Raindrops keep fallin’ on my .. ♪

関東地方も、今は梅雨の真っただ中。

季節の定番は、「紫陽花(あじさい)」と「しとしと雨」。あじさいは土壌のpHに反応して花の色が変わるようですが、先日見掛けたのは白いあじさい。別品種とのことですが、楚々とした趣きでこれも美しい。

しかし、そんな梅雨のイメージと違い「ザーッ」と降るスコールも身近なものになりましたね。それはそれで亜熱帯的風情があると思うし、ナンプラーも好きだし‥(ナンノコッチャ)。

ところで、風呂で浴びるシャワーの場合は「しとしと」も良いけれど、「ザーッ」の方が心地よい。そこで、上から降り注ぐスコールようなシャワーはどうでしょう。上の写真は以前に販売した住戸の浴室です。

天井近くの壁から突き出しているのはオーバーヘッドシャワーと呼ばれるもの。ハンドシャワーと違い、全身を包み込んで温めてくれる代物です。浴室の左側部分だけ切り取ると、風呂の洗い場というよりはシャワーブースに見える。つまり、シャワーシステムが主役で、ついでに浴槽も付いてるヨ、と主従が逆転した感じです。

話は飛んで古代ローマ人。日本にタイムスリップして目にしたのは、ケロリン(黄色いやつネ)椅子に座り、風呂桶で湯を汲む男たちでした(何のこと?)。これこそ日本式入浴、シャワー無し。銭湯も家風呂も、以前はそうでありましたね。

そんな日本人も時につれシャワーを得て、そしていよいよ頭上から湯を浴びるまでになった(感慨)‥。そうは言っても、時には湯船につかり、あーっ、ふーっ、などと発したいもの。

ということで、シャワーブース風の浴室とするのは如何でしょうか。写真のタイプは既に廃盤ですが、似た感じなら結構安価で済みそうです。それに、やっぱり浴槽も欲しいしね。

もちろん以前から、邸宅にはシャワーブース+ジェットバス(半露天風呂もイイネ‥)もあったでしょう。しかし、これもそれなりにいいじゃないですか。

そんな「庶民的・和洋折衷案」を謳いながらナンですが、実は昨年ご一緒した方が本格的シャワーブースを導入されました。もちろん既存ユニットバスは完全撤去。ガラスに覆われたザ・シャワーブース、かっちょええです。もはや、ケロリン椅子の居場所はありませんでした‥。

そんな(どんな?)この頃ですが、雨と言えば「雨にぬれても(Raindrops keep‥)」。この季節のスタンダードナンバーです。先月、この曲を歌っていたB.J.トーマスさんが、(梅雨入りを前に)亡くなったと新聞が伝えていました(米国に梅雨ないか‥)。子どもの頃、イトーヨーカドーあたりで流れていたなぁ、雨の日だったのかしら‥。

雨で憂鬱な気分だけど、僕は負けない、大丈夫。不満を言っても雨が止む訳でないし。そんなこと気にしないさ…。みたいな歌詞です(違ったら失礼‥)。

梅雨はまだ明けないけれど、大丈夫。不満を言ってもシャワーが出る訳でないし。そんなこと気にしないさ‥。みたいな気分です、ボクの場合。

そうです。シャワーが出なくても気にしない‥。あれこれシャワーについて書いてきましたが、実はここ1年ほど壊れたシャワーを放置中。ケロリン椅子に座って、風呂桶でザバーッっと‥。結構良いものですけどね、これはこれで‥。

JJ(ジェイジェイ)ですか?

