喰う寝るところで住む処

光と風の抜ける暮らし、はモチロンいいけれど‥。

木枯らしが吹く季節の、もう宵の口とは呼べない時間帯。そんな時には暫し、光と風の出番はお休み。暖かく閉じられた空間で、キッチンカウンター越しに杯を傾けたい。そんな感じの小さなダイニングスペースです。

このダイニングは、直接窓に面さない落ち着いた住戸中央部に位置します。緩やかにつながるリビング越しに、空と緑を望みます。この住戸の開口部は南北に合計4カ所。2戸1階段の両面バルコニー、ワイドスパンですので、すべての居室がゆったり開口しています。

ここは元々、壁付けキッチンがあるだけの空間。ダイニングとするには悩ましいスペースでした。ダイニングはリビングと一緒にバルコニー側居室に持っていくのが良いのか?それとも何にも作為はせず、キッチンだけ付けて後は使い手に委ねるのが良いのか?と、余計なお世話で考えた末に、決めたのがこのカタチ。

壁や棚と一緒に、ついでにシンプルなダイニングテーブルも造作。小さいながらもダイニングキッチン、狭いながらも楽しい飲み喰い処となったのでした。

もちろん、キッチン本体をこちら側に向けて、対面にダイニングカウンターなんてのもいいですね。ただし、この住戸もリフォーム済の既製品として販売するものでしたので、手を掛け過ぎずに収めました。

そういえば最近、大手キッチンメーカー(だったと思う)が、「テーブル」と一体化したキッチンを発表した、という記事を見掛けました。「キッチン」(にテーブル)というモノは見掛けますが、本件は逆で「ダイニングテーブル」(に小さなシンクとコンロ)という感じ。聞けば最近の要望として、もっとダイニング&キッチンを小さくして、居室に面積を割きたいという声があるのだとか(え、ウチのコレそのまんまだゾ‥少し前だけど)。なんとそのキッチン付テーブルのお値段は「100を遥かに超えて万円」でした‥。

えー、いいけど高いナ。それよりも、そういうオモロイモノは大工さんに相談しながら、作ってもらったらいいじゃないのかな、と思います。もっとすんごいの出来ると思うケド。

ちなみに、ご存知でしょうが、キッチン本体とダイニングテーブルは近くて遠きもの。「何が?」「高さが‥」。そうなんです、キッチン高さは(標準)85cm、テーブルは(だいたい)72cm。この約10cmが、ふたり一緒になることを許してくれないの‥。

このふたり(の高さ)を同一平面に収めるには、①調理側床を下げる(食卓側床を上げる)、②ダイニングチェアをスツールにする、など工夫や割り切りが必要になるわけですね。

で、どうする? 僕は、(高さが)一緒にならなくてもいいじゃないか、とふたりを諭したい。そして、笠木の付いた壁を間に立てて、対面の割烹風カウンターで一献といきましょう!

お若いんでしよ?

中学生の頃、通っていた床屋でのこと。髪を切ってくれている、パンチパーマに髭と色付眼鏡のお兄さんが、(意を決したように、とボクは感じた)唐突に僕に話し掛けてきた。

お兄さん:「お客さん!」

おいら:「はい?」

お兄さん:「お若いんでしよ?」

おいら:「はい、中学生ですから(このシト、ナニいっとるんだ…)」

お兄さん:「ですよね!」

マンションにも、築年数がそこそこ浅いのに随分と老けて見える建物がある一方で、年数が経過しているのに若々しい建物もある。また違う観点で見ると、若くても(星霜を経たように)風格を感じる建物もあるし、いつまで経っても厚みが出ないモノもある。

果して、パンチのお兄さんにとって、中学生のボクは一体ナニモノに見えたのだろうか。(思い当たる節がなくはないけれど‥、ハハハ)

ところで、建物の見た目の年齢や風格の違いは、どこからくるのでしょう。管理? 外観?、それとも立地、環境? 

