夜間飛行

遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休めるとき、遥か雲海の上を音もなく流れ去る気流は、かぎりない宇宙の営みを告げています。

満天の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、きらめく星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の何と饒舌なことでしょう。

光と影の境に消えていった遥かな地平線も、まぶたに浮かんでまいります。

日本航空があなたにお届けする音楽の定期便、JET STREAM。みなさまの夜間飛行のお供をいたしますパイロットは、わたくし城達也です。

・・・・・♪

中学生時代‥。深夜、机に向かいながら聴いていたのが、このFM番組。抑えたナレーション、インストルメンタルの楽曲。それに加えて、番組中盤に語られるショートストーリーが、ボクを見知らぬ世界の街角に誘うのだ‥(ナンチャッテ‥)。

ちなみにこのJETSTREAMは、「海外渡航者を増やしたい」日本航空が長きに亘って「お届け」していた番組。でもそれはそれでいいじゃないか、それに乗っかれば‥。ということで、ジェットエンジン音と航空無線が交錯するナレーションから始まるこの「音楽の定期便」は見事(思惑通り)、見知らぬ国を夢想する少年をひとり増やしたわけです。(しかし後年、渡航の際にJAL国際線を利用することは殆どなかったという‥寂)

現実に世界の街を歩き、社会人にもなってこの番組から遠ざかった頃、城さんが病を得て降板したと知りました。それからもう30年近く経ちます。なんかあっと言う間のコトですね、自分はまだ、荒野を目指す青年のつもりだったけれど‥。

ところであの番組は今どうなっているの、まだあるのかな?とradikoで調べてみると‥。なんと番組は健在で、お供いただくパイロットが(こっちはホンモノ、永遠の青年)福山雅治さんではあーりませんか。ナレーションの文面は当時と変わらない(つまり冒頭にある語りです)。でも、その先を聴くのは止めておこう‥。

夜が深くなるこの季節。

(日本航空ではなくて‥格安航空の)エコノミーシート(ならぬ格安アームチェア‥)に身を預け、夜間飛行に出掛けたいこの頃。手元に文庫本と珈琲(お酒…)の用意ができたら、switch on。お供をいたします音楽は‥

今はyoutubeにたくさんありますからねぇ‥

近産近消

やってまいりました、ながーい木材。現場に整然と積まれたこの床材の長さは4mあります。ここは団地の一室です。なにか、ちょっと違和感がありますね‥。

ここで問題です。

問1.「4mもの長さのある床材をどのようにして室内に運び込んだのでしょうか。なお、ここはエレベーターのない2戸1階段タイプの建物です。」

それでは問2.「この住戸は何階にあるでしょうか。」

それでは回答を‥

問1:「 窓から入れた」

問2:「2階」

どうでしょう、正解できましたか。(んなもん、わかるか!コラッ!)

この長ーい無垢材が部屋の端から端まで、真っ直ぐに継ぎ目なく貼られた床は気持ちの良いものです。

ところがマンションでは殆どお目にかかりません。だって、エレベーターに入らないし‥。そもそも階段も共用廊下も、そして室内でも角を曲がれませんね。だから、通常のマンション床用建材は900(長くても1800)mm程度に加工されているのです。

でもボクは近場でとれたこの床材を使いたいと考えているので、解体が完了した室内の窓から真っ直ぐに搬入してもらっています。となると搬入には限界がありますね。4mの床材を窓からびろーんと室内に入れる様を想像してください。何階まで上がるでしょうか。ちなみに1階分の階高は3m弱です。そうです、せいぜい2階まで。地上から3階住戸への垂直方向受け渡しは、手を伸ばせばできるかもしれませんが、3階の窓で受け取った人は一体どうやって室内に入れるのでしょう‥。ということで、この床材は基本的には低層階に限定して使用しています。

この床材は奥多摩で育ち、製材されてここにやってきました。かつてその辺りにはナラやカシなどが育つ自然林が広がっていましたが、江戸時代(江戸は火事が多いので随時需要があったそうです‥)から第二次大戦中に亘る乱伐によって姿を変えてしまったと聞きます。そして需要に応じるように杉や桧の大量造林が行われて‥。にもかかわらず、次第に外国産木材に押されることになってしまったのですね‥。(国産材の活用には復活の兆しもあるようですが‥)

