4月を迎えた君へ

4月になった。

ウチには、春に恒例の異動も入社式もない。
だって個人事務所だから。
その意味においては季節感のない日々を暮らして15年が経つ。
でも、昇進とか昇給とかワクワクするにゃぁ~、いいにゃぁ~

そんな折、古巣の後輩の抜擢人事を紙面で知った。
トップは見ていたということか。
捨てたものではないな、と思った(ナニが‥?)。

勝手にお祝いすることにした。
新人だったその後輩を、当時から可愛がっていた先輩を誘って。
もちろん本人には声掛けしない。
だって困るだろう、こんなときに。
果たして、二人で会うや話し込み、祝杯どころか彼の名さえ挙がらずにお開きとなったとさ。
まあそんなもんだ、我々にも語りたいコレマデとコレカラが、たくさんあるのだよ。

もちろんお祝いの言葉を送ってある、「我が事のように嬉しいよ」と。
すると「嬉しさもありますが、緊張感が大きく上回っている感じです」と返信がある。
そこで「我が事のように嬉しいが、我が事となれば嬉しくない」と返す、本当にそう思う。

トップから「胆力を評価する」と言われたという。
口舌ではなく、胆力でしなければならない仕事がある。
そりゃ大変だよナ、重圧だ。
でも誰かがやらねばならぬのだナ。

ボクが会社を去って15年、その15年間もずっと彼は闘ってきた。
ボクは、An Officer and a Gentlemen(愛と青春の‥)の教官が士官候補生に対したように、彼に最敬礼をした(‥気分になったよ)。

ところで、毎年この時期に目にしていた新聞広告がある。
そう、新社会人になる君へ。
伊集院静さんからのエールだ。
毎年、毎年、新年度がスタートする日(そして成人の日)の紙面に掲載されてきた。
水や空気のように、当たり前の風景になっていたその広告。
毎回、広告から言葉を見つけ、心新たにスタートラインを引き直した、少しだけ。
もうボクは新人ではなかったけれど。

そして今回‥

毎回エールを送ってきたご本人が、もう今年は居ない。
「2000年4月に初めて伊集院静さんが執筆された第1回原稿を改めて掲載し‥最終回とすることに致しました」とあった。

「道が二つあるならば、厳しい方を行け」
つまり、EVが有っても無くても階段を行け。
「向かい風に向かって行け」
つまり、段差や坂道のある物件を手掛けろ。

『はい、心して取り組んで居ります』
んー、ちょっと違うか‥


空が近い週末

週も半ばを過ぎた平日の、それも昼下がり。
いい歳をしたオトコが呑気にキッチンに立っている。
大鍋いっぱいのスープづくり。
具だくさんのスープは、あれこれ使い回せるからな‥

それにしても、平日と週末の区別なく暮らす期間が随分と長くなった。
現に今も定休日は無く、かといっていつも忙しいわけでもない。
人はこれを、メリハリのない毎日、と言うのだろう(その通りだナ)。

そういえば会社勤め時代、週末が主戦場となる不動産販売の現場に結構長く居た。
土日は目が回るほど忙しく、手付かずの弁当を夕方になって皆で食べることもあったな。
それを尻目に、応援に来た上司が早々にお握りをコッソリ頬張る(笑)ところを現行犯逮捕したり‥

そんな疲労困憊の週末が明け、月曜日の辛くツラい報告会議を経て、ようやく(平日だけど)週末を迎えて‥
「それでは二日、いや先週末は三連休の出勤だったので振替休日を三日いただきます」
そんなわけナイだろう‥
会社というのは月曜日から始まるのだよ、トホホ。

「いけだ、あの件はどないなっとるんや?明日説明や、一緒に‥」
「池田君、建築との打ち合わせ、水曜日しか予定合わないのだけど出られるかな‥」
「火曜日、専務が(ついでに)現場行かれる言うとる、いけだは居らんのか」