当社では、自社で取得してリフォーム後に販売するほかに、顧客の住戸購入からリフォームまでをご一緒するケースがあります。どちらの場合も物件に(表面的な)若さを求めず、古くても(or今後古くなっても)味があるような物件を選びたいと考えています。単に築年数が浅くて(今は)キレイだからいいね、という選び方はあまりしないのです。

樹々があるのは七難隠す‥。きちんと管理された樹木が敷地内に茂っている集合住宅は、建物自体には特徴がないとしても素敵です(※効能には個人差があります)。逆に樹木がなく、若さが売りのマンションは、中年期(!)以降は建物だけ(デザイン、質感、管理状態?)で勝負しなければなりませんから、一層シビアです。

樹々があれば、重厚なタイル貼りや立派なエントランスがなくてもいい、と僕は思うクチ。ところがマンション建築の際、植栽は一番最後に計画されることが多いのですね。つまり建物(や共用施設)が配置されて、残った場所に緑をちょんちょんと置いていく感じでしょうか(特に既存宅地の中小規模のマンションは‥)。ですので、樹木一本や生け垣をレイアウトすることさえ難しい、というケースが散見されるのです。ちょっと残念なことです(止むを得ないことはよーく判っています、仕事にしていましたから‥)。

樹木推進を阻害する要因として加えるならば、樹木の管理には費用と労力が掛かるということ。年に何度かの剪定や消毒があります。隣地に越境したり、落ち葉を掃いたり。育ちすぎて日照を阻害して、組合員から苦情が来たり‥。成長した樹木を、組合の決定によって伐採してしまう、そんなことも起こっています。

若いってことは、単純に素晴らしい。古い建物も、シミを除去し(外壁塗装)、血管年齢を若く保ち(配管交換)、若々しく健康であって欲しいもの。でも若いだけじゃなくて、築年数相応の落ち着きや風格を備えたマンションであるならば、尚のこと良いですね。そんな建物ならばこれから先も変わらず、(比較的)緩やかな経年変化をしてくれそうですから。

数字に表れないそんなところに、たくさんのマンションの中から気持ちよく暮らすための1戸を選ぶヒントが隠れているかもしれません。

秋は夕暮れ

次の一節、おぼえていますか。若い頃にそらんじたことがあるかもしれませんね。

秋は夕暮れ。夕日の差して 山の端いと近うなりたるに 烏の寝所へ行くとて 三つ四つ 二つ三つなど飛び急ぐさへ あはれなり。まいて雁などの連ねたるが いと小さく見ゆるは いとをかし。日入り果てて 風の音 虫の音など はた言ふべきにあらず。

ご存知、清少納言の枕草子です。中学生の頃、教科書に載った”春はあけぼの‥”を気に入って、(平易な)枕草子を一冊小遣いで買いました。きっと、秋は夕暮れ、みたいな詩情あふれる文章が満載なのだろうと思って‥(普通、買わないよなぁ)。

ところがというか、やっぱりというか。残念ながら僕にとってその殆どは面白いものでなく、そのまま背表紙を見せて本棚の風景となったわけで。その頃はそんなのばっかりだったなぁ。勇んで買ったLPレコード、繰り返し聞いたのはシングルカットの一曲だけ、みたいな。要は、まだ著者やアーティストを味わうチカラが備わっていなかったのだ(今も変わらない)。とほほ。

上の写真は、秋の夕暮れ。既に夕日が、山の端(”春”にでてくる”山ぎわ”は空の端なんですよね)の向こう側に消えた蒼い時。

都心にも近い割りに、秋は夕暮れ‥が似合う多摩丘陵。里山の雰囲気がそこここに見られ、起伏の多い地形が夕闇に小山を浮かび上がらせます。(ある住宅地には夕景にシルエットとなるお寺の五重塔があります、まるでいにしえの都‥)

この季節、家路を急ぐほんの一瞬、そんな空を仰いで立ち止まってみてはどうでしょう。

なお、空が赤く染まった夕暮れの一瞬をマジックアワーと呼ぶそうです。素敵な呼称です。それもいいですが、空の赤みが取れて、吸い込まれそうに蒼く透き通るその後の瞬間が僕は好きです。写真はそのイメージ、これはブルーアワー。

マジックアワーと言えば、三谷幸喜さんの映画がありました。夕暮れ時のその一瞬は、映画撮影者にとっても大切なのだとか。たしかに一日に一回、一瞬だけのチャンス。それも毎日あるわけでない‥。何度か、監督ご本人をウチの事務所がある祖師谷から成城のあたりでお見掛けしました。近所に撮影所がありますしね、それともウルトラマン商店街がお好きなのでしょうか。

