ワルザザード

この街にはオアシスがあった

ある知人から来た年賀状に、メディナ(旧市街)でのツーショットと砂漠に浮かんだ駱駝のシルエット。文面には「昨年早々に出掛けたモロッコが最後の海外旅行になりそうです」。

送り主は元上司。ふた回り近い歳の差にも関わらず、(僕の新人時代から)友人のように接してもらい、付き合いは30年に亘ります。その年賀状を眺めて不思議な感慨を覚えたこと…。

僕にとってモロッコは30余年前、初めての海外渡航先だったから。昔むかし年下の僕が初めて渡ったその地に、今、大先輩が最後に辿り着いたという(実際は最後にならないと思うが)。30余年の時空を越え、終わりと始まりが逆さまに繋がってメビウスの輪のようだ‥と、思ったわけです。

2000年代後半からは、お金がなくてもiphoneがあれば(お金があるなら昔でも‥)世界中をスマートに旅することが容易でしょう。一方当時の僕は、格安チケットを握って(いや、それさえ持たずに)、ひたすら乗って歩いて(当時は正しい方向に進むだけでも難儀したもの)、見て食べて空気を吸い込むだけの旅です。小さなボストンバッグの中には、飛行機のタイムテーブルと、破った「地球の歩き方」が入っていたはず。

当時の道中は、相当に変わった(失礼‥)日本人と出会いました。早大探検部の連中はアマゾン帰りだし、超ショートヘアにした女性は単身サハラ経由でマリへ写真を撮りに行くと言うのだし‥。

写真はアトラス山脈の向こう側、砂漠に向かう拠点となる街ワルザザード(砂漠の民ベルベル人の言葉で、誰もいないところ(何も聞こえないところ?)‥という意味だったと思う)。そこではフランス人と商用で来ていた商社マンとも同席し、留学生かと問われ違うと答え、オイラもいつかそんな風に海を渡ってビジネスをするんだ、と思っていた‥筈なのですが‥。

欧米人にとってモロッコは、当時からエキゾチックな観光地という位置付け(映画スタジオもあるゾ)。だが、金のないアジアの若造(今もないが‥)にとっては、そんな贅沢とは違う(ちょっと)タフで憧れの地でした。そういえば、あちこちで「アチョーッ!」とされたっけ(当時、アジア人とはブルースリー。こっちが構えると、皆がスッと引く‥(笑)。ちなみに写真は、地元の皆を従えたところだ。フフ‥uso)

そんなオイラが、高校から大学時代まで学んだ第2外国語はドイツ語。だけど突然にマグレブの国(日沈むところ、という意)に呼ばれてしまって‥。出掛けた先はフランスが旧宗主国だったり、地中海側ばかりで、ドイツ語は一度も使うことなく忘却の彼方となったのでした。

でもそのおかげで、乾いた光や風を受け、土から生えたような(日干し煉瓦の)カスバ(城塞)を目に焼き付けたことが、今に繋がっているのかもしれません‥。

それは、「家はそれでいいのだ」ということ。シンプルで、ちょっとラフで良い。タイル貼りよりも白い壁、高層よりも地面に近く‥なんて言っていることも。

そういえば、ドイツ語は忘れた頃にやってくる。あれからずいぶん経って、買った伊車が独からの並行輸入(正規輸入していない)だったという話。となれば取扱説明書は独語のみ(何とも不親切なことだが‥)。何も今になってドイツ語が登場しなくてもねぇ。ということで錆びた頭の上を文字が滑り、図しかわからん。まあいいや、走って止まって、ライトが点けば‥。

つまり、「クルマもそれでいいのだ」ということにした訳です‥。

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