樹々に還る

このスケール、デザイン、プラン‥。我々が想像する’フツーの分譲マンション’の水準を超える集合住宅です。

時は、やはりバブル前夜。でもバブルだからといって、皆がこんな建物でないのは、ご存知の通り。以前にも書きましたが、このような建物に必要なのは、つまり、①心意気のある事業主、②志のある設計者、③何かを持っている敷地(‥?)、そして④時代(残念ながら‥)であると。これらが揃ってようやく、写真のようなモノができるのかもしれません。(ちなみに、④の逆である価格下降局面においても、何か出来ることはある!と私は信じていますが、これは別のハナシ)

斜面地にひな壇状に建つマンションの発生要因は一般的に、平坦地の適地が少なく(取得が難しく)なったこと、斜面地は開発が難しいとされて価格が安かったこと、大掛かりな造成費用(その割に低層建物しか建たない)を土地価格が吸収できる登り坂の時代であったこと、などではないかと思います。そして難しい土地ですから、敢えて大手マンション業者は手掛けなかった‥。とまぁ分析はどうでもよいですが、その時代に乗っかって素晴らしいストックができたことがスバラシイ。もちろんそのスバラシさは、斜面地は緑地のまま保全すべきである‥などと民有地の用途に口を挟まない、という前提での話ですが。

写真のマンションは井出さんという建築家の手によるものです(事業主はホテル系デベロッパー)。この方は昭和60年前後からひな壇状マンションを幾つも手掛けておられます。もちろんそれ以外にも、傾斜を上手く生かした(ひな壇状ではない)低層住居や、僕がよく言う2戸1タイプ(のデカいやつ)、その他にもマンション好きが好む豊かな空間を持つ物件がたくさんあります。

井出さんは既に亡くなりましたが、今もご健在ならば、どこの誰を巻き込んで、どんなことをされただろう、と思ったりします。だって井出さん、最初の頃は仕事がなく、当時は誰も見向きもしないような(マンション用地になり得る)斜面地に、図面を描いては提案して回っていたと聞きます。そんな土地が井出さんの手に掛かることで豊かな空間となり、今なお評価され大切にされている住まいとなったわけです。そんな井出さんの想いが、今の時代ならばどんなところに現れてくるのだろうか、と。

会社勤めの頃から井出さんの建物が好きで、建築雑誌なんかも漁っていたので、つい肩入れしてしまいました。(後年の作品がある)湯河原に行った際も、わざわざ寄り道して(ミシュランか!)みたり‥。また、この多摩丘陵には、上の写真以外にも井出さん(の事務所)が設計した分譲マンションがいくつかあります。なかには(以前あった)HPの実績欄に掲載されておらず、現場で発見したものもあります。もちろん、その端正な佇まいからして只者ではないと見ていたので、やっぱり‥という感じでしたが。

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