の住まいでさえも、心惹かれる休暇小屋のように感じることができたら‥。ということで、上の一節を‥

「住まいは贅を尽くしたものである必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場で良いと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。住まいに私が求めるのはそれだけです。」

おー、まるでウチの販売物件の紹介文みたいになりました。そのまま載せたら、(それ単なる受け売りだと)ご指摘受けてしまいそうですけどね‥。

夏休みの

「あおいそら、しろいくも」

小学校に入学して、はじめて開いた国語教科書に載っていた言葉です。その言葉だけ、春の空気感と共に記憶しています。他のことを覚えていないのは、あっという間に馴れて擦れてしまったからでしょうか。

そういえば、中学校で最初の英語授業‥。「じゃあ、みんなで!」と一斉に発声した「たーいがっ!」。爺ちゃん先生の焦げ茶のジャージと共に切り取られています。なお、「たーいがっ」は「tiger」。でもって、プーさんの仲間のトラは「ティガー」ですね。

さて、同じ「青い空、白い雲」でも上の写真は夏の盛り、大きな団地の一角です。脇のベンチに座った親子が自販機の飲料を手に話し込んでいましたが、じきに立ち去ってしまい、聞こえるのは蝉の声ばかり。

大きく育った樹々、高くて青い空、ジリジリと照る日射し。時が止まり、いつまでも続く夏休み‥。そんな気がする日曜日、お昼前のひと時です。

それにしても、「青い空と白い雲」を引き立てる「樹々」が大きく豊かなこと! 当時の団地は空地が大きく取られており、そのほとんどに何らかの植栽が施されていたのですから、何十年も経てば自ずと公園のようになるわけです。

航空写真を見るとわかりますね。戸建や集合住宅がギュッと詰まった密度の濃い住宅地のなかで、縮尺が違うのではと思うような一画があるのです。白い箱が点在し、その隙間を埋めるように緑が見える。まさにその場所が公団の分譲団地です。

当時の団地開発に際しては、できるだけ敷地外に土を出さないことを原則としていたと聞きます。造成を最小限に抑え、従前の敷地形状を活かして建物を配置していったのでしょう。歩いてみても確かにその通り、建物ごとに地盤面の高低差があり、建物の向きも大きさも、微妙にまちまちです。四角い豆腐のようだと揶揄される建物が並びながらも、決して無機的ではない空間だと感じます。

今となっては新たに望むべくもない、ずっと夏休みのような場所‥。いつもはバタバタと往き来する団地ではありますが、ふと立ち止まり、改めてそんなことを思ったわけです。

内装は気に入りました!

「内装は気に入っていらっしゃいますが、駅が遠いことに難色を示されています。」

「内装は気に入っていらっしゃいますが、坂道がネックです。」

「内装は気に入っていらっしゃいますが、近隣にスーパーがないので見送るとのことです。」

これら「内装は気に入って‥」という枕詞、この10年間ずーっと聞き続けてきました。ウチの物件を案内いただいた不動産会社担当者からは、そんな感じの状況報告が多いのです。今にも買うゾ!という勢いだったのに‥、というのはもはや慣れっこで。

でも、それなりに嬉しくもあります。ご検討者は、担当者に連れられて数多くの物件を内覧しますが、(いずれ)購入する(だろう)物件を除いて全てが見送り物件です。そんな見送り物件群の中でもウチの物件は記憶に残り、(間取り・内装だけは)気に入っていただいただけたわけですから(ご担当者の単なる断り口上の場合もありますが‥)。なお、数多くの物件を一気に巡って検討するというスタイルがどうなのか、というのはここでは置いておきましょう(以前の記事で書いています)。

今でこそ、売主として直接SUUMOなどに掲載もしますが、基本的にウチは黒子役。当社物件のほとんどは不動産会社から顧客へと紹介されます。それでも内覧時にはできる限り立ち会い、お話しを伺い補足説明をしたり、内覧の様子を観察したりしています。日々、生の声を聞くことで、そこから得るものも多いのです。(「売主立会いだと助かる」、逆に「売主立会いは面倒だ」と担当者によって反応は様々ですが‥)

