妄想の熱い食卓

夏に向かうこの季節。と書くと、坂の上に夏の雲が待ち受けるかのようですが、さにあらず。長ーい梅雨模様が続く気配‥。

そういえば、すっかり春も過ぎ去りました。江戸っ子が女房を質に入れてでも喰いたがった初鰹も北に向かい、また秋に元気で戻ってくれるのを願うばかり。

そんな今、庶民の味方の三番バッター(四番は?)、鯵が時期を迎えています。もちろん年中あちこちで獲れるけれど、この時期の鯵がふっくら旨いと思うのは、梅雨空に思うボクの錯覚でしょうか。ちなみに鯵は白身と赤身それぞれの魚の旨さを備えているそうで、焼く、揚げる、〆る(さっと煮るなんてのも粋だねぇ)と変幻自在にわかりやすく深い味は、なるほど紅白歌合戦の両組を行き来する存在だと納得です。

さて、目が澄んでいて、見るからに良さそうな鯵が目の前に‥。

そうだ、今日はスペインの海辺に行こう!

海沿いの道路から一本引っ込んだ路地の昼下がり。開け放たれた店の前では、焼き網の下の炭が熱を放つ。外の強い陽射しとは反対に、店内の暗がりがひんやり気持ちよさそうなこのお店。今日はこちらにお邪魔しよう。「コンニチハ‥、サカナヲ、ヤイテクダサイナ」「ハイ、イイデスヨ、ドウゾ!」

鯵を丸のまま皿に載せ、ガスオーブンに投入。しっかり焼き上げて取り出したる皿の上でサクッと身を開き、即座に、沸騰スタンバイ中のニンニク、オイル、唐辛子、たっぷりレモン沸々ソースを一気にジャーッと掛け回す。(オイル飛び散る‥)

暗がりの店内、外には眩しい陽射し。さあワインをコップに注いで‥

(我に帰った、ここは二ホンだ、それも自宅ぢゃないか‥)。

ボクが20年前から作り続けるこの料理は、おおつきちひろさんの本から習ったもの。料理人の料理でなく、アチラの家庭や食堂にありそうな素朴な料理がたくさん載っている本です。

日本にスペインバルが勃興して以来、洗練された店が増えました。でもそれ以前は店も少なく、ぽつぽつ点在する老舗料理店を訪ね歩いたものです。

一方、スペイン本国でも料理の洗練は目覚ましく、その反対にボクの好きな料理は古臭く、よく言えばトラディショナルなカテゴリーとなってくるのでしょう。でも考えてみたらボクは下町の酒場が好きで(今はもう行かないが‥)、タコぶつやお浸しで良い人間だから、他国料理についてもそれでよいのです‥。

ボクがスペインを歩いたのは’90年台の間で、今世紀になってはその土を踏んでいません。街並みは変わらずとも人や文化は移ろうわけで、Up-dateされないボクのスペイン観が古色蒼然なものでも不思議はありません。

そういえばバルミューダの寺尾玄さん、高校を中退した’90年にスペインをひとり歩いたと読んだことがあります(同年に同じ街を歩いたので覚えていた)。疲れてたどり着いたアンダルシアの古い街での記憶が、今に続くバルミューダの原点だとも。

それにしても、同じものを見ても聞いても、アウトプットは全く違うんだと改めて思います。かたや人の感性に訴える電化製品、かたや20年来変わらぬオーブン焼きですから‥。ハハハ‥

価値紊乱(カチ・ビンラン)

こどもの頃に、皆とこんな話題で盛り上がったことはありませんか。

究極の選択「カレー味のう〇こ」と「う〇こ味のカレー」、どちらを取るか!

ないですか‥。そうですよね、ボクのまわりだけですかね‥。でも、いまだに周辺の子供たちの間で議論されている永遠の迷題‥。

さて上の写真は、ときどき通り掛かる道沿いの食堂。バックヤード側の屋根に品書きが掲げられています。都市計画道路が開通して、裏側も道路に面することになったようです。一見、普通の品書きですが、ひとつづつ読んでいくと…、どれでも700円ではないですか。