探しても探しても

ぐるりと180度、見渡す限り続く空と緑。その所々に建物が在る、という按配。以前にも、川崎市最大の生田緑地が眼前に広がる(リフォーム中の)住戸を載せました。上の写真も緑と空のバランスこそ違え、ある意味似たものどうし。僕がこういうの好きなもので‥。

この住戸も、東京から多摩川を渡って程なくの多摩丘陵に位置し、生活利便性が比較的高い駅が最寄りです。こんな場所があるのですよ、この辺りには。

とは言っても、エリア全体がこんな空と緑ばかり、という訳では勿論なく、探して選んで見つけるという具合です。そうですよね、山の中ではないのだから。

そういえば、この物件を(当社が譲り受ける時点まで)新築時からずっと所有されていた前オーナーは、(仕事で)世界の主要都市数カ所で暮らした経験をお持ちの方でした。にもかかわらず、結局ここが一番良い、と日本での非居住期間が長くなっても手放すことをしなかった、と仰っていました。

当然、ロンドンにもニューヨークにも素晴らしい場所はあったのでしょうけれど、帰るべき場所は日本です。そして、日本に戻っている期間にはここに暮らしながら、(更なる)空と緑の物件を求めて遠方に足を伸ばしたこともあったそうです。しかし、森の中に居ると森と空が見えないのだ、と合点してここに戻ってきたのだとか‥。

そんなこんなで、訳あって手放すことになるまで、とっても愛されたこの住戸。受け取った僕なりの解釈で、その素晴らしい眺望と三面採光プランを磨いて送りだしたわけですが、例のごとく誰でもOK!とはいかない、住まい手を選ぶモノになりました。

でもそれでいいのでした。今度の新しいオーナーは、光と風が抜ける住戸で、空と緑を独り占めにする暮らしをされていることでしょう。

話は変わって、先日。当社サイトをご覧になり、都心からある方が来所されました。現在のお住まいは、四季が移ろう素敵な公園を眼前にする分譲マンション。そこを処分して、環境の良い場所に物件を探し、無理せず身の丈に合ったリフォームをして暮らしたい、というご相談です。僕が是非ご協力したいと思うような方なのですが、何せ今の住まいも充分にいいのですよ。まして、僕が(主に)扱うエリアで探す理由は特にないわけで‥。

とまぁ、取り付く島もない話のように一見思えますが、そうでもないのかなぁ。

試しに、都心から同距離エリアなどを見てみるのですが(ひいき目もあるのか)、価格や(僕が良いと思う)環境などの条件を天秤に掛けると、なかなか目ぼしい他エリアを見付けられない。予算が無尽蔵の方ならともかく、それぞれ限りある予算の中でということになるならば(その予算によっては)、やっぱりこのエリアは結構いいんじゃないかなと思うのです。

それに加えて何よりも、僕の関連サイトを読み込んで、何かを想い、実際に行動を起こされた方であるわけですから。どこかに糸口があるだろう‥と。

物件探し(+リフォーム)は、ご縁ものです。それに僕も、あれこれ何でもお世話します、とも言い(言え)ませんし。でもこの細い糸に繋がる何かが何処かに落ちているかも‥。そんな風に、見えない何かに想いを巡らせたりしています。

風景をつくるもの

私鉄沿線、都心近郊の駅近く。中心部の賑わいの一本外側を南北に走る直線道路です。が、よく見慣れた街の風景とは何かが違います。

ある意味無機的ともいえるコンクリート打ち放しの建物が道路両側に並ぶストリート。ただし、(素人の僕が見ても、どの建物も似た意匠であり)質感と緊張感を持ったコンクリート建物には、何らかの連続性を感じます。

ずいぶん前は、この真っ直ぐな道路が抜けておらず、別の道を迂回していた頃の記憶があります。このエリアを久しぶりにクルマで通り抜けて、すっかり変わった街並みに今さらですが足を止めてみました。

ストリートの一角には、街に開いたパティオを店舗が抱き込むように囲む棟が2棟、向かい合っています。上の写真でいうと右手前のエリア。同じコンクリートでもちょっと趣きが違い、通りの緊張感を柔らかく緩和しているように見えます。