それにしても、そうは言っても‥。駅が遠いとか、スーパーが近くにないということは初めから分かっているのことですから、もう少し何とかならないかと思ったりします。

つまり「住戸が良ければ、坂道や不便を乗り越える心積もりがおありか‥」と。そんな固い言い方でなくても、「現地までスンゴイ坂道です。汗だくですよ、ホントウに大丈夫ですか」とか「最寄りのコンビニと言っても駅前スーパーの並びです、もはやコンビニ‥とは名ばかりです(笑)」とか、検討者の覚悟を問うたうえで(笑)ご案内いただけると、尚良しです。(※すでに覚悟を持った方々をお連れいただいているのに、物件がそのお眼鏡にかなわないだけ、かもしれませんが‥。)

なんて言っていたら、誰も見に来てくれないよナー。

もっとも、貴社の物件は面白いから、と(ちょっと無理して)ご案内コースに組み入れていただくこともしばしば。お客様が意外な反応をすると、ご担当者共々嬉しいものです。実際、縁もゆかりもないエリアにあるウチの物件を、ご担当の導きで見学して購入に至ったという方が何組もいらっしゃいます。

写真の住戸もそんな経緯での購入でした。その方は、いろいろと見学するもピンとくるものが無く、担当者も「今日で最後です、ダメなら諦めましょう」と臨んだ最終案内日。その最後の物件がコレだったという良くできたハナシ。そのご担当の同僚がウチの物件をご贔屓にしていただいているご縁でご案内、そしてご購入と至りました。この住戸も例に漏れず、ちょっと不便だけど、ちょっと楽しい物件。えっ、写真見てもピンと来ないですか‥。そうですねぇ、こればかりは人それぞれだからこそ、楽しいわけですからねぇ。

小さな手掛かり

新聞のコラムで目にした、知らないドラマのエピソード。

傷ついて会社を辞めてしまった女性が、勇気を奮って新しい会社に入社した。近所に住む知人が彼女に新しい会社を選んだ理由を問うと、「会社の受付に生花が活けられていたから」そして「そんな人がいる会社なら、いいこともあるだろうと思って‥」と答えた。彼女は高校時代は華道部に属していたのだ。曰く、自分が一番輝いていた時期だった、と‥。

ほんの小さな手掛かりが、道を拓く勇気をくれたり、自分を引き上げてくれることがあります。侮ることなかれ、上のエピソードのような小さな出来事が、案外自分にピッタリの選択を連れてくるのかもしれません。

人は(少なくともボクは‥)とかく、(自分の想いとは裏腹に)客観的な条件に左右されることも多い。他人からの評価だったり、表面上の割引率だったり‥。他人ならどんな選択をするか、というモノサシで測るとわかりやすい気もするし。

でも、あとで心の声を聞いてみれば‥。そうじゃないだろー、ということもよくあることで。

マンション選びも同じかもしれませんね。衣や食に関しては、日々の暮らしの中で自分らしい選択肢を持っていても、住居、ましてや購入、さらにリフォームとなると、自分の皮膚感覚ではないもっと大きな「何か」の存在に導かれて(?)住宅購入ノウハウ本やハウツーサイトを必死に目で追ってしまう。そして徐々に違う方向に‥。もちろんそれはある意味正しいのだけれど、真っ当な生活者としての感覚がちょっと鈍る、というのでしょうか‥。

誰のため、何のための住まいなのか‥もう一度思い起こしたい。そして、小さな手掛かりを起点に想像を膨らませてみる、一つの「好き」を手に持って見定めてみる。それも良いのではないでしょうか。却ってその方が、自分の心に忠実なものに近づくのかもしれません。

例えば、道すがらにパッと開ける森の眺めや、夕暮れ時に明かりが灯る建物の佇まいにホッとする‥。はたまた、南窓に面したキッチンが気持ちよさそう、とか‥。

上の写真は、ある住戸の専用庭に咲いた梅の花です(季節外れでスミマセン)。前所有者(素敵なご高齢の女性です)が丹精されていました(この梅は誰のものか、ということは置いておいて‥)。

後にこの住戸をご購入される方が内覧の際に、「あ、この木は‥」とおっしゃったのが印象に残っています。もちろん梅の木が「売り」の住戸ではなく、ちょっと楽しい間取変更を施したリフォーム済住戸でしたから、梅が小さな手掛かりとなったか否か、今となっては知る由もありませんが‥。

魅せられて

おおっ、これいいじゃない!と目を引いた冷蔵庫たち。街の家電販売店でのスナップです。どうですか、表に出してサマになるレトロな感じ。これがあるだけで、どんなキッチンを作ろうかとイメージが湧いてきますね。是非、オープンキッチンに置いてみたい。