ということでウチは杉を使うことが多いのですが、もちろん桧もあります。上の写真はヒノキの床材。杉とは違う桧の効果も見込んだクライアントのご希望です。杉よりも白く、きめが細かく、キリっとした鮮烈な香り。ブランド産地でなく無印ひのきですが、それでいいのだ。

ちなみに桧と言っても和風ではありません。北欧の素朴な暮らしにイメージの源泉を求めた今回のリフォーム、節有りのカジュアルな白木は却って北の国の温かさを想起させます。窓外に広がる空や緑と相まって、落ち着いた素敵なお部屋に仕上がる予感があり、クライアントと共にボクもワクワクしています。

無用の用

営業マン:「こちらが、洗面室でございます!」(快活に)

お客さま:「ほー」

営業マン:「こちらは、お便所でございます!」(堂々と)

お客さま:「おーっ」

随分と前になりますがウチの物件で、ある担当者がこんな案内をしていました。別に、洗面や便所に特別な特徴がある物件では「ございません!」。それなのに‥。このふたりの遣り取りが可笑しくて、稀に思い出しニヤッとしてしまいます。ボクが仲良くしていた営業の方なのですが、その爽やかさ(?)のお陰か、購入希望者の案内だけでなく、売却を希望する物件所有者からも信頼の厚い、デキる営業マンでした。

ところで、彼が上の写真のような物件を案内したら何と説明するでしょうか。ちなみにこの空間は、廊下の途中にある元・洋室ですが、現在は廊下側一部に縦ルーバーを配しただけの廊下一体型ホール状になっています。なお奥行のあるルーバーは見る角度によって完全に’壁’となるので、オープンスペースでありながら玄関からこの空間は見通せません。

「こちらは、ドアと壁のない部屋でございます!」

彼なら、そんな風に言ったでしょうか‥。

いや、彼の真っ直ぐな性格から考えると、お客様を前に「‥いけださん、この場所は何とお呼びしたらよいでしょうか!」(大きな声で)

とボクに聞いてきたかもしれません。わからないことを、わからないと言うことは大切ですね。逆に、売主(ボク)の横で、立て板に水でスラスラと(結構いい加減なことを)話す営業マンもたまーにいますが(笑)。(あ、それおいらか‥)

さて、写真のスペースは、何とお呼びしたらよいでしょう。そういえば販売時は何と呼んでいたっけ?(図面を見てみたら「ホール」と記載していました)

いずれにしても、「お便所」や「洗面所」のようにわかりやすく決まった用途はありませんね。いや、トイレや洗面も(本当は)その名称通りの用途に使われていないかもしれないし、目的を限定すべきではないのかもしれない‥。(それじゃぁ一体、お便所を何に使おうというんだ!)

そうです。部屋の用途を特定する、そんな行為が(ただでさえそれほど広いわけでもない)住戸を、もっと窮屈にしているのかもしれません。そんなことを思ったりします。

もっと言うと「ここ何する場所?」のような、「よーわからん」場所があると、その無駄(に思えるもの)が暮らしに別の何かをもたらしてしてくれるかも‥。

Doing nothing often leads to the very best something.

なんにもしないことをすると、いいことがあるんだ。(意味はこんな感じでよいでしょうか‥)

くまのプーがそう言っていました。「何をするか決まっていない場所」と「何もしないことをすること」。ちょっと意味は違うけれど、似たような効能があるかもしれない。

さあ、なんにもしないことを、しよう。

でも、どうやってするんだろう。ウンと‥ウーンと‥

ご安全に!

夏の日曜日の午後、誰もいない工事現場に立ち寄りました。

と言っても知らない建物への不法侵入ではありません。物件の購入からリフォーム工事までをご一緒している方の現場です。

既に備え付けられ(養生をされた)キッチンの上には、おやつ(「皆さんでどうぞ」と‥)が置かれています。この週末は、施主支給の器具をお持ちいただく期日でしたので、職人のために置いていって下さったのでしょう。