受付:「いけださん、少し前に女性お一人がモデルルームに上がられています。アンケートはご記入済みですが、参考見学とのことです。」

ボク:「はい、わかりました。」(アンケートを一瞥しモデルへ向かう)

【モデルルームにてご挨拶。まだ見始めであり、広い範囲で検討しているとのこと。】

ボク:「ところで、(このモデルルームには)何をご覧になってお越しに?」

【暫し沈黙‥】

女性:「‥JJです‥」

ボク:「えっ‥。ジェイ・ジェイですか‥」

女性:「‥‥えっ。え、ええ、住宅情報を見て‥」(動揺の色あり)

リクルートが運営する情報サイト「SUUMO」は、以前は「住宅情報」という名称の情報誌として書店で販売されていました。略して「住情(ジュウジョウ)」。あるいはもっと省略して業界の一部で「JJ(ジェイ-ジェイ)」と呼ばれていました。一般の方は「JJ」とは呼びませんね。「住情」はよいとしても、後者はまるで音羽の出版社お得意の女性誌じゃないですか。

当時のモデルルームは、ガチガチの予約制ではなく、ふらりと訪れることができる(逆にふらりと寄ってもらいたい)施設として営業している側面もありました。ですから、どこの誰でも、テキトーな(それどころか、実在しない人物となって‥)アンケートを記入の上で、モデルルーム内覧をすることができたのです。

ということは当然、敵(?)が送り込んでくるス〇イが紛れ込んでいる可能性も否定できない(どんな世界や‥)。ましてや平日の閑散とした時間帯になると、担当者も出払っておりご自由にどうぞ、と放し飼い状態に‥(別にモデル見られてもいいじゃないじゃないか、とお思いでしょうがそれなりにあるのですよ)。

上述のシーンとは別件ですが、モデルルーム外側を覆うプレハブの窓(普段は絶対開けない)が開錠されていたことがあってビックリ。更に、ある会社では顧客アンケートファイルが紛失し、そこに記載されたお宅に(資料請求した覚えはないが近くで販売している)他のマンション業者から営業電話が掛かってきた‥なんてことも実際にあった話‥。プレハブのモデルルームに警備会社のセキュリティが導入されるようになったのも、ちょうどその頃だったなぁと記憶しています。

話は戻って、住宅情報界のガリバー「リクルート」のこと。当時、この会社は不思議なチカラに満ちていました。メンバーが濃い。もちろん組織人ではあるけれど、一人づつ個人が生き生きと動いている感じというか。就社ではなく就職、更に言うと、社会に飛び出す準備として今はリクルートに在籍している、というのかな。「社会」自体が自分の「会社」であると思っているんじゃないかこの人たちは、と思ったものです(個人的感想)。

今でこそ人材の流動性は高くなり、リクルートのようなカルチャーを持つ企業が増えました。ですが、僕らの世代の大多数は就職=就社が既定路線、という当時。そんな頃でさえ、既にリクルートを卒業したOB達が社会のあちこちに散らばり、川上から川下まで繋がって仕事している。今風に言うと独自のエコシステム(生態系)ってやつでしょうか(?、違うか‥)。ボクの場合、リクルートコスモス(不動産業ネ)も身近で、ここの人達も全く同じ様子だったから、余計にそう感じたのかもしれませんね。

ところで、写真の女性誌(JJの本家‥)は遂に休刊となったそうですね。学校のあの子が読者モデルだとか、スナップが載ったとか‥思い起こせば懐かしいこの雑誌。その存在さえ忘れていたけれど、ずっとあのスタイルで走ってきたのでしょうか。よくぞここまで!と思います‥。‥長くなるのでやめておきましょう。

それにしても、雑誌廃刊のニュースが頻繁に聞こえてくる昨今。子供のころから紙の雑誌が傍らにあって、インスピレーションを得たり、多くの想像を膨らませてきた(JJではありません‥)ワタシとしては、ちょっと寂しい気がしています。

帰郷

黒目がちの赤ちゃん、たくさんいますね

目視で確認したその数、少なくとも40匹以上。去年の夏にカマキリ母さんが産み付けたたまごから、赤ちゃんたちが飛び出てきました。本当は100匹以上いるらしいのだけれど‥。

あんな小さな卵鞘(ランショウというのだそう)にどうやって納まっていたのでしょう。そろそろ出てくるか?とウオッチしていましたが、残念ながらその場に居合わせることはできませんでした。皆、既にあちこちへ離散している様子。

