新しき革袋に

多摩川に程近い城南地区に住む知人と会うには、川に沿って延びる南武線沿線が好都合。ということで東急線と交差する駅へ。開発が進んだ駅前では、ニョキニョキ生えるタワマンに見下ろされる。散歩気分のオイラはサンダル履きでやって来たものの、オシャレに変貌した街にちょっと場違いな感じか?

都心駅ビルでも郊外ターミナルビルでも、どこにも並ぶ似た店舗群。そんな既視感のある商業ゾーンを抜けて外に出て、きょろきょろとビルの谷間を探す。ひっそりとしたあの路地あたりが待ち合わせの場所だろう、小径にするりと滑り込んだ。

夜になると賑わうのだろうその界隈にも、昼間から開けている店をぽつぽつと見掛ける。既に数組の客が杯を傾けながら楽しそうに談笑している様子は夜と変わらない。店内は昼間の陽射しと比べると薄暗く、いや昼間だからこそ、その暗がりに居場所を見つけた気分になるというものか‥。

まっさらなキャンバスに描かれたマチも良いが、ボクは横丁のある風景にも親しみを感じる。学校からの帰り道には小さな横丁を抜けて、坂上に黒塀が続く石畳の路地を帰ったっけ。そう、子供時代のボクはまだ花街の風情が残る坂の街に暮らしていたのだ。

閑話休題。そんなボクも今ではすっかり郊外の人となって‥

東京都から見て川の先にあるから川崎、その川沿いの多摩丘陵入口の低地に位置するのが登戸地区。南武線と小田急線が交差するこの地区では現在、区画整理事業に伴う槌音が聞こえている。工場群が立地する地区の再開発と異なり、地権者の多いこの地区が槌音を聞くまでには随分と長い期間(と費用‥)が必要だったようで、ようやく日の目を見たというところか。

高架を走る電車の窓外に見える様子が日々変わっていく。以前のボクだったら、街の変化を見逃すまいと目を凝らしただろう。誰が建てるのか、新しく何が出来るのか‥。でも今はあまり熱心ではない。それよりも逆に何が無くなってしまうのか、何は残るのか、そんなことの方が気になるくらいで。

この街の古くからあった小径には、店主の背後に酒樽が鎮座する酒場があった。其処では酒と言えば確かその銘柄だけで、その樽から枡に取ってもらう。杉の清々しい香り漂う枡酒は正月でなくとも華やかで、ボクにとっては少しだけ特別な店だったのだが、ある時に年季を感じさせたその店は区画整理に伴い跡形もなく姿を消してしまった。(その後、組合側が用意するプレハブなどで営業をしているのかもしれないが、ボクは知らない‥)

ここ登戸でも、タワーマンションに下層商業店舗という開発が幾つか予定されているようだけれど、広い区画整理エリアだからそんなのばかりではない。よく言えば個性豊か、別の言い方をすると何の統一感もなくあちこちに小さな建物が(駅裏に一軒家も!)建ち始めている。でもそれが良いではないか。もちろん大資本が面単位で行う大規模開発も悪くはないけれど、なんていうかスキマみたいなモノもね‥。

オーナー兼店主が店を切り盛りしているであろう小さな飲食店が、ちらほら小さな賃貸ビルに出現している。すべてが順風満帆に行くわけではないだろうけれど、そんな中から新しいこの街に根付いていく店が現れるのだろう(樽酒はないかな?)。

新しき酒は新しき革袋にいれよ、ならぬ、新しき店よ新しき街に出でよ。ナンチャッテ‥(旧い店は戻って来なさんな、とはいわない‥)

一方で、新しい店が次々と入ってくる旧い街も良いもの。旧い街が新しい店の熟成を促し、逆に街の細胞も(新店を迎えて)生き生きと活きてくる。

まさにボクが育った都心の街がそう。一見すると古い革袋(お寺さんや石畳は変わらないからね‥)だが、新しい酒を入れ続けているうちに、古い革袋は漏れるどころかすっかり強靭な細胞に入れ替わっているようだ