世の中では、ピカピカのステンレス製や家具キャビネット内隠蔽タイプなど、冷蔵庫としての存在感を消そうとするものが多い中で、上の製品はもっと表に出たいと無言で語ります。

ちなみに容量は300リットル弱でしょうか、威圧感のない小ぶりな感じ。一般的に冷蔵庫の容量は、70L X 家族数+100Lとも言われますが、簡略な計算式に頼らず自分で考えてみても‥。そう、暮らし方次第ですよね。逆にこの冷蔵庫ありきで生活スタイルを再考してみたくなるくらい。もし足りないなら、別途(裏に)冷凍庫を備えたりするのも、それっぽいかもしれません。

ちなみに真ん中がイタリアSMEG社製(660,000円)、右側はスロベニアgorenje社製(371,800円)。目ん玉飛び出拾万円。ちなみに左側のステンレス製は知りません‥。なお、 アメリカにも外見がレトロで中身は最新式のBigChill社製なんてのがあるようです(価格はやはり同程度です‥)。それにしても、やはり高いなー(ボクには‥ですヨ)。

ということで他も見てみると、「似ている」製品群があるじゃないですか。100~200Lと少し小振りではあるけれど、価格は1/10程度。それらの特徴は丸味を帯びたフォルム、メッキ風把手、レトロなロゴデザイン。ボクにとってはこれらが揃うことで似たモノに見えただけで、本当は(価格差に見合う)何かがあるのでしょうけれど‥。

以前に玄人筋(どんなスジ?)に評判の良かった無印良品の冷蔵庫(当時は確か東芝/日本製)は、惜しまれながら一旦消えていましたが、今は復活しているようですね(中身や詳細は知りません‥)。そっち(どっち?)のセンで言えばMUJIデザインは素敵ですが、今回改めてこのレトロデザインを見て、ウチの手掛けるちょっと古くて居心地の良い住まいに似合うなぁと思ったのでした。

余談ですが、購入からリフォームまで現在進行形でご一緒しているSさん。キッチンイメージはアメリカンダイナー、もちろん床はチェッカー柄よ!(いつ冷静(?)になってもいいようにフローリングの上にネ‥)という方です。そんなSさんには、上の冷蔵庫たちが似合うなぁと一瞬思ったのですが、よく考えたら彼女の手に掛かれば普通の白物家電だってカッティングシートでアメリカン!だなと合点した次第。

万事そんな感じで楽しそう、こちらまで一緒に愉快な気分です。Sさん、自家製ロースト珈琲豆をたくさんに有難うございます。もう残り僅かなんですけど‥

Raindrops keep fallin’ on my .. ♪

関東地方も、今は梅雨の真っただ中。

季節の定番は、「紫陽花(あじさい)」と「しとしと雨」。あじさいは土壌のpHに反応して花の色が変わるようですが、先日見掛けたのは白いあじさい。別品種とのことですが、楚々とした趣きでこれも美しい。

しかし、そんな梅雨のイメージと違い「ザーッ」と降るスコールも身近なものになりましたね。それはそれで亜熱帯的風情があると思うし、ナンプラーも好きだし‥(ナンノコッチャ)。

ところで、風呂で浴びるシャワーの場合は「しとしと」も良いけれど、「ザーッ」の方が心地よい。そこで、上から降り注ぐスコールようなシャワーはどうでしょう。上の写真は以前に販売した住戸の浴室です。

天井近くの壁から突き出しているのはオーバーヘッドシャワーと呼ばれるもの。ハンドシャワーと違い、全身を包み込んで温めてくれる代物です。浴室の左側部分だけ切り取ると、風呂の洗い場というよりはシャワーブースに見える。つまり、シャワーシステムが主役で、ついでに浴槽も付いてるヨ、と主従が逆転した感じです。

話は飛んで古代ローマ人。日本にタイムスリップして目にしたのは、ケロリン(黄色いやつネ)椅子に座り、風呂桶で湯を汲む男たちでした(何のこと?)。これこそ日本式入浴、シャワー無し。銭湯も家風呂も、以前はそうでありましたね。

そんな日本人も時につれシャワーを得て、そしていよいよ頭上から湯を浴びるまでになった(感慨)‥。そうは言っても、時には湯船につかり、あーっ、ふーっ、などと発したいもの。

ということで、シャワーブース風の浴室とするのは如何でしょうか。写真のタイプは既に廃盤ですが、似た感じなら結構安価で済みそうです。それに、やっぱり浴槽も欲しいしね。