少しだけ調べてみました。やはり、土地所有者の強い意思が実現させた空間だったのですね。

元々は農地の区画と思われる、細長く広大な敷地。この敷地を対角線上に貫通していた都市計画道路が、ちょうどバブル時代に事業決定されたのです。道路両側に細切れの三角地ばかりが残ってしまう上に、重い相続税負担も重なる状況。土地の切り売りで決着したい衝動に何度も駆られたそうです。

たしかに今見ても、難しそうな敷地形状が続いています(鉛筆のような敷地もあるゾ!)。それでも、粘り強く行動し実現した、沿道型の街並み。その意思を支えたのは、代々の土地と、そこに新たに現れる街並みへの想いだったのでしょう。

そしてその実現のために、オーナーが年月をかけて協力を取り付けた先が、安藤忠雄建築研究所だったことが肝です。オーナーは以前から安藤建築のファンでもあったとのことです。

幾つかのウェブサイトを覗いてみました。この手のモノは当然ではありますが、建物と街並みに対して(専門家から素人まで、勝手に‥)賛否両論がたくさん上がっています。僕はこの街並みにコメントする立場ではありませんが、それよりもこの街並みを創りだしたオーナーの熱量を想像します。

この沿道には、意匠こそ統一感あれど、資金確保のための民間分譲マンションから、行政を巻き込んだ劇場・保育園、スモールオフィス、店舗までいろいろな要素で構成されています。オーナーの粘り強い働きかけによって、当初想定を超える複合的な街区になったと安藤さんがコメントを寄せていました。

そういえば、この街区を評して、”安藤建築が嫌いだ、こんな無機質なところに住んだら人間まで無機質になると思う.団地を思い起こさせる”と酷評するコメントを見掛けました。もちろん、好き嫌いはご自由です。でも、時間を掛けて樹々が茂った団地は、決して無機質とは思いません、僕は。表層的にはそう見えるのでしょうか。

いずれにしても、この街区の賛否はともかく、(特に個人の場合には)これだけ頑張らないと何らかの風景は出来ないのですね。ところで、風景や街並みってなんでしょうか。綺麗に計画されて整ったもの?一人ひとりの暮らしの積み重ねがつくるのもの?

あ、そうそう書き忘れました、ここは京王線の仙川エリア。街区のなかに民間マンションは2棟、同じ大手不動産会社による分譲です。2棟とも南北に長い敷地に沿って、東向き住戸と西向き住戸が廊下を挟んで向かい合っています。好立地で意匠性の高いマンション。価格もそれなりですが、この建物でどう暮らそうかと妄想を掻き立てる、リフォームし甲斐のある物件ではありますね。

目を凝らせば

photo by STUDIO GHIBLI「耳をすませば」

耳をすませば。スタジオジブリによるこの映画の舞台は、多摩川に程近い多摩丘陵の高台。聖蹟桜ヶ丘から多摩センターあたりのようです。主人公の雫と、欧州留学時代の悲恋の幻影を雫の中に見たお爺さん(と、その孫で中学卒業後イタリア修行に出る聖司)の、実は切ない物語。上の写真は、雫が家族と暮らす団地のダイニング。壁に掛かる瞬間湯沸し器と、据え置き型のガスコンロが団地の雰囲気を醸しています。

これらの機器は、リフォーム前の団地を見る機会が多い僕にとって、懐かしいというよりも結構見慣れたもの。

以前、何かの雑誌で、建築士の自邸リフォームを眺めていた際に、敢えてこの瞬間湯沸かし器を組み込んだ、素敵なデザインのキッチンを見掛けました。使い勝手が良いのだ、とのこと。確かに、屋外の給湯器から長ーい配管を経由して、お湯が出るまでの時間と水の浪費を考えると、瞬間湯沸し器はいいんじゃないか、と改めて思ったりします。”作業場”感も醸していて単にオシャレというキッチンとは一線を画すというか‥。もちろん、最近の密閉性が高い住宅の場合には換気に注意する必要がありますが。

