
最近ウチが手掛けた住戸のうち、玄関が小さいものがいくつかある。
「郊外にあるフツーの分譲マンションだから、”玄関が大きい”わけがないだろ‥」
うむ、その通り。
だが、その「大きくない玄関」が「更に小さく」閉じられている‥ということだ。
上の写真はそのひとつ。
元々は、正面方向に廊下が延びていた。
その正面の廊下に壁を立て、閉じた。
「それじゃぁ、どうやって部屋に入るんだ‥?」
玄関ドアを開けると、目の前には壁。
普通ならリビングまで(一直線に)続いているはずの廊下が見えない‥
玄関だけが一つの空間となって、閉ざされている。
むむっ、左側に引き戸がある‥
引き戸を開けてみる‥
「廊下がないわ‥」(中の間取りは内緒)
Q:なぜオジサンは、変なリフォームをするの、いつもいつも‥?
A:それはね、おじさんはヘンなおぢさん、だからだよ‥
Q:でも、そこまでヘンなオヂサンには見えないわ‥
A:そうかい、でもね、人を見た目だけで判断してはいけないよ‥
Q:なんだかコワイわ‥
玄関というのは、決して快適な環境にはない。
だって、玄関ドア一枚を挟んで外なんだから。
玄関ドアの性能だって、わかったもんじゃない。
暑いし、寒い‥そんな気がする。
アツイサムイなんて、まだいい。
でも‥
玄関ドアが開いたその瞬間、廊下にいる自分がパンツ一丁だったらどうするか?
「ふん、別にどうってことないわ‥」
いずれにしろ、とにかく玄関だけを区切ったのだ。
独立した玄関は、外界との厚い隔壁になってくれる。
二枚の扉によって外界から切り離された、静かで落ち着ける、自分だけの居場所。
一日のすべきことを終え、住まいへと戻ったならば
玄関の向こうにある世界を遠ざけ、落ち着いた今日を生きるのだ。
誰かが言った‥
「大きな隔壁で過去と未来を閉ざし、今日というひと区切りを生きる」
と‥
抱えきれないほどの重荷は、ひとまず置いておけ
ということだろう。
また誰かは、こうも言った‥
過去はない
未来もない
あるのは、永遠に続く現在(いま)だけだ
現在を生きよ
現在を生き切れ
と‥
閑話休題
実はこの玄関、過去につながっている。
別に、タイムマシーンやドラえもん、ではない。
今から30年近く前のことだから、随分と昔。
その後に新御三家と呼ばれる外資系ホテルがひとつ、高層タワービルの上層階に開業した。
当時、ホテルは大きな敷地に独立して存するもの、と思っていた。
実際、他の新旧御三家はホテル然とした堂々の佇まいだった。
ところがタワービル入居型であるこのホテルは、それらザ・ホテル群とは趣を異にしていた。
「なんだか入口、ちいこいのぅ‥」
当たり前だ、地上階にはエレベーターホールしかないのだから。
入居するタワービルのエントランスとは分離された入口。
箱に乗り込み、垂直方向へ一気に移動する‥
街の雑踏が遠のく‥
扉が開く‥
眼前には天空の異空間が広がった
‥かつて、ホテルは街としての機能を持つ、とも謳われた。
つまり、多くの人たちが匿名で行き交い、路地のような賑わい、雑多さを包含するのだと。
確かに、それまでのホテルは大きな建物の中に様々な機能を持っていた。
例えば、床屋まであったりしたのだから‥
ところが件のホテルは、街に対して開いているとは言い難い。
小さな入口から「にじり」入り、街の雑踏を後にして天空へ昇るのだ。
そして他ホテルと比べ圧倒的に少ない客室数であることも手伝って、
良い意味でエクスクルーシブ(排他性?‥)感が際立っていた。
今では珍しくないスタイルだろうだから、
今更ナニ言ってんの?という感じだろう。
すんまそん‥当時の青年はそんな風に思っただけ。
話を戻そう。
いずれにしても、小さな玄関があるウチの物件。
玄関ドアともう一つの扉、という厚い隔壁を備える。
その先には、心休まる空間がある。
その空間の下敷きとなったのが、あの地上階のEVホールだということ。
もちろんウチの住戸は、ホテルのようなゴージャスな空間ではない。
でも、ホッとするような居場所ができた、それでいいのだ。
そして更に、もうひとつの下敷きがある。
それは
「大きな隔壁で過去と未来を閉ざし、今日というひと区切りを生きる」
という言葉。
あれこれ悩み多き毎日を生きるための、心の持ち方。
たった1枚の扉だけれど、そんな心持ちへの入口になれば、と思うのだ。