もちろん以前から、邸宅にはシャワーブース+ジェットバス(半露天風呂もイイネ‥)もあったでしょう。しかし、これもそれなりにいいじゃないですか。

そんな「庶民的・和洋折衷案」を謳いながらナンですが、実は昨年ご一緒した方が本格的シャワーブースを導入されました。もちろん既存ユニットバスは完全撤去。ガラスに覆われたザ・シャワーブース、かっちょええです。もはや、ケロリン椅子の居場所はありませんでした‥。

そんな(どんな?)この頃ですが、雨と言えば「雨にぬれても(Raindrops keep‥)」。この季節のスタンダードナンバーです。先月、この曲を歌っていたB.J.トーマスさんが、(梅雨入りを前に)亡くなったと新聞が伝えていました(米国に梅雨ないか‥)。子どもの頃、イトーヨーカドーあたりで流れていたなぁ、雨の日だったのかしら‥。

雨で憂鬱な気分だけど、僕は負けない、大丈夫。不満を言っても雨が止む訳でないし。そんなこと気にしないさ…。みたいな歌詞です(違ったら失礼‥)。

梅雨はまだ明けないけれど、大丈夫。不満を言ってもシャワーが出る訳でないし。そんなこと気にしないさ‥。みたいな気分です、ボクの場合。

そうです。シャワーが出なくても気にしない‥。あれこれシャワーについて書いてきましたが、実はここ1年ほど壊れたシャワーを放置中。ケロリン椅子に座って、風呂桶でザバーッっと‥。結構良いものですけどね、これはこれで‥。

JJ(ジェイジェイ)ですか?

受付:「いけださん、少し前に女性お一人がモデルルームに上がられています。アンケートはご記入済みですが、参考見学とのことです。」

ボク:「はい、わかりました。」(アンケートを一瞥しモデルへ向かう)

【モデルルームにてご挨拶。まだ見始めであり、広い範囲で検討しているとのこと。】

ボク:「ところで、(このモデルルームには)何をご覧になってお越しに?」

【暫し沈黙‥】

女性:「‥JJです‥」

ボク:「えっ‥。ジェイ・ジェイですか‥」

女性:「‥‥えっ。え、ええ、住宅情報を見て‥」(動揺の色あり)

リクルートが運営する情報サイト「SUUMO」は、以前は「住宅情報」という名称の情報誌として書店で販売されていました。略して「住情(ジュウジョウ)」。あるいはもっと省略して業界の一部で「JJ(ジェイ-ジェイ)」と呼ばれていました。一般の方は「JJ」とは呼びませんね。「住情」はよいとしても、後者はまるで音羽の出版社お得意の女性誌じゃないですか。

当時のモデルルームは、ガチガチの予約制ではなく、ふらりと訪れることができる(逆にふらりと寄ってもらいたい)施設として営業している側面もありました。ですから、どこの誰でも、テキトーな(それどころか、実在しない人物となって‥)アンケートを記入の上で、モデルルーム内覧をすることができたのです。

ということは当然、敵(?)が送り込んでくるス〇イが紛れ込んでいる可能性も否定できない(どんな世界や‥)。ましてや平日の閑散とした時間帯になると、担当者も出払っておりご自由にどうぞ、と放し飼い状態に‥(別にモデル見られてもいいじゃないじゃないか、とお思いでしょうがそれなりにあるのですよ)。

上述のシーンとは別件ですが、モデルルーム外側を覆うプレハブの窓(普段は絶対開けない)が開錠されていたことがあってビックリ。更に、ある会社では顧客アンケートファイルが紛失し、そこに記載されたお宅に(資料請求した覚えはないが近くで販売している)他のマンション業者から営業電話が掛かってきた‥なんてことも実際にあった話‥。プレハブのモデルルームに警備会社のセキュリティが導入されるようになったのも、ちょうどその頃だったなぁと記憶しています。

話は戻って、住宅情報界のガリバー「リクルート」のこと。当時、この会社は不思議なチカラに満ちていました。メンバーが濃い。もちろん組織人ではあるけれど、一人づつ個人が生き生きと動いている感じというか。就社ではなく就職、更に言うと、社会に飛び出す準備として今はリクルートに在籍している、というのかな。「社会」自体が自分の「会社」であると思っているんじゃないかこの人たちは、と思ったものです(個人的感想)。