かくして平日の振休は無残にも削られ続けた。
まだ若く、現場責任者だった数年間に積み上がった未消化振休は〇〇〇日と、かるーく三桁を駆け上がっていった。
え、一年間は50週ちょっとだぞ。
一年間の土日全部出勤したとしても100日じゃないのか、未消化は。
〇〇〇日って、どんだけだよ‥

この未消化分を闇に葬らず帳簿に残し、放置してくれた会社の度量は認めよう。
とはいえ、いかんせんマズイだろう。
労基にニラまれるのも止むを得まい‥

まぁ大きくなった会社の地中深くには、礎(いしづえ)となった面々が多数埋まっているのだろうと思う。

そんな感じで、週末のない暮らしは続いた。
クラス会行けない、ハナキン飲み会の翌日ツラい‥
昔の仲間でキャンプなんてとんでもない(幸いその志向がないが)

だからだろう、すっかり一週間にメリハリや境目のない人間が誕生した。
近年の話だが、こんなことがあった。
サラリーマンを長く続けている学生時代からの知人。
ふたりで異境へ旅した仲だ、スピーチだってガツンとやってやった。
数年会っておらず、いつ会えるのかと時折、催促がくる。
そんなに言ってくれるならと「土曜の午後どうだ、日曜もOKだが?」と返した。
こちらは、たっぷりと時間を取ってゆっくり話そう、という気持ちも含んでいるのだが‥

すぐに戻ってきた答えは「平日ダメなのか?」
ボク「今はダメだな」
知人「そうか、大丈夫になったら連絡待ってるわ♡」

そうくるか?
そうなのだ、週末休日は別腹なんだよ。
もちろん我々二者の関係においては‥かも知れないが。

仕事のない平日夕方、陽の沈む頃。
ボクは自宅を出て、嬉々として上り方面の電車に乗り街へ出掛けるのだ。
若いころからの慣れ親しんだ行動パターンに疑問も持たず‥
仕事帰りのメンバーに混じって‥(笑)

冬の午後には

冬には弱い。
そんな季節にも心穏やかな時間がある。

そう、それは晴れた日の午後。
昼下がり、と言うとちょっとアレだけど。
ただし、陽のあたる窓辺に限る(笑)

窓外には葉を落とした枝々。
枝々の背景はクリアな青空。
北風小僧が吹き抜け、ピューと鳴って光る。

腰高の窓際に寄せたテーブルに腰掛けている。
窓からの陽が差している。
外から隔てられた静謐な室内は春のよう。
午後のラジオが小さく低く流れている。
そんな日常のひととき。

以上、イメージ。
まるで平和で昭和な昼下がり、ではないか。
メロドラマ、なんて言葉があった時代でもある。
そんな頃を思い出しているのかもしれない。
であればラジオから響く声は、低くて甘い細川俊之さんの‥

それはよいとして‥
年が明けた。
一層しびれる冷え込みとは反比例して、
日は高く長く、空気は澄んで、明るさを増してくる。

さあ、今年も一年、いつもと変わらず淡々と。
でも、一所一所に想いを込めて、懸命に。

‥‥

と、ここまで書いてきて、
①昼下がりの、
②腰高窓に、
③日が差し込む
①~③に該当する販売中物件があるじゃない!と思い起した。

そうそう‥
実はその腰高窓の空間、従前は独立した洋室だった。
南に開口し、空と緑が見える窓辺があるのだ。

なんと勿体ない、壁や収納や廊下の向こうに閉じ込められて‥
ここは表に引っ張り出さないと!
ということで、
壁二枚や廊下やら何やらをすべて壊して、こっち側(?)に取り込んでしまった。

高めの腰壁で囲まれたキッチン要塞を核として、つながり、広がる大空間。
その一角に腰高窓の窓辺がある。
そこは一体何をする場所なの?、それは住まい手が決めること。
そういう場所があることが大事なのだ、と半ば強引に一角を占めた。