ここ数年続けて見掛ける光景です。梅雨前の今頃に赤ちゃんカマキリが生まれ、あっという間に見掛けなくなったと思ったら、秋にデカいのが現れる。そして写真のような草木(これはローズマリー)の枝や、手摺の裏側などに産卵していくのです。

生まれ出た瞬間から、自力で生きた餌を獲り、生き抜かなければならないカマキリの人生(?)は過酷。一つの卵鞘から出た兄弟たちが全滅することも珍しくないようです。当初は赤ちゃん同士、最後にはオス自身が栄養としてわが身を供することさえある。つまり、共食いをしてでも、残った一匹が子孫を残す。そんな壮大な仕組みには驚嘆します。

カマキリの孵化が(一般的な)春ではなく、少し遅れて夏近い時期であるのは、餌になる昆虫が豊富になる時期を待っているから。なるほど陸上昆虫の王者は、満を持して登場するわけですね。

上の写真の赤ちゃん達を産んだ去年のカマキリ母さんも、ここでワァーッと生まれた中の一匹だったのでしょうか。そして、ひと夏をこの辺りの草むらで過ごして、最期に生まれ故郷に戻ってきたのかな。カマキリに帰巣本能があると聞いたことはないけれど、逆にずっとこの(狭い)場所に居たとも思えないし‥。

カマキリ母さんは故郷に戻ってきた(のかもしれない)と書いていたら、小中学生の頃に聴いた歌詞とメロディが、想像の情景と共に鼻歌となって浮かんできました。

朝もやを抜けて / 汽車は走る 遥かな道を / 僕をのせて 疲れた心を / いやすように 汽笛は響く / 野山越えて やがて青い / 空がのぞき もうすぐ帰る / 僕のふるさと‥

わずかな荷物が / 僕のすべて まぶしい日射しが / 時を笑う 朝もやを抜けて / 汽車は走る 見慣れた景色が / 窓を飛びかう 忘れかけた / 僕の笑顔 もうすぐ帰る / 僕のふるさと‥

そう、松山千春さんの「帰郷」。映る情景は彼の故郷である北海道でしょうか。であれば、そこは幼い頃の僕も一時期だけ暮らした場所。

そして、会いたい人が暮らす土地でもあります。北海道を故郷に持つ後輩(仕事上の同志でもあった)は東京での暮らしに見切りを付け、「帰郷」の歌詞の通り、まさに帰郷しました。今もその地に暮らしています。

そんな彼と十数年ぶりの邂逅の機会が巡ってくるようだったのですが、ここ一年の混乱でそれはなくなりました。いつか会えるのでしょうか。いや、会えなくてもいいのかもしれない、とも思うのです。頑張っていますか、と心の中で問いかける。そんな友とのカタチもあるのではないか、と。(Facebookでいいじゃんか‥ねぇ)

妄想の熱い食卓

夏に向かうこの季節。と書くと、坂の上に夏の雲が待ち受けるかのようですが、さにあらず。長ーい梅雨模様が続く気配‥。

そういえば、すっかり春も過ぎ去りました。江戸っ子が女房を質に入れてでも喰いたがった初鰹も北に向かい、また秋に元気で戻ってくれるのを願うばかり。

そんな今、庶民の味方の三番バッター(四番は?)、鯵が時期を迎えています。もちろん年中あちこちで獲れるけれど、この時期の鯵がふっくら旨いと思うのは、梅雨空に思うボクの錯覚でしょうか。ちなみに鯵は白身と赤身それぞれの魚の旨さを備えているそうで、焼く、揚げる、〆る(さっと煮るなんてのも粋だねぇ)と変幻自在にわかりやすく深い味は、なるほど紅白歌合戦の両組を行き来する存在だと納得です。

さて、目が澄んでいて、見るからに良さそうな鯵が目の前に‥。

そうだ、今日はスペインの海辺に行こう!

