420回の道も一歩から

by Studio Ghibli

よんひゃくにじゅっかい!四百二十回!

この数字は何でしょう? お察しの良い方なら‥。

そうです、正解。住宅ローン返済期間35年の総返済回数ですね。

住宅ローンの完済後に抵当権が抹消されて、ようやく名実ともにワタシのモノ(その後も税徴収が続くのだからホントはどうだか怪しいが‥)。このロング・アンド・ワインディングロードをトボトボと歩んでいくわけですが、そんな千里の道も、物件購入という第一歩を踏み出さないと始まらない。(とは言え、実際には繰り上げ返済や途中売却などの割合も多く、35年間返済を続ける方の割合はそれ程高くはないようですが。)

先が見えにくくなっている時代‥。もしかして持たない方がいいのか? それとも下り坂の日本でも、ここだけは資産性がある(と信じる人もいる)都心タワーならば購入する意味があるのか。そうではなくて、資産性の多寡や価格アップダウンにかかわらず、住居を確保することが必要なのか。

当たり前のこととなっていますが、ここ数十年間の日本は、持ち家取得を推してきました。借家よりも持ち家世帯が有利になるよう制度を整え、皆が住宅を購入することは経済を拡大させる手段となり、同時に安定した社会をつくる。更に言えば、自分の家は自分で用意させる(対象を増やす)ことで、国自らは住居確保や管理に(あまり)お金を掛けずに済むという仕組み(のような気がします)。そんな視点から、自らの住宅購入について考えてみることもアリでしょう。

でも、人それぞれの置かれている経済的、社会的な環境によって答えは違うし、仮に環境が同じでも生き方が違うんだから正解はない‥。身も蓋もないけど、結局ワカリマセーン。

また、親族から受け継いだ物件などで複数(とは言っても、いろいろだが‥)所有も多くなっており、二ホンもここにきて、持つ・持たないの両極になってきている気がします。

何のために自宅を持つのか。もう一度考えて、第一歩の踏み出し方を考えなくてはなりませんね。

ところで千里といえば、①千里ニュータウン(西の大横綱、東の張出は多摩ニューか)、②草千里(阿蘇ですな)、そして③大江千里(ちなみに森高千里はチサトですから、センリではありません)‥。

ご存知ですか大江千里さん。彼は日本ポップス界でのキャリアを捨てて、米国に渡りジャズを学んだ。そしてひとりで立って、今がある。成功するしないは時の運、どっちでもいいけれど、そんな風に人工物(街)から大自然(阿蘇)、そして人物(大江‥)まで‥千里の道を歩んできた存在に感嘆し、勇気づけられます。

でも、あれもこれもチャレンジでは身が持たないねぇ、ということで手堅く自分の居場所は確保しておきたいもの‥。千里を歩むかのような先程の壮言からずいぶんと縮んでしまいましたが、そんなモノです‥。

ということで、住宅購入に関しては千里の道を行かない。この場の結論は、そういうことで如何でしょうか。つまり、もっと短期で返済できる物件を選ぶ、もしくは長期返済するならば繰り上げ返済が出来る資金計画上の余裕を持つ。膝に遊びを持たせておこう、ということ。他にもやることあるんだし‥。そして無理なく購入して、気持ち良く過ごす時間とその空間についてこそ、あれこれ考えたいところですね。

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