今ここで「冬の晴れた午後の窓辺」と書いてみて改めて思う、
陽射しあふれる(腰高の‥笑)窓辺への憧憬。
それが無意識に、プランをする手を動かしたのだなあと。


joy to the world

秋は好きだが、冬には弱い。

夕日が、つるべ落としの如くシュルシュルと暮れる晩秋から初冬となると、
ああ!早く日が長くなってほちい!
と、指折り数える日々‥
ちなみに日没が最も早いのは12月初旬、これを境に徐々に日が長くなり‥

そう、日の入り時刻だけで言えば冬至より前にボトムが来るのだ。
ちなみに大晦日の頃には10分ほど長くなっている。
もちろん年が明けてからの寒さは一層厳しくなるわけだが、午後の日が長くなるだけでも希望の光が差すってもの。
蛇足だが、日の出時刻は1月初旬まで徐々に遅くなっていくので、朝はますます寒く眠いのだけれどねぇ‥

とても若いころ、大晦日の夕暮れに外に出ると、空気に(新)春らしさを感じて妙な気がしたことがあった。
それはそういうことだったのだ!
ん?なにがどういうことだったのか?
夕方がやけに明るく穏やかに感じられた訳は、日が延びたこと。そして暖かな一日だったことも理由なんだろうけれど。

まあ、いずれにしても日は短くなり、寒さも増してくる今日この頃。
そういえば3年ほど暮らした仙台、といえば国分町だが(なのか?)、
晩秋の明け方に路地裏のゴミ箱横で目が覚めたこともあった‥
アブナイアブナイ。
冬は特に気を付けないと‥

そこで思いついたのが冬眠。

アブナイ冬は眠って過ごす‥
とはいっても、脂肪を蓄えてクマのように眠り続けるのはムリ。
それじゃシマリスでいこう。
穴に籠り、時折目覚めて飯食って用を足す、これは魅力的だな。
いずれにしても活動量を減らし、体温を少し下げて(‥?)、夜の外出を減らして冬を乗り切れば良いじゃないか、と思った次第。

だから最近、幾らかの知人は心得たもので、
「いけだ、冬眠が明けたら春にまた会おうな」
などという意味不明で不思議な会話さえ交わされるようになった。

まるでムーミンとスナフキンみたい。
チェーリオ!
‥‥
愛らしくはないが‥

冬は長くつらい、けど身も心も暖かくしたい‥
暗く寒い時季を乗り越えるための知恵がほしい。
なるほど、昔から人はそのために様々な仕掛けをつくってきた、のか‥

どうかはわからない。
でも今年の我が家には、ある日の到来を指折り数えるカレンダーがある。
上の写真がソレ、それってアレ?

しかし、ただのカレンダーではない。
それにしてもずいぶんと重いぞ、腰を痛めそうだ。
気を付けないと‥
ていうか、これはまるで箱じゃないの。
ていうかそもそも箱だ。
いったいナニが入っているのかしら‥
この時季を乗り越えるための‥?

ふふふ‥

遺したもの

秋らしい風が吹き、澄んだ青空が広がったある日。
陽気に誘われ、重い腰を上げて街へ出た。

目的地は、随分と長く出入りしていない金融機関。
融資の切れ目は縁の切れ目、口座の解約手続きに。

最初の10年間、ボクは代々木公園近くに事務所を置いていた。
初めの頃は物珍しいのか知人が顔を出したり、5時から男の待機場所だったり。
実際、仕事の用事など殆どなかった気がする。

その頃に通った道を行く。
懐かしい。身体に馴染んだ道、径。
代々木公園を抜けて、NHKを横目に見ながら公園通りへ向かう。

区役所も公会堂も新築され、横にはタワーマンも完成した。
と思ったら今度はNHK工事中、そういえばZESTやMonsoon(古いな‥)は跡形もない。

街は動いている、変わっていく。
以前はいちいち気になっていたけれど、今はどーでもよろしいな。
ヒトの興味なんてあっという間に移ろうもの。
自分で言えば、クルマはその例に漏れない。
30年以上、旧い車にあれこれ散財してきたが、今や軽で充分と思う。