海沿いの道路から一本引っ込んだ路地の昼下がり。開け放たれた店の前では、焼き網の下の炭が熱を放つ。外の強い陽射しとは反対に、店内の暗がりがひんやり気持ちよさそうなこのお店。今日はこちらにお邪魔しよう。「コンニチハ‥、サカナヲ、ヤイテクダサイナ」「ハイ、イイデスヨ、ドウゾ!」

鯵を丸のまま皿に載せ、ガスオーブンに投入。しっかり焼き上げて取り出したる皿の上でサクッと身を開き、即座に、沸騰スタンバイ中のニンニク、オイル、唐辛子、たっぷりレモン沸々ソースを一気にジャーッと掛け回す。(オイル飛び散る‥)

暗がりの店内、外には眩しい陽射し。さあワインをコップに注いで‥

(我に帰った、ここは二ホンだ、それも自宅ぢゃないか‥)。

ボクが20年前から作り続けるこの料理は、おおつきちひろさんの本から習ったもの。料理人の料理でなく、アチラの家庭や食堂にありそうな素朴な料理がたくさん載っている本です。

日本にスペインバルが勃興して以来、洗練された店が増えました。でもそれ以前は店も少なく、ぽつぽつ点在する老舗料理店を訪ね歩いたものです。

一方、スペイン本国でも料理の洗練は目覚ましく、その反対にボクの好きな料理は古臭く、よく言えばトラディショナルなカテゴリーとなってくるのでしょう。でも考えてみたらボクは下町の酒場が好きで(今はもう行かないが‥)、タコぶつやお浸しで良い人間だから、他国料理についてもそれでよいのです‥。

ボクがスペインを歩いたのは’90年台の間で、今世紀になってはその土を踏んでいません。街並みは変わらずとも人や文化は移ろうわけで、Up-dateされないボクのスペイン観が古色蒼然なものでも不思議はありません。

そういえばバルミューダの寺尾玄さん、高校を中退した’90年にスペインをひとり歩いたと読んだことがあります(同年に同じ街を歩いたので覚えていた)。疲れてたどり着いたアンダルシアの古い街での記憶が、今に続くバルミューダの原点だとも。

それにしても、同じものを見ても聞いても、アウトプットは全く違うんだと改めて思います。かたや人の感性に訴える電化製品、かたや20年来変わらぬオーブン焼きですから‥。ハハハ‥

価値紊乱(カチ・ビンラン)

こどもの頃に、皆とこんな話題で盛り上がったことはありませんか。

究極の選択「カレー味のう〇こ」と「う〇こ味のカレー」、どちらを取るか!

ないですか‥。そうですよね、ボクのまわりだけですかね‥。でも、いまだに周辺の子供たちの間で議論されている永遠の迷題‥。

さて上の写真は、ときどき通り掛かる道沿いの食堂。バックヤード側の屋根に品書きが掲げられています。都市計画道路が開通して、裏側も道路に面することになったようです。一見、普通の品書きですが、ひとつづつ読んでいくと…、どれでも700円ではないですか。

「え、トンカツとコロッケ、それにサシミ(刺身でない?)が同じ値段‥。」

この品書きは手ごわいなぁ。「お前の価値基準は何だ?どうだ選んでみろ、どれでも均一700円だ。」

その悩ましさは、まるで冒頭の「究極の選択」のよう! まるで品のないハナシですが、この品書きを見て「・・・カレー」を思い出してしまったというわけです。

例えば「コロッケの方が好き」と公言し、普段は(価格幅のある)メニューから安いコロッケを選ぶ者が、トンカツとコロッケとサシミが同値段である場合、その中から迷わずコロッケを選ぶ自信があるか。お前が本当に好きなものは何なのだ! と問われているのだ。

‥‥。もちろん普通は、値段と品物を天秤にかけて考えるのだから、「本当にコロッケが好きなのか」などと、コロッケ原理主義者の踏み絵を踏まされる覚えも、必要もないだろうが‥。

それにしても迷うなぁ―。実際、信号待ちの合間に考えてしまった。やっぱりトンカツかなー。

ところがこの店、そんなに甘くない。上から見れば大きさはトンカツ、横から見るとミラノ風カツレツ(叩いて薄いヤツね)という代物を出してくるのです。要するに、「なんでも700円」ではなく「なんでも700円分」に揃えた店だったのですよ‥。(妄想です)