今は出掛ける機会もすっかり減ったけれど、いつ行っても新しい店が一見旧そうな佇まいの街に馴染んでいる。個人店(のように見える店)が多い街はボクにとって、居心地が良く、風が通り抜ける街。さらに言うと、裏路地に猫がいる街も(笑)

As Time Goes By

一年でほんの一瞬、この季節ならではのコントラスト

幾つか特定のマンションが中古市場に登場すると、通知が来ます。先日もピコン。どれどれ‥

価格は少し高めだから、リフォーム済の物件だろうか。間取りにも誰かの手が入っている。ん、どこかで見たことのある間取り‥。なんだ、以前にウチが販売した物件ではないですか。

ウチがリフォーム済物件の販売を始めて優に10年以上(細々とではあるが)。当時購入された方が売りに出しても不思議ではありません。新築マンションでさえ、竣工後1年もすれば中古として市場に出てくるのですから。

実際、販売した物件が売りに出るのは今回が初めてではありません。以前には、引渡しからたったの2年で売りに出された(それも既に空室の状態で‥)物件があります。(案内には立ち会えなかったので)購入の契約時に初めてお会いしたご主人は「物件に一目惚れしました。全権委任した妻は現地を見ていませんが(笑)」と、にこやかに話されていました。それから2年後、売却中であることを知った時には少し動揺して‥。その理由を知る由もありませんが、都心から来られたご夫婦には郊外生活が合わなかったのでしょうか‥。

ところで今回の物件、Mさんはどうされたのだろう‥。

添付写真を見ると居住中の室内は整然と使われています。販売時に置いてきた家具類も健在。リビングに使った差し色も気に入っていただけたはず。そう思うのは、当時は白色であった寝室壁の一面が、リビングの差し色と同色に塗られているから。そして当時は無かったベビーベッド、仲良く並んだ二脚の子供用チェア(よく見掛ける外国製のアレだ)が写っていました。

高い専門性を持って活躍していた彼女は、いつの間にかお母さんの草鞋(わらじ)も履いていたのでした。

この住戸を販売したのは比較的最近のことのように感じていました。でも数えてみれば、それは一昔前のことだと言えるだけの時間が経過していたのです。物事は同じところに留まることはなく、常に変化している。当たり前のことですね、諸行無常です。

今回この住戸の売却を担当している方は幸い知った顔なので、差しさわりのない事情についてならば知ることも出来るかもしれません。でも知って何になるわけでもない。きっと次の一歩を踏み出すタイミングなのだろうな‥。小さなご縁があったご家族、皆さんに幸あれと思います。

夢の跡にて

「ぼんやりとした写真を見ろ!」「春霞だ!」「重機の土埃だ!」「いや、写真が下手くそだ!」

さて、この現地はよく知る場所なのですが、久しぶりに通り掛かったところ、これまで存在していた数棟の低層集合住宅が跡形も無くなっていました。

消えた住宅群は、ある特殊法人が所有していた職員用宿舎。時代の流れで閉鎖されていたのです。何人も立ち入らぬよう周囲はぐるり閉じられ、バリケード越しに覗くススキがなんとも「兵(つわもの)どもが夢の跡」。そしてそのまま月日が経ち、民間に売却されて現在に至ります。

2,000坪超の広大な敷地に5台の重機が入って造成中。新築分譲戸建て約50戸が計画されています。敷地は東西に長く、南に傾斜するひな壇状である上に、南北西の三方で公道に接していますから、(無駄なく)ピッチピチ(‥)に戸建を配置することができる。(ある意味では‥)戸建用地として好適と言えましょう。

ちなみに、写真奥の方、つまり造成中土地の向こう側にRC建造物(のアタマ)が見えますね。これは3階建の分譲マンションで、以前にボクもリフォーム販売を手掛けています。窓外には敷地内の樹々が茂り、鳥のさえずりで目が覚めるという羨ましい環境にある住戸でした。