さて、無事に解約を終えた渋谷からの帰路、車窓からある建物が見えた。
端正な佇まいの中層集合住宅。
北側にも窓が並び、開放廊下は見当たらない。
つまり2戸1EVプラン。
この建物は、ボクと少しだけ縁がある‥

時はY2K前夜。
不良債権処理の途上にあったニホン。
出口のひとつとなる日本版REIT(不動産投資信託)が産まれる前のモヤモヤ期。
そのタイミングで米国へ行くことになった。
債権処理のセンパイ、アメーリカの不動産事情はどうなってんの?

集合住宅がやりたくてこの業界に入り、それだけをやってきたジブン。
アメーリカにはダイナミックに開けた新たな地平がある、そんな世界を見てしまった気がした。
その分野で活躍中の同期が帯同したこともあり、見開いた眼が塞がらない(?)2ヵ月間。

でも結局、田舎のネズミにはNYCやSFOより、JPでマンション。
だからその後も異動希望は出さなかったし。
ていうか、そもそも呼ばれていないし‥

そんな乱世の米国行きを画策し、仕切った兄貴分がいた。
そのアニキは後に組織を去り、銀行や監査法人をバックに会社を幾つか立ち上げた。

そういえば、独立系居住用リートの設立構想に引き込まれたこともあったな。
放課後、手弁当での課外活動。
集まるのは彼の周りにいた腕に覚えある、ちょっとヤンチャな専門家たち。
ボク、会社を辞めるつもりないんだけど‥

そんな感じでいつも嵐を巻き起こしてくれた兄貴分。
ここ数年は会うこともなかったが、またやってるヨ、と思って横目でみていた。
先日、そのアニキが急逝した。
いきなり余命2週間だという。

先の車窓から見た端正な集合住宅は、そのアニキによる仕事。
当時、産業再生機構案件となったデベロッパーに乗り込んでいた。
その時も、イケダも来てくれよ、と言われたことを思い出す。
マタデスカ、イカナイヨ‥

あのデべに今後は2戸1EVのマンションをつくらせる?
設計は「〇〇ガーデンヒルズ」にも関わったあのひと?
ちょっと、どうなの?
理想はわかるけどさぁ‥

そう、ボクとアニキは「開放廊下のあるマンション嫌い」が共通していた。
ボクは会社に入った新人時代から一貫してそうだったし、
彼も2戸1で暮らし、F.L.ライト邸を見に行くようなオトコだった。

だから竣工した例の物件を案内された際にはその出来栄えに目を見張ったし、これが成り立つならば良いな、とも思ったものだ。
その後、そのデべがどうなったのか。
それはここでは書かない。

そういえば、同じような理想を大きく掲げた会社があった。
「当社は日本の集合住宅の重大な欠陥である開放廊下のあるマンションをつくりません!」
みたいなコピーだったような気がする(正確には覚えていないが‥)。
そこまで言っちゃうの?というカンジ。
そう、そのサンウッドには当時、森ビルが背景にいた(だって「木が三つ」だよ)。
これまた、今どうなっているのかは知らない。