そんな話ありますよね。フローリングの杉とウォールナットが同じ単価であると‥?。その理由は「杉は無垢材15mm厚」、一方「ウォールナットは表層突板0.2mm+合板」だという訳です。

この杉無垢15mmとウォールナット突板0.2mm、これはお好みですね。ボクは杉無垢だけど。でも挽板3mm(これなら傷でも下地見えない)と言われたら、それはもう‥。

ところで先の食堂、実際はどうなんでしょうか。一度立ち寄って確かめてみたいところです。トンカツ‥いや、コロッケ定食ひとつ! ですかね。


梁を越えて

Q.「何故、貴社の新型車は年々大型化しているのか」

A.「人は年々大きくなっている。だからクルマも大きくなるのだ‥。」

ん?‥人は依然として日々デカくなっている。 そうだったのか‥。

随分前のこと、バイエルンにある自動車会社と記憶しています。経営幹部が新車発表に際して発したコメント(ほぼ意訳)です。このメーカーの Evergreenである、六●●のカローラとも呼ばれた3シリーズを筆頭に、少し前のモデル達の小さくてシュっとしたスタイルが個人的には好みだったのだけれど‥。どうやら同社は人類の肥大化と歩みを共にすることにした、ということのようです。(衝突等の安全基準が厳しくなる中、本当は止むを得ないコトだったのでしょう。最近は、ダウンサイズに舵を切るメーカーも出てきているようですね‥さすがに人類の巨大化をクルマが追い越したのか‥)

さて、人類のこれから‥、この迷題は置いておこう。

確かに戦後の日本人は大きくなりました。それを身の周りで感じるものの一つが往年の団地の室内。

近頃、昭和40年代の団地を連続して幾つも手掛けています(実はウチでリフォーム販売した最初の住戸も団地でした。何度か触れていますが、あの稀有なゆとりある敷地は素晴らしいと思うのです。)。色々と制約が有りながらも、ワイドスパンの南北開口という基本プランの良さと相まって、気持ちの良い住戸に変身します。が、それにしても住戸内を貫く「梁(はり)」は確かに低ーい。平均身長の男性でも、ちょっと腰を屈めるか、もしくは頭を下げたい程‥。その様子を見ていると、戦後日本の長足の歩みを思い起こします。

梁というのは鉄筋コンクリートの構造躯体であり共用部分ですから、当然撤去することはできません。そしてその梁に沿って居室が分かれる(箇所が多いので)ので、梁の下を引き戸や間仕切りが通る場合が多い。するとリフォームの際には(梁の高さに合わせた特注寸法の)洋風ドアを設置するのが普通に行われます。ですがそのドア寸法は、現代の室内ドアにしてはちょっと低い感じが‥。

そこで上の写真。

大きな室内窓の上部には梁が(左側ドアの奥まで)通っているのが見えますね。この室内窓の部分には、元々は大きな引き違い戸があり、廊下から台所への出入りをしていた場所です。その約2m幅の出入口を完全に閉じて壁をつくり、ガラスを嵌めました。背の高い新設ドアは、梁と重ならない場所としています。

こうして、リビングドアは梁下高の制約から自由になり、梁も「ただの白い梁」に徹することができる。室内が少しだけ縦方向に伸びやかになった感じ‥。たったそれだけ、ではあるのですが、そんなことが嬉しいなぁと思うのでした。

ジードルンク

※表題と写真は無関係です。

「何なに‥、今回は海外の集合住宅かい。ジードルンクってぇのはドイツだな。郊外に団地を造るってことで、100年も昔に、今でも有名な建築家たちが大勢関わったというやつだ。たとえばル・コルビュジエまで参加したんだそうな‥。」