また、据え置き型ガスコンロも、ビルトインじゃないのぉ?という風に捉えられることが多いのでしょう。が、随分と精悍なデザインと性能を備えた製品が出ています。見た感じはそのまんま業務用。全面ステンレス、鋳物製の五徳、大火力バーナー、黒いシンプルなツマミ。デザイン的には、以前ここでご紹介した男前ビルトインガスコンロに勝るとも劣らないものです。もちろん家庭用です。なお、ホンモノの業務用を流用する場合はご注意ください。機能美に惹かれますが、安全機能や必要な換気量などの基準が一般家庭用とは異なっているようですから。

これらの機器を活かしてリフォームを出来ないかな、と思ったりします…。そういえば先日、ビルトインよりも据置型が好きだ、それ(据置)にしたいという方が居られました。うん、そうそう、と思わず呟いて‥。

楽しいですね、皆さんそれぞれのテイストがあって。でも、これをリフォーム済販売住戸で実践するには、僕はまだまだ修行が足りなそうです。

そういえば、映画の舞台となった周辺はかなりの高台です。南西方向に目をやると、丹沢の山々がシルエットとなり連なっていることでしょう。首都圏郊外もこの辺りに来ると、山に囲まれた場所であること、山々に守られた場所であることを実感します。そして、さらにその先に目を凝らせば、名峰富士の姿がくっきりと見えるかもしれません。

単純か空虚か

無印良品の広告を以前から手掛けているデザイナーの原研哉さんが、こんなことを語っていました。

無印良品の特徴はシンプルさにあるが、これはemptiness(空虚)と言うべきものであって、西洋で言うところのsimplicity(単純さ)とは違う。そして、それは空虚(即ち、空っぽ)であるから、作り手の意と違う受け止められ方をすることは当然であり、その相手の想像力を引き込む受容力、すなわち間をつくることが大事なのだ。無から+(プラス)を感じる感受性が大事である、と。

記事も手元になく、うろ覚えの上に記憶のつまみ食いなので、内容を正しく掬えていないかもしれないのですが、その言葉から僕が受け取ったことはそういうこと。色即是空、仏(ほとけ)の国の人だもの。

僕も好きな無印良品、身の回りを見渡せば、スッとそこに在る。確かにそれらの製品は、”シンプルにデザインされたモノ”、と形容するよりも、”色(シキ)が(消えて)空(クウ)になったモノ”、と表現する方が相応しい気がします。

一つひとつ研ぎ澄まされて企画され、大量生産されるプロダクト達は、独特の色(空?)を帯びて世に出てきます。しかし無印良品には、それと多少違うプロセスを辿る商品ラインがあります。そうです、無印良品のリノベーション。

設備や内装には無印とわかる特徴があります。また理念として、ひとつながりの空間、光と風の通り道(どこかでも聞いたような‥)、高断熱なども前面に押し出しています。たとえ理念があれども住宅、特に(オーダーの)リフォームというのは、一人ひとりのコストの制約、それぞれの住戸の個別性などから、住まい手との対話の中で成立する世界。突き詰めたプロダクトのようにはいかないものです。それでも無印良品に魅かれる住まい手が集うからでしょうか、設備機器だけでなく、事例で見るそれぞれの空間にもMUJIを感じます。

無印良品という、形が有るようで無いものをベースにして、住まい手の想像力を(対話によって)引き込んでいくリフォーム。MUJIらしい(無形の)商品だなと思います。何者でもない空間が、住まう人によって色を帯びていく。まさに、原研哉さんの言うところの無印良品ではないですか。

己のリフォームをそれらと比べるのは不遜ではありますが、僕もリフォームに思いを巡らせます。(不特定多数を対象にする販売用住戸という)商品の性質上、シンプルについて考えるのですがその過程で、何かスーッと引いて(空虚に至る)引き算の感覚を持つことがあります。何とか風でない何か‥。白い余白のような‥。でも結局、引き算の軸が定まらず、モチーフを古今東西に求めてしまったりと、空虚になれない自分ではありました。それはそうですね。まずは、雑念の多い日々の暮らしを見直していかないと‥。

窓は語る

毎日毎日、開いたり閉じたり、忙しく働いている窓廻り‥。たくさんのコトが求められている箇所のひとつが窓廻りでしょう。

まず第一に光と風の出入口であり、バルコニー面ならば人と物も出入りする。眺望を楽しむ開口部であるとともに、外からの視線を遮ることも求められる。更に、太陽の暖かさを取り込む一方、冷たい外気を遮断する。内外装が施された壁や天井と違い、身ひとつで住戸の外側と内側の二役を演じているのです。まるでジキルとハイドではないですか!