ともあれ、ヒトは死して何を遺すか。
少なくとも例の集合住宅はボクより長く生き、これからも何度も目にするのだろう。

心の旅人

風立ちぬ 今は秋 今日から私は 心の旅人

すっかり風も秋色、ふと口ずさむのは、この歌。
こちとら中ぼーの頃から、秋といやぁこれに決まってんだよ。
「風立ちぬ 今は秋」は、ご存じ往年のヒット曲。

ちなみに「風立ちぬ いざ生きめやも」は小説。
もひとつ「風立ちぬ 生きねば」は映画だナ。

時代を大きく跨ぐ、風立ちぬ三兄弟‥(?)
もちろん長兄は堀辰雄、小説「風立ちぬ」。
表題はフランス詩の一節を引用し、自身が訳したものという。

それから時は経ち‥
その小説から着想する楽曲を、と乞われて松本隆さんが詞をかいた。
それも「風立ちぬ」。
避暑地の秋をイメージするその詩に大瀧さんが曲をつけて‥
曲をつけて‥
出来上がったその曲は‥
想像に反して(いや、想像通りに)、大瀧サウンドになっていた‥

‥ということで(小説のイメージとはすこし違うかもしれないが)素敵な一曲。

ところで小説の「いざ生きめやも」とはなんだ?
当時の中ぼーには、知らんけどなんか語感が良い、という程度。
いざ、というからには生きる決意なんだろうと。

ところが古語の「やも」は、文法的には反語だという。
「生きよう(生きめ)、いや生きられねぇ(やも)」みたいな感じか。

ということは、堀辰雄は「生きられるか‥いや、生きられないだろう」と書きたかったのか。
いや‥文法的には微妙だったとしても、「生きる‥生きられる」と読むべきなのか。
いやいや、どちらでもないのか。
生死の間で揺れる想いを(敢えて文法を超えて)込めたのかも知れない、と思ったりもする。

であるとしたら宮崎さん映画の副題にある「生きねば」は‥
・原典であるフランス詩本来の(直訳的)意味を記したのか
・それとも小説へのオマージュとして、堀辰雄の意を汲んでのものなのか
まあ、どうでもよいか‥

ところで話は飛んで、うん十年前‥
小説「風立ちぬ」に触れた中2のボクは友人を誘って二人、夏の終わりの旅に出た。
そう、舞台となった軽井沢へ。
万平ホテルの「近く」に宿をとり、木立を散策する中坊がふたり‥
なんかちょっと変だな、この中学生。

しかし、そこは単なる中坊。
夕暮れ時にひと風呂、と立ち寄ったのは中軽井沢の星野温泉。
吸い寄せられたのは、ゲームコーナー。
今をときめく星野リゾート、当時の記憶‥

ちなみに興じたゲームは、川でパトロール船を進めるだけ(つまらんこと覚えている)。
なんと、東京のゲーセン戦果を遥かに上回る(本人)最高スコアを更新中なのだよ(喜)
始末の悪いことに‥
迫る最終バス時刻‥

いけぱん‥最終バスいっちゃうよ‥
カチャカチャ‥カチャカチャ(スティックの音)
行っちゃうよ‥

あ~(最終バス発車時の友人の嘆き声)
(程なく‥)
あー(ゲームオーバーの嘆き声)

バス、いっちゃったね‥
ごめんよ‥‥
小雨の降る暗い道、傘も差さずに中軽井沢駅まで歩く。
こうなったら軽井沢駅まで、そして旧軽まで歩こうよ‥
文句も言わず、ずぶ濡れを自虐的に楽しむ友人。
それは、せめてもの救いではあったが‥

うーん、閑話休題‥
と言っても、戻るべき本題もないのだが‥

‥この夏、
ウチの販売住戸を案内した際のこと。
ついでに街を案内し、他社オープンルームまで覗くと、いつしか雑談へ。
その方が「きっと、いけださんは好きだと思うわ」と言う。
何を‥?
それはあるラジオ番組のこと。

その番組の題名は、邦訳すると「居ながら旅する」となる(邦訳 by Ikeda)。
「そうですか、radikoで聴いてみますよ」
‥‥たしかに、遠い何処かの雑踏に佇むような。
嫌いじゃない、いやむしろ好きだ、たしかに。
そして、なにより番組名が「居ながら旅する」だもの‥

居ながら旅‥
そう、アームチェアトラベル。
住まいは旅の拠点であり、そして旅自体をする場所でもある。
そんなことを、何度も書いてきた。
読み返してみると、〇〇の一つ覚えのように、あちこちに。

だから今回、そのラジオ番組をすすめられ、ちょっとビックリしたのだ。

初めて会った人がボクの文章を読んでいるわけがない。
まさか、旅に出たい、と顔に書いてあるのか?
それとも、(ボーっとした顔の奥に)旅して浮遊する心を見抜かれたのだろうか‥

いずれにしても、旅は心の中にある。
さあ、travelling without moving .