低層地域といえばイメージは戸建住宅。たとえ大きな土地があっても、容積率が低く建物を上に伸ばすことができない地域のマンション事業は(一般的に)厳しく、戸建事業者に(土地を)買い負けてしまう場合が多いのです(もちろん条件次第ではマンション用地になり得ます。また、丘陵エリア特有の傾斜地などではコンクリートのカタマリであるマンションの方が出番が多かったりもしますから、低層地域全てが戸建になるわけではないのですが。なお、賃貸マンションに3階建が多いのは別の話です、土地が代々の所有ですから‥)。

ということで、上の低層マンションは(昭和のものとはいえ)比較的珍しい部類と言えましょう。

随分前にはこんなことを言われていました。マンションは戸建を買うまでの(マイホームすごろくの)通過点であり、上がりは一軒家だと。郊外まで出ていってマンション買うの?とか‥。今はあまり聞きませんけどね。

しかし、空が広く緑の濃い環境を好む方の全てが戸建派とは限りません。(一般的な戸建に比べれば)管理や処分が比較的容易であり、費用を抑えて身軽にいることができるのが中古マンションの良いところ。その視点に立つ方ならば、戸建エリアに立地する低層マンションは望ましい選択肢になり得るでしょう。

‥と書くも残念ながら、前述の通り低層3階建マンションは数が少ない。でも少ないながらも、時代の追い風を受けた(敷地配置、住戸プランともに)贅沢なマンションも時々見られます(上写真はちょっと違うが‥)。今となっては新たにそれらを造ることができないでしょうし、(少なくとも)近い将来に登場する機会もないように思います。

そう考えると、ますます貴重に思えます。ましてや、当時の工事に掛かったであろう金額を想うと、現在の販売価格は「エッ!」と思うほど安かったりする。

もちろん、それが世の中の一般的な需給バランスからくる評価なのでしょう。でも自分自身にとってそれが良い物件ならそれでよし。つまり世間一般とジブンの価値観が違うなら割安に思えるわけですから、益々良いではないですか! 

「この書き散らかした投稿を見ろ!」「何が言いたいんだ!」「いったい誰に向けて書いているのだ!」「いや、これはただの雑記だ、独り言だ!」

市中山居

寒暖と晴雨を繰り返しながら、ようやく四月になりました。

冬のあいだの多摩丘陵は、葉を落とした樹々や森でさえもボリュームがあるせいか、人工物で埋められた街よりも少しだけ寒々しい。だからこそ、春を迎える喜びは都心の街と比べて大きいのかもしれません(もちろん、厳しい冬を越えて春を迎える北国とは比べ物にならないけれど‥)。

森に近く暮らすことの楽しみ(楽しい”面”というのが正しいですね‥)をしみじみと感じる、今日この頃です。

昨年中にリフォームをご一緒した方からのメールに、「すっかり朝型人間になりました。朝が気持ちよい場所です、シジュウカラが鳴いています」とありました。これまでは都内の閑静な住宅地にお住まいだった方です。窓の外に小さな森が見え、その向こう側から朝日が昇り、鳥がさえずる環境はまさに別世界でしょう(笑)。

そういえば一昨年も、同様に都内の閑静な住宅地から丘陵に移られた方が居られます。街の喧噪を少しだけ離れて、別荘(暮らしのような)生活をすべくこの丘陵に分け入ってこられました‥。果してそのご希望通り、街には近いけれどそこは別世界。「朝日とともに起きてきて~♪、夕日を眺めて寝てしまう~♬」というカメハメハ大王のような(これはないです…笑)素敵な暮らしを手に入れられた(ぱちぱち)。