「え、トンカツとコロッケ、それにサシミ(刺身でない?)が同じ値段‥。」

この品書きは手ごわいなぁ。「お前の価値基準は何だ?どうだ選んでみろ、どれでも均一700円だ。」

その悩ましさは、まるで冒頭の「究極の選択」のよう! まるで品のないハナシですが、この品書きを見て「・・・カレー」を思い出してしまったというわけです。

例えば「コロッケの方が好き」と公言し、普段は(価格幅のある)メニューから安いコロッケを選ぶ者が、トンカツとコロッケとサシミが同値段である場合、その中から迷わずコロッケを選ぶ自信があるか。お前が本当に好きなものは何なのだ! と問われているのだ。

‥‥。もちろん普通は、値段と品物を天秤にかけて考えるのだから、「本当にコロッケが好きなのか」などと、コロッケ原理主義者の踏み絵を踏まされる覚えも、必要もないだろうが‥。

それにしても迷うなぁ―。実際、信号待ちの合間に考えてしまった。やっぱりトンカツかなー。

ところがこの店、そんなに甘くない。上から見れば大きさはトンカツ、横から見るとミラノ風カツレツ(叩いて薄いヤツね)という代物を出してくるのです。要するに、「なんでも700円」ではなく「なんでも700円分」に揃えた店だったのですよ‥。(妄想です)

そんな話ありますよね。フローリングの杉とウォールナットが同じ単価であると‥?。その理由は「杉は無垢材15mm厚」、一方「ウォールナットは表層突板0.2mm+合板」だという訳です。

この杉無垢15mmとウォールナット突板0.2mm、これはお好みですね。ボクは杉無垢だけど。でも挽板3mm(これなら傷でも下地見えない)と言われたら、それはもう‥。

ところで先の食堂、実際はどうなんでしょうか。一度立ち寄って確かめてみたいところです。トンカツ‥いや、コロッケ定食ひとつ! ですかね。


梁を越えて

Q.「何故、貴社の新型車は年々大型化しているのか」

A.「人は年々大きくなっている。だからクルマも大きくなるのだ‥。」

ん?‥人は依然として日々デカくなっている。 そうだったのか‥。

随分前のこと、バイエルンにある自動車会社と記憶しています。経営幹部が新車発表に際して発したコメント(ほぼ意訳)です。このメーカーの Evergreenである、六●●のカローラとも呼ばれた3シリーズを筆頭に、少し前のモデル達の小さくてシュっとしたスタイルが個人的には好みだったのだけれど‥。どうやら同社は人類の肥大化と歩みを共にすることにした、ということのようです。(衝突等の安全基準が厳しくなる中、本当は止むを得ないコトだったのでしょう。最近は、ダウンサイズに舵を切るメーカーも出てきているようですね‥さすがに人類の巨大化をクルマが追い越したのか‥)

さて、人類のこれから‥、この迷題は置いておこう。

確かに戦後の日本人は大きくなりました。それを身の周りで感じるものの一つが往年の団地の室内。

近頃、昭和40年代の団地を連続して幾つも手掛けています(実はウチでリフォーム販売した最初の住戸も団地でした。何度か触れていますが、あの稀有なゆとりある敷地は素晴らしいと思うのです。)。色々と制約が有りながらも、ワイドスパンの南北開口という基本プランの良さと相まって、気持ちの良い住戸に変身します。が、それにしても住戸内を貫く「梁(はり)」は確かに低ーい。平均身長の男性でも、ちょっと腰を屈めるか、もしくは頭を下げたい程‥。その様子を見ていると、戦後日本の長足の歩みを思い起こします。

梁というのは鉄筋コンクリートの構造躯体であり共用部分ですから、当然撤去することはできません。そしてその梁に沿って居室が分かれる(箇所が多いので)ので、梁の下を引き戸や間仕切りが通る場合が多い。するとリフォームの際には(梁の高さに合わせた特注寸法の)洋風ドアを設置するのが普通に行われます。ですがそのドア寸法は、現代の室内ドアにしてはちょっと低い感じが‥。

そこで上の写真。

大きな室内窓の上部には梁が(左側ドアの奥まで)通っているのが見えますね。この室内窓の部分には、元々は大きな引き違い戸があり、廊下から台所への出入りをしていた場所です。その約2m幅の出入口を完全に閉じて壁をつくり、ガラスを嵌めました。背の高い新設ドアは、梁と重ならない場所としています。

こうして、リビングドアは梁下高の制約から自由になり、梁も「ただの白い梁」に徹することができる。室内が少しだけ縦方向に伸びやかになった感じ‥。たったそれだけ、ではあるのですが、そんなことが嬉しいなぁと思うのでした。