今でこそ人材の流動性は高くなり、リクルートのようなカルチャーを持つ企業が増えました。ですが、僕らの世代の大多数は就職=就社が既定路線、という当時。そんな頃でさえ、既にリクルートを卒業したOB達が社会のあちこちに散らばり、川上から川下まで繋がって仕事している。今風に言うと独自のエコシステム(生態系)ってやつでしょうか(?、違うか‥)。ボクの場合、リクルートコスモス(不動産業ネ)も身近で、ここの人達も全く同じ様子だったから、余計にそう感じたのかもしれませんね。

ところで、写真の女性誌(JJの本家‥)は遂に休刊となったそうですね。学校のあの子が読者モデルだとか、スナップが載ったとか‥思い起こせば懐かしいこの雑誌。その存在さえ忘れていたけれど、ずっとあのスタイルで走ってきたのでしょうか。よくぞここまで!と思います‥。‥長くなるのでやめておきましょう。

それにしても、雑誌廃刊のニュースが頻繁に聞こえてくる昨今。子供のころから紙の雑誌が傍らにあって、インスピレーションを得たり、多くの想像を膨らませてきた(JJではありません‥)ワタシとしては、ちょっと寂しい気がしています。

帰郷

黒目がちの赤ちゃん、たくさんいますね

目視で確認したその数、少なくとも40匹以上。去年の夏にカマキリ母さんが産み付けたたまごから、赤ちゃんたちが飛び出てきました。本当は100匹以上いるらしいのだけれど‥。

あんな小さな卵鞘(ランショウというのだそう)にどうやって納まっていたのでしょう。そろそろ出てくるか?とウオッチしていましたが、残念ながらその場に居合わせることはできませんでした。皆、既にあちこちへ離散している様子。

ここ数年続けて見掛ける光景です。梅雨前の今頃に赤ちゃんカマキリが生まれ、あっという間に見掛けなくなったと思ったら、秋にデカいのが現れる。そして写真のような草木(これはローズマリー)の枝や、手摺の裏側などに産卵していくのです。

生まれ出た瞬間から、自力で生きた餌を獲り、生き抜かなければならないカマキリの人生(?)は過酷。一つの卵鞘から出た兄弟たちが全滅することも珍しくないようです。当初は赤ちゃん同士、最後にはオス自身が栄養としてわが身を供することさえある。つまり、共食いをしてでも、残った一匹が子孫を残す。そんな壮大な仕組みには驚嘆します。

カマキリの孵化が(一般的な)春ではなく、少し遅れて夏近い時期であるのは、餌になる昆虫が豊富になる時期を待っているから。なるほど陸上昆虫の王者は、満を持して登場するわけですね。

上の写真の赤ちゃん達を産んだ去年のカマキリ母さんも、ここでワァーッと生まれた中の一匹だったのでしょうか。そして、ひと夏をこの辺りの草むらで過ごして、最期に生まれ故郷に戻ってきたのかな。カマキリに帰巣本能があると聞いたことはないけれど、逆にずっとこの(狭い)場所に居たとも思えないし‥。

カマキリ母さんは故郷に戻ってきた(のかもしれない)と書いていたら、小中学生の頃に聴いた歌詞とメロディが、想像の情景と共に鼻歌となって浮かんできました。

朝もやを抜けて / 汽車は走る 遥かな道を / 僕をのせて 疲れた心を / いやすように 汽笛は響く / 野山越えて やがて青い / 空がのぞき もうすぐ帰る / 僕のふるさと‥

わずかな荷物が / 僕のすべて まぶしい日射しが / 時を笑う 朝もやを抜けて / 汽車は走る 見慣れた景色が / 窓を飛びかう 忘れかけた / 僕の笑顔 もうすぐ帰る / 僕のふるさと‥

そう、松山千春さんの「帰郷」。映る情景は彼の故郷である北海道でしょうか。であれば、そこは幼い頃の僕も一時期だけ暮らした場所。

そして、会いたい人が暮らす土地でもあります。北海道を故郷に持つ後輩(仕事上の同志でもあった)は東京での暮らしに見切りを付け、「帰郷」の歌詞の通り、まさに帰郷しました。今もその地に暮らしています。

そんな彼と十数年ぶりの邂逅の機会が巡ってくるようだったのですが、ここ一年の混乱でそれはなくなりました。いつか会えるのでしょうか。いや、会えなくてもいいのかもしれない、とも思うのです。頑張っていますか、と心の中で問いかける。そんな友とのカタチもあるのではないか、と。(Facebookでいいじゃんか‥ねぇ)