なつのしっぽ

あききぬと めにはさやかに みえねども かぜのおとにぞ おどろかれぬる

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

秋が来たと、はっきり見えはしないけれど、風の音がそれを気づかせてくれたぜ(T藤原)

と、夏の終わりに書きかけのまま放置していたら、気付けば9月もおわり。
朝晩の気温もグッと下がり、秋を気づかせてくれるものは、もはや風の音だけではない。

夏の長い尾尻、ゆっくりと地球の反対側へ去っていき、もうほとんど見えない。
夏よ、さよなら。
そんな今年の夏も、ウチの物件を通じていろいろな人に出会った。

思い出すのが、アーティスト三人衆。
三人のあーちすと、いやアーティストがウチの物件を見に来たというハナシ。

あーちすと‥?

‥余談だが、のんさん(元・能年玲奈?)はこの夏、肩書を「あーちすと」から「アーティスト」に変えたという。
ボクも、彼女が女優(俳優)の肩書に「あーちすと」を書き加えた頃のことを(なんとなく)覚えている。
それ以降の厳しい状況下も、好きなことをやる、とあちこち全力で取り組んできた彼女。
「ひらがな表記で少しおとぼけていた」根拠のない自信は今、確固たる自信に変わったのだと。
だからそのタイミングで「アーティスト」、かっこいいゾ。

話は戻って、我が物件に来られたアーティストたち。
とは言っても、お互いに知り合いでもなく、連れ立ってきたわけでもない。
別々に、でも申し合わせたようにやって来た。

想いを持って、創りだす。
自らを頼りに、勝負する。
専門領域は三人三様でも、
そこは皆、一緒。

彼女たちは、こんなところで創作をしたい、といった。
いったいどこに引っ掛かりがあったのか‥
それは皆、少しずつ違うような気がする。

んー、たった三人?
いやいや、ウチにとっては大きな数字。
だって分母が、うんと小さいんだから。

一方、迎え撃つこちら、もちろんアーティストではない。
つまり、ひらがなの「ふどーさんや」か。
まさに根拠もなければ自信もないんだが。

どうする、おとぼけ「ふどーさんや」。
オマエはどこに向かうのか。
もはや「カ・ン・ジ」の「不動産屋」にもなれないんだろう。

そうだな、カタカナか?
「フドーサンヤに俺はなる!」ってか‥

というより、なんだかヘンだぞ、それ。
カタカナの不動産屋って、なにすんだ?

避暑地にて

窓ガラスの向こうに透けて映る緑。
風景を切り取る白いルーバー。
床には素朴な無垢材が。
ちょっと涼し気‥、どこの別荘なのかしら。

いや、誰もそうは思わない。
「いつもの戯言。どうせ近所のリフォーム物件だろう」
「涼しくないし、汗だくだよね。エアコンも付けてないんでしょ」

果たして‥
おっしゃる通りでございます。

さて‥
この白いルーバーは、これまでにも幾度か登場したウッドシャッター。
つまり木製の建具。
写真は4枚折れ戸となっている。
無垢の羽根一枚を回すと、並んだ羽根も静かに追随する精緻なつくり。
そう、クルマでお馴染みの「ラックアンドピニオンギア」が内蔵されているのだ。
かっちょえー

クラシックな装いに、メカニカルな機構を内包させるなんて素敵じゃないか。
和魂洋才だ(違うな‥)