そんな頑張るサッシ、日本で使われ続けているのはアルミサッシですが、これは世界的にはあまり評判の良いものではなくて‥。熱伝導率が高いおかげで、夏熱く冬冷たい、そして結露の温床にもなっている。デザイン的にもそれほどステキなわけでもありません(スイマセンこれは主観です、アルミサッシサイコーも有りですね.たしかに、古くて味のある窓枠も見掛けます.あれはスチールサッシなのかな)

そんなこんなで、いろいろとタイヘンなサッシ問題ですが、ここでは置いておいて。(なんだよ、置くのかヨ‥)

写真は、専用庭や玄関アプローチを持つ大型住戸のリビング。奥に続いている居室部分までをリビングの延長として、緩やかに繋げています。その”連続したリビング感”をつくる目的も兼ねて、ここ全ての窓廻りに採用したのが、木製建具のウッドシャッターです。

ブラインドではありません、建具形状の扉です。室内側に鎧(よろい)戸が付いている、というイメージでしょうか。

羽根は可動式のルーバーとなっていて、一枚の羽根を動かすと全ての羽根が一斉に同じ角度に動きます。光と風、景色や視線を、季節や時刻に合わせて羽根の角度で調整する。もちろん、ピタリと閉じることも可能で、それらの動きはとても柔らかくスムーズ。シンプルな木製品と見せかけて、精密なギアが内蔵された凝ったつくりなのです。

そしてすべての羽根は天然木の無垢材。無垢フローリングと同様、時間の経過とともに味わいが出てくることでしょう。海外で見掛ける二重ガラス木製サッシのように、高い断熱性を期待するためのものではありません。あくまで光や風などのコントロールが主目的ですが、先のアルミと比べても熱に対する挙動は穏やかです。

いいですね、ウッドシャッター。もちろん、これだけの質感と精密さを持つ建具をオーダーメイドで製作するわけですから、価格は相応ですが‥。でも、それに足るものを日々の暮らしに与えてくれる逸品だと思います。

小さくて大きな安心

photo by STUDIO GHIBLI

イタリア車を30年間乗り継いできました。その数6台(その外フランス、日本も初期に複数台)。最近まで乗っていたモノも全て80年代~90年代前半のクルマです(21世紀のクルマがない)。そして今年、イタ車を全て返上し、初めて軽自動車に乗りました。それも荷物が積める四角いバン、トール(高く)&ナロー(細い)な一台です。

小さくてタフなエンジンは粛々と回り、細くて小さなタイヤは路面をズズッと滑りながら(これは楽しいナ)、ターボで加給してグンと車体を押し出します。心配していたエアコンも、炎天下でさえ上等、上等。ああ、安心‥。こんなに安心してクルマに乗るのは、いつ以来だろうか、と。

これまで、クルマの異音や異常に感覚を研ぎ澄ませながら(会話ともいうが…)、いつどこで緊急停止してもいいように緊張感を持って運転をしていたものです。

実際に、立ち往生は数えきれないほど。首都高速上から海岸沿い、そのあたりの道端まで、キュゥと言って止まる可愛いもの(カワイクない‥)から、火を噴いて即時消火が必要なものまで、もう思い出せばうんざりするほど‥。何度ローダー(車輛ごと載せてもらうトラック)のお世話になったことか。そして、何度もう嫌だイヤ、と思ったことか。でもそんな日々は30年間続いたのでした、ハハハ、ハ‥。

そんな中で今般、ピッコロ(背はデカいが)なクルマを選びました。仕事に徹するシンプルで簡素な造りに、ある意味小型イタリアンカーに通じるものを感じて‥。

これが思っていた以上に正解で。これまでのような悶絶する心配のない、タフで(いろいろな意味で)安価で、安心できる環境にホッとした。それどころか、いやコイツが却って良いなあ。そう思っているところです。

家もそうなだなあと、常々思います。もちろん、危険でなく安心な方がいいね、という意味ではなくて(これはそもそも最低限の要件ですね)。どちらかというとコストのハナシ。住宅ローン、税金、電気代など費用全般が嵩(かさ)む家はつらいな。僕のクルマでの緊張感とは似て非なるものだけど、いつもお金が飛んでいく緊張感。そんなものがない家は、自分が穏やかでいられるのではないか、なんて思ったりして。