ジードルンク

※表題と写真は無関係です。

「何なに‥、今回は海外の集合住宅かい。ジードルンクってぇのはドイツだな。郊外に団地を造るってことで、100年も昔に、今でも有名な建築家たちが大勢関わったというやつだ。たとえばル・コルビュジエまで参加したんだそうな‥。」

「まるでどこかのサイトから引用したような答えだな。まあ、そういうことだ。」

「しかし、やけに電線が多いな。この写真、本当にドイツなのか?」

「誰かドイツなんて言ったか。集合住宅(ジードルンク) @カワサキ、ジャパンだ。」

「‥‥。」

これはドイツの集合住宅だ、と言えば、(もしかしたら)頷くひとがいる(かもしれない)写真の建物。川崎市内にある大規模団地の一棟です。レンガ色の外壁に、白い階段が「らしい」感じ。

ところでこの建物、北側なのに見慣れた開放廊下が見当たりません。どこにあるのか、わかります?正解は‥

「ありません」

正解がない、のではなく「開放廊下がない」が正解です。

北側外壁にも各住戸の窓が並んでいる。北側を主採光面にすること(および主採光面にバルコニーが全くないこと)は、日本の郊外物件では稀です(最近のタワーは別ですが)。であればこの建物は南北に開放・開口する住戸が並び、開放廊下が存在する余地がありません。すなわち、隣り合う2住戸でひとつづつEV&階段を抱えているのです。EVを降りると目の前に自邸の玄関扉があるわけですねー。

この配置はとても贅沢なつくりです。開放廊下がないので視線や足音とは無縁。住戸の南北にある窓を開放(解放?)できます。このような「2戸1EV」の中高層マンションは(特に郊外では)数が限られているはずです。

要するに、いわゆる5階建団地を高層化して(6階以上はキツイから)各階段室にEVも設置した。つまり団地の正当なる進化系です。しかしその後、経済的効率的理由によってこのスタイルは主流にはならず傍流へと押しやられていきましたが。

その後民間マンションにおいて主流となったのが、ご存知「開放廊下型」。この開放廊下型の原型はドイツで生まれたようです。経済合理性を求めたカタチですから、ドイツ発祥だったことに不思議はありませんね。ただ、以前見たその原型は、日本の開放廊下とは違った軽やかな印象。外に面する開放廊下の腰壁は透明ガラスでした。

そういえば、ほとんどこれは日本の風景では、と見紛うような南側ファサード(バルコニーの雰囲気)を持つ団地をポーランドで見かけました(旧東側諸国には多かったのでしょうね、きっと)。

廻りまわって、日本における団地リフォームの事例。「旧東ドイツのアパートメントの雰囲気」が好き、という方のリノベーション(どんなん‥?)もありました。(一見)豊かで、モノが溢れ返る現在の日本だからこそ、却ってそれは映えるでしょうし、集合住宅の原点回帰でもあるでしょう。

集合住宅の歴史、みたいなハナシ‥(別に得意ではありません)。とりとめもなくあちこち行き来するばかりで、収拾がつきません。それでは、この辺りでお仕舞いといたします。

ファースト、セカンド‥‥

ファーストと言えば、「四番、ファースト、王(場内アナウンスのイメージで)」

セカンドは、「二番、セカンド、篠塚(同上)」

ではサードと言えば‥‥(しつこいぞ!でも、あの人ですね)

ファースト、セカンド‥と聞くと、子供の頃は好きだった野球場のざわめきと臨場感、ウグイス嬢(今もこう呼ぶのか?)の声を思い出します。上のアナウンスはモチロン、往年の巨人軍(王選手と篠塚選手は重なっていた?よね‥)。

そんな小学校時代の僥倖のひとつは、王選手のホームラン世界新756号達成の瞬間に後楽園球場のスタンドに居合わせたこと。小4の9月3日、照明が消えた球場で一筋のスポットライトが照らす王選手とご両親の姿が思い浮かびます(多分そうだった記憶‥)。

世の理として、ファーストがあって初めてセカンド‥と続くわけです。が、野球に限ったことではなく、セカンドというのは味わいのある小技の利いた立ち位置ですね。例えば水島新司さんのドカベンなら、殿馬一人という二塁手(これ野球だろ‥、というか古すぎるか‥)。ちなみに声の主(アニメ)はスネ夫くんと同じ方(肝付さん)ですよね。声からして味あるわ。