これまで過去に使ってきたシャッターは、羽根が水平方向に並ぶ横型ルーバー。
今回のそれは縦型ルーバー。
羽根の長さの関係で、横桟が入るのはしょうがない。
だって、びよーんと長くて、ぶらぶらする縦型ブラインドとは違うんだもの‥

ところで縦と横、いったい何が違うんだろうか。

それは見え方だ。
あたりまえじゃないか‥

もちろんそうなんだなー
ルーバーが固定式ならば、縦か横か、傾斜は何度か、によって特性がはっきりする。
ところがウッドシャッターは、くるりと(ほぼ)180°回転するものだから‥

あれを遮ると、これが見えてくる‥
あれを取り入れると、これが消えてしまう‥
朝だとこう、晩だとこう‥
横だとこうなって、縦だとそうなって‥
と、ややこしい。

まあどちらでもよいか。
いずれにしてもウッドシャッターは、
光と風と視線をコントロールする。
うまく3要素を組み合わせて、心地よい室内をつくりたい。

しかし、それ以上に重要な役割があるのだよ、ウッドシャッターには‥

そう、
「近所のリフォーム物件」をたちまち「避暑地」へ連れ去るクラシカルなその姿。
ぬるく湿った風は、高原を抜ける涼風となり‥
ぎらつく陽射しを受け止める羽根の間からは、野鳥のさえずりが‥

‥んなわけは、もちろんないが。
それでも羽根の色、大きさ、ルーバーの縦横などによって、避暑地に行ったり、洋館に忍び込んだりと楽しみ方はいろいろ。
なんなら細めの縦ルーバーを引き戸に仕立てれば、畳敷のお宿風もいいじゃないか。

一枚で部屋の空気を変える(かもしれない)ウッドシャッター。
悩ましいのは、ちょっとアレなこと‥

ご利用は計画的に、ね。

つきのころはさらなり

夕暮れ時の一瞬、吸い込まれるような透明感を湛えた空が現れることがある。

時を遡ること30年近く‥
休みは取れず、予定も立たない、休日にもボケベル(!)が鳴る、トホホ‥な20代。
真夏に突然、ポッカリと10日間の休暇を得たことがあった。

電光石火、チケットだけを握りしめ(いや、ちぎり取った「〇〇の歩き方」も)、格安エコノミーで機上の人に。
北回り十数時間のフライトも、窮屈なシートもへいちゃら。
そうだ、そのころは若かったのだよ。
そうそう、深夜着のマドリッドだろうと、晩の宿は決めていなかったし。

ということで‥
学生時代にも歩いた真夏のフライパン、アンダルシア。
どの街でも、どこにも行かない。
ふらふらと歩くだけ。
なかなか沈まない太陽のおかげか、遅くまで人で賑わう街角。
街の、なかでもバルの灯りは柔らかい。

彼の国には、あちこちに小さな広場がある。
狭い路地の先に広場が開けた。
思わず空を見上げた。
青味は消えて光だけ残る、天まで続きそうな透明感。
眺めていると空に吸い込まれそうだ。
こんな色の空があるのか、と思った。
ここはスペインだから?
それともポツンと異国に居る自分だから、そう思えるだけなのか?

帰国後‥
変わらずの毎日、夜空を気にすることもなかった。
光と喧噪の東京、夕暮れの空は見えない。
仕事場でも、顔はデスクや同僚を向いたまま。
高層ビルの窓外にも、大きな空が広がっていたはずなのに。

その後‥
会社を辞めたボクは郊外に暮らした。
ぼんやりと空を眺めていた夕暮れ時のこと。
「あの空」がここにもある!
と、ようやく気付いたのだ。
フツウに、当たり前に、当然に‥

いままで何をみていたのだろう?