更に言えば、住宅設備機器も似たようなモノ。シンプルに粛々と仕事をしてくれるのが良いですね。欲を言えば永く使えて、愛着を持てるすっきりとしたデザイン。そういえば、ウチで十年来活躍しているのはイタリアメーカーの小さくてシンプルな電気式オーブンです。すっかりくたびれてシミだらけだけれど、そんな姿が愛おしい。パンから魚、肉料理までなんでもござれ、スイッチはダイアル3つのみ。

その前に使っていたのは、衝動買いした過熱水蒸気調理の高級機種。使いこなせないどころか、あっという間に動かなくなってしまったのです(ただの電子レンジに‥)。ついでに言うと殆ど同時期に、このメーカー製の(プラズマみたいな?)エアコンから同じメーカー製TVの上に漏水して、どっちもダメになってしまったのだ。製品が悪いわけではなく、僕と高機能機器と(そのメーカーと)の相性が悪いというだけ。なのだろうと思う。

長らく乗っていた殆どのクルマたちも、電子的には極めてシンプルなものです(機械的には複雑なモノもありましたが)。そんな僕と相性が良いはずの古いクルマたちでさえも、寄る年波には勝てず、パーツ欠品に悩まされて、手を離れていったわけです(金の切れ目が‥)。頑張ってくれ、イタリアンオーブン! まだまだ当分の間、君の修理部品は大丈夫そうだから。

駅から3分、森まで1分

小さく見えて大きい。気持ちの良さそうな建物。

陽当たりのよい南斜面に、樹々を背景にした木質感あふれる建物。この春に新築されたものです。

なんとここ、駅から徒歩3分。東京から多摩川を渡って程無い各駅停車駅です。都心へは決して遠くないのですが、ここはどこ?という環境です。ハイ、どこでもドア。

さてここはどこでしょう?

ヒント:「ある目的地の名称が駅名となっているが、実はその目的地が遠すぎるという残念な駅」。きっと、そんなカテゴリーがあれば上位入賞が確実であろう駅。

もうお分かりですね。この写真の背後から続く森は、隣接する日本女子大(付属中高)キャンパスと一体となり広大な森を駅の近くに形成しています。そしてその森を抜けると(複数の歩道でアクセス可能です)「よみうりランド」エリアに到着するわけです。

はい、答えは小田急線「読売ランド前」でした。

ところで、写真の建物は何でしょう?答えは保育園。地域に開放されている施設も付属した、大きくて暖かみのある建物です。土や自然に近い保育に特徴がある、業界大手による運営なのだとか。実際の保育内容については僕は何も知りません。ただ、これだけ立派な土地建物は地主さんによるものでしょう。ソロバンだけではない、共感する何かがあって誕生した保育園なのだと思います、きっと。

とは言っても、箱は箱でしかない。この素晴らしい環境に魂を入れるのは一人ひとりの先生方なわけで。立派な箱や出来上がった(素晴らしい)仕組みの中で、それぞれが情熱を持ち続けられるか。どこの組織でも一緒の課題です。園児にも先生にとっても良い場所であることを願います。

脱線しましたが、徒歩3分の里山(のような)保育園、というのは希少です。普通に考えると、自然豊かな保育園は駅と反対方向にあって、保護者がエッチラオッチラ自転車漕いで、預けたらまた駅に向かう‥。それがここ駅3分保育園では、保護者が駅前で(でも駅ビル保育園ではない)森の園舎にこどもを預けて、勤務先に向かう‥。いいですね、こんな保育園が近くにあったら。

まぁ、できれば勤務先に向かわない方がいいのでしょうし、現に向かわないで済むリモート環境が整ってきた方もお見掛けします。こどもを預けるためだけに駅へ‥、さあ自宅に戻って仕事!なんて、まるで逆になったりして。

みんな違っていい。それも日によって。毎日はこういうものだ、みたいなルーチンが無くなって‥。こどもを預けて、今日は会社へ、明日は自宅で。こどもと一緒に今日は会社へ、明日は自宅で。毎日違って、みんな違って、みんないい‥ではないですか!