皆さん、都心までの(比較的)良好な交通利便性は確保しつつ、のんびりとした日常を楽しんで居られる。そのいい塩梅のエリアが多摩丘陵であるというわけですね。

そうなのです、このエリアは多摩川を挟んで東京と向き合うフロントライン。ここで気ままに暮らしながらも、一旦緩急あれば街へと駆け付ける。まるでその姿は、英国の田園に居を構えつつ有事の際には最前線に赴くジェントルマン、ひいては鶴川に居を構えて都心に睨みを利かせた紳士、白洲次郎翁を彷彿させるじゃないですか。(曲解しすぎ、スミマセン)

そういえば随分と昔に塩野七生さんの著書で、ジェントルマンの語源(起源?)はイタリアに在りと読んだ記憶があります。その始祖である伊版ジェントルマンについては最早(ボクには)定かではありません。しかし本場英国のそれを経て、多摩丘陵に住まう顔ぶれにもその心は受け継がれている、そう思うのは多少無理がある…か(笑)。

かくいうボクも、鳥が鳴き樹々が茂る環境に身を置くひとりですが、まさに先日「一旦緩急」あって街まで駆け付けてきたところです。

「ランチビール‥」

アホか‥。しかし、のほほんと暮らすボクにとっては、これは一大事。懐かしい顔からの誘い(誘惑か‥)に押っ取り刀で馳せ参じ‥へへ。

童心

世界を魅了した、ピアニスト反田恭平さんのショパン。楽しげなコロコロとした音‥、その音を出す時は(自身の)こどもの頃を思い浮かべている、と書いていました。なんか良いハナシだなぁと思っていたら、デザイナー深澤直人さんのエピソードも思い出しました。

世田谷に新築したアトリエ(自宅兼仕事場のこと)について。子供の頃、似たような絵を何枚も描いていたそうです。その絵とは、十字の格子窓、オレンジの大きな木がある小高い丘の家。それが深澤少年にとって家の原風景となりました。それから幾年月、ついに実現したアトリエには、どこかその面影があるようです。(写真を見ました。素敵過ぎてまるで別モノですが(笑)、どこか相通じると言えばそうでもアル‥)

小さい頃の想いや記憶は、心の奥深くに眠っている。そして、思わぬ時に湧き出てきたり、創造の源泉になったりするのかもしれません。

ところでいきなり話は身近にZoom In。ボクは子供時代のひとときを、自宅の裏山に白鷺が飛来するようなカントリーな地で過ごしました。

春、水ぬるんだ用水路でカエルの卵を掴み、山に入りて竹を取り(竹取の翁か!)、弓矢をこしらえ切り株に放つ。

夏、早朝の虫取りは蜂に襲われ退却、桑の葉摘んで育てた蚕(かいこ)は、気付けば天井四隅で蛹(さなぎ)となって(その後は、ううっ‥)。

秋、夕暮れに草野球、ガラスを割ってシュンとして。沼で釣ったザリガニは、留守の間に共喰いし‥(またシュンと‥)。

冬、焚火に焼き芋、こたつでミカン。広場で揚げるはゲイラカイト(ご存知ですか、よく揚がるのヨ)‥。

そんな風に、朝から夕暮れまで駆け回っていた時代。でも、一番記憶に残っているのは自宅の小さな庭の昼下がり。「春の陽射しと干した布団の匂い」(ホコリだったのかも‥)。

今も住まいをつくる時、太陽に向いたバルコニーに出て、目をつむってみる。まぶた越しに届く暖かい陽射しを受けて思うんですね、ここは良い部屋じゃないか!って‥。

心地良い光と風さえあれば、それでもう充分じゃないか‥。

オジサンになった今でもそんな気分になるのは、こどもの頃の記憶以外の何ものでもない。冒頭の著名人に重ねて、そう思うのです(重ねるな!)。

啓蟄を過ぎ、今は「The 春」。あちこちに、目覚めた生き物たちを見掛けます(おー、隣でアリが初仕事に取り掛かっていますなぁ)。虫たち同様、ボクのコドモ時代の記憶も目覚める季節。