まだ養生やパテの跡だらけの室内に目を遣ると、あっちの方にドラえもんがちょこんと座っているではありませんか。近寄ってみると、ここにもメモが添えられており、

「おはようございます。今日も一日、ご安全に!」

とあります。なんとニクい心遣い‥。殺伐とした(実はそんなことないが‥)週明けの現場で、いかつい職人さんが(実は優しい男前だが‥)ふと頬を緩める姿が目に浮かぶようです。それにしても、ドラえもんが工事現場にまで現れるのは、ここ多摩丘陵に藤子・F・不二雄さんが長く暮らしていたことが関係して、いないか‥。

ところでこの「ご安全に!」は、長きに亘り製造・建築現場で交わされる挨拶のことば。導入時期は大正、戦後と諸説ありますが、明治時代にドイツから持ち帰り、原語のまま使われていた「Glück auf!(グリュックアウフ/ご無事で!)」に由来するようです。日本と同じく近代化を急ぐドイツを支え、危険と背中合わせで地下の坑道に潜った炭鉱夫たち。互いの無事を祈り、そして無事を称えただろうその言葉が、時空を越えて今も生きているのですね。

さて、このドラえもんには後日談があります。ポケットを押すとおしゃべりするドラえもん、あまりに可愛いし(自分宛の?)メモ付なものだから、職人さんはすっかり貰い物だと思い、自分の娘のために持ち帰っていたのです。

ところがこのドラえもん、はるか昔に友人から贈られた大切なもので、他所に連れて行かれるのは想定していなかった。‥らしく、ドラがいないと大慌て。職人さんのお嬢さんに渡ったドラを「申し訳ないが返して欲しい‥。代わりに〇〇差し上げるから‥」と。

そこで思うのは、そんな大事なものを(わざわざ)現場に置いてくださった彼女の気持ち。顔の見える現場を心掛けていたことが、何らかの形で伝わっていれば、と嬉しく思ったものです。

そうは言ってもねぇ‥。「ナニ、大人げないこと言っているのよー。お嬢ちゃんにあげればいいじゃない!」と同僚に言われ、シュンとしたとかしないとか‥(笑)。いえいえ、いくつになってもそんな気持ちをお持ちの方だから、我々も楽しく安心してご一緒できるのですよ。フフフ。

お客さまに恵まれていると、つくづく思います。物件検討からリフォームまでをご一緒していただく方々はもちろん、ウチでリフォームして販売する(チョット、クセアルヨ‥)物件を喜々として選んでいただくみなさんも、有難うございます。

さすがに夏の名残りも見つけにくくなったこの頃。多摩丘陵では、未だ頑張る蝉(せみ)や蜩(ひぐらし)の声は日々小さくなり、主役はコオロギたちに。穏やかな陽射しと、心地よい風が吹く季節の到来ですが、そんな良い日は思いの外少ないもの。目を凝らして、見逃さないようにしたいものですね。

不安定の中を

Allowed by Studio GHIBLI

三次元空間を行く飛行機が、なぜ安定して飛べるようになったのか‥。

空の歴史のなかにも、我々が日常生活を飛び続けるためのヒントがある。

それを知ったのは、ずっと以前に故・児玉清さんの文章に触れたのがきっかけでした。更に言うと、児玉さんが紹介する「不安定からの発想(佐貫亦男著)」という書物に遡ります。航空宇宙工学の先生の手によるものであるけれど、読み進めばナルホド、これはダ・ビンチの夢想から始まる約四百年に亘る黎明期の話であると同時に、我々の暮らしへのヒントでもあるのではないかと。

航空機時代の夜明け前、(鳥人間や気球の時代を経て)空に挑む者たちが目指したのは、乱れる気流にも揺るがない強さと安定性を持つ飛行機。しかし、安定を目指せば目指すほど、一旦コントロールを失うとその安定性が仇となり、落下の危険性が増してしまう。

そもそも、小さな飛行物体が激流に抗することができると考えることに無理があるといいいます。不安定であることが当たり前。それを受け流しながらその不安定状態をコントロールする、即ち積極的に上下左右へ操縦することで安定を得ているのです。そして機体は剛でなく柔でなくてはならないと。

そのような、不安定を制御するという考え方に転換したことで、空の時代の幕が開けたのだといいます。それを開いたのがあのライト兄弟‥。この兄弟を中心に、その前後に登場する先駆者たちそれぞれの理論や人間性を絡めて、時代を描いた読み物です。