「まるでどこかのサイトから引用したような答えだな。まあ、そういうことだ。」

「しかし、やけに電線が多いな。この写真、本当にドイツなのか?」

「誰かドイツなんて言ったか。集合住宅(ジードルンク) @カワサキ、ジャパンだ。」

「‥‥。」

これはドイツの集合住宅だ、と言えば、(もしかしたら)頷くひとがいる(かもしれない)写真の建物。川崎市内にある大規模団地の一棟です。レンガ色の外壁に、白い階段が「らしい」感じ。

ところでこの建物、北側なのに見慣れた開放廊下が見当たりません。どこにあるのか、わかります?正解は‥

「ありません」

正解がない、のではなく「開放廊下がない」が正解です。

北側外壁にも各住戸の窓が並んでいる。北側を主採光面にすること(および主採光面にバルコニーが全くないこと)は、日本の郊外物件では稀です(最近のタワーは別ですが)。であればこの建物は南北に開放・開口する住戸が並び、開放廊下が存在する余地がありません。すなわち、隣り合う2住戸でひとつづつEV&階段を抱えているのです。EVを降りると目の前に自邸の玄関扉があるわけですねー。

この配置はとても贅沢なつくりです。開放廊下がないので視線や足音とは無縁。住戸の南北にある窓を開放(解放?)できます。このような「2戸1EV」の中高層マンションは(特に郊外では)数が限られているはずです。

要するに、いわゆる5階建団地を高層化して(6階以上はキツイから)各階段室にEVも設置した。つまり団地の正当なる進化系です。しかしその後、経済的効率的理由によってこのスタイルは主流にはならず傍流へと押しやられていきましたが。

その後民間マンションにおいて主流となったのが、ご存知「開放廊下型」。この開放廊下型の原型はドイツで生まれたようです。経済合理性を求めたカタチですから、ドイツ発祥だったことに不思議はありませんね。ただ、以前見たその原型は、日本の開放廊下とは違った軽やかな印象。外に面する開放廊下の腰壁は透明ガラスでした。

そういえば、ほとんどこれは日本の風景では、と見紛うような南側ファサード(バルコニーの雰囲気)を持つ団地をポーランドで見かけました(旧東側諸国には多かったのでしょうね、きっと)。

廻りまわって、日本における団地リフォームの事例。「旧東ドイツのアパートメントの雰囲気」が好き、という方のリノベーション(どんなん‥?)もありました。(一見)豊かで、モノが溢れ返る現在の日本だからこそ、却ってそれは映えるでしょうし、集合住宅の原点回帰でもあるでしょう。

集合住宅の歴史、みたいなハナシ‥(別に得意ではありません)。とりとめもなくあちこち行き来するばかりで、収拾がつきません。それでは、この辺りでお仕舞いといたします。

ファースト、セカンド‥‥

ファーストと言えば、「四番、ファースト、王(場内アナウンスのイメージで)」

セカンドは、「二番、セカンド、篠塚(同上)」

ではサードと言えば‥‥(しつこいぞ!でも、あの人ですね)

ファースト、セカンド‥と聞くと、子供の頃は好きだった野球場のざわめきと臨場感、ウグイス嬢(今もこう呼ぶのか?)の声を思い出します。上のアナウンスはモチロン、往年の巨人軍(王選手と篠塚選手は重なっていた?よね‥)。

そんな小学校時代の僥倖のひとつは、王選手のホームラン世界新756号達成の瞬間に後楽園球場のスタンドに居合わせたこと。小4の9月3日、照明が消えた球場で一筋のスポットライトが照らす王選手とご両親の姿が思い浮かびます(多分そうだった記憶‥)。

世の理として、ファーストがあって初めてセカンド‥と続くわけです。が、野球に限ったことではなく、セカンドというのは味わいのある小技の利いた立ち位置ですね。例えば水島新司さんのドカベンなら、殿馬一人という二塁手(これ野球だろ‥、というか古すぎるか‥)。ちなみに声の主(アニメ)はスネ夫くんと同じ方(肝付さん)ですよね。声からして味あるわ。