果してその目覚めは、何かが湧き出る創造の源泉か、それとも単なる老化の産物なのか‥。

いずれにしてもよい季節を迎えました。花粉さえ少なければねぇ‥

マジすか!ホワイト

sanwacompany Websiteより

モルタルのような質感の洗面台。その名をモルタナという。

これダジャレじゃないの~。製品はひどくまじめなモノだけに、この脱力感がなんとも良いぢゃないですか。住宅建材業界の風雲児(ではないか、もはや上場企業だし)、ご存知サンワカンパニーです。

通常、大手住設機器メーカーがこの手の(モルタル風とか‥)質感を模す際には、メラミンなどの樹脂製シートでつくることが多いでしょう。先日もお客様にちょっと見てちょーだいと言われ、あるリフォーム済住戸に行きました。今はグレーが住宅系でも流行りなのですね、まさにモルタル調シートの面材がビシッと貼られた大手メーカーのNewシステムキッチンが鎮座していました‥。(流行に乗った住まいについて、はここでは置いておきましょう)

ところで、この洗面台モルタナの表面は磁器質タイルです。左官で仕上げるのが(本来の)モルタル。だとすると、そのモルタルを(違う素材を使って)再現するという意味では、大手系・樹脂とサンワ・タイルに違いはない。あるのは再現へのアプローチの違いであり、あとは好みの問題ではあります。(サンワも何々風シートは多用しています、念のため‥)

サンワカンパニーの製品は、全般的にシンプルで素な感じのラインナップが多い気がします。ですのでウチの素朴なリフォームとも(なんとなく)馴染むので、ウチの創業当初から設備機器や床に建具‥あれこれと、随分たくさん使ってきました。

それにしてもこの会社の製品たち、名前は誰が付けるのでしょうね(笑)

スミス、ア・ラ・ノコメ、ウズック、ピッタナ、カチンコチン、デューロ・ボーン‥

もう何だかワカリマセーン!

でも、よく読むとそのマンマの意味だったりするわけで。例えば仏蘭西語みたいなア・ラ・ノコメは粗い鋸目(の残る床材)、ウズックは浮造り加工(された床材)、ピッタナはサイズオーダーできる棚なんですよ。

現在は廃盤ですが、アッシュボーン(アッシュ材の直貼り防音(ボーォン)床材)、エンビデモク(塩ビの木目シート)なんてのもありました‥。そう言えばエンビデ‥は数年でボロボロになり、ウチの負担で張り替える事例も複数あって‥(トホホ)。

ところで、サンワの製品は一物一価、定価販売です。つまり業者も消費者も同じ価格ということ。これは今の時代的にはいいことではあるのですが、「あれこれ買って付けたいナ」となった場合にちょっと気になることがひとつ。

これまでの住宅建材の流通価格体系と異なりますから、施工業者は(従来は価格に内在させていた)経費を別建てにしないとお商売が成り立たない(場合が多い)。つまり「あれもこれもサンワで買って施主支給するから工賃だけで取付け頼むよ」と施主に言われた場合に施工業者側が何と言うのか。製品と施工(を分離したことで起こる)保証の線引き、別途計上する経費‥などについて新たに取決めが必要なケースもあり、施主と施工業者の信頼関係が問われるかもしれません。

おっと、ハナシがそれましたね‥。

ちなみに表題の「マジすか!ホワイト」とはなんぞや? これはタイルの名称です。物件探しからご一緒してきた方が、今度採用する予定です。正しくは「マジスカホワイト」。「マジすか!」が語源でしょうか(そうだとしても何が、マジすか!なのかボクにはわかりませんが‥笑)。シンプルそして比較的安価。こういうのがサンワらしい製品だなぁと、旧いボクは思ったりします。

ないものは、ない

相も変わらずの雑記を書き散らかしているワタクシ。このページへの入口は狭ーく、我が事務所Website上の「代表イケダの雑記」という小さなボタンのみ。内容が薄い上に、その内容自体が各回の表題とも微妙にズレていて‥。