そもそも僕が扱うものは中古、すなわちセカンドハンドだから、セカンド贔屓になるのは当然のハナシ。新しい建物が時間の経過とともに味わいを増し、苔むし(?)、カビが生え(‥)、良くも悪くも素性が露呈する(きびしー)のです。セカンドの味わいは唯一無二のモノというわけです。

閑話休題

さて、上の写真の話。

道路向こうの緑地まで見通す奥行10m超の空間は、南東・南西角の三面採光。真ん中に鎮座するキッチンを挟んで、二つの空間が緩く繋がっています。朝から午後まで、室内を移ろう陽射しが部屋の表情を刻一刻と変えていくのです。

勝手に言ってしまいましょう、手前はセカンドリビングである、と。

まだ従前の間取りだったこの住戸を取得したボクは、日の出前にここへきて朝日が昇るのを待ちました。「おーっ!やっぱり‥」と、当時単なる個室だったこの部屋の窓二カ所に、低く眩しい朝日が差すのを確認したのです。そしてそのまま10mの長辺に沿って移っていくことも。

そして、バカボンに登場するお巡りさんのお目目のような「ひとつながりの空間」が、僕の落書きそのままに実現したのでした。そして同時に、朝日の中で珈琲を飲むため(だけの)セカンドリビングも‥。

なんて‥。実際は二つの空間をどのようにでも使っていただけるように、と思いながら計画したのですが、なかでも朝日のコーヒーは魅力的だな、と。

そして今、とても素敵なご夫婦にお住まいいただいています。前述したボクの行動と想いをまるで見ていたかのように、朝日の注ぐ(セカンド)リビングで、鳥の声と共にコーヒーを楽しんでいらっしゃるとお聞きしました。

そんな話を聞くだけで、こちらまで幸せな気分。10年以上に亘って、樹々に近く、光と風が抜ける(であろう)住まいを(細々と)つくり続けています。こんな出会いと小さな喜びが、歩き続けるチカラになっているのだと思います。

長い休暇

ふと気づいて顔を上げ、あたりを見渡すと、もう4月。自身の入学・卒業式もなければ、人事異動とも無縁になって久しいけれど、春だけは長い間に馴染んだ条件反射的な感傷があるような。

細目をして、随分と昔の春を思い出してみると‥。中学1年は初めて担任を持つ男性教諭。先生手づくりの学級通信の題名は「時代」。そう、あの歌姫の‥。中2の担任も若い英語の先生だったのだけど、初ホームルームはいきなり黒板に「クラスの標語は All for one , one for all です」。そして授業始まって早々の廊下で「いけだ!」と振りむきざまに「Heaven helps those who help themselves!‥意味わかるか?」。「‥おれ、頼ってないスけど、何か?」とまぁ、先生も生徒も熱量高く、暑苦しい80年代初頭。都心のある中学校での記憶です。

ボクがそんな感じだった頃に出たアルバムが売れ続けているという話。それは大瀧詠一さん。印象的なジャケットと相まって、あの時代の風が抜けていく。ちょうど芽吹きの緑と空の青、そして風が光る(「寒風と共に去りぬ」)この季節だからこそ、余計に眩しく感じるのかも知れません。

でもそんな作風が大瀧サウンドの芯ではない、と佐野元春さんは言います。歳の差はあるも当時のアルバムに参加していた佐野さんは、大瀧詠一とはロックンロールであると。R&B、R&R、SOUL‥深く掘り溜めた井戸の中から、(僕のような素人が知る)爽やかな日本ポップスサウンドが生まれた訳なんですね。これがプロなのだ、きっと。

大瀧さんといえば、松本さん、細野さん。松本さんがアルバム「ロング・バケイション」と今の時代について、こんなことを語っていました。

文化とか経済とかがピークを、峠を越したんだと思う。みんなもうそれほど新しいものを欲しがっていないんじゃないか。実際、新しい技術も出てこないし。科学とか技術の限界があって、そういうものを通り越して、こういうロンバケへの憧れが残っているんじゃないかな。長い休暇。必死に働いてもしょうがないという‥

長い休暇‥。たしかにそんな言葉に改めて心惹かれるのはボクだけではないはず。どこもかしこもピリピリしていて、なんだか疲れるしなー。(現実の長い休暇は取れる気がしないケド‥)