ちょっと話は逸れますが、納得したことがひとつ。普段乗るジェット機の窓から覗いた主翼(とそこについているエンジン)は、いつ見ても絶えずたわんでいて、そのうちボキッと折れてしまうのではないかと常々不安に思っていたのです。どうやらそれは杞憂だったようで、この柔らかさこそが安定した飛行に必要だとのこと。敢えて揺れるように設計されているので、そんなことでは壊れないのだと(ヨカッタ)。

話を戻すと‥。ボクは小さな会社(の体裁をした個人事務所)の操縦桿を握っていて、どこにも属さない不安定な立場。そのボクが会社を辞めてひとりで歩き出した頃に、この「不安定の中で安定する」という考え方に出会いました。

以来歩き続けるなか、先が見えなくて足元が覚束なく、フワッと宙に浮いたように(うーん、例えるなら遊園地の乗り物が宙で反転した瞬間の無重力のような‥)感じる瞬間が何度かあったけれど、そのたびにこの言葉を思い出します。不安定で当然なんだと思い込むことで、「待てよ、いま倒れることはない、まだ時間はあるさ」と持ち直す。そう、上空に例えるなら、まだ速度や高度もあり、コントロール次第では航行を継続できる(かもしれない)から、と。

考えてみれば、いつの時代も世界は安定なんてしていないのかもしれません。ましてや、昨今は自然環境だけでなく社会的環境も、ものすごいスピードで変わり続けているのですから。

だからといって、「環境に合わせて変化し続けよう」なんて相当しんどいハナシ。ダーウィンさんは「唯一生き残ることができるのは、(強い者ではなく)変化できる者である」というけれど‥。変われない時、変われないことだってあるんだから。

敢えて言うなら、周りが変化することに焦ったり、必要以上に恐れたりしないということか。そう諸行無常、同じ状態でありつづけるものはない。だから、現状に固執せず、流れを受けて、剛より柔でいきたいものです。

壁に華あり

中古マンション(区分所有建物)を取得してリフォーム実施後に販売する事業、これは一般的に買取再販と呼ばれます。買取再販事業に係る不動産取得税への減額措置が存在するくらいですから、(お役所にも少なくとも)事業として認識されているようです。(もちろんこの減額措置は、最終的に消費者負担の軽減が目的で、業者のためではないですが‥)

一般的に、この買取再販で好まれるのは駅近で築浅の物件。「不特定多数に向けて販売する」わけですから、需要が多そうな物件を選びたいのは当然です。間取りについても、誰もが許容できるものが良い。新築時の間取りを(敢えてお金を掛けて)変更する必要はない、と考えるのが普通です。

そのようにして新築時の(よく言えば普遍的な)間取りのままに、内装材を一新した「リノベーション済住戸」が誕生するわけです。

そういうボクも10年以上に亘ってこの業務に携わっています。「光と風が抜ける住まい」を(少しでも‥)実現するために、物件を選び、プランを検討してリフォームを行っています。

ところで、ウチの場合「業者は駅近で築浅の物件を好む」という王道からずいぶんと外れた位置に立っています。つまり駅近物件は少なく、築浅の建物にもご縁がないということ。その代わり、光と風が抜けたり、樹々が茂ったり、(年月を経て)落ち着いた佇まいを見ると喜ぶのです。それに加えて(以前からお話していますが)共用廊下に居室が面する物件もあまり好まないし、部屋数を減らす間取り変更も厭わない。

となると、不特定多数に広く訴求できず、検討対象者は限られます。であれば、せめて間口を広げるために内装は出来るだけシンプルにしておくのが基本方針。なのですが、時にはそれでは飽きたらず、ちょっと色のついた住戸をつくることも‥。

上の写真もそのような事例です。50㎡程度のコンパクト住戸を「古いアパートメントを自ら改装して暮らす」イメージでリフォームしたものです。(要は、設備の一部を残して新旧を擦り合わせてみた、ということデス)

小さなダイニングキッチンの窓外に広がるのは、公園の樹々。その溢れる緑が室内にまで繋がっていたら…。ついついそんな想いで、植物をモチーフとする壁紙を貼ってしまいました。場所はダイニングの壁一面(袖壁と下がり壁でできた、門型の壁)。ちなみに裏側は単色ですが、グリーンです。