陽が沈んで、真っ暗になる前の一瞬。
色が消えて「光の粒」だけが残ったような空。

どうでもよいことだけど、
なぜ今ごろ気づいたのだろう。
会社辞めたから?
夜が深い郊外だから?
それとも歳を取ったから?

まあ、なんでもいいけれど‥

風が抜ければ

博多、天神、中洲‥といえば福岡。
まだ日のあるうちから、街中にはリヤカーに引かれた屋台が集う。
それぞれが定位置につき、開店準備を始める。
歩道を埋め尽くすその数、100軒ではとても足りないハズ。
そう、この街は昼の顔から一転、郷愁を覚える(誰が?)ような風景に変身するのだ。

ど真ん中にある福岡銀行の本店前にも屋台が並ぶ。
ただでさえ日が長い西日本の、まだまだ明るいオフィスアワー。
海に近いからなのか、気取らず開放的な気分に包まれたまま、提灯の灯る夕暮れを迎える。
この不思議な光景は、彼の地に暮らしての印象的なシーンのひとつだった。

そして(当たり前だが)翌朝には、夜にあった光景が跡形もなくが消えているのだ。
いや、ひとつだけ残っているものがある。
それは、歩道に残る多数のシミ‥(笑)
スーツ着て仕事場に向かう身には、ちょっとオイオイ、だったことを思い出す。

以上は、30年近く前の記憶。
その後、これら屋台の営業は店主一代限りと定められた、と聞いた。
つまり、その店主が屋台を引けなくなった時点で廃業となる。
他の街では、戦後早々に消えていった屋台という形式。
寂しいかな、ここでも早晩消えゆく風景なのだろう。

と、思っていたのだが‥。
みなさん、結構しぶといの?(笑)
過去に何度か福岡に立ち寄ったが、まだまだいっぱいあるじゃない。
当時、ウチのMS買ってくれたHさん、まさかの現役なのかしら。
そういえば、お店で極上の刺身を出して貰ったっけ‥、(オッと‥ヤタイ、ナマモノダメョ)

ちょっと気になって市のWebサイトを覗いてみた。
なんと、新規屋台経営者の募集記事があるではないか。
店主の暮らしを守ることから、福岡の魅力を守るものへ。
ナルホド、時代は変わっていた。
内外問わず、観光に来た人にとっては、目を見張るような光景だろう。

でもそこは観光客だけのものではない。
日常を暮らすボクにとっても、心地よい場所だった。
あご(飛び魚)の炙り、そして麦(焼酎ネ)のお湯割り。
まだ陽は高く、屋台を風が通り抜けるのを思い出す。
22歳の若者にしては渋い趣味じゃないか‥
そう、ひとりではないのだよ。
当時現場で一緒だった自衛隊OBおじいちゃん先輩との大切な時間。
初めて訪れたのは、ちょうど今頃。初夏だった気がする。

今日は梅雨の晴れ間。
空は青い、抜ける風が心地よい。
そんな時、懐かしい福岡の風景が思い浮かんだというわけ。

風が抜ける心地よさ‥
屋外に椅子と小さなテーブルを出すだけで、なんと楽しいこと。

そういえば、久しぶりにルーフバルコニーのある物件を手掛ける予定。
もちろん「ルーバル」があろうがなかろうが、
「光と風の抜ける暮らし」を夢想した部屋づくりに変わりない。
だから淡々とやるだけで‥

とは言っても、20帖を超えるルーフバルコニーの豊かさよ!
その上、リビングに面して南側に広がっているのだから。
あれをしたい、これもしたい‥と妄想は膨らむもの。

でもね、使わなくてもいいんじゃない?
そう、あるだけで豊かってこと‥

せっかくルーフバルコニーがあるんだから使わないと‥
そんな強迫観念(?)から自由になりたい。
使わない(でもよい、あるだけ見るだけOKの)ルーフバルコニー。
なんだかわからないケド、それでもなんだか楽しいナ‥
そんな住戸(どんなだ?)にしようと妄想をしている、今日この頃。