そんな大瀧詠一さんはもう数年前に亡くなり、そしてその「分厚い音づくり」の手本だったあの(プロデューサー)フィルスペクターさんも亡くなったという記事を最近目にしました。もうこの世にはいないけれど、それらの音楽は残り、次の世代が引き継いでいく‥。

いつもより少し早い桜の花が、舞っています。創業から10年間、代々木公園近くに事務所を置いていました。新宿への道すがら、お寺に掲げられた「今月の言葉」を横目に歩いたものです。なかでも、たびたび口をついて出てくるのがこの句‥

散る桜、残る桜も、散る桜 (良寛和尚)

ある種の諦観と、その先に想う希望。なんだろうな―この感じ、と思ったら、そうか「ライフイズビューティフル」!、となぜか映画を思い出したのでした(なんだかよう解らん私見ですが‥)。

これでもいいのだ

奥に見ゆるは、ERCOL社のアンティークチェア

上写真はリフォーム後に販売した住戸、ウチでは数少ない平成以降の建物です。これも例に漏れず、ボクの好みである両面バルコニーと玄関ポーチタイプ(ご参考:「2戸1階段(ニコイチ・カイダン)」)ですので、寝室の前が開放廊下になっていて窓を開放できない!という悩みもありません。北側の窓外にも緑を眺める、落ち着いた暮らしができる住戸です。

最上階だったのでリビングには勾配天井が。この(元)リビングを新ダイニングと定めて大きなテーブルを置きました(新リビング=写真左側に写る(元)和室+窓のある(元)廊下、へと間取り変更しています)。

ちなみに、食事の際に一人当たり必要なテーブルは幅60cm×奥行40cmと言われます。つまり4人掛けはミニマムだと120×80cmですが、上のテーブル幅は220cm。大家族用ではない専有面積73㎡の住戸ですから、ちょっとテーブルが大きいですね。たまには大人数で食卓を囲むことも有るでしょうが、そのために大空間を用意した訳ではありません。

食事のためだけに存在するテーブルではなく、誰かが何かをできる場所に。自由な空間が住まいの真ん中にある暮らし方はどうだろう、と大きめのテーブルを設置したのでした。(実はこれ、二段階伸張式テーブルで140、180,220cmと伸縮自在です。こんな大きいテーブル要らない!と言われた場合に備えてのこと‥)

微妙な広さのリビングダイニングに、無理してテーブルセットとソファを置くよりも、却って大テーブルのみの方が、カッコ良く実用性にも富む場合もあるのではないでしょうか。つまり「ソファを置かないと‥」を一旦外してみるのもアリなのでは‥。(なお、この住戸は先述の通り、解体した廊下と和室を合体するという荒業によりリビングもつくりましたが‥)

例えば北欧サイズのモノがいっぱいのIKEAには、こんなテーブル(下写真)があります。235×100cmと日本ではあまり見掛けない堂々としたもので、奥行100cmもテーブル向かいのヒトが小さく見えるほど‥(‥なワケないか)。WEBサイトの説明に「ファームハウス(農家)のような」とあるように、武骨でどっしりした雰囲気がラフな暮らし方に似合いそうです。小割りで間数の多い住戸では何だかパンパンな感じですが、リフォームで部屋を拡げたならば、こんな大テーブルの方が却って部屋を広く感じさせるかも知れません。その上で、部屋の隅に一人掛けソファ(アームチェア+オットマン)なんぞを置けたら良いではないですか。

ちなみにこのテーブルは、天板の表面に厚さ3mmのオーク挽板を使用しています。0.2~3mmの一般的な突板と比べると充分に厚く(この世界ではこれを厚い、という)、無垢材と見紛う存在感です。この大きさの割には比較的買いやすい価格も相まって、以前書いた「家はこれでいいじゃないか」ならぬ、「テーブルは、これでいいのだ」という感じですね。

IKEA公式サイトより


ボクが大家で、店子もワタシ

ウチの店子、Kumataro Lancia、Kumajiro Lancia 兄弟

店子と書いて、タナコと読みます。借家人を指す古い(江戸?)言葉ですが、当時とは大家との関係も異なりますし、現代ではあまり目にしません。業界では、店舗のテナント(だけ)にその呼称を用いる場合が多いですね。語呂が良かったので、そんな言葉(タナコ)を使いました。スミマセン。