よく知られたウィリアム・モリスを始め、草木からインスピレーションを得た壁紙は、表情豊かでページをめくっていても飽きません。でも奥が深そうで、自ら選ぶとなると話は別です。だって、言ってみれば花柄ですよ‥。

ということで写真の壁紙、実はボクが選んだものではありません、悪しからず…。

「やっぱりプロに任せてよかったわー、オイラが選んだアレを貼っていたらどうなったことやら…」(心の声)

夏・野菜・畑

この夏も、元気な夏野菜@市民農園のお裾分けをたくさんもらいました。

キュウリ、トマト、枝豆、オクラ、ゴーヤ、ししとう、モロッコいんげん、モロヘイヤ、空心菜‥。(とうもろこしとかないの?なんていいません‥)

もらったら、あれこれ考える前にどんどん食べないと‥。キュウリだったら冷して縦二つに割り、味噌やマヨネーズ、スパイスを載せて端からバリバリとやる、それも毎日‥。ミニトマトなら山盛りを一気に湯むきして、大きなホーロー容器に冷しておく(つるんと剥いて詰め込むと、キラキラときれいです)。それを朝に夕にと口に放り込むわけです。

もちろん、どっさり採れた時にいただくのですから、欲しいものを選んでもらうわけではありません。突然ドーンときて、忘れた頃にまたドーンといただく‥。ドーン、ドーンと寄せる波のような収穫に夏のチカラを実感したり。

そういえば文筆家(?)の玉村豊男さんが長野県東御市で拓いた「農園」ヴィラデスト。そこでの(初期の)日常を描いた著書でも、湯むきしたトマトをひたすら瓶詰(煮沸)する光景を見た記憶があります(それはまぁ素晴らしいキッチンですから、何をするにも絵になりますよね!)。併せて、あっという間に肥大するズッキーニと格闘(つまり、ひたすら食べるということ)する姿もあったような。ハハハ、夏の畑というのは大変なものです‥。

ちなみに、実は広い階層がトマトを食べるようになったのは、ここ百年程度のことなのに、いつのまにか(日本人からみると)トマトを使った料理がアイコンのようになったイタリア(南部)。この地の一般家庭においても、夏は一年分の(ビン詰め)トマトを仕込む時期なのだそうですよ。おっと、脱線しかけました‥。

農園といえば一般的には、農地所有者もしくは管理をする農協(JA)が貸し出す市民農園が相場でした。それら市民農園は一見雑然としていますが、よく見てみるときれいに畝が立ち、整然と作物が育っています。手慣れた方々ばかりと見え、新参者には敷居が高そうな感がありますね(実際はそうでもないのでしょうが‥)。

一方で最近は、民間企業が運営する農園を目にします。

これまでの市民農園にあった高い敷居と大きめの区画面積をグッと下げ、その代わりにサポート体制で利用料金をグッグッと上げた感じでしょうか。利用単価で比べると市民農園のひと回りどころか10倍にもなりビックリですが、気軽なレジャーと考えればそれでも充分に安価とも言えるでしょう。用具貸出しや種の提供、アドバイザー駐在などサポートが厚く、ひとりでもみんなでも楽しめそうです。

変わり種として、ウチの事務所に近い成城学園前に、ちょっとオサレな畑があります。ここは元々農地でなく(なので農園の定義からは外れますね)、地下化された線路の頭上に蓋(人工地盤)をした民有地。もちろん小田急が運営しています。成城らしいと思うのは、ラウンジやシャワーが付属すると共に、「水遣り」や「手入れ代行」というメニューがあること、もちろん有料で‥(笑)

さて、どうでもよい話を書き連ねました。そんなことより、たまった野菜をどうしたらいいんだー。ゴーヤもたくさん? ‥チャンプルーって言ってもさ、そんなに食べられないしナ(得意ではない、レパートリーも少ない‥)。

ということで今夏は、あれもこれも一気に鍋に放り込んで「素揚げ」にして解決したという次第。めんつゆの入った壺にでも浸けておけば、そのまま酒のお供にしたり、保存も応用も利きますし。まだまだ暑い日が続くので、素麺などにもいけるしねー。