にもかかわらず、幾つかのページが(あるワードでの)検索上位でヒットするようで、それ経由でたどり着く例があるみたい。本文を読むと(表題と)全然関係がなかったりする訳で、さぞガッカリなことだろうと思うケド。まあ、いいか‥。

さて最近、安藤忠雄さんのインタビュー記事を読んだ。

今回知ったこと。安藤さんは10年ほど前に二度にわたる手術を受けて、合計五つの臓器を摘出したのだという。ひとつづつ挙げると胆嚢、胆管、十二指腸、膵臓(すいぞう)、脾臓(ひぞう)。以上で五つ‥。

「先生、そんなに取っても生きとるもんなんですか」と安藤さんが問うと、

「生きとりますが、元気な人は居りませんなぁ‥」と先生‥。

これはさすがに堪えたようだが、覚悟を決めたという。曰く「五臓がないなら、ないように生きる」。(※この辺りは読後の記憶に頼っているので、細部が多少不正確かもしれません、悪しからず。)

「ないなら、ないように」‥そうは言っても、なくてはならないモノもあるでしょうが‥。

安藤さんがそんな覚悟と諦めを持って乗り越えてきたのは、今回に始まったことではない。有名な話だが、若い頃にはお金と学力が足りず(‥※本人談ですよ)、大学で建築を学ぶことは諦めた。そして、ファイトマネーが入るプロボクサーとして生き始めるも、天才と出会い自らの限界を知ってその道を諦めた。でも絶望せずに「ないなら、ないように」と思い直し、古(いにしえ)の神社仏閣に習いながら独学で建築を修めたと言う。

‥果して、術後の日常は数値を測ったり、食事をゆっくり摂ったりと気を遣う必要もありながらも、(それなりに)良いこともあったのだと(ご本人は言う)。そして誰もがご存じの通り、変わらぬ活躍を続けているのだ。

最近では出身地大阪の中之島に、子供のための本の森(こども用のモジュールでできた施設、圧巻の全面本棚!)を自身の負担で建築している。過去の大坂商人たちが、育ててくれた町に施設をつくり恩返しをしたように、自分も同じようにするのだと。(それ以外にも桜の植樹を始め、多くのことをされています。念のため‥)

超人過ぎて参考にならず、ましてや比べる気にもならないが、やはり言葉が心に残る。「ないなら、ないように生きる」。

そんな生き方はマネできないけれど、せめて「ないものは、ない」と心を定めることくらいは出来るはず。

上の写真はなーんにもない、スケルトンの室内。

「ないものは、ない」のだが、逆に「あるものは、ある」と思う。

つまり「ないもの」の代わりに、「なにか」があるはず。

それは光か風か、それとも時間、それとも‥‥

さあ、この空間を何で満たしていこうか。

水は青いか

北アルプスの山々を背にする盆地、安曇野。イメージするのは清冽な水と空気、そして光。日本のそんな場所で、企画から製造まで一貫して行われているPCがあります。

そう、VAIO。少し前にSONYから分離独立する形で歩き始めました。

安曇野といえばSONY時代のハイエンドPCの生産地。海外製造が全盛の時代に、Made in Japanとして安曇野から送り出されてる製品群がありました。

久しぶりにサイトを覗いてみたのですが、以前と変わらず、いやそれ以上にmade in 安曇野を突き詰めた取り組みが語られています。

なにより、舞台が安曇野であることが良いじゃないですか。松本、安曇野、上高地‥。静かな知性を感じさせる城下町とその周囲の圧倒的な自然。それを想い浮かべながら開くPCには、北アルプスの水が流れ、風が抜けるようです。アルプス伏流水がPC内を循環し冷却する、水冷式ノートPC。そんなんないか‥。