さて‥

日経ビジネス誌で宗健さんという先生が、「持ち家VS賃貸論争はデータを見れば結論は出ている」という記事を書いておられました。その中の小見出しのひとつが、

「持ち家は、自分を顧客とした最も確実性の高い賃貸事業」

というものでした。これは僕が以前に書いた「マンションの鍵貸します」に出てくる、「自分が大家で自分が店子」という内容と全く同じことですね。せんせー、ボクもそう思います。

ちなみに先生は、賃貸住宅に含まれているコストについて次の(箇条書きの)ように挙げて、「その家主が得る利益が自分のものになる分だけ、持ち家は賃貸より有利になる。」と簡潔に述べられていました。(あくまでも一般例です。逆に、例えば自分は借家に暮らし、別に所有する賃貸住宅から収入を得る資力や運用力があれば、ハナシは少し違ってくるかもしれませんね。)

  • 家賃には、家主の利益が含まれている(持ち家は自分のものだから利益は乗せない)
  • 家賃には、家賃滞納コストが含まれている(持ち家は自分で払うので他人の滞納リスクは負担しない)
  • 家賃には、空室コストが含まれている(持ち家は自分で住むので空室コストはない)
  • 家賃には、入居者が入れ替わるときに家主が負担する原状回復コストや入居者募集コストが含まれている(持ち家にはそうしたコストは発生しない。ただしリフォームコストは発生する場合がある)
  • 賃貸物件のためのローン金利は持ち家のローン金利よりも高く、その差額分は家賃に乗せられている。

もちろん、上記は経済的側面の話です。持ち家は住宅ローンを完済後すれば居住費がドンと下がる一方、頻繁な転居には不自由。一方、賃貸は借入金を抱えず心は軽く暮らせるものの、将来に亘り家賃を支払い続ける不安がある‥などなど、どちらも良いことだけではありません。そして何より住まいとは、経済的な損得だけでなくライフスタイルに絡むことですから、決まった結論はありませんよね。でも、経済的には結論が出ている、という記事です。

先生の話に加えて、持ち家を購入するのなら、もうひとつ考えておきたいこと。それは、時間軸。以前、「家は焦らず ‐You Can’t Hurry Home-」の中で、家を購入する行動に移るまでの長い(準備・検討)期間のことを書きました。そんな期間中も時は過ぎていく。だから、その時間さえも自分の側に取り込んで、味方につけた方が良いのではないか、という内容でした。

以上の2点は既に、誰かが何処かで謳っていた内容だろうと思います(自分の中に湧いてきたことを書いた気でいる僕も、それを覚えていただけなのでしょう‥)。よく考えればわかる基本的なことですが、ここに改めて思い起こしてみました。

でも、もっと忘れてはいけないコトがあります。それは、住まいや暮らしはそもそも損得ではないこと。そして、あまり無理をしない、ということですよね。

春の夜の夢

高台の住宅地、それも少し古い分譲地を歩くと見掛けるものがあります。それは大きな敷地に建つ邸宅が、主(あるじ)を失って朽ちかけた寂しそうな姿。

当時の区画は、最近の分譲地と比較しても広いものが多く、250㎡(約80坪)程度の敷地は珍しくありません。建物は立派で意匠的に素晴らしいものもあり、当時は目を見張る住宅だっただろうと想像します。(それ以上に、都内の一部には際限なく広大な住宅群もありますが、それは僕には無縁なので‥)

ただ、今となっては土地建物とも大きすぎて価格が嵩み、そのまま購入して(手直しの上で)住まう方が現れにくい場合が多いのです。殆どの場合に建物は解体され、敷地分割を前提とした買い手は、自ずと建売業者(もしくは不動産業者)となるわけです。

敷地を分割しても充分な面積があり、元々は大区画が並ぶ好環境なのですから、新築の戸建ては建てれば売れる。でもちょっと困ったのが、敷地の最低面積が定められた地区の場合。2分割すると、一方の敷地は建築ができないのです。例えば165㎡の最低敷地面積制限があるとすると、250㎡の敷地は2敷地にできません。

ボクが見掛けた建物もそんな制限のある地区内にありました。売らないのか、売れないのか。それとも、所有者間の揉め事なのか‥。いずれにしても随分と時が経ち、いつまでもそのままの姿で佇む様は、まさに春の夜の夢のごとし。そんな有名な一文が頭に浮かびます。