めでたしめでたし。《おわり》

休暇小屋

「休暇小屋」、なんて素敵な響きでしょう。

バカンス、リゾートでなく「休暇」。別荘、コンドミニアムなどと呼ばずに「小屋」。素朴で飾りがなく、気が置けない、そんな匂いがします。サンダル履いて、ひねもすのたり、かな‥。

休暇小屋と名が付く(但し日本語に直して‥)有名どころに、「カップ・マルタンの(休暇)小屋」と呼ばれる海辺の小さな別荘があります。

建築家のル・コルビジェが自身(奥さん?)のために建てた8畳ほどの極小住宅で、地中海沿いに位置します。都市計画や大規模集合住宅も手掛け、都市に暮らした建築家の終の棲家(頻繁に出掛け、そこで亡くなったという意味で)が海の小屋であったのは意外というか、頷けるというか‥。ちなみにこの小屋はたった8畳ですから、さすがにキッチンはありません。知人が営む食堂と接続しているというわけですが、これまた魅力的な仕掛けですね。

彼は両親のためにも小さな家を建てていました。「レマン湖畔の小さな家」と呼ばれる約60㎡(もう少し大きい?)の建物は、10m超の連続した窓から湖を望みます。実際、お母さんが長く暮らした、簡素ながら居心地の良さそうな住まいです。無駄なくシンプルな間取りの平屋住宅ですから、平面マンションに関わるボクはその図面や室内写真をしげしげと眺めてしまいます。

日本の建築家も新旧問わず、小屋好きはたくさん居られるようです(ボクはその世界をよく知りませんが)。フランク・ロイド・ライト→レーモンド(以前のボクの事務所近くに、この創業者名を冠した設計事務所がありました)の系譜に連なる故・吉村順三氏が、自らの別荘について語った有名な一節があります。

「山荘は贅を尽くした建物である必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場でよいと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。この山荘に私が求めたのはそれだけです。」

それって「軽井沢の山荘」に限ったことではなく、日常暮らす住まいにもそのまま当てはめたいことじゃないですか。少なくとも庶民の場合、ボクの場合は‥(著名建築家の場合は、敢えて山荘に限った定義とする必要があったのかもしれませんが)。

そして今、この流れは中村好文さん(この方の事務所名はレミングハウスです、ネズミの‥)など現役の方々に受け継がれ、さらにたくさんの建築家が連なっているのでしょう。

さて、話が逸れて大きくなりましたので、小さく戻すと‥

ボクのイメージするところの「小屋」は、そんな先生方の「小屋と呼ぶ作品」と比べるべくもなく、もっと素朴でラフで安価なもの(でも、現場はきちんとやってくれますから、テキトーではありませんが)。

日常の住まいでさえも、心惹かれる休暇小屋のように感じることができたら‥。ということで、上の一節を‥

「住まいは贅を尽くしたものである必要はなく、ごく私的な生活を楽しむ場で良いと思います。自然と共にあることが感じられる、質素で気持ちのよい場であること。住まいに私が求めるのはそれだけです。」

おー、まるでウチの販売物件の紹介文みたいになりました。そのまま載せたら、(それ単なる受け売りだと)ご指摘受けてしまいそうですけどね‥。

夏休みの

「あおいそら、しろいくも」

小学校に入学して、はじめて開いた国語教科書に載っていた言葉です。その言葉だけ、春の空気感と共に記憶しています。他のことを覚えていないのは、あっという間に馴れて擦れてしまったからでしょうか。

そういえば、中学校で最初の英語授業‥。「じゃあ、みんなで!」と一斉に発声した「たーいがっ!」。爺ちゃん先生の焦げ茶のジャージと共に切り取られています。なお、「たーいがっ」は「tiger」。でもって、プーさんの仲間のトラは「ティガー」ですね。

さて、同じ「青い空、白い雲」でも上の写真は夏の盛り、大きな団地の一角です。脇のベンチに座った親子が自販機の飲料を手に話し込んでいましたが、じきに立ち去ってしまい、聞こえるのは蝉の声ばかり。

大きく育った樹々、高くて青い空、ジリジリと照る日射し。時が止まり、いつまでも続く夏休み‥。そんな気がする日曜日、お昼前のひと時です。

それにしても、「青い空と白い雲」を引き立てる「樹々」が大きく豊かなこと! 当時の団地は空地が大きく取られており、そのほとんどに何らかの植栽が施されていたのですから、何十年も経てば自ずと公園のようになるわけです。