SONY時代と比べれば小さな会社となり、以前のようにファッショナブルで尖った製品群をラインナップすることは難しい。更に、今や汎用品と化したPC市場では、戦う土俵は限られている。VAIOはそんな困難な状況を承知の上で、日本の技を磨きぬくことで突き抜けようとしている、のだと思います(拍手)。(もちろん、PC以外の事業にも乗り出していることは言うまでもありませんが‥)

言ってみれば「レッドオーシャン」を、(裸一貫‥?)技術と信念で泳ぎ抜くような‥。

なんて、「高みの見物」よろしく外野から云々している場合ではアリマセン。ボクのいる不動産業界(特に再販、つまりリフォームして販売するというヤツね)、よく考えたら真っ赤っ赤ですよ、別の意味で。

「レッド」ではなく「ブルー」の分野を見出し(若しくは創り出し)、儲かるところに軸足を移していくことも経営には必要なことでしょう。でも、そうでないところで踏ん張る人達もいる。

赤くても青くても、どんな海にも人(魚か?)が暮らし、日々ひとりひとりとの対話があります。だからでしょうか、そういえばボクは自分のいる海をブルーだレッドだと考えたことがなかった。つまりボクは経営者ではないのでしょう。だってねぇ、好きな仕事で泳ぐ海がいまさら真っ赤だといってもねぇ‥。

点滴石をも穿つ‥。

ある時気づいて顔を上げたら「真っ赤に染まったこの海」が、かつての地中海がそうだったようにように「昔の青い海」に戻っていた、なんてことはあるでしょうかねえ。

三人の日

ようやく立春。高くなった日射しと凛とした空気が混ざり合う感覚は、この季節ならではです。

春という字は 三人の日 と書きます あなたと私と そして誰の日?

と始まる懐かしい歌は「春ラ!!!」。石野真子さんのヒット曲、ご存知ですか(一体、誰に聞いているのか‥)。続く歌詞は、

あなたが好きになる前にちょっと 愛した彼かしら 会ってみたいな久しぶり 貴方も話が合うでしょう 三人揃って春の日に 三人揃って春ラララ♬

‥というもの。なんでそんな男と会わなきゃならんのだ‥。

今改めて考えると、とんでもない歌詞ですが、まあそれはいいや。当時小5だったボクにはどうでもよいこと。春には感傷的な歌が多いですが、この歌はカラッと振り切っていて、これもまた良しか‥。

ちなみに、手元の常用字解(白川静著)で確認すると、「春」という字の由来には、当然ですが「三人の日」はありません(笑)。草が力強く生えてくる様を表す中国2000年前の文字が元になっているのですね。

真子さんといえば‥。ボクが中1になる頃、(ゴダイゴ〈GO DIE GO、つまり輪廻転生か〉がテーマソングを歌う)ポートピア博覧会に行こうぜ!と友達と二人、神戸の叔母を頼って出掛けたことがありました。

海に浮かぶ未来都市ポートアイランドは、残念ながらあまり記憶がありません。覚えているのが、灘中高の校門(アホか‥)、そして石野真子さんの実家界隈(叔母に教えてもらったのだ)。どーでも良いことだけ覚えているものです。

そう、当時のボクは真子さんのファンだった。サインだって書けるゾ(あと王貞治さんもね)。そういえば、大人になってから神楽坂の酒場でお見掛けしたこともありました。うふふ、ご縁があるのだよ(ナイヨ)。

せっかく辞書を持ち出したところで、ひとつ。

忙しいの「忙」という字は、「りっ心べん」と「亡(ぼう)」からなるので心を亡くすという意味だ、とよく聞きますね。だから忙しくしてはイケナイ、心をなくすから、と。

常用字解によると、「いそがしい、あわただしい」の意味に使用するのは、唐の時代以後のことだそう。それ以前には、ぼんやりとした様子を表していたようです。

もうすぐ春がきます(いや、もう来たのか‥)。忙しくすることが多くなる季節。忙しいことを嘆くより、忙しさのなかにもボーっとして、春の陽射しにぼんやりと心を遊ばせる隙間を持っていたいもの。

