不安定の中を

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三次元空間を行く飛行機が、なぜ安定して飛べるようになったのか‥。

空の歴史のなかにも、我々が日常生活を飛び続けるためのヒントがある。

それを知ったのは、ずっと以前に故・児玉清さんの文章に触れたのがきっかけでした。更に言うと、児玉さんが紹介する「不安定からの発想(佐貫亦男著)」という書物に遡ります。航空宇宙工学の先生の手によるものであるけれど、読み進めばナルホド、これはダ・ビンチの夢想から始まる約四百年に亘る黎明期の話であると同時に、我々の暮らしへのヒントでもあるのではないかと。

航空機時代の夜明け前、(鳥人間や気球の時代を経て)空に挑む者たちが目指したのは、乱れる気流にも揺るがない強さと安定性を持つ飛行機。しかし、安定を目指せば目指すほど、一旦コントロールを失うとその安定性が仇となり、落下の危険性が増してしまう。

そもそも、小さな飛行物体が激流に抗することができると考えることに無理があるといいいます。不安定であることが当たり前。それを受け流しながらその不安定状態をコントロールする、即ち積極的に上下左右へ操縦することで安定を得ているのです。そして機体は剛でなく柔でなくてはならないと。

そのような、不安定を制御するという考え方に転換したことで、空の時代の幕が開けたのだといいます。それを開いたのがあのライト兄弟‥。この兄弟を中心に、その前後に登場する先駆者たちそれぞれの理論や人間性を絡めて、時代を描いた読み物です。

ちょっと話は逸れますが、納得したことがひとつ。普段乗るジェット機の窓から覗いた主翼(とそこについているエンジン)は、いつ見ても絶えずたわんでいて、そのうちボキッと折れてしまうのではないかと常々不安に思っていたのです。どうやらそれは杞憂だったようで、この柔らかさこそが安定した飛行に必要だとのこと。敢えて揺れるように設計されているので、そんなことでは壊れないのだと(ヨカッタ)。

話を戻すと‥。ボクは小さな会社(の体裁をした個人事務所)の操縦桿を握っていて、どこにも属さない不安定な立場。そのボクが会社を辞めてひとりで歩き出した頃に、この「不安定の中で安定する」という考え方に出会いました。

以来歩き続けるなか、先が見えなくて足元が覚束なく、フワッと宙に浮いたように(うーん、例えるなら遊園地の乗り物が宙で反転した瞬間の無重力のような‥)感じる瞬間が何度かあったけれど、そのたびにこの言葉を思い出します。不安定で当然なんだと思い込むことで、「待てよ、いま倒れることはない、まだ時間はあるさ」と持ち直す。そう、上空に例えるなら、まだ速度や高度もあり、コントロール次第では航行を継続できる(かもしれない)から、と。

考えてみれば、いつの時代も世界は安定なんてしていないのかもしれません。ましてや、昨今は自然環境だけでなく社会的環境も、ものすごいスピードで変わり続けているのですから。

だからといって、「環境に合わせて変化し続けよう」なんて相当しんどいハナシ。ダーウィンさんは「唯一生き残ることができるのは、(強い者ではなく)変化できる者である」というけれど‥。変われない時、変われないことだってあるんだから。

敢えて言うなら、周りが変化することに焦ったり、必要以上に恐れたりしないということか。そう諸行無常、同じ状態でありつづけるものはない。だから、現状に固執せず、流れを受けて、剛より柔でいきたいものです。

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