そもそも僕が扱うものは中古、すなわちセカンドハンドだから、セカンド贔屓になるのは当然のハナシ。新しい建物が時間の経過とともに味わいを増し、苔むし(?)、カビが生え(‥)、良くも悪くも素性が露呈する(きびしー)のです。セカンドの味わいは唯一無二のモノというわけです。

閑話休題

さて、上の写真の話。

道路向こうの緑地まで見通す奥行10m超の空間は、南東・南西角の三面採光。真ん中に鎮座するキッチンを挟んで、二つの空間が緩く繋がっています。朝から午後まで、室内を移ろう陽射しが部屋の表情を刻一刻と変えていくのです。

勝手に言ってしまいましょう、手前はセカンドリビングである、と。

まだ従前の間取りだったこの住戸を取得したボクは、日の出前にここへきて朝日が昇るのを待ちました。「おーっ!やっぱり‥」と、当時単なる個室だったこの部屋の窓二カ所に、低く眩しい朝日が差すのを確認したのです。そしてそのまま10mの長辺に沿って移っていくことも。

そして、バカボンに登場するお巡りさんのお目目のような「ひとつながりの空間」が、僕の落書きそのままに実現したのでした。そして同時に、朝日の中で珈琲を飲むため(だけの)セカンドリビングも‥。

なんて‥。実際は二つの空間をどのようにでも使っていただけるように、と思いながら計画したのですが、なかでも朝日のコーヒーは魅力的だな、と。

そして今、とても素敵なご夫婦にお住まいいただいています。前述したボクの行動と想いをまるで見ていたかのように、朝日の注ぐ(セカンド)リビングで、鳥の声と共にコーヒーを楽しんでいらっしゃるとお聞きしました。

そんな話を聞くだけで、こちらまで幸せな気分。10年以上に亘って、樹々に近く、光と風が抜ける(であろう)住まいを(細々と)つくり続けています。こんな出会いと小さな喜びが、歩き続けるチカラになっているのだと思います。

長い休暇

ふと気づいて顔を上げ、あたりを見渡すと、もう4月。自身の入学・卒業式もなければ、人事異動とも無縁になって久しいけれど、春だけは長い間に馴染んだ条件反射的な感傷があるような。

細目をして、随分と昔の春を思い出してみると‥。中学1年は初めて担任を持つ男性教諭。先生手づくりの学級通信の題名は「時代」。そう、あの歌姫の‥。中2の担任も若い英語の先生だったのだけど、初ホームルームはいきなり黒板に「クラスの標語は All for one , one for all です」。そして授業始まって早々の廊下で「いけだ!」と振りむきざまに「Heaven helps those who help themselves!‥意味わかるか?」。「‥おれ、頼ってないスけど、何か?」とまぁ、先生も生徒も熱量高く、暑苦しい80年代初頭。都心のある中学校での記憶です。

ボクがそんな感じだった頃に出たアルバムが売れ続けているという話。それは大瀧詠一さん。印象的なジャケットと相まって、あの時代の風が抜けていく。ちょうど芽吹きの緑と空の青、そして風が光る(「寒風と共に去りぬ」)この季節だからこそ、余計に眩しく感じるのかも知れません。

でもそんな作風が大瀧サウンドの芯ではない、と佐野元春さんは言います。歳の差はあるも当時のアルバムに参加していた佐野さんは、大瀧詠一とはロックンロールであると。R&B、R&R、SOUL‥深く掘り溜めた井戸の中から、(僕のような素人が知る)爽やかな日本ポップスサウンドが生まれた訳なんですね。これがプロなのだ、きっと。

大瀧さんといえば、松本さん、細野さん。松本さんがアルバム「ロング・バケイション」と今の時代について、こんなことを語っていました。

文化とか経済とかがピークを、峠を越したんだと思う。みんなもうそれほど新しいものを欲しがっていないんじゃないか。実際、新しい技術も出てこないし。科学とか技術の限界があって、そういうものを通り越して、こういうロンバケへの憧れが残っているんじゃないかな。長い休暇。必死に働いてもしょうがないという‥