いつもテキパキと如才なく張りつめているよりも、茫洋として捉えどころのないところに案外、本物が隠れている、なんてことがあるかもしれません。

閑話休題‥。あ、閑か‥。

閑忙という言葉がある通り、閑と忙は反対の意味ですね。でも、古くはどちらも似たようなもので、ボーっとしていたのかも‥。皆が忙しくするこの季節に、ぼんやりと春を待ちわびている自分。まぁそれもいいじゃないか、なんて思おうとしてみたりして‥。

絵に描いたような

グランマ・モーゼス、つまりモーゼスおばあちゃんはアメリカの画家。四季がめぐる農村の風景を描いた絵画をたくさん残していて、(その時代や場所を体験していないボクにも)なぜか懐かしく、つい見入ってしまう。

きっとアメリカのどこにでもあっただろう原風景も、季節が移れば舞台も変わる。春には春の、秋には秋の農作業や集いがあって‥。そんな自然と人がつながった暮らし。その暮らしの楽しい記憶がぎゅっと詰まっているような、そんな情景です。

苦労を重ねながら歩んできた、農場暮らしの一主婦が絵筆を取ったのは、なんと76歳の時。それから四半世紀に亘り描き続けたキャンバスには、眼前の風景と一緒に長い人生の記憶が織り込まれているのでしょう。

いくつになっても始めていいんですよね。長い時の蓄積には、即席ではつくれない宝物が眠っている(ことが人によっては、ある)かもしれません。そんな彼女の背景を知って、絵もさることながら、その生き方暮らし方に想いを馳せたボクでした。

ちなみに今回、彼女の絵を見てふと思い出したのは、(これまた古いのですが‥)TVドラマ「大草原の小さな家」。そう、毎週土曜日の夕方でしたね、インガルス一家の物語。(ボクが主役と認識していた)次女のローラは、原作者であるローラ・インガルス本人ですから、きっと自身の体験に根差した物語です。このドラマの舞台は19世紀後半の西部開拓時代。調べてみると、そうです、ローラとグランマ・モーゼスは同じ時代に生まれ育った同世代だったわけです。

そんなこともありボクは、子供の頃に(テレビで)観た大草原の暮らしを、この歳になって見る絵画のなかに見出して、懐かしく思ってしまったのかもしれません。まるでボクがこの農場に暮らしていたかのように。

古き良きアメリカ、普通の人々を描いた絵画(いや、イラストか)といえばノーマン・ロックウェル。その作品は、きっと誰もが目にしたことがあるはず。それ一枚を壁に掛けるだけで、ノスタルジックなハンバーガーショップが出来そうです(笑)。幸せな気分になる絵が多くて良いですね。でも、それより少し前のアメリカの情景を描くグランマの絵画には、また違った、心の別の場所に訴える何かを感じたというわけでした。

そういえば、もうひとり画家の話。昨年リフォームをご一緒した方から、スウェーデンの画家カール・ラーションを教えられました。購入&リフォームの際に、お好きな画家を挙げてくださったわけです。

こちらもまた、スウェーデンで人気のある画家。北欧家庭の日常や室内の風景、屋外での柔らかい光や風を感じる風景と人物、それらが幸せな空気感とともに描かれています。

もちろん物件選びやリフォームにあたって、その絵そのままをカタチにできるものではありません。だからこそ却って、ラーションの絵を見ながら、その方が思い描いているだろう空間や陽射しの質感を想像する機会を持つことができました。

果たして、たっぷりの陽射しと手触り感を纏って完成した室内は、「ラーションの絵画と似て非なるもの」ではなく、反対に「ラーションの絵画とは非なるも似た雰囲気」を感じるものになったと(ボクは勝手に)思います。

まあ実際のところ、ご本人がその点についてどう思われているのかは、ちょっとコワくて聞きそびれましたが‥(笑)