さて‥。春つながりで撮った上の写真は早咲きの桜、河津桜。河津桜の故郷は、南伊豆の河津(かわづ)ですね。修善寺から天城を抜け山道を縫って下り、海と出会うところ。

そんな山から開いた、眩しい海の広がりを思い浮かばせるのが、小説「伊豆の踊子」です。昨年末、ぽっかり空いた時間に北国の温泉気分に浸りたくて、川端康成の「雪国」を(何十年ぶりに)手に取りました。その流れで先日読んだのが「伊豆の踊子」。今回は海を間近にした明るい温泉場の気分で(舞台は秋ですが‥)。そのタイミングで、たまたま近所の河津桜も満開になったというわけです。

古典であるこれらを読むと、作家の描写の豊かさや言葉の美しさを改めて感じます。この歳になって、ようやく少しだけ‥ですね。たとえば、野の匂いを失わない、という清々しい言葉。旅芸人の心持ちを表したものですが、その表現の幅に感心するとともに、匂いまでスッと心に染みたような気がしたり‥。

二月も終わり。日も高く、長くなってきました。暦の上だけでなく春の芽吹きを、あちこちに見つけます。ウチのテラスにはオオイヌノフグリが顔を出しました。道端の雑草扱いですが、小さな青い花は素朴で可憐、いかにも野の花という風情が良いと常々思います。とても名前とは似つかわしくありません。ご存知かも知れませんが、漢字で書くと大犬金玉ですからねぇ。

山小屋からこんにちは

洗練とはかけ離れた素朴な室内、リフォーム後に販売した住戸です。厨房の中から食堂(そう呼びたい感じ‥)側を覗いています。

住戸中央に厨房と食堂、その南側(主開口部)に居室が二つ並ぶ昭和50年代半ばの典型的間取りです。通常、この間取りの場合には食堂に窓がなく、南側居室の(引戸を開けて)採光を得ることになります。ですのでリフォームの際には、食堂に光と風を取り込むようにプランをあれこれ考えるのですが、本件は凸凹させた住棟計画が幸いして食堂に窓がありました。では基本プランはそのままでいきましょー、というわけです。

厨房の水廻りや排気位置は変更せず、食堂との間を閉じていた壁を撤去して、背面カウンターを造作しました。カウンター上部には写真の通り躯体の梁が下がっていたので、カウンターの天板を延長させて、床から側面→カウンター天板→側面→梁下に棚を間口左右一杯まで、同じ材料・奥行のまま一筆書きのように木製天板を走らせました。シンプルですが、ちょっと面白いカタチになりました。

食堂に目をやると、奥には山小屋かログハウスのような壁。これは木目のビニルクロスではありません‥(ていうか、木目クロスを貼るなら、わざわざ安そうな杉板の模様にはしないですかね。僕以外は‥)。これは無垢の羽目板、それも節のある杉なので見た目にログハウス感がモリモリです。見た目だけでなく、近くに寄って触れてみると、暖かで厚みもあり素材に包まれるような安心感があります。壁一面の無垢材は目線に近い分、床材として使う以上に五感に訴えるものがあるかも知れません。

この住戸には、同じく杉材の扉なども採用しており、杉濃度が高め。購入されたのは、そんな素朴な感じがお好みで、お母さん自身が(スタジオ)ジブリ大好きとおっしゃる親子でした。

そのジブリですが、実はこの物件(に限らずウチの物件)の設計から現場までを担当した女性は、ジブリ美術館の建築工事に関わっています。ジブリ側(あの人たち‥)と設計側(&ゼネコン?)、両者のかみ合わない言葉を翻訳(!)する仕事に(途中から)引っ張り出されたのだとか。要するに、四角いものは四角くないといけない設計側と、そんなこととは違う世界の住人側では、造れるモノと創りたいモノが食い違ったようなのです。ジブリ側の誰か曰く「やっと話のできる人がきた!」だったそうです。言語が違うんですね‥(想像つきますよね、ハハハ)。

話は戻りますが、この住戸は床に無垢材が採用できない代わりに、壁に羽目板を使ったという経緯があります。素朴な雰囲気が好きで何度か使っていますが、せいぜい壁一面とプラスアルファ程度です。不特定少数(!)の方に向けての販売用住戸ですから、その程度で止めています。(濃すぎは禁物ですから)←って充分濃いか‥。

でもログハウスのように、ひと部屋だけを全面無垢材で囲ってみたいですね。できれば、窓の外に緑を望む部屋を選んで。緑の眩しい昼間も、しんと寝静まった真夜中も、きっと落ち着く居場所になるでしょう。山小屋にようこそ!