長い休暇‥。たしかにそんな言葉に改めて心惹かれるのはボクだけではないはず。どこもかしこもピリピリしていて、なんだか疲れるしなー。(現実の長い休暇は取れる気がしないケド‥)

そんな大瀧詠一さんはもう数年前に亡くなり、そしてその「分厚い音づくり」の手本だったあの(プロデューサー)フィルスペクターさんも亡くなったという記事を最近目にしました。もうこの世にはいないけれど、それらの音楽は残り、次の世代が引き継いでいく‥。

いつもより少し早い桜の花が、舞っています。創業から10年間、代々木公園近くに事務所を置いていました。新宿への道すがら、お寺に掲げられた「今月の言葉」を横目に歩いたものです。なかでも、たびたび口をついて出てくるのがこの句‥

散る桜、残る桜も、散る桜 (良寛和尚)

ある種の諦観と、その先に想う希望。なんだろうな―この感じ、と思ったら、そうか「ライフイズビューティフル」!、となぜか映画を思い出したのでした(なんだかよう解らん私見ですが‥)。

これでもいいのだ

奥に見ゆるは、ERCOL社のアンティークチェア

上写真はリフォーム後に販売した住戸、ウチでは数少ない平成以降の建物です。これも例に漏れず、ボクの好みである両面バルコニーと玄関ポーチタイプ(ご参考:「2戸1階段(ニコイチ・カイダン)」)ですので、寝室の前が開放廊下になっていて窓を開放できない!という悩みもありません。北側の窓外にも緑を眺める、落ち着いた暮らしができる住戸です。

最上階だったのでリビングには勾配天井が。この(元)リビングを新ダイニングと定めて大きなテーブルを置きました(新リビング=写真左側に写る(元)和室+窓のある(元)廊下、へと間取り変更しています)。

ちなみに、食事の際に一人当たり必要なテーブルは幅60cm×奥行40cmと言われます。つまり4人掛けはミニマムだと120×80cmですが、上のテーブル幅は220cm。大家族用ではない専有面積73㎡の住戸ですから、ちょっとテーブルが大きいですね。たまには大人数で食卓を囲むことも有るでしょうが、そのために大空間を用意した訳ではありません。

食事のためだけに存在するテーブルではなく、誰かが何かをできる場所に。自由な空間が住まいの真ん中にある暮らし方はどうだろう、と大きめのテーブルを設置したのでした。(実はこれ、二段階伸張式テーブルで140、180,220cmと伸縮自在です。こんな大きいテーブル要らない!と言われた場合に備えてのこと‥)

微妙な広さのリビングダイニングに、無理してテーブルセットとソファを置くよりも、却って大テーブルのみの方が、カッコ良く実用性にも富む場合もあるのではないでしょうか。つまり「ソファを置かないと‥」を一旦外してみるのもアリなのでは‥。(なお、この住戸は先述の通り、解体した廊下と和室を合体するという荒業によりリビングもつくりましたが‥)

例えば北欧サイズのモノがいっぱいのIKEAには、こんなテーブル(下写真)があります。235×100cmと日本ではあまり見掛けない堂々としたもので、奥行100cmもテーブル向かいのヒトが小さく見えるほど‥(‥なワケないか)。WEBサイトの説明に「ファームハウス(農家)のような」とあるように、武骨でどっしりした雰囲気がラフな暮らし方に似合いそうです。小割りで間数の多い住戸では何だかパンパンな感じですが、リフォームで部屋を拡げたならば、こんな大テーブルの方が却って部屋を広く感じさせるかも知れません。その上で、部屋の隅に一人掛けソファ(アームチェア+オットマン)なんぞを置けたら良いではないですか。

ちなみにこのテーブルは、天板の表面に厚さ3mmのオーク挽板を使用しています。0.2~3mmの一般的な突板と比べると充分に厚く(この世界ではこれを厚い、という)、無垢材と見紛う存在感です。この大きさの割には比較的買いやすい価格も相まって、以前書いた「家はこれでいいじゃないか」ならぬ、「テーブルは、これでいいのだ」という感じですね。

IKEA公式サイトより