航空写真を見るとわかりますね。戸建や集合住宅がギュッと詰まった密度の濃い住宅地のなかで、縮尺が違うのではと思うような一画があるのです。白い箱が点在し、その隙間を埋めるように緑が見える。まさにその場所が公団の分譲団地です。

当時の団地開発に際しては、できるだけ敷地外に土を出さないことを原則としていたと聞きます。造成を最小限に抑え、従前の敷地形状を活かして建物を配置していったのでしょう。歩いてみても確かにその通り、建物ごとに地盤面の高低差があり、建物の向きも大きさも、微妙にまちまちです。四角い豆腐のようだと揶揄される建物が並びながらも、決して無機的ではない空間だと感じます。

今となっては新たに望むべくもない、ずっと夏休みのような場所‥。いつもはバタバタと往き来する団地ではありますが、ふと立ち止まり、改めてそんなことを思ったわけです。

内装は気に入りました!

「内装は気に入っていらっしゃいますが、駅が遠いことに難色を示されています。」

「内装は気に入っていらっしゃいますが、坂道がネックです。」

「内装は気に入っていらっしゃいますが、近隣にスーパーがないので見送るとのことです。」

これら「内装は気に入って‥」という枕詞、この10年間ずーっと聞き続けてきました。ウチの物件を案内いただいた不動産会社担当者からは、そんな感じの状況報告が多いのです。今にも買うゾ!という勢いだったのに‥、というのはもはや慣れっこで。

でも、それなりに嬉しくもあります。ご検討者は、担当者に連れられて数多くの物件を内覧しますが、(いずれ)購入する(だろう)物件を除いて全てが見送り物件です。そんな見送り物件群の中でもウチの物件は記憶に残り、(間取り・内装だけは)気に入っていただいただけたわけですから(ご担当者の単なる断り口上の場合もありますが‥)。なお、数多くの物件を一気に巡って検討するというスタイルがどうなのか、というのはここでは置いておきましょう(以前の記事で書いています)。

今でこそ、売主として直接SUUMOなどに掲載もしますが、基本的にウチは黒子役。当社物件のほとんどは不動産会社から顧客へと紹介されます。それでも内覧時にはできる限り立ち会い、お話しを伺い補足説明をしたり、内覧の様子を観察したりしています。日々、生の声を聞くことで、そこから得るものも多いのです。(「売主立会いだと助かる」、逆に「売主立会いは面倒だ」と担当者によって反応は様々ですが‥)

それにしても、そうは言っても‥。駅が遠いとか、スーパーが近くにないということは初めから分かっているのことですから、もう少し何とかならないかと思ったりします。

つまり「住戸が良ければ、坂道や不便を乗り越える心積もりがおありか‥」と。そんな固い言い方でなくても、「現地までスンゴイ坂道です。汗だくですよ、ホントウに大丈夫ですか」とか「最寄りのコンビニと言っても駅前スーパーの並びです、もはやコンビニ‥とは名ばかりです(笑)」とか、検討者の覚悟を問うたうえで(笑)ご案内いただけると、尚良しです。(※すでに覚悟を持った方々をお連れいただいているのに、物件がそのお眼鏡にかなわないだけ、かもしれませんが‥。)

なんて言っていたら、誰も見に来てくれないよナー。

もっとも、貴社の物件は面白いから、と(ちょっと無理して)ご案内コースに組み入れていただくこともしばしば。お客様が意外な反応をすると、ご担当者共々嬉しいものです。実際、縁もゆかりもないエリアにあるウチの物件を、ご担当の導きで見学して購入に至ったという方が何組もいらっしゃいます。

写真の住戸もそんな経緯での購入でした。その方は、いろいろと見学するもピンとくるものが無く、担当者も「今日で最後です、ダメなら諦めましょう」と臨んだ最終案内日。その最後の物件がコレだったという良くできたハナシ。そのご担当の同僚がウチの物件をご贔屓にしていただいているご縁でご案内、そしてご購入と至りました。この住戸も例に漏れず、ちょっと不便だけど、ちょっと楽しい物件。えっ、写真見てもピンと来ないですか‥。そうですねぇ、こればかりは人それぞれだからこそ、楽しいわけですからねぇ。